立の章 使命 ~遂~
そのころ女野宇太力は、退院したテラとともにテラの別荘がある伊豆半島へワゴン車を走らせていた。
海老名JCTで休憩を取ったあと、太力は付かず離れず付いてくる後続車が気になっていた。
テラを見ると目を閉じて何か考えているようだ。
テラは、低血糖で倒れたあと、そのまま秋津総合病院に入院していた。
血管腫の原因を突き止めるための検査を終えて、連休3日目の夕方に迎えに来た女野宇太力と、人目を避けて退院した。
看護を引き受けてくれた由宇子が引っ越して来れば、テラは自宅で検査の経過観察を受けることになっていた。
その3か月間、外出が制限されると聞いたテラは、都会の喧騒を離れ静かな時間を過ごすために、伊豆半島の古い別荘に行きたいと太力に頼み込んだ。
テラには熊野のこと、由宇子との生活、そしてこの先の生活、ゆっくりと考える時間が必要だった。
テラは入院中に何度も熊野に連絡をした。
しかし熊野は電話に出ることはなく、さらに1週間も経つと電話は解約されていた。
テラは退院した帰りに熊野の自宅に立ち寄ってみた。
熊野はすでに引っ越したのか、ポストに取り残されたチラシがその主の不在を教えていた。
熊野はどこに居るのか?
テレビ局のプロデューサーに会うと言っていたが、何かあったのだろうか?
目を閉じて熊野のことを考えていたテラは、太力の低い声に驚いて目を開けた。
「テラさん、少し面倒なことになりそうだ。シートベルトは外さず、何があっても外には出るな」
太力のただならぬ気配に、頷くのが精いっぱいのテラは慌てて身体を小さく丸めた。
後方の怪しい車は、太力が速度を落とすとそれに合わせて間隔を保って追ってきた。
そのうちに車が3台に増えた。
煽られるわけではないが完全に囲まれ、逃げるに逃げられない状況になった。
太力は機を見て高速を降りることにした。
高速出口の標識が見えたとき左の車との間が開いた。
太力はすぐさま高速から一般道に降りた。
追尾する車は見えない。
「太力?」
「もう大丈夫だ」
「何なの?」
不安げなテラは身を縮めたまま、頭をもたげた。
「分からん・・・」
太力はそう答えただけでしばらく車を走らせ、見えてきたコンビニに立ち寄った。
コンビニの中に何人かの客がいた。
太力は駐車場に怪しい車が見当たらないのを確認して、用心深く外に出た。
急いでコーヒーを買い込み、太力は県道を東京へ向かって走り始めた。
数分後、太力は背後に妙な気配を感じた。
前方に公園への登り口を示す標識が見えた。
左側にはその公園への道、そして直進路には交通止めの標識が同時に表れたとき、後ろから眩しいライトが太力を襲った。
「罠だ・・」
Uターンを考えたが、複数の車で退路は断たれていた。
太力は覚悟して公園への上り坂の方へとハンドルを切った。
曲がりの多い、かなりの坂道を登りきると開けた展望台の駐車場に着いた。
土手沿いに車を寄せ様子を見る。
3台の車が入り口を塞ぐように止まっている。ライトを消してこちらの様子を窺っているようだ。合わせて10人ぐらいの人影が見える。
車の中で何かを待っているようだ。
この公園に誘導されたのであれば、かなり用意周到に準備をしての犯行だろうと推測できた。
太力はテラに車の鍵を渡し、警察に連絡をするように言い残して、土手側から音を立てずに出ると車の陰に隠れた。
テラの車に向かって来る男たちに奇襲を掛けた太力は、徹底して男たちの膝を狙った。
男たちの動きは鈍くなったが、それでも攻撃の手を緩めない。
静寂の森に、殴り合う音と肉体のぶつかる鈍い音が低く響き、座席の下に潜り込み身を硬くしているテラの耳を襲う。
一切人間の声がしない異様さに、テラは耳を塞いだ。
警察には連絡をした。
位置情報は取れたと言っていたが、到着にどれくらい時間がかかるのか見当もつかない。
焦れば焦るほど、テラを嘲笑うように時は進まず、暗闇の中、過ぎた時間さえ確認できない。
徐々に闘いの音が近づいてきた。人の激しい息づかいが聞こえる。
「太力は・・・」
テラは祈るように手を結んだ。
と、「ドン」と音を立てて車が揺れた。
恐る恐る顔を上げると太力が車を背にして闘っている。
頭の上のガラス窓を叩く男と目が合った。
テラは悲鳴を飲み込んだ。
一層身を小さくして震えていた。
フロントガラスを蹴ろうとした男が転げ落ちた。
太力が男の足を払い止めたのだ。
「太力・・・もうやめて」
テラは昇のことを思い出していた。
私のことに巻き込まれて命を落としてしまった人がいた。
同じ過ちを繰り返してはいけない。
テラは男たちに見えるように身を起こした。
太力が驚いて座るように叫んだ。
