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立の章 開 ~運命~

2月は逃げる、といわれる月。気づけば、あっという間に3月になっていた。

しかし春の姿はまだ遠く、今夜は雪が降るという予報が出ていた。

頼みごとがあると由宇子から連絡を受けて、1か月が経っていた。

卯月は、宮崎から帰ってずっと仕事に追われ、旅先でのことを思い返す暇もなく、由宇子との約束も先延ばしにしていた。


そして今夜、ようやく由宇子と会い、1通の手紙を預かった。

遺書だという、その手紙の真実を調べて欲しいとの依頼だった。

人の死が絡んでいることに荷の重さを感じた卯月だったが、由宇子の頼みでもあり、真実が分かればどのような内容であろうと公表してもよい、という条件で引き受けた。


夜中にひとり通い慣れた道を帰ってきた卯月だが、部屋の明かりを点けても落ち着かなかった。


コーヒーを入れた。

両手に持つと温かい。かじかんだ指先から温もりが広がる。


少し落ち着いた。

机に向い、預かった手紙をその上に静かに置いた。


心がざわついた。


神盛奈穂という人の遺書だと由宇子は言っていた。

卯月は預かってはきたものの、どう見ても何か含みがある遺書とは思えなかった。

離れて暮らしていた父親に、髪の束を添えて送った別れの手紙。

そう、単純に捉えるほうが自然な内容だった。

だが、同封された1錠の薬が引っ掛かった。

偶然に紛れ込んでしまったのか?この細い封筒に?それはないだろう。


コーヒーを口にした。ほろ苦い味が香りとともに広がった。

一文字、一文字を目で追いながら読んだ。優しい人だと思った。

この文字に、言葉に、何か秘められたものがあるのだろうか?

そもそもこの手紙自体、本当に神盛奈穂さん本人が書いたものなのだろうか?

本人が書いたとしても無理がある。

外部との接触が禁じられているなかで、手紙を出すことができるのだろうか?

それも亡くなってから1か月後に届くなんて・・・誰かに頼んでおいたのか?

誰に?


整理しようと手帳を引っ張り出した。

はらりと1枚の名刺が落ちた。

拾い上げた。「・・・佐多成彦・・・あの男」失くした手帳を届けてくれた男。

感謝しなければならないのに、なぜか初っ端から反発した。

何でもないことに腹が立って、感情的になった。

癇に障る。

そう、気に入らない。

でもあの男・・・この手帳を見て、内容に興味を持っていた。

ふざけた言い方をしていたが、こんな雑なメモの内容を大まかに理解していたように思えた。


卯月は神楽の翌日のことを思い出した。

熊野は急な仕事ができたと言って先に東京に戻ってしまい、残った卯月は、あの憎たらしい顔を見ることになるとは思わず、観光予定だった猿田彦大神と鈿女の命という神様を祀っている神社に行った。

取材を済ませ神社の引き戸を開けたら、あの男がいた。

卯月は、後先を考えず興味本位で男を誘って、しばらく散策したが会話も弾まず、性に合わないと分かっただけで別れた。


あの男は公務員を否定しなかった。

この名刺には経済研究所の所長とある。何者なんだろう。


成彦へ向かい始めた卯月の思考を遮るように、LINEが届いた。真琴からだった。



この前は本当にありがとう

今、華琴のことをいろいろと探っている

私闘うよ


               闘うって誰と?


まだわかんない

病院かな?薬作ってる奴かな


               薬?何?


ごめん

電話が入ったから また連絡する




薬?卯月は思わず机の上の手紙を見た。ここにも薬。そして始まりは若狭さんの薬。


心地よかったコーヒーの苦みが、嫌な予感に変わった。

卯月は真琴とも会う約束をしながら、会う機会を作れないでいた。

真琴ちゃん、危ないことに手を出してないよね。

いやいやと頭を振って、自分の考えを打ち消した。


卯月はしばらく手帳に書き込みをすると、若狭の死を不自然な死と言った秋津都に連絡を取ることにして、手帳を閉じ、コーヒーの残りを飲んだ。


手に持ったままの空のカップをぼんやり見る。

雪が降るのか、冷え込んできた。


冴え冴えとした高千穂の夜、いまでも胸が高鳴る、口に出せない出来事を思い出した。

テラさんはどうなったんだろう。

テラさんは人が変化するって言ってた。私も何か変わったんだろうか?

