立の章 ~断~ 非命
卯月はゴールデンウイークを前に、仕事に追われていた。
休みの間に整理したいことが山ほどあった。
由宇子と見たテラの姿は衝撃的だったが、高千穂でテラの奇跡を目撃した卯月はあり得ることだと素直に受け入れていた。
2人のテラさんがいて、入れ替わる。
多重人格者・・・なのか?でも、もう1人のテラさんには人格や意思というものを感じないのはなぜだろう?
入れ替わる瞬間を捉えるのは難しい。
テラさん自身が気付いていないことを、どうしたら証明できるのだろう。
由宇子に相談できたらとため息をついた。
そう思うたびに「口外はならない」とくぎを刺した男を思い出した。
「あぁあ・・・」と1人の部屋で大声を出し、天井を見上げた。
「由宇子と話したい・・・」
しかし、その由宇子もテラのことが落ち着くと、広島の母に会いに行くと言っていた。
卯月は整理しなければならない資料の中で、心の中も、頭の中も整理しようと精いっぱい伸びをした。
連休も半ばを過ぎた。
だが卯月の部屋の様子は変わりなく、先の見えない作業に埋もれて、卯月は足搔いていた。
スマホが鳴った。
心当たりのない電話番号だった。
しつこく鳴らしてくる。仕方なくスマホを手にした。
「はい」
「佐多成彦です」
「佐多・・・」
卯月は思わずスマホを耳から離した。
「もしもし、もしもし」
成彦が呼んでいる。
「何か用ですか?」
「食事でもどうですか?昼飯まだでしょ」
「お昼はもう済ませました」
「ほぉ・・一度会ってもらえませんか?」
「何のために?」
「謎を解くために」
謎?この男は私が抱えている問題を知っているみたいな口ぶりで話している。
「謎解きには興味ないわ、失礼します」
卯月は顔をしかめて電話を切った。
少ししてスマホが鳴った。
しつこいと口をとがらせ文句を言おうと構えたが、それは真琴からだった。
真琴とすこし話して、連休明けにでも会おうと約束してスマホを置いた。
卯月は、何かに取り憑かれたように調べている真琴が気掛かりだった。
まとめかけの書類を手に取った卯月だったが、少し考えたあと下唇を嚙み、スマホに手を伸ばした。
着信履歴から成彦の電話番号を表示した。
電話を切ったあとも、成彦の言葉が引っかかっていた。
謎を解くとは何のことなのだろう。テラさん、奈穂さん、薬、そして真琴の追っている赤いピルケースの謎、卯月もいくつもの謎を抱えていた。
その謎が分かっているような口ぶりの成彦と、話してみようと心が動いた。
確かに成彦とは不思議な縁があるのかもしれない。
ジャーナリストの勘がスマホの発信ボタンを押した。
そして卯月は、連休の終わりに成彦の事務所を訪れた。
中に入ると机の上に10枚近い絵が整然と並べてあった。
「これは何ですか?」
「とにかく見てほしい」
早速、卯月は丁寧に1枚1枚手に取って見ていき、一通り見終わると矢継ぎ早に成彦に質問した。
「この絵はだれが描いたの?」
「ここに描いてあることは事実なの?」
「いつから?」
「テラさん、流浪の賢者、関係しているの?」
「描かれている人物に心当たりはあるの?」
卯月の質問が途切れるのを待って、成彦が応えた。
「絵を描いたのは俺の親友だ」
「その人はどうしてこんな絵を描いたの?」
「分からない・・・」
「・・・分からないって・・・」
「淡島秀、作者だ・・・20年寝たきりだった。その秀が絵を描き始めた・・・動くはずのない手で・・・だけど・・・描き終えたんだろうな。この絵を残して逝ってしまった。テラさんの奇跡が秀にも起こると期待してたんだが・・・」
「・・・・・」
しばらく卯月は黙っていた。
「私の手帳に興味を持ったのは、これが理由だったのね」
品川駅のやり取りを思い出し、納得したように呟いた。
そして成彦を真っ直ぐに見て、言い切った。
「私はこの絵を信じる。真意はまだわからないけれど、佐多さんの親友の願いがここに描いてあると思う」
成彦はその通りだという顔をしたあと、今手元に持っている絵についての情報を、卯月に話した。
その日、卯月は協力することを約束して、事務所を出た。
勢いで約束はしたものの、卯月は佐多成彦という男を信用していなかった。
公務員と言ったが、あんな自由な公務って何がある?何をしてるのだろう?