首を横に振ったテラは車のドアを開けた。
テラの姿に男たちは攻撃の手を緩め、太力を押しのけテラの元へ駆け寄った。
連れ出したテラを男たちが車へ押し込もうとしたときに、唐突にパトカーのサイレンが聞こえた。
あまりに近くに聞こえたその音に男たちは怯んだ。
その隙に太力はテラを連れて車に乗り込み、鍵を掛けた。
男たちが叫びながら立ち去ると、入れ替わるようにパトカーが到着した。
震えるテラの肩を抱いている太力に、窓からのぞき込み警官が尋ねた。
「大丈夫ですか?近くをパトロール中に騒ぎの連絡がありました。おふたりともお怪我はありませんか?」
見るからに大丈夫ではない太力に、あえて尋ねたように思えた。
「大丈夫です」
太力が答えると警官は職質もせず「気をつけてください」とだけ言って去っていった。
テラは太力の腕にしがみ付いていた。
「何?何があったの?私が目的だったの?」
「さぁな・・・大丈夫か?帰ろうか」
太力は、これは偶然ではなくテラの拉致が目的だと確信した。完全に先を読まれていた。警察が来ることさえも分かっていたようだ。
だが、たとえどんなに用意周到に計画しても、相手の行動が逐一把握できなければ実行は不可能だ。なぜ奴らはこちらの動きが分かったのか?
腑に落ちないものがあった。
そんな奴らがサイレンを聞くや否や、あっさりと諦めて消えた。
引き際がよすぎる。
改めて振り返れば、助けが早いほどありがたい状況ではあったが、まるで近くで待機でもしていたようにパトカーが到着していた。
そして、到着した警官は襲われたという状況なのに、事情聴取することもなく安否を確認しただけで終わらせた。
「おかしい・・・」
考えながら運転をしていると、しばらくして車の行き来や、人通りの多い大通りに出た。
太力は、落ち着いた雰囲気のレストランの駐車場に入った。
「テラさん、飯食おう」
「いやよ・・・」
「何で・・・」
太力は、ところどころ破けて汚れた自分の服装に改めて気づき「ははっ」と笑った。
そして、ワゴン車の後ろからバッグを取り出し、カジュアルな服装に着替えた。
「これでいいか?」
ルームミラー越しにテラに聞いた。
「そんなこととは違うわ。怖い・・・」
「こんな人の中で奴らは何もできないって。腹減ってたら喧嘩はできないからな」
「・・・」
「もうテラさんの前では喧嘩はしないから、心配ない。とにかく腹ごしらえだ」
1人で車に残ることも恐ろしく、テラはサングラスをかけて太力について行った。
自動ドアが開き、店員が奥から出てきた。
顔に喧嘩傷のある男とサングラスの女、ドラマに出てくるような怪しい2人連れを前にして一瞬怯んだ店員に、太力はめったに見せない人懐っこい顔で笑って見せ、すんなりと入店した。
個室に通されると注文をした。
テラは気を紛らわせるようにネットを見ていた。テラは孤独からの不安からか、片時もスマホを離さない。
食事が運ばれてきた。
太力は、黙々と食べ物を口に運ぶ。
その食べっぷりに、テラは数時間前の出来事が過去になっていくのを感じていた。
この人にとっては何でもないことだったみたい。呆れ顔でふぅと息を吐くと、テラは太力につられて食事を始めた。
「食べるということは前に進むことなのね」
スープを飲み込むと実感した。
「テラさん・・・いやなんでもない」
テラに話しかけた太力は、しばらくしてスマホから顔を上げたテラに目くばせをしてメモを見せた。
「声を出さないで、この店を出るときにスマホの電源を切って」
黙々と食事を済ませた2人は車へ向かった。
車に乗り込むや否や、テラはスマホを握りしめて太力に理由を聞いた。
「多分、そのスマホは盗聴されている」
「そんな・・・ずっと持っていたわ」
「病院でもか?」
「そうよ・・・あっ・・検査の時は病室に置いていた・・・でも病室には関係者以外入れないことになっていたのよ」
「そうか・・・」
「でも、都先生がそんなことするはずはない」
「そうだな・・・関係者は入れるんだな・・・」
恐怖で思わず目を閉じると、闇の中の恐ろしい音を思い出した。
テラは目を見開いて周りを見回した。
「誰もいないよ・・・ありもしない不安や恐怖で縛られるのは馬鹿馬鹿しいよ。テラさん」
「そうね、太力・・・そうよね」
太力はそんなテラに頼もしく笑い、車のエンジンを掛けた。
太力は助手席に置いたスマホを見た。
高千穂でテラとの連絡用にと重兼智から渡されたスマホ。
「重兼智・・高木翁の知り合いだと聞いたが、何者なのか」
太力はスマホを手に取り、少し眺めて電源を切り、東京へと車をスタートさせた。
そしてここは静岡県秋葉山の麓。
