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立の章 開 ~運命~



神楽宿に戻ると、改めて神様のために用意された空間を見た。

屋根には弓矢と山冠・立冠・横冠の3本の御幣が棟飾りとして飾られ、庭には「山」と呼ばれる一間四方の外注連が設けられていた。そして神楽が舞われる中央の部屋「おもて」と、二間四方の内注連でつくられた「神庭」、その侵してはならない神々の領域で、粛々と神楽が舞われていた。


しばらくして岩戸五番と呼ばれる神楽が始まったころ、仁宜から卯月に、テラが目覚めたとメールが届いた。卯月は熊野、成彦、重兼とともに、再び髙木家へ向かった。


奥の間で静に支えられて、テラは体を起こしていた。


テラを囲むようにそれぞれが座った。

卯月は静電気のようなピリピリとした空気を感じた。


テラが突然話し始めた。

「わが身は霧島の地に着床し、胎児として地球の懐に抱かれ、この地で生まれ変わる。この世界に一定の条件が加わったとき、始動するように仕組まれていた。それは、いにしえより強く刻まれた決まりごと」

淡々と話すテラの口調に成彦は、秀が絵を描いたときと同じものを感じた。

抑揚のない機械的な口調。

それは本人の意志や感情が届かないところで進められているように思えた。

テラの話は続いた。近年の宇宙と地球の変化を話しているようだ。

一同は固唾を呑んで聞き入った。



「人間に対し、環境がより苛酷な状況になったとき、人は環境に適応するように変化する」

テラは手元から目を離さず、情報を読み上げるように話し続けた。

「レトロウイルスにより体が発光する。もしくは血管腫を発症する」

卯月と熊野はお互い見合わせた。

成彦はその言葉に、秀の絵の示すものがそこにあると確信した。


「ただ受け入れ、何も触れず、何も行わず、何も求めず、静観し、その時を待つ」


そう言い終えると、テラはゆっくりと顔を上げ、さまよった視線は仁宜でピタリと止まった。


テラの瞳孔が一瞬金色に光ったかに見えた。

仁宜はその視線に射貫かれたように身を固くした。


「刻まれしものを受け継ぐ者。その子供たちが未来の支えとなる。守るべき未来がある」


静まり返った一同の視線が、一斉に仁宜に集まった。

魂を抜かれたように、仁宜はテラから目を離すことができなかった。

信じがたい状況に、言葉を発する者はいなかったが、人々は次第に目の前で起こった非現実的な事実を受け入れ、不思議な高揚感を覚え始めていた。


そんな中、耀はテラの後ろに座っていた母が、気付かれないように席を立ったのに気づいた。


母は台所にいた。


目を閉じ、椅子に座っている母の手は震えていた。

そしてその手には、開封していない1通の手紙が握られていた。

耀は母から手紙を受け取ると、中身を確認した。

「母さん、僕が行くよ。ここにいるんだね」

耀は、微かにうなずいた母の肩に手をおいて言った。

「お願いね。仁宜に話さなければ・・・」

母はうつむいたまま呟いた。


授かった命は、果たすべき使命を持って生まれる。


その言葉に、静は恐ろしい過ちを犯していたのだと思い知らされた。

それは2年前のことだった。


「17歳で妊娠ですって、どのような躾をなさっていたのですか。誰の子なんだか分かりゃしないでしょう」

静は用意した中絶費用を、仁宜の子供を妊娠したという娘の母親に差し出した。

「もう5ヶ月です。中絶が女性の身体にどれほどダメージを与えるか、お医者様の貴女ならお分かりでしょう」

「今の医学なら心配無用です」

「私は娘に、どのような小さな命でも奪ってはいけないと教えてまいりました。今、姿形は見えませんが、お腹に宿った命は娘の身体の一部です。理由もなく傷つけることは、心に深い傷を負います。まだ幼い子供です。痛みは忘れるでしょう。でも償うことのできない罪を背負って生きるには、人生長すぎると思いませんか?」

