立の章 ~断~ 非命
ルナを思い続ける奈留瀬、そんな奈留瀬と出会ったルナそっくりの佳奈子。
交わるはずのない2人の思いが月の光に導かれる。少し悲しい物語の始まりです。
立の章
非 命 断
身体を刺す光の矢の痛みで気付く自己。ならぬこと通らぬこと、それを承知で前へ進む。
先を告げる災難に悲鳴を上げても、躊躇わずに天命を拒否する。
前世来世を切り捨て、運命使命に逆らい思いのままに今を生きることを切望する。
モシ アメノワカヒコ ミコトヲ アヤマタズ アシキカミヲ イツルヤノ
或し 天若日彦、 命を 誤たず、 悪しき神を 射つる矢の
キタリシナラバ アマノワカヒコニ アタラザレ
至りしならば、 天若日彦に 中らざれ。
モシ キタナキココロ アラバ アメノワカヒコ コノヤニマガレ
或し 邪き心 有らば、 天若日彦 この矢に禍れ
賑やかな舞台の裏に位置する月姫の控室。
小さなテーブルと簡素なソファーを囲むように、宝物と呼ばれるファンからの貢ぎ物が異常な高さに積み上げられている。
薄絹をまとったまま、面接筆頭者との契約成立のアナウンスを月姫の佳奈子は待っていた。
その後ろには、何人かの取り巻きが今か今かと祈る姿で立っている。
舞台では、契約成立が告げられた雪姫が登場すると、花道を囲んでいる客の野太い歓声がひときわ大きくなっていた。花姫のあと、月姫佳奈子の結果が出る。
契約成立の自信はあったが、落ち着かない。
スマホを握り連絡を待つ。
喉はカラカラなのに、準備された飲み物には手を付けずにいた。
ノックのあとにドアが勢い良く開いた。
月の組で佳奈子に負けたREAと呼ばれるセカンド姫が、取り巻きを連れて入ってきた。
「KANAさん、いよいよですね。やっぱり敵わんかったわ」
REAはそう言いながら、佳奈子の前に遠慮なしに座った。
図々しく不遜な態度をとるREAに、一瞬不機嫌な顔を見せた佳奈子だったが、嫉妬からだと蔑む顔を向けた。
そんな佳奈子をREAは正面から睨み返し、スマホを突きつけると片方を上げた唇で含み笑いをした。
「こんなの流れていたけど、本物じゃないよね?」
スマホの中に整形前の佳奈子がいた。
「知らないわ、悪質なフェイク画像ね」
佳奈子はしらっと受け流し、テーブルのジンジャーエールに手を伸ばし、ストローに口をつける。
「ところでKANAさん、千夏って人知ってる?」
佳奈子はゆっくりとコップを置いた
「・・・知らないわ」
「昔の友達って言ってたよ、千夏ちゃん。あんた、前世が猫だったって本当?」
悪気のない無邪気な会話を装って、REAは佳奈子の過去を暴いていく。
佳奈子の顔が曇った。
笑わなきゃ、気に留めちゃダメ。
ピンポイントで突かれた真実が、余計に表情を不自然にする。
佳奈子の焦りをよそに、花姫の契約が成立したというアナウンスが流れた。
歓声が落ち着くと、月姫の告知がされる。
スマホにメールが届いた。
悲壮な顔で佳奈子が立ち上がった。
歓声の中、とぎれとぎれに聞こえる下剋上というアナウンスが、メールの内容を告げていた。
同時にREAにメールが届いた。飛び上がって喜んだREAは、勝ち誇ったように佳奈子を一瞥して、取り巻きを連れて部屋を出ていった。
あの女に契約の権利が移ったのだ。
部屋に残った月の組の数人の女たちも、居心地の悪さにそわそわと落ち着かない。
佳奈子の美しい顔が歪む。
「大丈夫、まだ指名してくれた人がいる・・・」
佳奈子は悔しさに唇を嚙んで、次の連絡を待った。
たった1年の契約。
1年間だけ不自由を強いられるが、更新をしなければ契約は終了して自由になれる仕事だと聞いて、ここまで来た。
結婚する人もいれば、愛人になる人もいるらしい。
月の組の頂点に立ったという栄光だけで、契約を結ばない人もいるという。
だが佳奈子は次の夢をかなえるために契約金が欲しかった。
不安に揺さぶられながら連絡を待った。
だがメールが届き、事務所に呼び出され、名乗りを上げた男たちが契約をキャンセルしたと告げられた。
REAに見せられたネットの情報が客に流れたらしい。
佳奈子は目の前が真っ暗になった。
静まり返った控室に戻った。ドアを思いっきりバタンと閉めた。
客のくれたクマのぬいぐるみがてっぺんから転げ落ちた。
その途端、佳奈子の周りを囲んでいた光り輝く宝物は、意味の無い屑に変わっていた。
拾い上げたぬいぐるみを、宝物の壁に投げつけた。
それで気持ちが晴れるわけがなく、佳奈子はソファーに沈み込むように座った。
月姫のプライドがガラガラと崩れ落ちた。
千夏という名前と整形前の佳奈子の写真。考えもしなかった最悪の結末だった。
身から出た錆、まるで別人、盗んだ顔、前世は野良猫。ネット上は佳奈子に対する誹謗中傷の言葉で埋め尽くされていた。
あんなに頑張ったのに、変わろうと必死で努力したのに、また屑に戻った。
今はこんなに美しいのに、どうして認めてくれないの?
