明の章 永遠の不文律~宿命~
初秋の花の郷で、佐多成彦が歌う女性、瑠瑚の父親の稲木を見かけて、1か月が経っていた。
成彦が稲木に連絡をすると、瑠瑚の主治医、秋津の同席を条件に、時間を作るとのことだった。
晩秋の夕暮れ、成彦は花の郷の応接室にいた。
成彦がテーブルに並べた9枚の絵を前にして、2人の男の反応はそれぞれだった。
稲木賢一はひと通り見たあと、最初の絵に戻るとテーブルに手をつき、食い入るように見ていた。
一方、稲木の友人秋津は、腕を組み、置かれた絵を順に追って行き、まるでレントゲン写真から病巣を探すように、1枚1枚を透かしながら何度も見直した。
2人の医師が絵を十分に観察したと判断した成彦は、秀が描いた一番新しい絵をテーブルに置いた。
「そしてこれが10月に描かれた絵です」
3人の視線がその絵に集まった。
秋津が鋭く言った。
「ライフシェアタウン」
「秋津さん、そう思われますか?」
「この得体のしれないものは分かりませんが、風景から判断すると、今病院を建設していて、この団地のような建物がある場所はライフシェアタウンでしょう」
「私もそう思います」
成彦は同調し、秋津から稲木に視線を移し、絵の中から同じような風景の絵を選び横に並べた。
「この絵もライフシェアタウンだと思われます。8ヶ月ほど前の絵ですが、ここに描かれていた男性の姿はなく、今回代わりにヤマタノオロチのようなものが描かれています。しかし、なぜかひとつのオロチの首が切られています」
「ヤマタノオロチ・・ですか・・」
秋津がそれは疑問だというように首を傾げた。
3人の男は2枚の絵を前に、絵の意味するものを探っていたが、次第に絵の持つ息苦しさが部屋の空気を支配し始めた。
そんな呪縛にも似た沈黙を切り捨てるように、秋津が疑い口調で成彦に尋ねた。
「ところで佐多さん、あなたは淡島秀さんがこの絵を描かれるのを本当に目撃されたのですか?」
「はい、それは確かです。目撃したのは1枚だけですが、状況からして、ほかの絵も秀が描いたというのは間違いないと思います」
「・・・・」
はっきりとした返答に、秋津は意見を求めるように稲木を見た。
しかし最初の絵の前に戻った稲木には、2人のやり取りは届いておらず、戸惑いと確信が交差する表情をしていた。
「稲木、どうした?」
「・・・この絵は那美さんだ」
秋津は最初の絵の方に移動し稲木の横に立った。
「確かにそう言われればそうだ。ということは、この2枚目の男は稲木で、3枚目の乳児はお前の子供ということか?」
秋津の言葉に成彦は驚いて尋ねた。
「どういうことですか?」
稲木は20年前の出来事と今に至るまでの経緯を、成彦に説明した。
妊娠とともに血腫ができ、生まれた子供は血腫で包まれていたこと。
そして震災で、2人とも行方が分からなくなってしまったこと。
「稲木さん、失礼ですが奥さんとお子さん、今は?・・・」
「それは・・・」
応えかねている稲木に成彦は質問を変えた。
「亡くなったということははっきりしていないのですね?」
「・・・」
稲木の心の内を察した成彦は次の絵を指さし、話を秋津の質問に戻した。
「この絵が、秀が描いているところを目撃した絵です。それはまるで機械で描かれたように、一定方向に埋められていきました。そして、稲木さんの娘さんの歌が終わると、その腕は動きを止め、動かなくなりました」
稲木と秋津はその絵を凝視した。
「お気づきかとは思いますが、この絵の人物だけ黒く塗られた部分がありません」
成彦は一呼吸置いて続けた。
「私はこの女性、このやけどのような状態の女性は、あの摩帆留さんではないかと思います」
秋津は摩帆留という名前に、稲木との会話を思い出した。
稲木も同じだったと見え、目が合った。
「モデルのテラ・・・」稲木の目がそう言っていたが、秋津はその名前を口にしなかった。
秋津は成彦の素性を疑っていた。
