立の章 使命 ~遂~
4月に入った。
雄介は打開の道を探すために、堂本を見張っていた。
堂本は、雄介の記憶にある男と頻繁に会っていた。
その室長と呼ばれていた男は、何か訴訟を起こしているらしく、堂本を連れて弁護士事務所を何度も訪れていた。
表向きはまともに見える弁護士事務所だが、雄介は堂本の事務所に漂う得体の知れない空気と同じものを感じていた。
堂本の事務所近辺を探り始めて1週間が経ったある夜、雄介は背後に気配を感じて、飛び退き、身構えた。
「相変わらず早えなぁ・・・俺になんか用かい?」
雄介は警戒して、周りを見た。手下らしい男が3人いた。
「何ピリピリしてんだ。ちょうど良かった、俺も雄介さんに相談があってな、事務所に上がんな」
と言って、堂本は事務所の階段を指した。
雄介は無言のまま、堂本の後についていった。
階段の途中で先を行く堂本が振り返り、凄みのある声で言った。
「お前、度胸、あんな。ここが地獄の1丁目かも知れねぇのに、のこのこついてきて、いいのかい?雄介さんよ・・・」
雄介は挑発に乗らずに、堂本を無視して2階の事務所に入った。
「まぁ、座れや」
ソファーを指した。
男たちを意識し、身構えたまま座ろうとしない雄介を見て、堂本は男たちに外に出るよう合図をした。
男たちが出て行っても、雄介は動かずにいた。
「まぁ座れって」
雄介は堂本から目を離さずに、近くの事務机の椅子に座った。
「まったく」
そんな雄介に、堂本は苦々しい顔をしてパソコンの前に立った。
「お前、大山製薬のお嬢さんの婿さんなんだってな。雄介、うまくやったじゃねぇか。でもな、世の中はそう思ったようにはいかねぇよ」
堂本は、雄介の顔の前に、印刷した1枚の写真をひらひらと持ってきた。
雄介は無表情で払い落した。
足元に落ちたそれは、雄介が白峰鈴音を縛り上げたものだった。
「お前の仕業だったんだな。どこのどいつがこんな真似をしたのか・・・探していたんだよ」
堂本は部屋をウロウロと歩き回りながら、話し続けた。
「まぁこいつが世間様の目に触れると、お前の大事なお嬢さまは、あることないこと書かれるってことは分かるよな。うちのお嬢さまは図太くていらっしゃるから、少々のことじゃ潰れるこたぁないが、そっちはどうかな?ようやく外に出られるようになったんだろ。可哀想にな、また、ぼろぼろになっちまうな」
堂本はひと言も言葉を発しない雄介を横目で睨みながら、さらに続ける。
「もう1年になるな、昇だったよな。無鉄砲な奴だったな。この俺にカーレースやろうって仕掛けてきやがって、身の程知ってりゃ死なずに済んだのによ、なあ・・雄介さんも、そう思わねえかい?」
耳元で「我慢だ、我慢しろ」と声がした。
「自業自得だよな、それにルナとか言ったよな、昇の彼女、いい女だったのによ、巻き添え食っちまって可哀想にな。・・・雄介さんよ、お前が俺の言うことを素直に聞いてりゃ・・・なぁ・・・全部お前のせいだよな」
「挑発に乗るな、手を出すな」また声がした。
「それでだ、まぁすぐにとは言わんから、島根の工場跡地を手ごろな値段で譲っていただきたいと、社長さんに伝えてくれ。おまえも説得しな。可愛いからな、娘は、いや孫だったな。お嬢さんの一生がかかっているんだ・・・よく考えな、雄介」
雄介は堂本をにらみ返した。
「俺はもう婚約者じゃないし、会社もやめた。あの会社とは関係ない」
「おやおや、そうかい、逆玉に乗り損ねたってことか、残念だったな。エヘッ、そんなぁこたぁ、どうでもいいやね。こんなひでぇことしたのは、元婚約者の雄介さんって事実だけで十分なんだよ。ネットに流れるときは、お前がやったことだけが強調して拡散される・・・そうなりゃ止められねぇよなぁ」
堂本は床に落ちている写真を拾い上げて、雄介の正面に立った。
「メールアドレスを教えな」
「断る」
「雄介さんよ、これから先も連絡取り合わないとな。それにこの動画を社長さんに見せてもらわんと・・・な」
堂本が激しく近くの椅子を蹴り飛ばした。
「直接、話してもいいんだぜ、お嬢さんと、いいのかい?」
