立の章 使命 ~遂~
一方卯月は部屋に入ったとたん、不安げにテラを見ている由宇子が気になった。
何事かあったと直感した。
何も話そうとしないのは、由宇子にとって説明のできないことなのだろう。
ここで問い詰めればもっと混乱する。
由宇子の性格を分かっている卯月は、テラの様子を聞くだけにした。
「テラさんはどう?」
「・・大丈夫・・だよ」
由宇子は、少し間をおいて答えた
「良かったね。テラさんが大丈夫なら、こっちでゆっくりしよう」
卯月はテーブルの方を指して座った。
由宇子も椅子を元の位置に戻し、テラに背を向けて座った。
卯月がごそごそとバックからチョコレートを出して、由宇子に勧めた。
「食べよう。必要なら今夜は私が泊まるよ」
チョコレートに伸ばした手を止めて、卯月を見た由宇子が「熊野さんは?」と無言で尋ねていた。
「連絡が取れない。・・まだ仕事しているのかもね。テラさんが病院にいること知らないのかな?そんなことないと思うけど、メール入れたから、連絡はあると思う・・・」
「卯月が看るなんて・・・無理だよ・・・」
「乗り掛かった舟だよ」
「先生方が何とかしてくれるよ」
「うん・・・でも急なことだからね」
「私たちには無理よ、看護師の仕事は。身内でもないし。それに卯月は明日早いって言ってたじゃない」
「そうだけど・・・何とかなるよ」
けらけらと笑う卯月に、由宇子が申し訳なさそうに呟いた。
「・・・・私、休みだけど・・・ごめん、できない・・・難しい・・・」
「わかってるよ・・・そうだよ、ここ病院なんだから先生にお任せしよう。由宇子、チョコレート食べて」
チョコレートを口に放り込む卯月につられて、由宇子も甘いチョコレートを口に入れた。
「卯月、聞いていいかな?奈穂さんのこと」
「うん」
「何か分かった?」
「由宇子に聞いた薬のことも調べてるけど、範囲が広すぎて絞れてない。でも、友達が調べている薬と関連があるような気がしてならないんだ」
「友達?」
「そう、覚えてる?何とかっていう教団のトラ野郎」
「うん、うん」
「彼女、トラ野郎に前世が雉って言われたんだ。妹さんが心筋梗塞で亡くなったんだけど、彼女は死因に納得してない。教団と妹さんが関係あるのかは分からないけど、手がかりの赤いピルケースを探してる。詳しいことは今度会って話を聞くことになってるから、何か分かるかも」
「赤いピルケース・・・奈穂さんはその教団に・・・」
「分からない・・・」
卯月が大げさなしかめ面で続けた。
「教団はガードが固くてなかなか難しい」
「そうなの・・・」
「若狭さんのことも・・・ごめんね。そのままで・・・」
卯月が申し訳なさそうにため息をついた。
「いいの。もう・・・若狭が、もういいよって言ってくれたから。私は終わりにした」
いいと言って首を横に振る由宇子の声が、少し震えている。
「でも、はっきりしないと・・・由宇子、テラさんが動いた」
話の途中、卯月がテラの手が動いたのに気付いた。
駆け寄った由宇子に、テラが微笑んだ。
「卯月、テラさんの意識が戻ったよ」
横に並んだ卯月に告げる由宇子の声は、落ち着いていた。
「テラさん、分かりますか?」
「・・・ここは?」
「病院です。低血糖で倒れて、点滴しています」
尋ねたテラに、由宇子に代わり卯月が応えた。
テラはゆっくりと頷いた。
「由宇子、都先生呼んでくるね」
「うん・・・」
テラの視線が卯月の後ろ姿を見送った後、由宇子に移った。
「あなたが助けてくださったのね、ありがとうございました」
改まった言葉に、由宇子は戸惑う気持ちを隠して、作り笑いをした。
「お名前は?」
テラが聞いてきた。
「・・・和久、和久由宇子といいます」
「由宇子さん・・・ずっと付いていてくださったのね」
テラの確信を持った言い方に、由宇子は衝撃を受けた。
なぜ、意識のなかった間のことが分かるの?私がそばに付いていたことを知っているの?
