立の章 ~断~ 非命
5歳まで育ててくれた弘原海の里の園長、津久見宗雄が倒れたという連絡を受けた雄介は、昇を死へと追いやった堂本への憤りを一旦胸に収め、その日のうちに福岡行きの夜行バスに乗った。
バスの中で目を閉じると、昇と宗雄の顔が交互に浮かび胸を締め付けた。
「俺は・・・また大切な人を失うのだろうか・・・いやだ。誰か教えてくれ、どうしたらいいんだ?」
雄介は眠れない夜を受け入れて、病床にある宗雄に思いを馳せた。
夜を走るバスの窓には、今にも泣きだしそうな幼な顔の雄介が映っていた。
翌日、宗雄が入院している宗像の病院に着いた。
雄介は真っ直ぐに病室に向かったが、最悪の病状が脳裏を過り、手を掛けたドアを開けることができなかった。
立ちすくんだ雄介の耳に、中から楽し気な笑い声が聞こえてきた。
雄介がそろりそろりと病室のドアを開けると、宗雄を囲んで津宮心、依千姫、多希流の三姉妹が話をしていた。
足を踏み入れると、一斉に4人の視線が雄介に向けられた。
「おお、雄介。お前まで来たんか」
宗雄が嬉しそうに手招きした。
「宗ちゃん・・・大丈夫なのか?」
「あっははは。雄介ありがとうな、大丈夫だ」
「・・・よかった・・・」
ベッドに体を起こし笑う宗雄を見て、ほっとした雄介は3人の女性にひょこっと頭を下げて挨拶した。
そんな雄介に、大柄な多希流が笑い出し、つられて宗雄が笑った。
「雄介、分からんとか?」
雄介は姉妹との記憶はなく、宗雄に助けを求めるように首を傾げた。
「宗ちゃん、あの雄介だろ、えらく変わったな」
多希流が嬉しそうに豪快に笑った
「そうやね、変わった、大人になったね」
美しいという形容詞が似つかわしい依千姫が、たおやかに笑い頷いた。
小柄だが芯の強そうな長女の心は、宗雄の手を握り、にこにこと笑っている。
ぽかんとしている雄介に、宗雄が改めて3人を紹介した。
「雄介、そのでっかいのが末っ子の多希流、別嬪さんが2番目の依千姫、そして姉ちゃんの心、思い出せんとか?子どものころ兄弟みたいに遊んどったんやぞ、まぁ、多希流はまだ赤ちゃんやったがな」
笑う宗雄に、雄介はほとほと困ったと首を振った。
「1年前にも遊んだぞ、雄介、ああ、雄介兄ちゃんやな」
多希流が茶化して言うと、宗雄が続けた。
「雄介、宗像の海で多希流たちがお前を見つけて、家まで運んでくれたんや」
「1年前、宗像に行ったときか?・・・覚えてない・・・」
雄介は、そう言われても思い出せずに、曖昧に笑った。
「そうやろうな、あのときお前は死にかけとったからな、わからんでもしょんなかな」
「暴れるのなんのって大変やったけんね。手はかかるし、重たいし、お前、ちゃんと思い出して感謝しろ」
多希流が大げさに話した。
「ほんとう・・・大変やったわ」
依千姫の美しい顔が懐かしんでいる。
しばらく、1年前の雄介との思い出話で盛り上がった。
雄介は記憶にない出来事に驚きはしたが、説明も言い訳も必要のない理屈抜きの繋がりを、すんなりと受け入れていた。
そんな様子を包み込むような表情で見守っている心に、多希流が立ち上がり真顔で言った。
「心、飯食いに行こう、雄介を担いだこと思い出したら、おなかが減ったわ」
突然の申し出に全員があっけに取られたが、それはすぐに笑いに変わった。
「そうやね、もうすぐお昼だもの。雄介、宗ちゃんを頼むね、私たち食事済ませてくるわ。雄介は大丈夫?お腹はすいとらんね?」
「大丈夫です、行ってきてください」
「何か買ってくるけんね、宗ちゃんと話しとってね」
遠慮がちに答えた雄介に、心が声をかけてドアを閉めた。
3人が出て行き静かになった病室で、雄介は宗雄の顔をまともに見ることができず、横を向いて座った。
「宗ちゃん・・・どこが悪いんだよ・・・」
顔を上げず、宗雄に病状を尋ねる雄介の声は震えていた。
「雄介、心配かけたな、ちょっと貧血がひどくなったらしい。検査入院だから大丈夫たい」
