立の章 ~断~ 非命
雄介と佐祐とLB、そして消しゴム屋
雄介の前から堂本という悪党が突然消えた。
堂本は人生を悔いて、懺悔の道を歩くと宣言する男に変わっていた。
雄介は唯一の友を失った現実を、宗像の地で、悲しみとともに心の奥にしまい込んでいた。
そして堂本との再会がその悲しみを怒りに変え、報復を決意させた。
だが、堂本の変貌で行き場をなくしてしまったその思いは、一度訪れたことのある昇の実家へと雄介を向かわせた。
雄介は穏やかな海を臨む昇の墓前に立っていた。
ここに昇が眠っている・・・そっと花を置いた。
「昇、来るのが遅くなった、ごめんな・・・俺は・・・まだ・・・」
胸が詰まる。
「なぁ・・・昇、お前は堂本を許せるのか?」
泣きたくなる。
「俺は・・・」
叫びたくなる。
そんな雄介の顔を海風が慰めるように撫でる。
「昇・・・教えてくれよ、俺は堂本を・・・どうすりゃいいんだ?」
雄介にとって昇の存在がどれほど大切なものだったのか、心に溢れる悲しみが教えてくれた。
雄介は昇の返事を待つように、墓前で手を合わせていた。
しばらくすると、雄介は別れも言えず逝ってしまった友の死を、ようやく現実として受け入れることができた。
そのあと、悲しみで張り裂けそうな心を抱えたまま雄介は、子どものころ無邪気に駆け回っていた金剛山へ向かった。
山に入ってしばらくすると雲行きが怪しくなり、まるで雄介の荒れ狂う心をねじ伏せるように風が吹き荒れ、大粒の雨が落ちてきた。
雄介はそんな山中を沢沿いに進む。
自然の驚異に翻弄されながら、目の前に現れる道とおぼしき方向へ突き動かされるように進んで行った。
激しく打ち付ける風雨の中で、虚しさや、悔しさを、そして悲しみを抱えながらも、雄介は生きていることを実感した。
俺は今、生きていて、そして生きるという道を選んでいる。
悩むことなく、躊躇うことなく生きることに執着している。
夜遅く雄介は、奈良の宇佐野の家にたどり着いた。
「親父、また来るよ」
父親にくたびれた姿を見せるわけにもいかず、雄介はぼそりと呟き、宇佐野に会うことなく立ち去った。
翌日、雄介は熊野古道にいた。
山中を走りながら雄介は闘っていた。
寛容になることが昇の死に対して罪に思えた。
堂本を許すことが昇に申し訳なかった。
生き方を変えようとする堂本を受け入れることも、拒絶することもできず、雄介はぼろぼろになるまで走り続け、東京に戻った。
深い眠りの中、悲しみに暮れた先に残っていたのは、堂本への鈍い怒りだった。
「堂本、昇の命を奪っておきながら改心するだと、虫が良すぎる」
だが、俺は死ぬまでこの許せぬ思いを持ち続けるのだろうか?
それが昇への供養になるのか?