どう脅してもスマホを出そうとしない雄介に、堂本はイラつき始めた。
「雄介、お前な、断れねぇんだよ」
我慢の限界を感じた雄介は、にやつく堂本に襲い掛かろうと身構えた。
「やめときな、俺をどうにかしても・・・変わらねえよ、誰を相手にしてると思ってんだ」
それは明らかに八神会の存在を指していた。
観念した雄介は、メールアドレスを書いたメモを机にたたきつけ、事務所を出た。
「後で写真送っとくから、よろしくな」
堂本のイラついた声が、勝ち誇ったような高笑いに変わった。
怒りに任せて階段を走り下りた雄介は、その勢いのまま、殴りかかろうと待ち構えていた堂本の手下を突き飛ばした。
雄介は喚く男たちをしり目に、人ごみの中に逃れた。
走りながら雄介は昇のことを、芽唯のことを、市子のことを考えていた。
手立てがないのか。
何にもできないのか。
「くそ・・・」
しばらく走り、小さな公園で止まり、空を見上げた。
見上げた真夜中の空は、明日の到来を阻むような濁った黒に覆われていた。
そして雄介のスマホには脅しの動画が送られていた。
一週間経ったが白峰鈴音の動画が流れることはなく、堂本も鳴りを潜めていた。
単なる脅しだったのではと雄介が楽観的に考え始めたとき、話はついたか?とメールがきた。
やはり堂本は本気でネットに流すつもりなのだ。
誰かに相談できれば・・・雄介は自宅でひとり頭を抱えていた。
やはりあのとき、宇賀野に話しておくべきだったと後悔した。
今からでも相談をすれば何か対策を考えてくれるだろうが、会社の問題を抱えて多忙を極めている宇賀野に、今更話すことは出来なかった。
八方ふさがりの中、ネットへの流失を止める方法のない状況に雄介は、スマホに映る白峰鈴音の動画を臍を嚙む思いで観ていた。
そんな中、インターフォンの音が雄介を現実に引き戻した。
インターフォンの画面に佐祐が映った。
「雄介さん、俺っす」
驚き、躊躇はしたものの雄介はすぐにドアを開けた。
「佐祐・・・どうした?何かあったか?」
「呼んだっしょ、俺のこと」
「え?俺が呼んだ?」
「話があるから来てくれって」
「いや、呼んで・・・」
佐祐は言い終わらぬ雄介を押しのけて、いつものようにクッションを抱いて座った。
「どうしたんすか?」
「大丈夫か?」
「どうして俺の心配するんすか、何かあったのは雄介さんの方でしょ、まったく」
「ああ・・おれは大丈夫だ」
「何とかなるんすか?」
佐祐の真剣な目線がスマホを指していた。
えっという顔で、雄介は佐祐を見た。
分かってると佐祐が目で合図をして、さぁ話を聞きましょうとばかりに、クッションを置いて座り直した。
雄介はしばらく黙っていた。
これを話せば佐祐を巻き込む。雄介はテーブルの上のスマホを手元に寄せて伏せた。
「俺の方は、何の変りもない・・・」
「はいはい、雄介さん、雄介さんはもう俺の上司じゃないでしょ。友達ですよね、仲間ですよね」
「そうだな、友達・・だ」
「分かってますよ、俺を巻き込まないように気遣って外したんでしょ、オロチの1件から。前に友達失くしたって言ってたから、俺のこと大切にしてくれているんだって。でもそんなのやめましょう。雄介さんが俺のこと思ってくれているから、引けと言われても俺は引かないすよ」
佐祐の言葉は、雄介を奮い立たせるのに十分だった。
心を決めた雄介は、佐祐に堂本との経緯や要求を話した。
「そうすか・・・」
佐祐はいつものように首をかっくと回し、黙り込んだ。
雄介は相談相手になってくれた佐祐が有難かったが、その沈黙が妙に不気味に思えた。
「ワクチン打ちましょうか・・・」
「ワクチン?」
「俺に任せてください。先にそれ流しましょう。そんなもん出たって、すぐに消してやりますよ」
佐祐はスマホにある白峰鈴音の動画を指差した。
「・・・・・」
疑問や不安の入り混じった表情の雄介に、佐祐はニヤリと笑い返した。
「相手のパソコンが分かってるから簡単。使えるパソコンありますか?」
「パソコンか・・・俺は持ってないが」
「出来れば2台・・・」
「佐祐、宇賀野さんに相談してもいいか?」
