立の章 ~断~ 非命
食事の途中にかかってきた電話を受けたあと、奈留瀬は佳奈子を残してひとり出て行った。
そして朝方帰ってくると、奈良に行くと言って佳奈子を連れて新幹線に乗った。
翌日、1日だけ自由が許された佳奈子は、奈良の桜井市にある衣通王を祀るという神社に赴いた。
佳奈子は数ヶ月前まで衣通の月姫と呼ばれ、喝采を浴びていた。
佳奈子はサングラスを外し、その美しい姿で華やかに過ごしていたころを思い出しながら、ひっそりとした神社に向かった。
社殿の前に立ち、手を合わせる佳奈子の肩が心なしか震えて見える。
昨夜、一緒に死んでくれと言われた。
その言葉に衝撃を受けた佳奈子だったが、奈留瀬に出会って初めて心が満たされるのを感じた。
奈留瀬の心を占めているものが自分でないことを知っていたが、それでも離れたくなかった。
美しい自分を手に入れた。
愛する人も手に入れた。
人生の目的は果たした。
だがこれから人生に訪れるものは、奈留瀬との別れと老いていく姿。
頂点にったたとき、ネットで整形前の顔が流れ、あんたは全部偽者と言われた。
そう私は偽者、何一つ本当の自分は残っていない。
それでも後悔はしていない。
人生の終わりに愛する人とその人の赤ちゃんがいる。
それは真実そのものだから。
ここで、この瞬間で人生の幕を引けば、子どもの頃から欲しかったものを手にしたまま終われる。
称賛された美しい身体、素敵な夫、裕福な暮らし、愛しい人の子ども、欲しかったものすべてを手にして、私は未来に行くわ。
佳奈子はそっと我が子が宿るところに手を当てた。
ごめんね、私の赤ちゃん。またあなたを抱っこできない。
でもね、今度はひとりでは逝かせない。パパとママと一緒だから許してね。
悲恋に終わった衣通王。でも愛した人と最期を迎えたのだもの。
あなたもきっと幸せだったでしょ。
小鳥の声がした。衣通王が応えたように思った。
心地よい風を受けて、佳奈子は美しい髪をなびかせて神社を後にした。
一方奈留瀬は、奈良に着くや否や堂本に連絡を取り、墓参りの帰りにルナを拉致をする計画を話した。
「堂本さん、八のお兄さんがたには少し遅れて参戦してもらってください。人数が多いと目立ちますから」
納得した堂本が続けて話してきた。
「おう言っとく、いよいよだな。どっち渡すんだ?お前さん、偽者にも情が湧いたんじゃねぇか?」
奈留瀬は顔をしかめて、ぷつりと電話を切った。
徳島へ昇の墓参りに行くため、ルナは京都の別荘に来ていた。
雨の間の空に浮かぶ月は、薄雲の向こうで輝きの色を無くしていた。
心ここにあらずのルナは、ぼんやりと西の空に落ちていく月を眺めていた。
「明日は6時に出発の予定です」
月乃がルナに声を掛けると、ルナは体の向きを少し変え壁に寄りかかり、背を向けた。
月乃はそんなルナを残し静かに部屋を出た。
ひとりになったルナは、部屋の隅で膝を抱えて座り込んだ。
その手にはバドミントンのキーホルダーが握られていた。
私の靴を脱がせるために昇が死んだ。このことがルナの心を締め付け、寂しさが心を占めたままでいる。
眠れない夜を過ごしたルナは、早朝月乃とともに徳島へと向かった。
ルナは昇の墓参りを済ませ、オオゲツヒメノカミを主祭神とする神社に参拝した。
そのころ奈留瀬は、ルナを乗せた車を追う八神会の様子を窺いながら移動していた。
ルナの車は月神の石を祭る神社へ向かっていた。
運転している堂本は、興奮していやに口数が多くなった。
「会社乗っ取りは後回しだ。月姫ちゃんとやらを貰っちまえば、こっちのもんだ。八のお兄さんがたが手伝ってくれるから楽勝だな」
缶コーヒーを飲みながら、エヘッと上機嫌で笑う堂本に、奈留瀬は冷めた笑いを返した。
「まぁお姫さんをどっかの国のお金持ちが拝みたいってことらしいから、やつらも目の色が変わっちまってよ、ふふん・・・奈留瀬さんを袖にしたお返しがこれだとは、お姫さんも後悔するだろうな。お前さんもいい気分だろう」
「そうだな」
神社に着くころには、奈留瀬は眉一つ動かさず、その表情から何の感情も読み取ることは出来なかった。
八神会の男たちは登り口辺りで待ち伏せをして、下りてくるルナをさらう計画らしい。
下山してくるルナの姿が見えた。
後ろから月の遣いといわれる見覚えのある男が一緒に下りてくる。
日暮れが近くなって気温が下がり、ショーの演出のように霧が現れてルナにまとわりつく。
駐車場付近で決行するはずだったが、姿が見えないほど深くなった霧が好都合と予定を変え、一気に八神会がルナに襲い掛かった。
逃げるルナを追う八神会のあとを追いかけようとする堂本に、奈留瀬が止めて言った。
「あれは、あの女はルナじゃない」
深まる霧の中で奈留瀬はルナを探した。
あの愛しい香りが奈留瀬を誘っていた。
鳥居の横の茂みにルナは隠れていた。
驚き、声を上げるルナの口を塞ぎ、堂本が薬で眠らせて車へ運ぶ。
「堂本さん、八神会に知らせてくれ、俺は手はずどおりに例の所へこいつを連れていく」