考えるほどに疑問と不信感が増した。
考えながら自宅に向かう卯月のスマホにメールが届いた。
真琴からだった。
国玉若彦のパーティーに行くから
明日会うのは延期していい?
国玉若彦国会議員。大黒大臣の娘婿。
卯月はその名前に驚いた。
真琴ちゃん、そんな大物を調べているんだ
深入りしちゃ、だめだよ
分かってるよ
様子見に行くだけだから
大丈夫!また連絡するね
しかし連休が明けると卯月も仕事で忙しくなり、真琴とも成彦とも連絡できないまま、5月も下旬になっていた。
久しぶりの休みに、卯月はぼんやりと天井の丸い電灯を見上げていた。
陽射しのない薄暗い部屋から雨模様の空が見える。
梅雨入りも間近らしい。
今日の夕方真琴と会う約束をしていたが、遅い朝食を済ませた卯月はベッドに横になっていた。
天井の白色の照明カバーが、ぼうっとしている意識の中で2つに分かれた。
その白色のカバーに、脳裏に焼き付いている秀という人の描いた絵がゆっくりと現れた。
すると絵の現れた2枚のカバーはゆっくりと動き、重なりそして離れる。
それを繰り返した。
重なる絵に違和感があった。
卯月はハッとして起き上がり、時計を見た。
「まだ時間はある」
連絡を取りすぐに成彦の事務所へ向かった。
事務所に着くと成彦が絵を並べて待っていた。
挨拶もそこそこに、卯月は食い入るように絵を見始めた。
秀の遺作になった絵を見ている卯月の顔から、徐々に血の気が引いていった。
4枚の絵を1枚ずつ凝視している。
ラストの1枚を瞬きせずに見終わると、その表情には困惑と微かな怯えの感情が表れていた。
「・・・この絵・・・動いている・・・」
成彦は卯月の言葉を理解できなかった。
「何を言ってる?何が動くんだ?・・・絵が動くはずないし、現に動いていない」
肩越しに覗き込んだ成彦が冷静に言った。
卯月は瞬きを何回もして、目を凝らしてラストの絵を見た。
「なぜ動くの?」
卯月は少し震えていた。
成彦は卯月をソファーに座らせた。
「大丈夫か?」
尋ねながら、成彦は缶コーヒーを卯月に手渡した。
「これでも飲んで・・・」
卯月はコーヒーを手にしたが口をつけずテーブルに置き、受けたショックを収めて立ち上がり、再度絵と向かい合った。
1枚目
人間の心に芽吹く悪は、限りなく無限の輪に乗り、うごめく。
男に雷鳴とともに降りてくる炎が、人々を巻き込む。
少女は炎と化したものを体に取り込み、その周りに人々が拝むように倒れ込む。
「この絵はあのトラ野郎の教団だ。左の男の子には雷が降っている」
「雷が・・・降る?」
「違う、放電してるんだ、この子、右は女の子で、火を撫でて消している」
「火を…撫でる?」
卯月は次の絵に移った。
2枚目
「2人の子ども、1人は満ちてくる潮で溺れそう。もう1人は山の中、渓谷で凍えている。男の人がいる。もう1人見え隠れしている人・・・なに?悲しいの?・・泣いているの?・・・」
成彦は卯月の様子を凝視していた。
3枚目
「この絵は・・・灯台の下に人が集まっている。何か深い繋がり、家族みたい。でも海が・・・波が立って迫ってくる。・・・怖い。あ、女の人・・・息をしていない。空が落ちてくる・・・の?」
そして最後の絵を卯月は食い入るように見ていた。