雄介は2日間眠り続けた。
佐祐からのメールで目覚めた雄介は、身体に気怠さを残したまま起き上がった。
今日事務所に居るから来てほしい、とある。
市子・・・。市子を支えることで、雄介は自分の居場所を見つけていた。そして堂本への怒りが心を奮い立たせていた。それが雄介の生きる糧となっていた。
雄介は市子が襲われた日、白峰鈴音は見失ったが、市子を襲い、逃げた男を捕まえて、警察に引き渡した。しかし故意にやったんじゃないと言い張るその男は、証拠不十分で釈放された。
そのとき、がたがたと震えている市子には、香と大歳が付き添っていた。
「市子は大丈夫だな・・・」
雄介は駆け寄りたい気持ちを抑えて、市子に声をかけることなくその場を去った。
そんなことを思い出しながらのろのろと着替えを済ませた。
その日の夕方雄介は、宇賀野の事務所に顔を出した。
パソコンに集中している佐祐は入ってきた雄介に気付かない。
「えらく熱心だな」
しばらくして佐祐の様子を見計らい、声を掛けた。
「雄介さん、ちょっと待ってください。もうちょっとで終わるんで」
「そうか」
雄介は買い込んできたコンビニの食べ物をテーブルに並べた。
「おう、腹減ったとこっす」
いつものようにかくっと首を鳴らし、座るなりパンに手を伸ばした。
「今、何してんだ?」
「へぇっへぇ。友達できたんすよ、ネットで知り合ったんすが、いい奴で・・・」
そう言いながら炭酸飲料を飲み、2つめのパンに手を伸ばした。
「大丈夫なのか?」
「何がですか?」
「その友達・・・ネット上の友達だろ?」
「そうすよ、この前雄介さんが堂本に会いに行ったとき、カラスが悪さしかけたんで、邪魔してやったんすよ」
「誰に何をしたんだ?」
「通称LBっていうんだけど、そいつにハッキングを仕掛けたんすよ、カラスのやろうが。何か狙いがあったんだろうけど、失敗すよ」
「LB・・・なんだ?」
「リトルボーイ、すごい奴なんすよ、とにかく俺なしでも大丈夫だったんだろうけど・・・そのあとLBからチャットが飛んできてびっくりすよ。そいで今は友達ってわけで。仲良くしてます」
「どんな人なんだ?」
「どんな人?・・・分からんす・・・でも純粋なんすっよ。子どもみたいに無邪気で・・・」
「子供なのか?」
「いいや、あんなにPC使える子どもはいないっすよ、一緒にゲーム作ろうって言ってます」
「そうっか・・・」
3つめのパンを平らげて満足した様子で佐祐はパソコンに戻り、印刷をした用紙を雄介の前に置いた。
それは名簿だった。
かなりの人数の個人情報が記載されている。
名前、既往歴、血液型、所どころに色が付いていて、アルファベットが打ってある。
「これはなんだ?」
「これっすよ、タウンの開けなかったファイル。雷樹さんとタウンに遊びに行って、このファイルが開かれたら侵入できるようにして毒を仕込んでたっす」
雄介はそのときの会話を思い出していた。
「お前の毒に当たってパソコンが開いたのか?その・・・だいじょうぶなのか?犯罪にならないのか」
「大丈夫っす、毒は1回。痕跡無しすよ」
「佐祐、すげぇな」
「えへぇ、それとこれっす」
佐祐はもう一部まとめた用紙を雄介に見るようにと渡した。
「雷樹さんが調べた、向出手や朱雲の悪事の数々すよ」
雄介は、手にした用紙の量に雷樹という男の執念を感じた。
「これ、ぱあっとネットに流しますか?面白くなりますよ」
佐祐が事もなげに言ってのけた。
雄介はそんな佐祐に昇が被った。
「雄介、ここで手を引け。お前には事が大きすぎる。」
成彦の言葉が脳裏をよぎった。
「佐祐、一旦宇賀野さんに相談しよう」
「でも宇賀野さんは忙しいすよ。薬の権利のことで裁判になるし、市子さんは閉じこもったままだし、手一杯すよ。俺たちでやりましょうよ」
「ネットに流すのはちょっと待とう。それよりもまず、白峰を片付けよう」
佐祐は少し不満げな顔を見せたが、すぐに首をかくっと傾けて、うんうんと頷いた。
「実は市子を襲ったのは、白峰鈴音のファンだと堂本が教えてくれた。それを詳しく調べて証拠を探し出そう。佐祐、手伝ってくれるか?」
「もちろんす、やっぱり鈴音がやったんすね。市子さんを衛ってやりましょう」
佐祐は勢い込んで首をかくっと回した。
「その鈴音のファンクラブのことが分かるといいんだが」
