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立の章 使命 ~遂~

一方テラを送り出した秋津総合病院の院長室に、仕事を済ませた都が顔を出すと、秋津と稲木がテラの検査結果を前に腕組みをしていた。

「結論から言えば、すべてに異常はない・・・」

投げやりにも聞こえる言い方で、秋津が都に結果を伝えた。

「まったくの健康体で問題ないということね」

都も頷きはしたものの、まったく納得していない顔を夫に向けた。


3人は、テラの発病からの経緯をまとめた報告書に目を落とした。

発病後徐々に首筋の血管腫は大きくなり、テラは仕事をやめてしまった。

検査を勧めるも連絡はなく、1年間自宅にこもり、その間の病状の経過は不明。

ひとり追い詰められたテラは自殺を考え、霧島山系の山中に下りて、小さな沢の岩陰に身を横たえたという。

ここまでのテラの記憶ははっきりとしていた。


髙木静という医師の記録によれば、高千穂に住む髙木家の人々に助けられたあと、ほぼ1年間意識のない状態が続き、高千穂の春を迎える神楽の夜、突然テラの意識が戻った。

そのときのテラについては詳しい記録はなく、テラ本人の記憶も曖昧なものだった。


その記録には、テラを苦しめていた血管腫の文字は見当たらなかった。

テラが助け出されるまでの時間はおよそ12時間。その間に血管腫は消えたというのか?

テラを苦しめた血管腫はどこにいったのか。

何より1年間どのようにして命を繋ぐことができたのか、都には理解できず、只々脅威でしかなかった。


都はふと老衰で死亡した流浪の賢者といわれた男や、食事をしなくても生きていたという若狭のことが頭をよぎった。

目に見えるものと目に見えないものに共通することは何?見ようとしている私の目。どちらも人間が見ようとしていることなのだ。


考え込む都に、稲木が妻那美のことを話し始めた。


「都さん・・・実は僕の妻も血管腫を患っていました。20年間意識不明だったのですが、今は起き上がれるまでに回復しています。ですから、テラさんのことはあり得ないことではありません。」

「えぇっ?・・・」

驚きの声を小さく上げ、都は「知っていたの?」と尋ねるように夫の秋津を見た。

秋津は「ああ」と頷き肯定した。


稲木は20年前の出来事と、今までのいきさつを話し始めた。

大まかな事を聞いていた秋津も、改めて稲木と妻の那美の人生の壮絶さにかける言葉がなかった。

「今、花の郷にいらっしゃるお嬢さんは、那美さんが稲木さんに知らせずに生んだ娘さんで、震災のときに偶然に稲木さんの前に現れたというの?」

「仕草が那美さんそっくりで、すぐに何かの縁を感じました」

「それで那美さんにはそのことを・・・」

稲木は力なく首を横に振った。

「まだ話せていません。那美さんには僕も会えずにいます。20年という時間は長すぎました。お互い踏み出せないでいます。会いたいのに再会を恐れるなんておかしいけれど、お互いの変わりようが想像もつかないから・・・向かい合う勇気がありません。今の僕は那美さんにとって他人なのかもしれません」

「・・・」

都と秋津は慰めようもなく顔を見合わせた。


「でも、今回由宇子さんに頼みごとをしました。僕と瑠瑚の写真を預けました」

そう言って稲木は笑った。


そんな稲木に都がさらりと尋ねた。

「あの・・・聞きにくいけれど、息子さんの消息は・・・」

「・・・分かりません。震災のどさくさで探しようがなくて・・・」

「そうなのね・・・ごめんなさい・・・」

「いいえ、これも僕の人生ですよ。でも那美さんの奇跡を思うと、僕の息子はどこかでしぶとく生きてるんじゃないかって最近思えてきて、いつか会えるような気もしているんですよ」

稲木は何もかもを受け止めていく人生を選んだことを、悔やむことなく笑っていた。

「いつか、きっと、親子4人で笑える日が来ると信じています」


都は家に帰りワインを開けたが、ワインはグラスの中で揺れていた。

「消えるのよね。すべての症状が消えて、起因するものも消える。原因があるはずなのに痕跡さえも消える。テラさんの血管腫、流浪の賢者の救いの手の噂、若狭さんの突然の死。状況や結果は違っていても、同じことが原因かもしれない。何かに起因するものがあり、病とまでは言えないが症状が発生する。そしてそれぞれの時間を経て、時が満ちたように終結する。原因にたどり着けないうえに、変化の経緯が分からない。共通することは食事をしなくても生きていけること。ならば話に聞いた稲木さんの奥さんの那美さん、テラさん、若狭さん、流浪の賢者との違いは何?」