静は黙っていた。

「貴女が出産に反対されたことは、授かった命には伝えないことにします」

そう言うと、娘の母親は目の前の封筒を丁寧に差し戻し、去っていった。


あのとき私は何を守ろうとしていたのだろう。

仁宜の子供を守り、何事もなく繋いでいくことは、私が果たさなければならないことだったのに。


耀に促され静が奥の間に戻ると、話し終えたテラは再び眠りについていた。

ざわつく中で、テラの枕元に仁宜が身じろぎもせず座っていた。


耀は、仁宜に話しかけようとする母静を止めた。


「母さん、診察をお願いします。話は後で・・・そして、皆さんにはひとまず居間の方へ移っていただきましょう」


耀は興奮冷めやらぬ彼らを促し、居間へ案内した。

皆が居間に集まると、テラを守り続けた高木翁に経緯と状況の説明を求めた。


「今あることはすべて決められたこと。髙木家がいにしえの時より成さねばならぬ、と伝えられていたことですわ。私どもに与えられた責務です。すべてが大いなるものの成せることで、ただ言えることは、私たちの手の出せる領域ではないということです。ですからことが落ち着くまで、皆さんが目撃したことは他言無用にてお願いしたい」

高木翁は多くを語らなかったが、呼び寄せられるように集まった彼らは納得していた。


日も高くなり、それぞれが思いを胸にし、彼らは髙木家を後にした。

仕事があると言う重兼と別れた成彦は、神楽宿に立ち寄ってみた。

片付けをする人々の中に、無意識に天野卯月の姿を探していることに気づいたが、軽く咳払いをして、さりげなく周りを見渡した。

成彦はぶらぶらと歩き、ホテルへ向かう道すがら一連の流れを振り返って、あらゆる可能性を探っていた。


しばらくして、成彦は道路に面した大きな鳥居の前で止まった。

神様に興味のない成彦だったが、その神社には強く引かれた。

鳥居をくぐり、なだらかな坂を登ると、何段かの低い石段の奥に社があった。


成彦が石段に足をかけたとき、目の前の社の引き戸が開き卯月が出てきた。

卯月は、昨夜の醜態は記憶にないのか、悪びれた様子もなく、社の前に立った成彦を無視して脇を通り、七福徳寿板木しちふくとくじゅばんぎの前に立ち、下げてある木槌を持つと7回叩き、手を合わせた。

祈り終えると、打てとばかりに小槌を成彦に差し出した。

「柄じゃない」

成彦は素っ気なく断った。分かってるわと、卯月はツンとして、小槌を元に戻した。


「少し歩きませんか?散歩コースがあるようです」

突然の意外な誘いに、成彦は帰りかけた足を止めた。

卯月は成彦の返事を待たずに歩き始め、参道を少し下ったところで左に曲がった。


2月の初旬、山の小道はほころび始めた梅の香りが漂っていた。

その香りに誘われるように、細い道を先に歩く卯月に、成彦は付いて行った。

誰かの後に付いて歩くことのない成彦だったが、楽しんでいる自分が意外だった。


宗像三神を祀ってある小さな祠の前で卯月は、立ち止まり手を合わせたあと、振り返って成彦を見上げた。

「あんた、何者?」

成彦はあからさまにいかぶる卯月を、面白そうに見下ろしていた。

「役人でしょ」

「そう見えるか?」

相手の心をつかむのに多くの言葉は必要ない。相手に対しまっすぐに、真剣に、そして素直に飛び込む。それをこの女は自然体でやってのける。それが成彦の卯月に対する印象だった。