どうして醜かった姿を忘れてくれないの?
口惜しさが怒りに変わっていた。
佳奈子は肩が上下するほど激しい呼吸をしていた。
スマホの電源を切った。
大きな肩の動きがゆっくりとなり、佳奈子は徐々に冷静さを取り戻していた。
会場の歓声が鳴り止むと、下剋上を果たしたあの女が我が物顔でこの部屋に入って来る。
そう気づいた佳奈子は、すぐに帰り支度を済ませ、事務所に向かった。
これ以上ここに居れば立ち直れなくなる。
佳奈子の本能がここから逃げろと急きたてた。
事務所に入ると、佳奈子をこの世界へ誘ってくれた男がいた。
男は労わりの顔つきで佳奈子を迎えてくれた。
「結果は残念でしたが、あなたは最高に素敵でした。・・・座りませんか?」
「・・・ありがとうございます。・・・今日は失礼します。落ち着きましたら退会の手続きに参ります。・・・マネージャーには感謝しています。ありがとうございました」
「そうですか・・・」
深く頭を下げ、顔を上げることなく部屋を出ようとした佳奈子を、男が呼び止めた。
「実はもうおひとり様、契約を希望された方がいらっしゃいました。金額が足りず諦められたようですが・・・金額が折り合えば復活は可能です。考えてみませんか?」
顔を上げて振り向いた佳奈子は即答していた。
「お話を進めてください。よろしくお願いします」
佳奈子は裏口から外に出て、ビルの正面入り口に向かった。
人だかりの中に、月姫のREAと契約をしたばかりの男が、ちょうどリムジンに乗り込もうとしていた。
「これでいい。あんな男のものになるために頑張ってきたんじゃない」
くいっと顔を上げて、背を向けて歩き出した佳奈子は、潔く一つの挑戦に幕を下ろした。
翌日、飲みすぎて記憶の定かでない奈留瀬のもとに1通のメールが届いた。
契約予定だった筆頭者様がキャンセルされたため、希望されれば月姫との契約が可能、そんな文面と写真が送られてきた。そしてその写真には見知らぬ女が笑っていた。
スマホを置き、冷えたビールを飲んだ。
ぼんやりとした昨夜の記憶をたどる。
昨夜、ルナに似た女を見た。その女を側に置こうと思ったが、金が足りなかった。
エントリーのための金は泡と消えたが、金にも女にも未練はなかった。
「あの女、整形してたのか・・・」
しかしあの女はルナによく似ていた。
それはただの偶然なのか?
奈留瀬はあの女に興味が湧いた。整形とは言え、なぜあんなに似ていたのだろう。どこかでルナとの接点があったのか?
奈留瀬は堂本に連絡を入れると、本名を佳奈子という女に会うために指定されたホテルへ向かった。
奈留瀬はその女の姿に驚いた。そこにはルナが座っていた。
「君の過去には興味がない。仕事だと思って、割り切って1年間付き合ってくれ」
成瀬の一言で面接は終わり、契約の手続きへと移った。
そして双方の細かな条件を確認して、1年間のパートナー契約が成立した。
奈留瀬は一方で、WOMプリンセスコスメを訴える準備をしていた。
奈留瀬の中で、ルナへの愛と憎しみが交錯していた。
その憎しみは、不当解雇を訴えるという形でWOMプリンセスコスメへ向かい、そして持て余すほどの愛は、ルナそっくりの佳奈子へと注がれていた。
ルナが気に入っていた服装を着させた。
香水も同じものをつけさせた。
2人での食事では、ルナの好みのものを用意した。
奈留瀬は、佳奈子がルナとして存在してくれるならばどんな過去を持っていようがどうでもよかった。ただ記憶にある温もりを忘れたくなかった。
奈留瀬が佳奈子と生活を始めて3ヶ月が経った。
WOMプリンセスコスメを訴えようと堂本と動いてはいたが、相手はなかなか手強く、ルナとの面会を要求しても実現しなかった。
そんな中、奈留瀬は堂本を連れ、弁護士と京都のホテルに向かっていた。
奈留瀬はホテルまでの道中で、ルナと過ごした日々を思い出していた。
面会相手のWOMプリンセスコスメの社長代理の仁科月乃が先にロビーに着いていた。
奈留瀬は月乃を指して、堂本に目配せをした。
足を止め、遠目で月乃を見た堂本の目元が一瞬ちくっと動いた。