確かに理解しがたい事実を目の当たりにすれば興味も湧くし、ましてやそれに親友の絵が絡めば深く追求したくなるのも無理ないことだ。が、この男はそれだけではない何かがある。秋津の性分がそう判断していた。そこがはっきりしない限り、個人の情報は話すべきではないと用心したのだ。
しかしそんな秋津を見透かしたように、成彦が聞いてきた。
「秋津さん、この絵ですが、何か心当たりはありませんか?」
成彦が指をさしたのは4枚目の絵だった。
「血管腫が原因で、姿を消したと言われているモデルのテラ。私にはこの絵が彼女に思えてならないのです」
「血管腫の観点で見れば可能性がありますが、この絵が何を意味しているのかはっきりしない時点で、結論付けは厳しいですね。もしこの絵が血管腫を発症した人々を表しているのなら、繋がりとして稲木を示しているこの男は血管腫を発症しているはずなのに、実際稲木はその事実がない。ということは、この黒く塗られているものが血管腫だとは決められないでしょう」
秋津から否定も肯定もしない答えが返ってきた。
成彦は、妻かもしれない絵を前に、肩を落とし動かない稲木を見た。
「この2人の医師はかなり深く状況を把握している。この2人の協力が不可欠だ」と成彦は思った。「しかし動揺を隠し、無表情で立っている稲木の心と頭は混乱している。明らかにこの絵に描かれているのは妻と我が子、そう思ったであろう稲木には、様々なことを整理する時間が必要なのだ」現時点では協力を頼める状況ではないと成彦は判断した。
そして成彦にも確認しなければならないことがあった。
「雄介とルナは・・・血腫・・・」
これ以上進めないと判断した成彦は、医師2人と連絡先を交換し、夜も更けた花の郷を後にした。
成彦が去ったあと、2人の医師はそれぞれの立場で成彦の情報を捉えていた。
稲木にとって絵の内容は衝撃だった。
絵に描かれている者が自分なのかもしれない。そうであれば、血管腫発症の原因は自分の中にあるのでは、と稲木は考えざるを得なかった。
出産直後の息子に現れた血管腫は、父親からの遺伝が関係していたというのか?
だが遺伝的なものであれば、妻の那美が血管腫を発症するはずはない。
血管腫自体は伝染するものではないから、そうであれば、那美の体質にも問題があったのか?偶然に同じ体質の2人が出会ったというのか?
娘の瑠瑚の出産は問題なかったのだろうか?
「繋がらない・・・テラ?摩帆留?座禅の男?漂う女?・・・」
ほかの絵に表されている人物との接点に、稲木はまったく心当たりがなかった。答えようのない疑問が、稲木を渦中に引きずり込んでいく。
「あの絵は象徴的なもので、無理な意味づけは不要なのでは?」
そう思いながらも、那美の回復の経緯や、瑠瑚の歌に合わせて描かれる絵など、現実として有り得ない現象を突きつけられた稲木には、自分との関係や影響を完全に否定できなかった。
何から始めればいいのか、何が関係しているのか、何のつながりなのか、思い悩む稲木は、ふと出産を間近に控えた那美の言葉を思い出した。
「普通に産めるかもしれないのに・・・」
那美は最後まで自分の力で産みたいと言っていた。
あのとき、那美と我が子を信じて、普通分娩で出産をしていたら事態は変わっていたのだろうか?那美も我が子も手放さずに済んだのだろうか?
茫然自失の賢一の脳裏に、鮮明に20年前の悪夢が蘇っていた。
家族を襲った悲劇が何を意味しているのか、悲劇は終わっていないのではないか、そう感じる稲木の耳に、微かに瑠瑚の歌声が届いた。
一方、秋津は最後の絵に興味を持った。ライフシェアタウンへの進出にあたり、芳志総合病院と競合している最中に見せられた絵だった。
確かにあれはライフシェアタウンのことに違いない。秋津は確信していた。
だが、なぜ血管腫を描いている絵の中にライフシェアタウンが描かれて、加えてヤマタノオロチまで登場している?