卯月は祠に一礼し、成彦を誘ったことなど忘れたように、肩を後ろに引き気味にして、元来た道をすたすたと引き返し始めた。

成彦は、強気な態度に昨夜のことが浮かんだ。だが、腕の中で無邪気に眠る姿が、荒れ狂う鬼神に変わると想像して、すぐさま思い直した。

「昨夜のことは記憶から消した方が良さそうだ」

無精ひげに手をあて、小声で言ってみた。

怪訝な顔で卯月が振り返った。

とっさに卯月の視線を避け、遠くの山並みを見た。

「さっきは、板叩いて何を祈ったんだ?」

「あんたには関係ないでしょ」

ストレートな拒否に苦笑いをした成彦に気づき、卯月は返事をし直した。


「使命が果たせますようにって」

「使命?」

「・・・」

今度は無言の回答だった。

2人はそのまま参道を下り、広い道路に出た。

「東京に帰るのか?」

関係ないでしょ、と睨つけた卯月の顔が答えていた。

「昨日のことは記事にするなよ」

「当たり前でしょ。面白がって書くことじゃないわ」

卯月はむっとした表情で答えた。

「分かってりゃいい」

「あんたね、何様のつもり。あんたにいろいろ言われる筋合いはないから」

そう言うと、卯月は成彦に背を向けて歩いていった。

卯月の後ろ姿を面白そうに見送り、重兼と落ち合うためホテルへ向かった。


そのころ高木家では、髙木翁と両親を前に、常伊達代議士の下で自分の道を探す決意を固めた仁宜が、身を固くしていた。

高木翁が仁宜の前に1通の手紙を出した。

「常伊達代議士から手紙を頂いた。仁宜を預かり、育てたいとの申し出じゃ。仁宜に未来を託したいとおしゃっておる。昨日まではそのように大それた話は、お断りするつもりだったが、テラさんというのかな?あの人も仁宜は未来を背負う運命じゃと言われた。仁宜は大きな流れを前にして、決断しなければならんな。決めておるんじゃな?」

「じいちゃん、本当は不安で怖くて震えが止まらない。家の教えにも背くし、俺だけ勝手するなんて兄貴に悪いし・・・、何をするかも決めていないし、分からないけど、俺の道を探したい。俺の進む道・・・道を・・・」

仁宜は言葉に詰まった。

説得できないと思った。

思い直し、視線を上げた先に耀の顔があった。


兄貴の言葉「それがお前の道と思うなら迷うことはない」仁宜は肩の力を抜いた。


「じいちゃん、父ちゃん、母ちゃん、兄貴、俺は何もかもが中途半端なのは分かってる。だけど今、目の前にあることが俺の道に繋がることだと思う。だから、俺は迷っていない。常伊達代議士の下で、勉強させてください」

高木翁がうんうんと頷いた。

「誰にも先は分からんもんだ。人生に不安や迷いは付き物じゃ。だが今日の決意が明日を作るもんだ。仁宜の覚悟は確かだとわしは思うが、どうかな?」

尋ねられた父の忍も同意して頷いた。

「テラさんのことも、仁宜に示された道でしょう。今まで迷いに迷い、たどり着き、決断したことなら思う存分やればいい」

父も賛成してくれた。母はなぜか泣きながら頷いていた。

「家のことは心配しなくていい。余計なことは考えるな、頑張れよ」

言葉少ない兄が励ましてくれた。




仁宜は体中の血管が膨張し、すべての細胞に意志があるように体が脈打つように感じた。


迷うことも道のひとつ。

仁宜は真剣に迷っていたからこそ決められず、迷っていたからこそ流されず、あるべきところにたどり着いた。


翌早朝、国見ケ丘に立つ仁宜の姿があった。仁宜は、東の空に神々しい光を放ちながら昇る朝日を全身で受けていた。

父とよく訪れた、国見ケ丘から見る高千穂の山々や町並み棚田の風景は以前と変わらず、西には悠々たる阿蘇外輪山が見渡せた。

仁宜は大きく伸びをして、故郷の山々のエネルギーを取り込み、全貌を現した太陽に向かい、一礼すると丘を後にした。


「ただ受け入れ、何も触れず、何も行わず、何も求めず、静観しその時を待つ」


神の領域と思われるところで体験したことと、この言葉を胸に秘めて、彼らはそれぞれの日常へと帰っていった。


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