「ちょっと時間くれますか?俺調べてみますよ」
「そうか、よし、頼んだよ、俺はあいつらの周りを調べてみるよ。宇賀野さんにはもう少し確かなことが分かってから報告しよう」
「うっしゃぁ、やってやりますよ、任せてください。でも堂本が情報くれるなんて・・・なんかあるんじゃないすか?」
「そうだな、あいつのことだ・・・あるかもな。調べれば分かるよな、堂本の本心は」
雄介は堂本への怒りを抱えたまま、その矛先を白峰鈴音に向けて動き始めた。
雄介はまず弟の露偉に当たりを付けた。すると先輩と呼ばれる黄利木という男が露偉に付きまとっていることが分かった。
しばらく見張っていると、ある夜、雄介は2人がもめている現場を目撃した。
黄利木が露偉にスマホを突き付けている。
そして黄利木に詰め寄られる露偉の表情は強張っていた。
「報酬?・・・脅し?」
何かあると勘が働いた。
佐祐が鈴音のイベントに参加して調べてきたところによると、黄利木は鈴音のファンクラブのリーダー的存在らしい。
そして以前、鈴音のマンションに何人かの熱狂的なファンが集められたことがあったという。その時期は市子が襲われる少し前だったらしい。
しかし、あくまでファンクラブの集まりだと言われたらそれまで。
このやり方に味を占めたのなら、鈴音は市子が壊れるまで攻撃を繰り返すだろう。
はっきりとした確かな証拠を探さなければ終わらない。
雄介は心の壊れかけた芽唯を思い出していた。
市子を芽唯と同じにするわけにはいかない。
雄介は佐祐とともに証拠を手に入れるために、鈴音を追い込む罠を仕掛けた。
毎週金曜日の夜、露偉は黄利木から会社近くの地下駐車場に呼び出され、いくらかの現金を渡していた。
そのたびに露偉はスマホを見せられていた。
黄利木のスマホが鍵だと考えた雄介と佐祐は、そのスマホを手に入れることにした。
その夜、いらいらと待つ黄利木の元へ、露偉がやって来た。
露偉の車で防犯カメラの死角を作り、駐車場の隅で話をしていた。
雄介は柱に隠れている2人に忍び寄り、聞き耳を立てた。
ひそひそと話し声がする。
「これっぽちじゃ、飲みにも行けねぇ。お金持ちのママか、素敵な姉貴に貰って来いよ」
「先輩、もう無理ですって。僕の小遣い、精一杯・・・」
「それじゃあ、露偉、お前のカードを出せ」
「それは・・・」
抵抗する露偉の頬を黄利木がビンタした。
露偉は大きくよろけて、倒れた拍子にコンクリートの柱に頭をぶつけ、気を失った。
慌てて駆け寄る黄利木を、雄介が後ろから襲った。
そして雄介は素早い動きで気絶した黄利木のスマホを奪った。
雄介は駐車場を出るとすぐに、待ち構えていた佐祐にスマホを渡して素知らぬ顔でその場を立ち去った。
佐祐は雄介に渡されたスマホを開きながら近くのベンチに座り、さり気なく周りを見渡していた。
すると、気のよさそうな2人連れの初老の女性が飲み物を持って通りかかった。
「ここ良いですよ・・・」
佐祐は立ち上がりぺこりと頭を下げ、ベンチの席を譲った。
「あら、まぁ・・・どうも」
歩き始めてすぐに佐祐はその2人連れに呼び止められた。
「お兄さん、スマホをお忘れですよ」
佐祐は振り返り、自分のスマホを見せた。
「俺んじゃないです・・・でも、それ、警察に届けたほうがいいかな?」
「あなたのじゃないの?・・・警察・・・」
2人は顔を見合わせた。
「私たちが届けるわ」
「はぁ・・・頼みます」
佐祐は会釈をして、すたすたとその場を後にして雄介と落ち合った。
翌日、雄介は白峰鈴音のことで話があると宇賀野から連絡を受けた。
黄利木のスマホの一件が頭を過ぎった。
宇賀野に話すべきか悩む雄介は重い足取りで宇賀野の事務所に出向いた。
事務所にはいつも通りの穏やかで冷静な宇賀野が待っていた。
「久しぶりですね。今日はすみません。警察から連絡があって、市子さんの件で関係がありそうなことが出てきたそうです。明日にでも来てほしいというんですが・・・」
「どういうことですか?」
「白峰鈴音の弟が喧嘩騒動を起こしたそうです。相手は黄利木という知り合いで、その男のスマホから市子さんの事件に関係したボイスメモが出てきたらしいのです」
「そうですか・・・」
「雄介さん・・・心当たりはありませんか?」
「・・・心当たりですか?」
