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立の章 ~断~ 非命

オロチ・・・暗躍する

逃げて連絡の取れない雷樹のことで、向出手の怒りは頂点に達していた。


テーブルには、真木の手にあるはずのない契約書のコピーがあった。

代理だという弁護士がやってきて、契約は無効にして、その上で違約金を払わなければ提訴すると言ってきた。


堂本に相談しようにも連絡が取れず、朱雲には用事があると断られた。


「どいつもこいつも、役立たずが・・・」


向出手は歯ぎしりしながら電話を手にした。


「ああ、元気だよ。ちょっと手を貸してくれないか?」

「面倒なことになりそうなんだよ。雷樹がやらかしてくれたんだよ。あのバカが・・・」

「そうだよ、あんたとこにも顔出してたみたいだから、早く取っ捕まえて白状させてくれ」

「何だったら、やっつけてくれてもいいよ。あの野郎・・・ああ、頼んだよ」


電話を切った向出手からは動揺が消え、冷酷な表情に変わっていた。


いつ、どこで契約書が真木の手に渡ったんだ?

土屋なのか?

しかし、土屋は契約書を見ていないと言っていた。もし見ていたならなんらかの反応があったはず・・・だが、思い返すとあのころから土屋との仕事が減り始めていた。

大黒の関係で土屋とは何度も組んできたが、未だに気を許せない相手だった。

雷樹と土屋の接点はない。

真木に対しては白を切るか、雷樹の仕業にするか。

雷樹の始末がつけば問題は軽くなる。あとは違約金・・・払わずに済む方法・・・はないか。


向出手の手が受話器に伸びた。

「先生、申し訳ないけれど、家まで出向いてもらえませんかね。ちょっと面倒なことになりそうなんで、相談に乗ってくださいよ」

「ええ、あっちの方には連絡して了解を取っておきますから、よろしく頼みますね」

向出手は電話を切ると、ハタと思い、雷樹のロッカーを開けに行った。


 しかし、その中には雷樹の居場所が分かるものは何もなく、向出手はバタンと派手な音を立ててロッカーを閉めた。


それから向出手は大禍津神と書かれた掛け軸のある怪しげな部屋に入り、瞑想を始めると微動だにせず、呼び出した弁護士を待った。


そして訪れた弁護士と夜更けまで話し込んでいた。


一方朱雲は、タウンの総合管理を任されている肥留野に呼び出されていた。

機嫌を取るように作り笑いをする朱雲に、タウン長と呼ばれる肥留野は、背を向けまま管理棟の最上階からのタウンの景色を眺めている。

人のいない事務所に小柄な身体から発せられる肥留野の甲高い声が響き、朱雲の緊張はマックスに達した。

「NPOの運営はどうですか?最近はタウンへの入居の申込が少ないようですが、理由はなんですか?・・・タウンの役割はしかとご存じのはず。健全な労働力の確保と、そこに居住する人々の生活の保障です。必要としている人をライフシェアタウンへ送る。・・・それがあなたの役目でしょう。なのに・・・その役目を果たせていない。原因は・・・ネットビジネスですか?」