市道の山際に沿って配送業と書かれている倉庫がある。
周りには建物もなく、夜の10時を過ぎたころにはまばらな山里の人家に山の闇が下りてくる。
その闇に紛れた倉庫の奥にある事務所。
パソコンの明かりが、薄暗い部屋に2人の男を浮かび上がらせている。
パソコンを操作している若い男が手を止めた。画面から目を離さず身動きしない。
「どうした?」
後ろで様子を窺っていた年配者の男が肩越しにパソコンを覗き込んだ。
「鳳凰のスマホの電源が切れました」
「ほぅ・・気付かれたということか?」
「・・・」
「気付かれたんだな?」
念を押すように問いただされた若い男は身を硬くして応えた。
「はい・・気付かれたかもしれません」
「かもしれない?なのか?」
若い男は、はじかれたように立ち上がり、応え直した。
「はい、気付かれたので計画の見直しが必要だと思います」
年輩の男は向かい合った若い男から、後ろのブラインドの降りた窓に視線を移した。
窓の外の闇を刺すような男の視線。
その戻ってくる視線に射殺される恐怖を、若い男は呼吸もままならないほど全身で感じ取っていた。
冷たい静寂の中、喉元で打つ心臓の音だけが若い男に与えられた命の実感だった。
その視線がゆっくりと自分に向けられると、若い男は反射的に目を閉じて身をすくめた。
意外なことに威圧的な男は幾分態度を軟化させていた。
「空の情報収集力は大したもんだが、残念なことにその場を実感できない。それに比べて地の情報は、広範囲の情報収拾には疎いがその場で確実に判断できる。匂いによる情報は生々しいからね」
若い男は身を硬くしたまま微動だにせずに立ち、両手の指先はズボンの縫い目に沿って垂直に地を指している。
「先日の会議のあと、君のくれた情報は面白かった。だが詰めが甘かったな。しかしお陰ではっきりした。鳳凰からは手を引くことにする。君は後始末を抜かりなく終わらせて、責任を果たせば良い」
若い男が緊張を解かれ顔を上げたときには、男の姿は消えていた。
若い男はパソコンの電源を落とし、消えていく画面を見ていた。
薄暗く光る画面が闇になる。
先日の会議を若い男は思い返した。
会議が終わり、男は残っている2人の縁者長を前に話し始めた。
「先ほどのお話についてご報告したいことがあります。許可お願いいたします」
残っていた司会の女が2人の男に判断を仰いだ。
「どうですか?私は次の対策に役立つのであれば聞きますが・・・」
「そちらが聞きたければ異論はありません」
地の縁者長の問いに、空の縁者長が興味なさそうに応えた。
「まずこの件について調査しましたこと、勝手な行動であったことは承知しております。お聞きいただいたあと、処罰のご判断を仰ぎたいと思います」
男たちの決定で発言を許された男、カラスはそう前置きをすると、緊張気味に話し始めた。
「先日イヌワシ様より鳳凰への手がかりのことを伺いまして、彼女のその後の行動を追跡しました。彼女はイヌワシ様と別れるとすぐに、19日鳳凰の住居まで行きましたが、会わないまま事務所に帰りました。そしてその後の足取りが消えました。その事務所は翌日の4月20日には全てが解約、撤去され、さらに自宅も同じように整理されていました。引っ越し先は不明で、出国した様子もありません。忽然と消えたと言えます」
地の縁者長が口を開いた。
「それは我々のお株を取った手際の良さだな」
イヌワシは無言のまま目を閉じていた。
「イヌワシさん、地のサンズで鳳凰を招待するように手配してもいいかな?我々が動くことにするが良いかな?」
「しかしこの始末のつけ方は、緋色様のご指示があったのではと思ったが・・・違うのかな?」
「この件には・・・緋色様は興味がないようだ」
「・・では、地のサンズのお手並み拝見としましょう」
そんなやり取りを思い出した。
サンズと言われる精鋭の部隊。教団の最も優れた能力を持ったものと恐れられている選ばれし者たち。そのエリートたちは賢者の称号を授けられれば来世を約束され、任務に失敗すれば格下げを受ける。サンズの名誉と誇りを汚したものは、使命をはく奪される。使命はく奪とは生きる目的を持つことを許されない人生になるのだ。そして前世よりも格の下がった来世に生まれると宣告される。
若い男はその前世をカラスと言われた。賢者を成功の土地に導いた、いにしえの伝説のカラス。
男は今の世で果たすべき使命を担って生まれたらしい。
それを信じているわけではないがそこに身を置くと楽だった
意味のある人生を生きていると思えた。だから来世のためにそれを疑わないことにした。
カラスはパタリとパソコンを閉じると暗闇と同化して部屋から姿を消した。




