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立の章 遂 ~使命~

明日は4月20日。

私とテラの運命を決める日。きっと、何もかも上手くいく。

熊野はそんな思いを胸に秘めて、テラのマンションに向かった。


テラに会うために家を出た熊野だったが、気まずさが先に立ち、インターホンを押せなかった。

人目を避けて引き返し、新緑に装いを変えた桜並木で立ち止まった。

時計を見た。テラが好んで散歩をしていた夜の9時。一緒に歩いたことを思い出した。また肩を並べて歩きたい。一生の友と決めていたテラとの時間は、熊野の生活の一部になっていた。

そのテラが明日、病院で検査を受けると聞いた。テラの奇病の原因を調べるというが、大丈夫なのだろうか?付き添いたかったが、テラからの相談はなく、熊野からも申し出ることはしなかった。

復帰のことでテラとの間に生じた微妙な空気が、何をするにも熊野を臆病にしていたのだ。

新緑の葉が夜風に揺れる道を歩きながら、もう一度テラとの夢を叶えるために、テラを説得する方法を手に入れようとしてきた今までの葛藤の日々を思い返していた。


3月の下旬、テラが女野宇太力めのうたりきと医師の髙木静香と共に、陸路で宮崎から東京に向かったと連絡を受けた熊野は、満開の桜が見下せるテラのマンションで部屋の主の帰りを待っていた。

見上げた空は雨を予感させる雲に覆われ、浮足立つ熊野を不安にさせた。


熊野はテラが消えたあと、夢も、希望も、生きる意味さえ失い、絶望感を抱え続け、何をしても埋めることのできない日々を、ただ仮面をかぶり惰性で生きてきた。

それでも熊野は毎月1回、主の消えた部屋を訪れ、捨てきれぬ未練と向き合ってきた。


高千穂での出来事はそんな熊野の絶望を打ち砕いた。テラの体を冒していた悪魔のような血管腫は消えて、命に代えても守りたかったテラの美しいさが輝きを増して蘇ったのだ。茫然としたのもつかの間、熊野は敏腕のマネージャーに戻っていた。

熊野は高千穂での仕事を途中で切り上げ、その翌日には早速テラの復帰イベントに向けて動き始めた。


まず熊野は、以前から付き合いのある蔵山というテレビ局のプロデューサーに連絡を取った。

蔵山は、ゆくゆくは局長になると噂されている実力者で、熊野の話に興味を示した。

その後熊野は蔵山と会い、大まかなプランを話した。

蔵山は、プランについては分かったとだけ答えて、興味はテラの消えた1年にあるようだった。


「ところで、テラはどこに雲隠れしてたんだい?」

「それは、・・・」

「うん?言えない所?」

「今は・・・ちょっと」

「ふぅん・・・どこか、いじったの?奇病とか言われてたし」

「・・・奇病なんかじゃありません。テラに整形が必要ないのはご存知でしょう」

熊野は強気に否定した。

「へぇ・・・いつか会わせてくれるかな?」

「もちろんです。蔵山さんを頼りにしています。テラの復帰イベントを是非とも成功させたい。お願いします」

「いいよ。いつでも相談に乗るから。一度テラと一緒においで」

面会は簡単な雑談で終わった。

熊野は、テラの私生活を聞かれるだろうと予想していた。しかし、蔵山がそのことに触れはしても深く追求せず、簡単に引き下がったことが意外に思えた。

ともあれ蔵山の協力を取り付けて、テラの復帰が現実味を帯びてきたことに熊野は満足していた。

そして熊野は編集の仕事も辞めて、テラのマンションの近くに小さな事務所を構えた。


そんな準備をしながら、意気揚々とテラの帰りを待っていた熊野だったが、宮崎から戻ってきたテラは沈み込み、復帰を強く拒んだ。


私が果たすべきことは、より美しくなったテラの復活を世に示すこと。華々しく、華麗に、息を吞む美しいテラが戻ってきたことをすべての人に伝えなければならない。そんな使命感に燃えていた熊野は、テラも同じ気持ちだと思い込んでいて、独断で復帰イベントを進めていたのだ。