由宇子は曖昧に頷きながら、頭ではこの場から逃げ出すことだけを考えていた。
だがテラは、由宇子の気持ちを察することなく話しかけてきた。
吞み込んだはずの言葉が、吐き気とともに上がってきた。
私を助けるってどういうこと?私、おかしくなる。尋ねずにはいられなくなった由宇子は、テラの話を遮った。
「テラさん・・・すみません」
テラは気を悪くすることもなく、由宇子を見て微笑んだ。
と、ドアの開く音に由宇子は話を止めた。そして目を落とし3人の医師が入って来るのを待った。
「ありがとう」と小さく言った都に、一礼をして由宇子はテラから離れた。
由宇子が少し離れたところに立っていると、遅れて戻った卯月が横に並んで立った。
都が脈を取り、テラの様子を診て、見守っている秋津に頷いた。
それから都流の言い方でテラに告げた。
「初めまして、秋津都です。もう心配はいりません。でも今夜は遅いので、ここにお泊りしてください。今後の予定は明日決めましょう」
「おやおや、都先生が主治医ということですか?」
「今夜だけね」
和やかな雰囲気にテラは安心して、都に、秋津にと視線を移し「よろしくお願いします」と挨拶をした。
そして、テラの視線がもう1人の男性医師に止まると、その医師はゆっくりと近づき、挨拶をした。
「初めまして、内科医の稲木です。私があなたの主治医になると思いますよ。よろしくお願いします」
「稲木・・先生・・・」
呟いたテラの表情は硬くなり、そのまま稲木から目を逸らさず黙ってしまった。
その様子に、都が由宇子を呼んだ。
「和久さん、冷蔵庫からテラさんに優しいものを持ってきてください。食べ終わったら、また呼びに来てね」
テラの反応に、医師達は一旦部屋を離れ、テラの様子を見ることにしたようだ。
すかさず返事をした由宇子は、プリンとゼリーを持ってテラの元に行った。
「テラさん、どちらを召し上がりますか?」
無表情だったテラが、由宇子の顔を見ると口元が緩んだ。
「ありがとう。甘くない方をお願いします」
由宇子の手が止まった。「どちらも甘い。テラさんの好みなんて分からない。私は選べない。テラさんが決めて」由宇子は心の中で叫んでいた。
パニック寸前の由宇子を、卯月の吞気な声が包み込む。
「どっちも美味しそうだけどね、由宇子、糖分はどっちが多いの?」
由宇子は震える手で成分を確認すると、ゼリーを容器に移しテラに渡した。
「糖分が少ないのはゼリーです。おいしそうですね」
ぎくしゃくとした由宇子の言葉にも、テラは笑みを絶やさず、ゼリーを受け取った。
卯月は、目の前でゼリーを口に運ぶテラを見て、ゼリーを食しながらも、その人としての存在感のなさに、高千穂の奇跡の夜のテラを重ねていた。
テラさんではないテラさん。あの不思議な夜と同じに思えてならない。
由宇子も何か感じているのか、すこし怯えているように見える。
このままでは由宇子が潰れる。テラさんから少しの時間でも離さないと・・・
心のこわばりを隠して、テラが食べ終わるのを待っている由宇子からは、痛々しささえ伝わってくる。しかしそんな由宇子を目の当たりにしても、テラは微笑んでいる。
卯月が由宇子の限界を感じたとき、ノックとともに稲木という医師が「お疲れ様です」と言いながら入ってきた。
そして卯月に軽く会釈をして、ベッドサイドの由宇子に親しげに話しかけた。
「和久さんは霧子さんの娘さんだよね。ずいぶん会ってないけれど面影が残っているね。そういえば、1月に書類を送ってもらった。あのときはありがとう。今日会えるなんて、こんな偶然もあるんだね」
懐かしそうに話す稲木に、由宇子はいっそう身を硬くしたように見える。
「お母さんにはずいぶんとお世話になってね、感謝してますよ」
話を続けようとする稲木に、テラが話しかけた。
「稲木・・・先生・・・」
稲木は由宇子に後でねと合図をして、テラと向かい合った。
「稲木先生、少し外の空気を吸って来たいのですが・・・」
そこを見計らい、卯月が稲木に頼み込んだ。
「そうだね。大変だったのに気付かなかった。2人とも少し休憩してください」
稲木は腰を据えて話を聞こうと椅子を構えて、テラのそばに座った。
卯月は由宇子の手を引いて中庭に出た。
「少し歩く?ベンチに座る?」
「歩きたい・・・」
由宇子が小さな声で答えると、卯月は由宇子と歩幅を合わせて歩き始めた。
「由宇子、だいじょうぶ?」
「卯月、ありがとう。助けてくれて、私・・・」
卯月は笑っただけで、何も言わずにそのまま歩く。
由宇子は歩きながら何度か背を伸ばし、深く呼吸をした。
そのたびに、心が和んでいく。
「もうすぐ退職だね。どうするの?これから」