そのあと堂本は「俺は陰で動く」そう言い残し、姿を消した。
奈留瀬は月乃を前にして、ルナの様子を尋ねた。
「お答えできません」
素っ気ない答えのあと、月乃は淡々と奈留瀬の行動を非難した。
「奈留瀬さん、あなたは彼女の記憶喪失をいいことに、彼女に近づき何か月も騙していました。それが、ルナも承知の恋愛関係だったなどとは、考え違いも甚だしいことです。私どもがあなたを訴えたいくらいです。よろしいですか、私どもがあなたを即日解雇に至ったのは、あなたの行動が彼女に危険を及ぼすと判断したからです。不当解雇と言う前に、ご自身分の行動に問題がなかったか、そちらの先生にご相談されることが先ではありませんか」
勇んで反論しようとした奈留瀬を弁護士が止めた。
「そうなのです。困ったものです。恋愛のトラブルは当事者間の問題ですから、本当に記憶喪失だったのか、本当は過去のことを思い出し、すべて許していた上での関係だったのではないか。さらに分かった上で、利益のため彼の感情を利用していたのではないか。何らかの事情が発生して、どなたかの指示で不本意ながら別れを告げなければならなくなった・・・のか・・・私たちには真実は分かりません。このような場合は、当事者同士の話し合いが必要でしょう・・・仁科さん、このままでは先に進みませんよ」
そのあと、お互いに探り合いの会話を交わしただけで、進展なく終わった。
5月に入ったある日、奈留瀬は佳奈子を食事に誘った。
テーブルについた佳奈子をさり気なく見る。
ルナと何が違うのだろう。
奈留瀬は日が経つほどに同じ顔の女との生活が苦痛になっていた。
奈留瀬はワインを飲みながら、グラスの中にルナを見ていた。
ルナは何かを言う前に少し眼を伏せていた。
声を立てて笑うことはないが、その笑い顔は抱きしめずにはおれない衝動をかきたてた。
空になったグラスにワインが注がれた。
そうだ・・・ルナは胸をかばうようにいつも腕を組んでいた。
守らなければならないと感じる華奢な首筋はいつも寂しげだった。
注がれたワインを一気に飲み干した。
そしてその首筋に口づけしたのが最後だった。
思い出すほどに襲ってくる虚しさを祓うように、奈留瀬はグラスに手を伸ばした。
あの夜、奈留瀬を貫き、すべてを拒否していたルナの冷たい視線を忘れられないでいる。
ルナが笑ってワイングラスを向けている。
あの夜のようにグラスの中のワインが揺れた。
目の前のルナに似た女が、冷めた目で奈留瀬を見ている。
ルナに一目会いたかった。伝えたい思いがあった。伝えたい言葉があった。
ワインに酔った奈留瀬は、混乱し錯綜する中で気付いた。
3日後がルナの大切な男の命日だと。
冷水を浴びたように正気に戻った奈留瀬に、堂本から電話がかかってきた。
佳奈子への気まずさに奈留瀬は渡りに船と席を立ち、ひとり静かな場所に移動した。
「奈留瀬さん、今、いいかい。考えたんだがこの話、八のお兄さん方に任せろや。月姫とやらは本物でも偽物でもいいやね。会社を頂ければいいわけだ。とにかく相手の弱みを掴んで脅せば済みや」
「そうだな、それもいい・・・」
伝言を済ませたと言わんばかりに、堂本は電話を切った。
「八神会が動けば・・・」
厄介なことになると奈留瀬は眉をひそめた。
奈留瀬は佳奈子を食事の席に残し、会社へ向かった。
会社といっても社員のいない実働のない会社。奈留瀬はひとり窓を開け、外を見ていた。
隣のビルの壁が奈留瀬の行く手を阻むように目の前に立ちはだかっている。
再び堂本が電話をしてきた。
「・・・」
応答しないでいると、興奮した様子の堂本は勝手に話し始めた。
「奈留瀬さんよ、凄いことになったぜ。どっかの国の金持ちのおっさんが月姫が欲しいとさ、金に糸目を付けねぇってよ。どうするよ、どっち渡すんだ?本物か?偽」
奈留瀬は途中で電話を切った。
不安はあった。奴らが入ってくればやばいことになるのは分かっていた。
堂本・・・またかよ・・・。
あのとき、深追いしなければルナの大切な男は死なずに済んだ。
俺はまたルナを苦しめるのか?
どうしたらいい?・・・ルナを・・・ルナ。