都には共通していることの在り処をぼんやりと感じた。


そう、それは私たちが持つ小宇宙と言われる人間という生き物の体の中で起こっていることなのだ。

都は見えない物の正体に触れたように思った。


テラの訪問診療を引き受けた稲木は、診療所に戻るとテラとの共通点を見つけようと、妻那美の診療記録を見直していた。


20年前、人々が思いもよらない天災にあった日、テラも被災して稲木の診察を受けたという。


「先生のことを私は知っています。震災のときに治療をしていただきました」

10歳のテラは、父の面影を稲木に重ねて名前を覚えていたらしい。

「実は血管腫はそのときの傷跡から広がり始めたように思います」


その言葉に稲木は愕然とした。

佐多成彦が見せてくれた絵を、頭の中で1枚1枚めくって行く。

横たわる全裸の女性腹部にある黒い塊。

倒壊した建物の中にたたずむ全身黒い塊の男。

祭壇に寝かされた黒い塊の乳児。


そして山の中、沢の窪みに胎児のように横たわる全裸の女性の首筋に黒い塊。


稲木は、それはテラを示していると確信した。

最初の女性は妻の那美。

佇む男は間違いなく稲木本人であり、そして乳児は行方が分からない我が子。

抱きしめ、触れることのできなかった日々が稲木を責める。

その日々は今も続き、寂しい未来へ続くように感じられて居たたまれない。


テラの苦悩に那美の悲しみが被さった。

じわじわと広がっていく血管腫。

突き付けられた現実は甘んじて受け入れるほかなかった。

今も苦しみの中に生きている妻。

それは乗り越えたように見えるテラも同じだろう。

時の狭間を漂った日々は忘却と化し、埋めることのできない空白の時が未来を拒否する。


人生は紡いだ記憶で成り立つ。

切れてしまった記憶の糸の端。

その現実は目覚めた喜びを悲しみに変えて、重くのしかかっている。


思考が澱み始めた稲木は、診療所の窓を開けた。

建物の間に空という名の空間が見えた。


発端は那美さんなのか。どうであれ稲木は理由も分からないままに、捉えきれないものの渦中に立っていることを自覚した。

だがそれはあくまで傍観者として、生かされている立ち位置だと稲木は気づいた。


無限に広がる宇宙も視界が限られれば息苦しい。

その息苦しさを胸に納め、那美を、瑠瑚を、そして手放してしまった息子を思い、限られた空間の先に広がる天を仰いだ。




一方成彦は京都にいた。

抱えていたことの全てが片付いたのは朝方だった。

成彦は鳴り続けていたプライベートのスマホのメールを開いた。

秀の危篤を知らせるものだった。

「まさか、秀・・・」

すぐさま花の郷へ向かった。

成彦が施設に着いたときには、秀はすでに居室から別室に移っていた。

「先ほどでした。」


そう言い残し看護師は静かに部屋を出た。

横たわる秀を前に、成彦の大きな体が崩れた。


「秀、お前の人生は何だったんだよ。これで終りなのかよ」


そこには18歳の成彦がいた。

あの事故のあと、物言わぬ秀を目の前にして感じた絶望を思い出した。

「可能性はゼロではありません」医師のその言葉に一縷の望みを託した。

まだ温もりがあったから。

今はその温もりが、かすかな可能性とともに消えてしまった。


葬儀も終わり、施設を後にする成彦が振り返ると、秀の担当の介護士が追いかけてきた。

「佐多さん、これ、阿波島秀さんの最後の絵です。」

渡された封筒を持って通いなれた道を歩いて行く。

もう訪れることはないだろう。


微かな希望を胸に帰路に着いた日、歌う女性の声に紛れて聞いた秀の声を思い出した。


立ち止まり、耳を澄ました。

今はただ海風が成彦の顔をなぶって吹く。

「そういえば秀が逝ってしまったら、彼女は歌わなくなったと言っていたな」

看護師が立ち話をしていた。

彼女の声は聞けないのだろうか。立ち止まり、海風を体全体で受け止めた。

成彦はもう一度秀の部屋のほうを振り返った。

「秀・・・またな・・・はないな」

成彦の言葉を拾った海風を見送り、ゆっくり歩き出した。


自宅に帰り着いた成彦は、渡された秀の最後の絵を見ていた。

事故に遭わせてしまった自責の念に駆られ、秀の面倒を見てきた成彦だったが、何回見舞っても声をかけることが出来なかった。

絵を描くところを目撃しても、現実として受け入れられず、思い出の中の秀と向き合っていた。


だがテラの復活を目の当たりにして、現実という覚めたものの中に、計り知れない可能性や恐怖が潜んでいると感じ始めた。

テラの回復は、絶望に思えた秀の症状を、話ができるようになるのではとの希望に変えてくれた。

そして希望の光をくれたテラの秘密を解き明かすことが、秀の回復の意図掛りになると信じていた。


なのに秀は逝ってしまった。


何日か立ち直れないまま、壁にかけ直した秀の絵を見ていた。

深く深く、限りなく深い海がそこにあった。


海の絵に風が吹いた。瑠瑚という女性の歌の中に聞こえた秀の声が蘇った。


「頼んだぞ」それは事故に遭う前に秀が言った言葉。

そうだ、あのとき俺は任せろと答えた。


なのに秀の人生を奪ってしまった。


「頼んだぞ」清らかな歌に紛れて聞こえた秀の最後の言葉。


秀、そんな俺にまた頼むのか?

お前が命を懸けて描いた絵を、俺に預けるというのか?


成彦は残された4枚の絵に目を落とした。


無限の帯、メビウスオンラインに座る男。

火を噴く山に抱かれる男。

地中マグマを手なずける仕草の少女。


暗闇の海に架かる橋。

そこに立つ男と月明かりの照らす海に幼児が浮かぶ。

片方では渓谷の木々の中に座り込んでいる幼児を月が照らす。

そして、中央に祈りをささげる女性と大勢の人々。背景に砂時計


海に立つ灯台。

低く垂れ下り、全てを覆い潰そうとする空。

灯台の下で寄り添う家族のような人々。


金属で覆われた小部屋。電子機器が並ぶ。

奥には人影。

閉じかけた扉の間から1人の男が手を伸ばしている。

その先に1本のネジ。


「そうだな、秀。俺に任せろ。俺にしか頼めないことなんだろ。俺がしなきゃならないことなんだろ。今度こそお前がこの絵に託したことを探し出して、お前の頼みを成し遂げるよ」

成彦は海の絵の前に立ち、秀に誓った。


使命~遂~の物語が終わりました。使命とは調べてみれば与えられた任務のこと。しかし私は見方を変えて生きる楽しみのことと思っています。

それは期待、充実、満足、達成、その実りをもたらす種と思えるから。

私の使命はプロトコル完結。次はオリジナルの物語を含む非命がスタートします。

楽しみにお待ちいただけると幸いです。

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