「扉が閉まっていく。ゆっくりだけど確かに狭くなっている。建物の中かな?砂時計の砂がさらさらと落ちている。誰かいる。この人は何をしようとしているの?」
卯月はそこまで言うと、よろよろとソファーに倒れ込んだ。
成彦は、静止画の絵が動く様子を淡々と伝えてくる卯月に驚いていた。
それは高千穂の夜のテラを彷彿とさせるものがあった。
ゆっくりと絵から目を離し、成彦を見た卯月はこわごわと尋ねた。
「今、この絵はどこまで進んでいるの?ある意味、予言でしょ、この絵は」
「分からない」
成彦は残念そうに応えた。
「それを一緒に調べてほしい。天野さんの手帳を拾ったこと、一緒にテラさんの奇跡を目撃したこと、そしてこの絵を君が理解したこと。偶然ではないと思う。今までは運命や予言は信じていなかった。しかし、ここ何ヶ月か身の回りで起こったことは説明のつかないことばかりだ。所詮人間は見たい物しか見ない。見逃してしまっていることに気付いたときに、それを奇跡と感じるのかもしれない」
「私が今、奇跡を起こしたのよね、あなたが信じればだけど。この絵が秀さんからのメッセージなのは確かだわ。だったら放っては置けないでしょ」
卯月の言葉に、成彦は我が意を得たりと高らかに笑った。
「秀が言ったんだ、頼んだぞってな。この絵を紐解いて、成すべきことを見つけろってことだな。」
だが成彦はすぐに真顔になり、ジャーナリストの顔をした卯月に念を押した。
「記事にするのは待ってくれ。出来ればはっきりとするまで、記録することも控えてほしい」
「なんで?」
「その時がくれば理由を話すし、資料も提供するから、信頼してほしい」
「その時って・・・分かった。ただ事でないのは分かっている。テラさんの時もそうだったから」
成彦と別れても卯月の興奮は収まらなかった。
一緒に調べるって言ったけど、何をどうやって?公務員にそんなことできるの?考えながら歩いていた。
はっと足を止めた。
卯月は時計を見て、慌てて真琴との待ち合わせの場所へ向った。
真琴との時間が迫っていた。
急ぎ足の卯月の脳裏に、さっき見た絵の一場面が唐突に現れた。
交通事故。
胸騒ぎがした。
あの絵に描かれていたことが現実に起こることがあるのなら、真琴ちゃんがやばい。
夕方の帰宅時間になり、忙しく行きかう人を避けながら真琴に連絡をした。
真琴は電話に出ない。
何度も繰り返し電話をするが応答がない。
ぽつぽつと雨が降り始めた。
真琴の顔を見ないと収まらない不安が、一気に卯月を襲った。
地下鉄の駅が見えてきた。
足早になるのを抑えられない。
着信の振動に卯月は足を止めた。
真琴からだった。
「真琴ちゃん、どうして電話にでないの?大丈夫?」
「大丈夫?大丈夫だよ、早めに仕事が片付いたから、今華琴に報告に来たんだ」
明るい真琴の声に卯月はほっと胸をなでおろした。
「華琴ちゃんの亡くなったところにいるの?」
「あいつを見つけたから仇を取るってね、報告した。今からそっちに向かうよ、会って話すけど取材記録はパ」
ガシャン、ドン、ガガガガーン。
「・・・なに?真琴ちゃん、真琴ちゃんどうしたの?」
突然激しい音とともに通話が途絶えた。
「真琴ちゃんどうしたの?真琴ちゃん、真琴ちゃん」
何度も真琴の名前を呼んだが、黒く変わったスマホの画面は真琴の異変を伝えていた。