チキンヒーロー、いや高木仁宜と言った彼は、何の使命があるのだろう。彼の子供がどうのこうのって言っていたが、子供どころか結婚もしていないのに・・・予言ってこと?


それにしても髙木家は不思議な一家だ。テラさんを山で見つけて保護するために、四百年も前から準備をしていたなんて信じられない。

でもテラさんのことはこの目で見たし、複数の人が彼女の体が光るのを見ていた。

私の体も光っていると熊野先輩が言っていた。先輩の体も光っていたのを私も見た。夢ではないのは分かっているけど・・・信じられないことばかりだ。


そういえば熊野先輩は何してんのかな?


迷走し始めた思考にため息をつき、カップを置くと、手紙をそっと封筒にしまった。


もう一度まじまじと封筒の表書きを見る。

優しいけれど、しっかりとした文字に意志の強さが現れていた。

神盛奈穂さんが身を置いていた宗教団体から調べてみよう。


「あのトラ野郎の宗教じゃないよね。まさか・・・憶測はやめよう。危ない、危ない」

卯月はぶつぶつ言いながら、目まぐるしい1日を終えた。




佐多成彦は早春の花の芽吹く花の郷に、秀を見舞っていた。

変わらない部屋で、変わらない秀がいた。


テーブルに大きめの封筒が置かれている。

成彦はパイプ椅子を持ち出して、ベッドの横に座った。

「おう、また描いたのか」

封筒の中の絵を少し出して確認する。

「3枚書いたんだな。・・・秀・・・」

返事がないのはいつものことと思いつつも、今日の成彦は秀を揺さぶり起こしたい衝動に駆られた。


成彦は立ち上がり、中庭を覗くそぶりをして、そんな衝動を抑えた。


「どれどれ、今回は・・・」

ゆっくりと絵を取り出し、封筒を秀のテーブルに置いた。

1枚目を眺める。


晴れ渡る空、穏やかな海、悠々たる山、たおやかに流れる川、実をつける木々に、遊ぶ動物たち。豊かな自然を背景に、絵の中央に輝きを放つ女性が手を広げ、浮かんでいる。その右側には、夜空に月が耀き、穏やかな佇まいの女性が祈りを捧げるように立っている。そして左側には、波打つ岩の上に仁王立ちの男。絵の下の方には多数の人々が横たわり、その周りを拳を握り、今にも襲い掛かろうとしている人々が取り囲んでいる。


「横たわっている人たちは、なぜ黒く塗られているのか?・・・黒い人物・・・」

成彦は目を凝らし、その部分をなぞった。


ため息をつき捲って、2枚目を見る。

「またオロチか・・・」


オロチが四方から襲いかかる様子が描かれている。オロチに囲まれた中には、人々の日常があった。田畑を耕している人、商売をしている人、学校で学ぶ子供たち、食事をしている家族。だが、幸せな人々だけではなく、暴れている若者たち、交通事故で倒れている人、何かの衝撃で倒れた人、手術を受ける人。殴り合う人、ののしり合う人。それはとても細かく、人々のあらゆる営みを描いていた。幸せと不幸せが混沌と描かれている。それをすべて飲み込もうとしているオロチ。


1枚目に戻ってみた。

「繋がりがあるのか?」


3枚目を見る。

引き裂かれた空、海に飲まれる太陽神、月に消える天女、荒れ狂う海神、土に同化する黒く塗られた人々、拳を振り上げたまま火に焼かれる人々。


それは恐ろしい地獄絵図だった。

首を絞められているように、息苦しくなった。


「秀・・・これは何なんだ?何を描いたんだ?何が言いたいんだ?」


成彦の表情は険しくなり、思わず秀を問い詰めていた。


成彦は相変わらずの穏やかな秀の顔に続く言葉を吞み込みこんだ。


こんな残酷な絵を描くはずがないという思いと、手にしているのは明らかに秀が描いたであろう絵の存在が、友としての成彦を混乱させていた。

成彦はふぅと息を吐き、静かに3枚の絵を封筒に戻すと、少し秀の方に向き直った。


「秀、今日は俺の話を聞いてくれ。俺な、奇跡・・だろうな・・奇跡の瞬間を見たよ。信じがたいことが目の前で起こった。もしかすると、想像できないことが俺たちの身に起きているのかもしれない。俺が今まで現実として見てきたものや、信じてきたものが、根本から違ったものになってしまうような、計り知れない可能性や恐怖を感じるんだ」