「引っ越しは5月末でいいんだ、それに寮だから持ち出すのは身の回りの物だけだもん、大変じゃないよ」
「そうかぁ、・・・」
「連休中に広島の母のところへ行ってみようかな・・・」
「いいじゃない。少しゆっくりしたらいい」
「うん、そうするよ」
しばらくして足を止め、卯月が回りを見渡し、ひそひそ声で話しかけてきた。
「随分歩いたね。由宇子、このまま帰っちゃおうか?」
「え?帰る?」
「そう、逃げるの。2人で」
茶目っ気な顔の中に、由宇子を気遣う卯月の気持ちが見え隠れする。
「逃げるの?このまま・・・」
「リュックは持ってきたし、問題はない・・・かな?」
由宇子は卯月らしい心遣いがありがたかった。
「でも問題はありそう・・・都先生に話して帰ろう」
「そうしよう、そうしよう」
急ぎ足で中庭を引き返して、テラの病室へ向かった。
病室に着くと、稲木がドアを開けて出てきた。
「おぅ、ちょうどよかった。ちょっとテラさんを頼めるかな?すぐに戻ります」
稲木は2人の返事を聞かずに、院長室に向かった。
「ねぇ、由宇子、稲木先生・・・ちょっと、変じゃない」
「うん、どうしたのかな・・・」
稲木の姿を追いながら、2人は顔を見合わせた。
「テラさんの傍に居なきゃ・・・」
部屋に入ろうとする由宇子を、卯月が引き留めた。
「由宇子、無理しちゃダメだよ」
「ありがとう、私、少し考え過ぎてたみたい。もう大丈夫」
音をたてないように部屋に入ると、テラは目を閉じていた。
由宇子は点滴の残量を確認して、ソファーに座っている卯月の隣に腰掛けた。
「由宇子、先生戻ってきたら帰ろうね・・・」
「そうだね。ちょっと疲れたね」
背中を丸めて由宇子が応えた。
「コーヒー飲みたい」
「甘いもの食べたい」
「おなかすいた」
「お風呂入りたい]
立て続けに要求を口にする卯月に、由宇子がふふふと笑った。
卯月はそんな由宇子に合わせて口を押えて笑った。
静かにドアが開いて都が入ってきた。
都はテーブルにデリバリーの食べ物を並べて、2人を呼んだ。
「お腹すいたでしょ。テラさんは落ち着いたから、今のうちに食べて。天野ちゃんも由宇子ちゃんも、今日はありがとう、お陰で助かったわ。さぁ遠慮しないで」
2人は顔を見合わせたものの空腹には勝てず、箸を取った。
都が冷蔵庫から飲み物を持ってきた。
「お茶でいい?」
2人が頷くと、コップにお茶を注いだ。
「ゆっくり食べてね、また後で」
都は座ることもなく部屋を出ていった。
卯月は時計を見た。11時を過ぎていた。
「帰るって言えなかったね・・・」
由宇子がぼそりと言って、サラダを突いた。
「食べたら帰ろう・・・」
卯月がピザをかじりながら自信なさそうに答えた。
しばらくして、都が書類を持って戻ってきた。
食事の片付けを済ませた2人に、テーブルに付くように言い、書類を渡した。
「テラさんの検査の計画なの。目を通してほしい」
卯月は横目で由宇子を見た。
由宇子の迷いが伝わってきた。
卯月は手にした書類を開かずにテーブルに置いた。
「天野ちゃん?」
「都先生、私たちは」
「都先生、私はテラさんのことはお手伝いできません」
卯月より先に、由宇子が断りを入れた。
「そうなの、仕方ないわね、分かりました」
真っ直ぐに気持ちを伝える由宇子に、都は断りの理由を聴くこともなく、気をつけて帰るように言い残して、部屋を出ていった。
「都先生、何も言わなかったね」
「手伝うべきだったかな・・・」
「由宇子、できないものはできないって言わなきゃ」
断るという気まずさが、由宇子を揺さぶる。
「由宇子、無理はダメ」
「でも私にできることあるなら・・・」
「由宇子、できることがあってもダメ」
「分かっているけど・・・」
「由宇子、さっさと帰るよ」
「わかった。テラさんの様子を見てから帰ろう」
「由宇子、・・・」
「なに?」
「なんでもない・・・」
「卯月ったら今日は何回、由宇子、由宇子、っていうの?」
由宇子はそう言いながら明るく笑って、テラのバイタルの測定を始めた。
卯月はキッチン周りをもう一度見て回った。
「由宇子、こっちは大丈夫、汚れ箇所なし」
卯月は由宇子の様子がおかしいのに気づいた。
「由宇子?」
由宇子はテラに腕を掴まれ、身を硬くしていた。
「卯月、私、今夜はテラさんのそばにいるよ、点滴も終わるし」
「由宇子・・・」
卯月はテラの表情を見て「無理をするな」と言えなかった。
テラは涙を流しながら懇願していた。
「テラさんが泣いている、ほっとけないよ」
「由宇子、わたしも残るよ」
「卯月は明日仕事でしょ。私大丈夫だから、帰るときに都先生に残るって伝えてね」
卯月は都に伝えると、由宇子を残して病院を後にした。