尋ねて、振り向いた肥留野の目は鈍く光り、喉元まで出かかった朱雲の弁解はその眼で抑え込まれた。

「何が本分なのか、考えないと身を滅ぼしますよ。都議会議員の朱雲さん」

「・・・」

ネットビジネスはそのための手段なのだと口を開こうとしたが、肥留野の意に沿わないとしたものを即座に切り裂く恐怖に身体を堅くした。


まだ30代後半だと聞いていた。

若造・・・そう高を括っていたが、彼はエリート中のエリート。肥留野はすべての武器を手にしていた。

朱雲が太刀打ちできる相手ではなかった。言いなりになるしかない、そうなのだ、朱雲はいつでも据え換えられるただの駒になっていた。


癇に障る耳障りな声が朱雲に容赦なく斬りかかるたびに、背筋に刃物を当てられたような震えを隠して朱雲は耐える。


肥留野は怯え切った朱雲の前に立ち、おもむろに現金の入った封筒を差し出した。


「例のかたからのご寄付です。いつものように処理をお願いします」


幾分声のトーンが下がっている。それを敏感に感じ取った朱雲が恐る恐る顔を上げると、口元を上げて笑う肥留野のひしゃげた顔が視野に入った。


朱雲は気づかれないように胸をなでおろして立ち上がり、両手でそれを受け取った。

「朱雲さんしかいないのですよ、このNPOを任せられるのは。すべてを理解して、すべてをまる吞みできるのはあなただけです」

朱雲は肥留野と視線を合わせないように深く頭を下げた。


「期待しています。・・・これは大臣からの御伝言です」


その後、現金の入ったバッグを胸に抱きしめた朱雲は、足早にタウンの管理棟を立ち去った。



梅雨に入った蒸し暑い夜、国玉若彦の自宅では、妻の光りを父親の大黒の元へ送り出してから、険しい顔をして部屋の中を落ち着きなく歩き回る若彦の姿があった。


ソファーに腰を下ろし、ジンの入ったグラスを持つ。


口に運ぼうとすると、弱みを握っているという探目のしたり顔がちらつく。

それを振り払うように透明な液体を飲み干す。

そして数分も座ることなく立ち上がり、また歩き回る。


善人ぶった探目の言葉が思い出されて、飲むほどに、歩き回るほどに若彦の不安は大きくなった。



パーティーの翌日、若彦は大黒の事務所で呼び止められたのだ。


新聞記者らしい女が光りさんに付きまとっていた。何か隠し事があるのなら、早く処理したほうが身のためだと、忌々しい忠告を受けた。

「隠し事など・・・」否定する前に、探目はクスッと笑って部屋を出ていった。


鳴木目華琴という女子大生と、付き合ったのは結婚が決まってからのことだった。


そのころ、正式な手続きが踏めない治験の参加者を探してくれと頼まれていた。

1ヶ月間のことだと軽く考え、アルバイトと言ってその女子大生を治験者に選び、薬が7日分入った赤いピルケースを渡した。

可愛い子だった。追加の薬を渡すたびに小遣いを渡して、何度かデートをした。

治験の終了までの付き合いと決めていて、それで関係も終わらせるつもりだった。


ところが4回の治験期間が過ぎて、若彦がピルケースを回収したその日に、その女子大生は死亡した。

心筋梗塞だったらしい。

治験薬との関係が気になったが、たまたま運び込まれた病院が芳志総合病院だったため、詳しい検査をすることなく死亡診断書が発行された。


若彦は自分に似ている男に成りすまして、その女子大生と付き合っていた。Wと名乗り、その男のスマホで連絡を取り合っていた。


絶対に若彦とのつながりは分からないはずだった。


だが、探目の話では、妹の死に疑問を持った姉が若彦の身辺を嗅ぎまわっているという。

もしこのことが世間に出れば大事になる。

狼狽える若彦に探目は、光りさんや大黒先生はお許しにならないでしょうね、と追い打ちをかけた。

「すべてを失ってしまう」

切羽詰まった若彦は芳志総合病院の事務長の筒賀に相談した。

すると金で解決できる方法があると引き受けてくれた。


その結果を今夜受けることになっていた。

若彦は膨れ上がる不安を何度も吞み込みながら、芳志総合病院事務長の筒賀からの連絡を待っていた。


着信の振動にびくっとした後に、若彦は慌ててスマホを耳に当てた。

手に持つスマホが小刻みに震えていた。


筒賀の声が聞こえてきた。

「若彦さん、片が付きましたよ。もう安心ですよ。何が出ても大丈夫です。なんせ訴える人間は消えましたから」

「消えた・・・」

若彦のオウム返しの言葉は声にならなかった。

「その姉という女性が交通事故で亡くなったそうです。よかった、よかった」

「・・・彼女とのことはもう気にしなくていいってことですね」

若彦の眉間のしわがため息とともに緩み、電話を切るとソファーに倒れ込むように座り、天井を見上げ大きくため息をついた。



一方、若彦に連絡を入れた筒賀は病院の事務室にいた。


傍らで伊江谷が神妙な顔をして、電話の内容に聞き耳を立てていた。

筒賀が電話を切るとその内容に伊江谷は俯いて、ほおっと長く息を吐いた。


そんな伊江谷を見ながら筒賀はスマホをゆっくりと机に置き、楽な姿勢に座り直した。

「そういうことだ。一安心だが・・・伊江谷君、結局赤いピルケースはどうなったんだ?」


伊江谷は立ち上がり、筒賀の前に名簿を置いた。

「これが赤いピルケースを渡した人の名簿です。どうしても1本足りません。ここにあるように、確かに若彦さんには5個渡しました。でも袋には4個しかなかったと言われます。あとはすべて回収されているので、この1本が紛失したとしか思えません」

「・・・まあまあ、赤いピルケースを探している者が居なくなったのだから問題はないだろう。それに今さら若彦先生を問い詰めたところで、物が出てくることはないだろうし・・・」


「それでよろしいのでしょうか?」


「赤いピルケースの件は終わりだ。それよりも今後を考えて、治験薬は元の薬での治験にして報告を出してくれ。実験的な資料データはすべて消すように。もちろん君は赤いピルケースをすぐに処分して、見たこともないことにするんだ。そしてこのことが問題になっていることは表沙汰にならないように手配を万全にしなさい。いいね」


「しかし赤いピルケースを研究所の職員に見られています・・・」


「現物がないのだから、見間違い、勘違い、で通るだろう。どうしようもないときは亡くなった職員に後始末を引き受けてもらえばいいじゃないか。とにかく君は知らぬ存ぜぬで、あまり気にしないことだ」


何度も不安を口にする伊江谷に、筒賀は煩わしさを隠そうとせずに不機嫌な顔を向けた。

そんな様子の筒賀に伊江谷は次の不安はのみ込んだ。


「はい、分かりました。この30人の名簿は処分します。回収したケースはすでに破棄しました。若彦さん関係は、死亡した女子大生が病死と診断されているから問題はない。その姉は事故死・・・これで心配はないですね」


「そういうことだ。ところで君は薬の権利のことで会社を訴えたそうだね。勝てそうなのか?」


「あの薬は開発した研究員と共同で開発したものです。彼がいなくなったのですから主張して当然でしょう。不当に解雇された上に、研究を盗んだとまで言われています。黙っているわけにはいきません」

伊江谷はここぞとばかりに強気の姿勢を見せた。


「ほう・・・しかしねぇ・・・あまり熱くなっては・・・」

「ご心配おかけします。しかし知り合いの弁護士に頼んでおりますので大丈夫かと思います」

「それなら心配無用だな。まあ、とにかく治験薬については跡を残さないように片付けなさい」

伊江谷は深々と頭を下げて事務長室を出ていった。


「まあ、この件はどこかで折り合いをつけないと藪蛇になるな・・・」

伊江谷の出ていく姿に眉をひそめて、筒賀は呟いた

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