熊野は何度も必死に説得したが、テラは承知しなかった。

テラは、自身の生き様を否定する虚像という言葉を使い、演じることに疲れたと言った。そこには光輝く姿はなく、やせ細り、言葉少なに答えるテラがいた。

熊野はその姿にこれ以上の説得は無理だと諦め、その日のうちに蔵山を訪れ、テラのことは諦めると告げた。


そんな弱り果てた熊野を蔵山は励ました。

「テラも東京に帰ったばかりで、先のことまで考えられないんだろう。無理もない、長く世間から姿を消していたんだから。以前と同じように人前に出ろと言っても、二つ返事はできないものさ」

それも分かっていたが、モデルのテラという存在を失いたくない、ということだけが熊野の心を占めていた。熊野は一度失ったモデルのテラを再び失うことは、熊野自身の命を失うことと同じだと分かっていた。


「ところで、テラは今まで何をしていたんだ?」

蔵山は、話を聞かないと先に進めないとばかりに説明を要求してきた。

熊野は目を閉じて黙り込んだ。

「君は責任感が強く、テラ思いだね。そんな君の願いはきっと叶うよ」

頑なに話そうとしない熊野に、蔵山はやんわりとひとつの提案をした。

「時期が悪いのかもな・・・ある人に時期を見てもらわないか?」

俯いていた熊野が顔を上げると、ここぞとばかりに蔵山は話し始めた。

「知り合いでその辺に詳しい人がいる。テラの説得方法や復帰の時期を相談するといい。テラの気持ちを大切に思う君だから、テラが傷つかないようにしたいだろう。説得もうまくいく時期があるらしいからね。失敗しないためにも大切なことなんだよ。タイミングを見計らって動くためには、多くの情報を集めて、いろいろな角度から検討しないとね。こんなこと、君は承知だろうが、全く縁のない人に一度ぐらい相談してもいいんじゃないかな。加えてその人は多方面の人脈を持っているから、会うだけでも損はしないよ。縁っていうのはそんな風に広がるもんだよ。一歩踏み出して、差し伸べられた手を素直に掴むんだ」

「・・・・」

蔵山は最後に、全て任せて肩の荷を下ろせと言った。

そして熊野に少し待つように言い残し、その人物に連絡をするために部屋を出ていった。


脳内に登場しては消えていく蔵山の言葉を追うのが精一杯の熊野は、蔵山が部屋を出たあと、気を落ち着かせようと部屋を歩き回った。

だが熊野の思考は停止して、結局蔵山が何を言ったのか理解できなかった。


蔵山に任せればテラの復帰が実現するのだろうか?

テラは前のように完璧なテラに戻るのだろうか?

それだけが熊野の脳裏に張り付いた。


膨れ上がる答えのない不安に、熊野はひとり待つことに耐えきれなくなり、蔵山の戻りを待たずに、ふらふらと部屋を出た。

エレベーターに向かう途中、蔵山が追ってきた。

「大丈夫かい?4月20日1時に予約を入れたから必ず行くんだよ。ここが住所だ。いいかい、自分を信じるんだ、道は必ず開けるからな、しっかりしろよ」

話を聞かずに歩き続ける熊野の肩を、蔵山は指が食い込むほどの力で強く鷲掴みにした。

途端にぶるっと体を震わせた熊野だったが、それでもはっきりと返事をせず、蔵山の手を払い、そのままエレベーターに消えた。


そんな熊野を蔵山は柔らかな言葉とは裏腹に、獲物を狙う猛禽類のような鋭い目で追っていた。


それ以来、進退窮まった熊野はテラに会わずにいた。

会えば同じことの繰り返し、押し問答になるのが分かっていた。

これ以上テラに嫌われ、疎ましく思われるのは嫌だった。そう思いながらも蔵山の言葉が拠り所になり、夢を捨てられずにいた。

日を追うごとに、テラの様子が分からないことが余計に熊野を焦らせた。


とにかくこのままではいけない。

何か手を打たなければ・・・熊野は蔵山から渡された住所を確認した。


そして4月20日、前世を見て、説得の方法を授けてくれるという占い師を訪ねることにしたのだった。


「テラ、私は諦めない。あなたは燦然と輝く太陽でなければならない」

熊野は事務机しかない狭い事務所で、テラに届けと叫んだ。


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