オロチは何を意味している?
ライフシェア構想の利害関係をオロチに置き換えたのか?
人間の体についてのお告げなら、笑って聞けるが・・・、金儲けに神様が口出しするか?
実際に自分の目で見たものでしか判断しない秋津は、全てを絵空事の出来事として否定した。
神様のお告げなのか知らないが、ライフシェアタウンの金に関する悪い噂をあの絵が示しているのなら、計画中の病院進出からは手を引いた方が良いだろう、と考え始めた。
そのことについては、秋津の懸念とあの絵の持つイメージが合致したのだ。
摩帆留という名前を聞いたとき、不自然な自然死と力説していた妻の顔が浮かんだ。
そして妻の言う不自然な自然死は、あと2例あったことを思い出した。見せられた絵の中に、あの2例の死亡に合致するものがあるのだろうか?・・・この話自体が不自然そのものだ。あり得ないことと、あり得ない死。都はどう判断するだろうか?
そう思いつつも秋津は、話せば面倒なことになると都の姿を消すように頭を振った。
成彦は12月のある夜、今は姿を変え不動産業を営んでいる、八神会の新しい事務所を探っていた。
ヤマタノオロチとして、ライフシェアタウンの利害に絡む組織や人物が描かれていると考えたとき、成彦の脳裏に八神会の堂本が浮かんだのだ。
賑やかな人通りから、明かりもまばらな裏通りに入るとその事務所がある。
雪雨の降る中、その事務所の前にひとりの男が姿を現した。
「雄介・・・」
雄介の心の内は察しがついた。
「昇のかたきを討つつもりなんだな。雄介、駄目だ」
煮えたぎるような怒りを発しながら八神会の事務所に立つ雄介を、成彦は引き止めた。
雨が雪に変わった街を歩きながら、雄介は東京に来た理由や、その島根の一件に堂本が絡んでいることを、ぼそりぼそりと話した。
無言になった雄介としばらく歩いていると、
「昇・・・」成彦の中でしまい込んでいた感情が込み上げてきた。
雄介を横目で見ると、一文字に閉じた唇が「触れないでくれ」と言っていた。
さらに無駄と思いつつテラのことを聞いたが、やはり雄介は黙っていた。
自然と2人は昇と歩いた通りへ向かっていた。
成彦は雄介の横に昇を感じていた。
秀の事故以来、感傷的な感情は抑え込んでいたが、今夜は無性に昇の話をしたかった。
成彦は雄介を自宅マンションへ誘ったが、雄介は首を横に振った。
「成さん、また明日すっ」どこからか昇の声がした。空耳?
昇・・と言いかけ飲み込んだ成彦は、黙って頭を下げる雄介の後ろに笑った昇を見た。
「今度、ゆっくり付き合えよな」
成彦は返事をしない雄介に、これ以上堂本には近づくなと念を押して別れた。
年が明け、成彦は花の郷に秀を見舞った。新しい絵が置いてあった。
それは今までの絵からは一変していた。光を放ち横臥位で横たわる女性、その周りを囲む人々も光に包まれて、表情は生き生きと輝いている。
中でもひときわ強い光を受けている男。対照的に、人々から離れたところからその光景を傍観する男。
成彦がマンションに帰り、改めてその絵を見ていると、友人の重兼智からメールが届いた。
2月に宮崎の神楽を観に行こうとの誘いだった。
「宮崎か・・・」昇を思った。
「神楽?」秀の絵をもう一度確認すると、たしかにその絵の背景は神楽の舞台に見えた。
「行ってみるか・・・」
重兼智に同行することを伝えた。
宿命は縦軸。運命は横軸。必然を隠し登場する運命は使命に気づく者を宿命の頂へと導く。
明の章 永遠の不文律~宿命~が終わりました。次章 立の章~開~ではいよいよいにしえの時に刻まれたものが現れます。どうぞお楽しみにお待ちください。