佐祐は一瞬眉をひそめた。
「・・・俺はいいすよ」
パソコンを手に入れるのは簡単だったが、雄介は走り出した佐祐に歯止めをかけるために宇賀野が必要だ、会わせておこうと考えたのだ。
雄介が連絡をすると、宇賀野は自宅とは別の場所に来るように指示をした。
2人がオートロックのマンションの宇賀野の部屋に入ると、すぐにグランドピアノが目に飛び込んできた。
そしてパーテーションの奥に、ソファーと5台のパソコンが置いてあった。
「ふぇぇ・・・」
佐祐が驚きの声を上げた。
「卓さんここは・・・」
「私の事務所です。事故にあったあと使っていませんが・・・」
早速、佐祐がかっくと首を回し、2台並んだパソコンの前に座った。
「使っていいすか?」
「いいよ、自由に使うといい。雄介さんは事情を詳しく教えてください」
佐祐がパソコンを開き、作業を始めた。
全くパソコンには興味がない雄介は、佐祐の操作パソコンや画面に表れる文字の羅列にため息をつくと、宇賀野に堂本との経緯と、会社への要求を話し始めた。
雄介の話を聞き終わった宇賀野はしばらく黙っていた。
「ネットに流す動画というのは事実ですか?」
「俺がやったことです」
「そうですか・・・」
「宇賀野さん、大丈夫っすよ。俺に任せてください」
佐祐がパソコンを打ちながら、得意げに言った。
そのとき突然、画面が暗転し1羽のカラスが現れ「かぁ」と鳴くと消えた。
「何でカラスが・・」
ぼそっと言った途端、佐助の吞気な表情は一変していた。
しばらく緊張した時間が続いた。
雄介と宇賀野は固唾をのんで佐祐の手元と画面を見ていた。
佐祐が最後とばかりにエンターキーを打った。
画面にカラスが現れて「かぁ」と鳴いて飛び去った。
「HISOをなめんな、ボケ」
画面に向かってひと言悪態をついた。
「へぇ・・終わりました。これであの動画をアップされても、全部フェイク動画ってことで終わります。世の中みんな面白がるだけで、相手にしません」
佐祐は勝ち誇ったように言い放った。
「腹減った、雄介さん、なんか食べに行きましょ」
そう言いながら呆気にとられている2人に向けた顔は、いつもの佐祐に戻っていた。
デリバリーサービスのピザを頬張る佐祐に、雄介は尋ねた。
「カラスってなんだ?」
「正体不明のハッカー、クラッカーっす・・・カァと鳴いて宣戦布告して、勝手に遊んで、カァと鳴いて終わりっす。ふざけたやろうっす」
佐祐は炭酸飲料を一口飲んで口の中のピザを流し込み、次のピザに手を伸ばした。
「・・・HISOはなんだ?おまえか?お前がHISOなのか?」
そんな佐祐に雄介は疑問を口にした。
佐祐は食べることをやめて、少し考えて答えた。
「HISOは俺ではないっすよ」
宇賀野は2人のやり取りを、壁に寄りかかり聞いていた。
佐祐の答えに納得できない雄介を、宇賀野がやんわりと止めた。
「雄介さん、佐祐君に助けてもらったんだ。今夜はそれで良しとしましょう。佐祐君はHISOは自分ではないと言っています。私はそれを信じますよ」
「・・・そうですね、佐祐がそう言うのなら・・・そうだな」
雄介が相槌を打った。
「そうっす」
安堵した顔で佐祐はピザを口に入れた。
呑気な佐祐に振り回されながらも、抵抗なく佐祐を受け入れていた2人だった。
「今回は何とか乗り切ったが、その堂本と言う男はまた何か仕掛けてくるのだろうか?」
宇賀野が珍しく不安げに、雄介に尋ねた。
「分かりません、噂の域ですが、知り合いも同じやり口で土地をとられています。
傷ついた娘さんはまだ立ち直っていません」
「雄介さん、このことは会社の方で解決しましょう。法的な手段で対抗するしかありません」
「わかりました。でも俺がもっと早く話していたら・・・」
「そんなことありませんよ、雄介さんありがとう、佐祐君も本当にありがとう。お礼と言っちゃ失礼かもしれないが、このパソコン持って帰っていいですよ」
「ほんとですか?ありがとうございます」
断るつもりの雄介を差し置いて、佐祐はお礼を言うなり、持って帰る準備を始めた。
「佐祐、おいやめろ」