「よっしゃ、頼んだぜ」
振り返らずに走り出す堂本を確認して、奈留瀬はルナを乗せた車を発車させた。
だが奈留瀬は、落ち合う場所のホテルとは真逆の方向に向かった。
しばらくすると、車は小さな飛行場に着いた。
奈留瀬がおぼつかない足取りのルナを引っ張って倉庫にはいると、暗闇の中に人影か浮かび上がった。
そこには佳奈子が待っていた。
「あなた・・・奈留瀬さん・・・」
そう小さく呼んだ佳奈子に、奈留瀬は返事をしなかった。
薄暗い倉庫の中に奈留瀬を挟み、2人の同じ顔の女が顔を合わせた。
奈留瀬はルナのコートを佳奈子に着せると、ルナの手を引き、倉庫の奥に入って行った。
残された佳奈子はその女の姿にすべてを悟った。
整形の後、破り捨てた1枚の写真を思い出していた。
あの女性だったんだ。
佳奈子は崩れそうな思いを、愛する男の最後の女というプライドで保ちながら、奥に消えていく奈留瀬を見送った。
奈留瀬はルナを大きな木箱に入れた。ルナは立ったまま震えていた。
「ルナ・・・」
奈留瀬は恐怖で言葉が出ないルナの頬にそっと触れた。
「いいか、何があっても音を立てるな。誰かが開けてくれるまで動くんじゃないよ」
奈留瀬はそう言いながら、ルナの顔を覗き込んだ。
「怖いよな、ルナ・・・ごめんな・・・ルナ・・・」
奈留瀬は最後にルナを抱きしめた。ルナの香りが奈留瀬を包み込んだ。
「ルナ・・・お前の大切な人を・・・すまなかった・・・」
見開いたルナの瞳の中に優しい男がいた。
「ルナ、あいつが守ってくれるから・・・いいな・・・ルナ、信じて待っているんだよ」
震えるルナの目には涙があふれていた。
奈留瀬はルナを座らせ木箱の蓋を静かに閉めて、鍵をかけた。
立ち去りがたい気持ちを振り切って佳奈子のもとへ戻った。
佳奈子は一歩も動かずに待っていた。
奈留瀬は佳奈子の肩を抱き、倉庫の出口へ向かった。
「そういうことかい。本物は倉庫の中なんだな」
入り口を塞ぐように男が立っていた。
「堂本さん・・・」
「何が堂本さんだ、ふざけんな、奈留瀬さんよ、何やってるのか分かってんのか?」
「・・・・・」
「あいつらが追ってきてるんだ。諦めるんだ」
「・・・・・」
「お前・・・・」
必死の形相の中に見えた奈留瀬の一歩も引かぬ覚悟に、堂本の表情が皮肉な笑みに変わった。
奴らが来る。硬直した時間が奈留瀬を焦らせる。
奈留瀬は立ちはだかる堂本を倒さなければ、ルナも佳奈子も守れないことが分かっていた。
堂本から目を放さずに、佳奈子の腕を強く掴み、セスナ機に向かって走れと言いかけた奈留瀬の視界から、背を向けた堂本の姿が飛行場の闇に消えて行った。
思い出したよ、あの女、昇の女じゃねえか。そうかぁ、奈留瀬さんよ。
純情てぇやつかい。
俺もその昔、守ってやりてぇ女がいたよ。
弁当屋をしてた頃のことだ。アルバイトで雇ったんだが、可愛い顔してるのに一本筋の通った娘だった。医者になるんだって頑張ってたよ。
俺はその時ほど背中の彫り物を重てぇって思ったことなかった。
俺はその娘にとって最高に良い人だったから、手も出せねぇし、気持ちすら言えなかった。
惚れちまったってやつだ。夢をかなえて医者になっていたよ。
昔のことを思い出しちまったよ。俺はいい人だからよ、あんたがしようとしてることには気がつかなかったってことにしとくよ。
奈留瀬と佳奈子は滑走路に向かって走った。
少し前方にセスナ機が停まっていた。
逃げる2人を車のライトが追ってきた。
美しいルナの姿がスポットライトを浴びるように浮き上がった。
何とかセスナ機にたどり着いた。
車を降りた男たちがセスナ機に迫ってきた。
奈留瀬は佳奈子をセスナ機に押しこみ、操縦席に座りドアを閉めた。
群がる奴らを乗せたまま、地上滑走に入った。追手が食い下がっているのが分かった。
振り切って離陸した。
しばらくすると海に出た。満月に少し満たない月が空に浮かんでいる。
奈留瀬は寡黙なまま、その月に向け操縦桿を握っている。
佳奈子はそんな奈留瀬にかける言葉を思いつかず、ぼんやり顔を外に向けている。
安定したプロペラの音が平静な空間に届く中で、2人は各々の思いを深めていた。
月の光が薄く海に道を開く。
これから奈留瀬とともにその道に向かって下りていく。佳奈子はそれを幸せに感じていた。
そう、私は思う存分に生きた。
十分に楽しんだ。
たとえ人が何と言おうと歩いてきたこの道は私の人生。
そう、私は夢を叶えた・・・?
いいえ、・・・これは夢を見ているだけ?
目覚めたらどこにいるの?
本当に行くの?
思いとどまろうという気持ちの最後の問いかけを、佳奈子はそんなことどうでもいいと切り捨てた。
そして、佳奈子に目もくれず横に存在する男をちらっと見ると、「ふふっ」と笑い、愛する男から目の前に迫る月に視線を向けた。
そして満ち足りた表情で目を閉じた佳奈子は、穏やかに、美しく、観客の喝采を浴びて月の光の道の立っていた。