雄介の口ごもる態度に宇賀野は一瞬いぶかしげな表情を浮かべた。
「・・・ありませんよね?・・・それでは明日、警察で詳しく話を聞いてきます」
そう言う宇賀野に、雄介は躊躇いを隠して、佐祐が用意した開かずのファイルと名付けられた名簿を渡した。
「宇賀野さん、これを見てください」
宇賀野は、鈴音のことにはそれ以上触れず渡された名簿に目を落とした。
佐祐と動いたことで警察が動き始めたのかもしれない。雄介はそのことを宇賀野に言いそびれていた。
宇賀野に迷惑がかかるかもしれないと雄介は一抹の不安を感じた。
雄介はその気まずさを悟られまいと落ち着かなかった。
雄介の悩みを知ってか知らずか、突然ドアが開き、勢い込んで入ってきた佐祐がそんな空気をいとも簡単に変えた。
「雄介さん、消しゴム屋がいるっすよ。名刺をもらったら消されるって話しすよ」
「消しゴム?・・屋?消される?」
「誰がそんなこと・・・」
「官房長官が・・・」
「佐祐、お前、官房長官にどこで会ったんだ?」
「会うはずないっしょ、誰かと話してるのをちょっと小耳に・・・」
「佐祐、お前またどっかに毒仕込んで・・・」
「ちょっと覗いただけっすよ、雄介さん、はい、もうしませんから」
2人のやり取りを面白そうに聞いていた宇賀野の視線が、ひとりの人物の名前に止まり、表情が硬くなった。
「この人は・・・」
雄介と佐祐は宇賀野の表情の変化に気づき話をやめた。
「宇賀野さん知ってる人がいるんすか?」
「僕の交通事故の加害者の名前がある・・・色付きで・・・」
雄介と佐祐が肩越しに覗き込んだ。K・H・C・BM
「これは何なんでしょう?」
色付きの欄だけにアルファベットが記載してある。
3人は改めて名簿を見た。
「俺、この色付きの名前の人たちを調べてみるっすよ」
「そうだな、どんな人たちなのかが分かれば先に進める」
「佐祐、だいじょうぶか?また・・・」
「雄介さん、心配し過ぎですって」
「佐祐・・・」
雄介は宇賀野の顔を見た。
宇賀野は無表情で佐祐を見ている。
「雄介さん、やばいことしませんから・・・」
「佐祐・・・」
おもむろに宇賀野が口を開いた。
「そうですね、色のついている人を2、3人でも調べればわかると思います。雄介さん、ここは佐祐君にお願いしましょう。ただ佐祐君は決して深入りはしないことを約束してください。何かあったら必ず報告してください。責任は僕が持ちますから」
そう言い残して宇賀野は会社に戻っていった。
雄介は宇賀野が警察に呼ばれたことを佐祐に話した。
「うまくいったっすね。これで鈴音が逮捕されれば市子さんも安心すね」
「逮捕されても罪は軽いだろう。宇賀野さんは市子への攻撃がなくなればいいと言っているから、それで収めようと思っているみたいだ」
「へぇーそれで終わらせるんですか?悪党なのに。またなんか仕掛けてくるかもしれないっすよ。それにあいつはファン心理を利用してファンを犯罪者に仕立てたっすよ。何がアイドルだ。あの野郎、引きずり下ろしてやるっすよ」
もちろん雄介もこれで終わらせるつもりはなかった。
ひとまず白峰鈴音の犯行と判断されれば、市子は狙われないだろう。
しかし鈴音の母親が残っている。
あの母親こそ悪の元凶。
このまま野放しにはできない。
雄介は複雑な心境で家に帰った。静まり返った部屋で宇賀野のことを考えた。
右腕を失ったことで宇賀野の人生は狂ってしまったのだろう。
そのことが影響しているのだろうか。
秘密めいた名簿を解明するために必要だとしても・・・責任は取ると言っても、犯罪行為だと分かっていて、佐祐にハッキングをさせるなんて普段の宇賀野からは考えられなかった。
その佐祐は鈴音を破滅させると息巻いている。
そんな佐祐の真っ直ぐな性格が心配だった。
思い巡らすほどに、静まり返り動かない部屋の空気に気持ちが沈んでいく。
気を紛らわせようと雄介はテレビをつけた。
1日の終わりのニュースが流れている。
「四国の山中・・・」
雄介は画面の中のテロップにくぎ付けになった。
「四国の山中で遺体で発見されたのは堂本夏慈さん。事故と事件の両面で捜査中」
それを追いかけるように低い声でアナウンスされた。
「堂本が・・・死んだ?・・・事故・・・自殺?そんなはずは・・・八神会・・・」
リモコンを持ったまま雄介は立ちすくんだ。