「雄介さん、何をするにもパソコンは必要ですよ。せっかくなのに遠慮しちゃ悪いですよ」
と言った佐祐の手が止まった。
「あぁぁ・・・タウンには持って行けないな」
「どうしてだ?」
「監視されているから、いろいろ面倒なんですよ」
「そんな所なのか?タウンって所は」
「そんなとこっすよ」
宇賀野はそんなやり取りを静かに聞いていた。
「これがあると楽しいけど、ライフシェアタウンは厳しい。宇賀野さん諦めます」
「・・・それならここで使うといい」
驚く雄介を気にも留めず、佐祐は上機嫌で2つのパソコンを撫でて、小躍りして喜んだ。
「そっすか・・・へっへぇ」
素直に喜ぶ佐祐を満足げに見ている宇賀野の横で、雄介は小躍りする昇の姿を思い出していた。
翌日、案の定、堂本が凄い剣幕で連絡してきた。
「やってくれるじゃねえか、なめた真似しやがって、これで済むと思うなよ、忘れちゃいねぇだろう、雄介。昇の野郎・・・哀れな死に方だったよな。お前が俺の言うこと素直に聞いてりゃ、あんな馬鹿な死に方しなかったのによ。分かってるよな、今度はお前だけじゃ済まねぇからな。丸ごと片付けて」
毒づく堂本を無視して、雄介はスマホを切った。
雄介はしばらく動けなかった。
本能がやばいと震えていた。
堂本は本気だ。島根の土地のことを言っていた。狭霧さんが島根に帰ったのもこのことが関係しているのかもしれない。大山会長の耳に、このことは入っているのだろうか。だとしてもこちらからは動けない。仕掛けられるのを待つしかないのか。堂本の後ろには八神会がいる。
いや、待てよ、そうならば白峰と組むだろうか。
八神会抜きの堂本の単独の動きなら・・・方法はある。
冷酷非道な堂本さえ葬れば、宇賀野さんが、白峰は合法的なやり方で止めてくれる。
そうすれば市子との約束は守れる。そして昇の恨みを晴らせる。
「昇、お前が逝ってしまって1年だ・・・きっちりと片はつける」
雄介は堂本と刺し違える覚悟を昇に誓った。
いつもより人通りを少なく感じる5月の連休中の街を、雄介は成彦のマンションへ向かっていた。
昇と笑いながら歩いた桜並木を通っていくと、懐かしさが込み上げてきた。
無性に昇のことを成彦と話したかった。
夕闇に成彦のマンションが浮かび上がった。
留守なのか、成彦の部屋の電気は点いていない。
その上の階を見る。
テラが苦しんでいた部屋にも明かりが点いていない。成彦がテラは無事だったと言っていた。テラを苦しめていたものはどうなったのだろう。雄介の背中の血管腫はいつの間にか消えていた。今はその跡も薄れている。ルナはどうしているんだろう。
マンションを眺めていた雄介の脳裏に、「堂本には拘わるな」と忠告してくれた成彦の言葉が浮かび、胸を締め付けた。
そして堂本の事務所で、衝動的になる雄介を止めてくれたのも成彦の声だったように思えた。
雄介は、はっとした。
どの面下げて成さんに会おうとしていたんだ、俺は。
俺のしようとしていることは、成さんの思いを踏みにじってしまうことなのに。
成彦に会うのを諦めた雄介は、新緑の桜並木沿いを引き返し、テラと出会った場所で立ち止まった。
フードを被ったテラ、驚いて逃げ出した昇。
ここから全てが始まった。
出会わなければ、執着しなければ、昇は生きていたのに・・・。
志布志湾に鳴り響いた救急車の音が、今も雄介の胸の奥を切り刻む。
泣きたい。でも涙が出ない。
雄介の怒りが泣くことを許さなかった。
哀れな・・昇・・・堂本の侮辱した言葉。
堂本、お前が追い詰めなければ昇は死なずに済んだんだ。
雄介のため込んだ怒りが膨れ上がった。ぎりぎり奥歯が鳴った。
「昇の命日までに、あの野郎を海に沈めてぶち殺す」
堂本の電話番号をスマホ画面に表示し、通話ボタンを押そうとしたとき、表示が着信画面に変わった。
奈良の父からだった。
「おやじ・・・」
それは宗像のわだつみ施設長、弘原海宗雄が倒れたという連絡だった。
「宗ちゃん・・・」
雄介の煮えたぎる怒りは心の痛みに変わった。
そして翌日の朝には宗雄が入院しているという病院の前に、心配顔の雄介が立っていた。