話し始めると、動かない秀の何かが変わった。

目に見える変化ではないが、秀が聞いてくれていると成彦は確信した。


「秀・・・今なら俺は、この絵を秀が描いたと心から信じられる。ちょっと前に神楽を見に行って、そこで、人に予言を告げるために今までの生き方を捨てて、壮絶な生き方を受け入れなければならなかった女性と会った。そこには、その人を見つけ出し、守るために、何百年も前からその時に備えていた家族がいた。そして、その時を共有するために、導かれ集められた人がいた。今思うと、俺もその1人だよ。宿命なのか、使命なのか分からんが、お前も何かを伝えるために、こんな苦しい人生を選ばされて生きているのかもしれない・・・秀・・・それなら、その女性は回復して生きている。だから・・・もしかしたらお前も・・・」


成彦は希望があるという言葉を口にできなかった。


「秀・・・俺は、お前が描いた絵はお前の命そのものだと思っている。お前が命を懸けて仕上げているって・・・思わずにはいられないんだ。秀・・・書きかけの絵、覚えているだろう?海の絵だよ。いつかあの絵も描き上げてくれよな・・・」


「もう一度あの頃に戻りたいな」


成彦は何か感じてくれと願いながら話しかけ、秀の反応を見ていた。

しかしどれだけ感覚を研ぎ澄ませても、秀は遠くを見つめたままで変化を感じることはできなかった。話始めに変化と感じたのは勘違いだったのかと、少し肩を落とした成彦だったが、虚しさは感じなかった。


成彦は、絵を描く秀の姿を目撃しても現実味はなく、いつも思い出の中に生きている秀に向かい話していた。

だがテラの奇跡としか言いようのない復活の様子を見たことで、秀の回復を期待するようになった成彦は、今ここに存在する秀に語りかけていた。


「なあ、秀・・・この絵は何を意味しているんだ?俺に何をしろというんだ?・・・元気になって、教えてくれよ。そうだな・・まあ、急がなくていいさ。この絵の謎を解いてやる。俺に任せろ」


成彦は時計を見た。

いつもより長く面会していた。

「すまん、長居したな。疲れただろう。今日はありがとな、秀、また来るから。次には海の絵を持ってくるから完成させてくれ、またな」

成彦は去り難い思いを胸にしまい、腰を上げた。


中庭に沿った帰り道を歩く成彦の耳に、柔らかくほほを撫でる風のような瑠瑚の歌声が聞こえてきた。その歌声は、成彦が無理にしまい込んだ去り難さを優しく包み込んだ。


駐車場近くに来たとき、その優しさに包まれたものが成彦を立ち止まらせた。

優しい歌に、海風が触れる。

成彦はその中に、忘れることのない声が紛れているのに気づき、耳を澄ました。


「成・・任せた、頼んだよ」


秀の声だった。秀が呼んでる。今戻れば秀と話ができるかもしれない。

身震いがした。

すぐさま秀のもとへ引き返そうとした成彦を、電話のコール音が止めた。


重兼からだった。

胸をかきむるような葛藤が成彦を襲い、躊躇いが広がる。


「了解、すぐに向かう」


そこには理性を取り戻し、冷静な判断を下した成彦がいた。

成彦はスマホを内ポケットにしまい、駐車場へ向かった。

いつの間にか歌は消えていて、海風は行くなとばかりに、向かい風になっていた。


「秀、すまん。次に会うときに話そう。またな・・・」


成彦は風に乗って秀に届いてくれ、と願いつぶやいた。


立の章~運命~開が終わりました。

~使命~遂のスタートです。

いにしえの時、父はアマテラスに日中をツクヨミに夜をスサノオに海を治めるように告げました。

~使命~遂では物語の登場人物もそれぞれの心に思うもののために闘います。

これからもよろしくお願いします。


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