「・・・」
「心配いらない、すぐに退院するとやから・・・」
「・・・」
雄介は喉元まで出かかっている言葉をのみ込んでいた。
「雄介はどんげか?東京の仕事は旨く行っととか?」
「宗ちゃん」
話題を変えた宗雄に雄介は顔を上げた。
「雄介、おまえなぁ、なんか抱え込んどるやろう?・・・いいか雄介、何があっても人様を傷つけるのはダメやぞ」
「宗ちゃん・・・なんだよ・・・そんなことはしない」
「俺に心配かけないって約束だ、無茶はすんな。自分を見失わないようにするんやぞ。そして何かあったら心たちを頼るとよか。兄弟同然の深い縁があると思うから、いいな」
「宗ちゃん、やめろよ。俺なんかいやだ。そんなこと言うな、宗ちゃん、俺・・・」
「・・ごめんごめん、気弱になったせいで遺言みたいなことば言ったな。俺はまだまだやりたいことがあるけん、大丈夫たい」
「宗ちゃん、宗ちゃん・・・」
雄介は宗雄の手を握って泣いていた。
「俺、まだ宗ちゃんに親孝行してない、これから恩返しするからな。早く元気になって長生きしてくれよな」
「分かっとる、雄介。それより島根や東京の話をしてくれ」
雄介は宗雄に心配をかけまいと、佐祐や会社のことを面白おかしく話した。
そして宗雄は、宗像三姉妹と呼ばれる心たちとの幼い頃のことを話してくれた。
その尊い話は、幼い雄介が存在していたことの証であり、雄介が何より欲しがっていたものだった。
しばらくして心たちが帰ってきた。
「雄介、私たち仕事があるけん、これで失礼するけど、あなたはこれからどうすると?」
心が尋ねた。
「どうも・・・俺は少し宗ちゃんのそばにいるよ」
立ち上がった雄介に、依千姫がさりげなくコンビニの袋を渡した。
遠慮がちに袋を受け取った雄介に、心がメモを渡した。
「ありがとう・・・それじゃ宗ちゃんのことを頼むね。これは私の連絡先、いつでも連絡して」
受け取った小さな紙に、確かな繋がりを読み取った雄介の手は、心なしか震えていた。
否応なしの繋がり。雄介が探し、求めていたものだった。
心を見た。
依千姫が微笑み、多希流が笑っていた。
感極まった雄介は、その気持ちを言葉にして伝えることが出来なかった。
「雄介、今度会うときは手合わせしような。・・・宗ちゃん、それまでくたばんなよ」
多希流が宗雄に顔を近づけて笑いながら言うと
「多希流ったら。宗ちゃん、気を付けて。無理しないでね」
依千姫が飽きれたようにたしなめ、宗雄は涙声で笑った。
「また宗ちゃん泣いとるよ、雄介」
多希流がぽんと雄介の肩を叩いて、病室のドアを開けた。
依千姫、心に続いて雄介も、別れ惜しげに病室を出た。
「雄介、人は限りを持っている。思いも我慢も恨みも、そして人の縁も限りがある。限りがあるから人生は面白いし愛おしい。って、宗ちゃんが言っとった。雄介・・・」
雄介を見つめる心のまなざしは、宗雄と同じ暖かさを含んでいた。
「分かっているよ、みんなに心配かけないようにするよ」
「そうだよ、私たちに心配かけるなよ、家族なんやけんね、兄ちゃん」
神妙に答えた雄介を多希流が茶化した。
「多希流、おまえなぁ、俺は兄ちゃんなんだからな」
「家族としては認めるが、兄ちゃんだとは認めねぇよ、弱ちぃからな」
「多希流、ここは病院よ、はしゃぐのやめなさい」
依千姫の一言に、雄介と多希流は肩をすくめてくすくすと笑った。
心たちが去ったあと、雄介は宗雄と許す限りの時間を過ごした。
点滴を受ける宗雄の傍らで他愛もない話をすると、そのたびに雄介の話に耳を傾けて宗雄はよく笑ってよく泣いた。
雄介は2人で過ごす穏やかなこのときに、離れて過ごした時を順に追って話し、宗雄との空白の時間を埋めていった。
喜びや悲しみ、寂しさや憂いごとすべてを思い起こし、言葉にする大切な時間を得たことで、雄介は宗雄の深い慈しみで満たされていた。
そんな雄介に、市子が襲われたと宇賀野から連絡があった。




