明の章 永遠の不文律~宿命~
半年前、鳴木目真琴の妹華琴は心筋梗塞により死亡した。
前日まで元気にしていた妹は付き合っていた男性と別れた後、帰宅途中に発作を起こし、病院に運ばれたが手遅れだった。
自殺や事故の可能性はなく、病死とされた。
発作を起こす前の状況や、つき合っていた男性については情報がなかった。
唯一スマホにWさんという名前で登録された番号に連絡を入れたが、電源が切れていた。
妹の死から1ヶ月が経った頃、真琴はWという男に華琴のスマホから連絡を入れた。
諦めて切ろうとしたとき、低く丁寧な声が返ってきた。
その男は阿路貴志といい、ライフシェアタウンの住人だった。華琴のことを聞くと、全く知らない、スマホは紛失して、最近見つかったと言っていた。
秋雨前線の影響で風雨が激しくなる中、納得できない真琴は、すぐさまその阿路という男に会いに行った。
阿路貴志は華琴のスマホに残った通話履歴を見せても、知らぬ存ぜぬの一点張りだった。
無言の睨み合いに負けましたとばかりにため息をついた阿路貴志は、睨みつける真琴に
「妹さんとのメールのやり取りを転送して欲しい」と言い、転送された華琴とのやり取りを見ると、しばらく時間をくれと言って帰っていった。
阿路は噓をついていないと真琴は思った。
その目は真っ直ぐで探りを入れる隙がなく、言葉そのものを映していた。
Wとは誰?妹は病死ではなく、何かに事件に巻き込まれた結果なのではないか?
漠然と芽生えた疑問が、真実を追うことを使命とする真琴の記者魂に火をつけた。
真琴は妹のスマホを徹底して調べた。華琴はWと7月に出会い、6回会っていた。
そして6回目が妹の人生最後の日になってしまった。
会う時間や場所はWが決めて、電話で連絡していたようだ。
妹の交友関係も調べた。Wに当てはまるような人物はいなかったが、妹は人当たりがよく、楽しい学生生活を送っていて、その中で特別仲が良かった友人に会って話を聞くことができた。
友人の話によると、いつからかは分からないが、華琴は健康食品のモニターのアルバイト先で知り合った人と付き合い始めたと、嬉しそうに話していたそうだ。
健康食品?それを勧めた男が阿路貴志?真琴は首を傾げた。
エンジニアだと言っていたあのスマホの男は、健康食品のネットビジネスはしないだろう。
「でも人間は見た目じゃわからないから」
真琴は首を振り、声を出して第一印象を否定し、考え込んだ。
華琴はなにか薬を飲んでいた?
真琴は華琴が小さなピルケースを持っていたのを思い出した。華琴の荷物をまとめて入れていた段ボールの中を探した。
「赤い小さなピルケースだった」
全部ひっくり返して探したが見つからない。最後の日に華琴が使っていたリュックの中にもピルケースはなかった。
「見間違いかな?・・・」
その日、真琴は引っ張り出した華琴との思い出の中で過ごした。
しばらくして阿路貴志からライフシェアタウンのほうへ来てほしいと華琴のスマホに連絡があった。
ライフシェアタウンに興味を持った真琴は、次の休みに指定された場所に出向くことを承諾した。
そして当日、阿路貴志は小雨の中、ライフシェアタウン正門まで出迎えてくれた。
簡単に挨拶を済ませると、並んで管理棟まで歩いていった。
「家族棟に住んでいますが、狭いのでお客さんの時は管理棟にある応接室を使わせてもらいます」
歩きながら説明をする阿路に、真琴は誠実な印象を受けた。
2、3分歩くと管理棟に着いた。
使用許可の手続きをしている阿路に、事務室の中から冷やかすように声が掛かった。
「お客さん?あれ?女性・・・おやぁ隅に置けないな。阿路さん」
「鴫山さん、冷やかしなしです」
「まったく、阿路さんは真面目だからなぁ、どうぞ第3応接室の使用を許可します」
「ありがとうございます。あとで妹が来ますのよろしくお願いします」
すりガラスで顔がはっきり見えない鴫山という男は「了解」と頷き、鍵を阿路に手渡した。
第3応接室で阿路の妹の到着を待った。
「妹さんはおいくつですか?」
「今高3です。」
「どうして妹さんを呼んだのですか?」
「実は、あれから僕のスマホから妹さんに連絡した日について調べました。すべて僕の休みの日なのには驚きました。あなたの妹さんと会っていないと証明ができない日ばかりなのです」
ノックの音で阿路は話を止めて、ドアを開けて妹に入るように促し、2人で並んで椅子に座った。
「妹の貴子です」
紹介されて、青ざめた顔色の貴子は真琴に向かい少し頭を下げた。
「実は、先ほどお話ししたとおり私はあなたの妹さんと会ったことはないと証明できないのですが、妹さんがお亡くなりになった日だけは証明できるのです。その日は妹の進路の相談で、昼過ぎから学校に行っていました。面談が終わると2人で食事をして進路のことを話して帰宅しました。それからは一歩も外に出ていません」
「・・・」
「妹が証人です。もちろん身内の証言ですので信じてもらえないかもしれませんが」
「お兄ちゃんはずっと一緒でした。お兄ちゃんは人を傷つけたりしません」
小声ながらはっきりと言った。
「貴子・・・」
兄と妹は頷きあった。華琴を思い出した。
しばらく阿路の生い立ちを聞いた後、真琴が兄から目を離さない貴子に尋ねた。
「仲良しですね・・・貴子ちゃんもう少しお兄さんとお話してもいいかな」
貴子の代わりに阿路が頷き、帰るように言った。
「貴子、先に帰って部屋で待って。心配しないで、この人は分かってくれるよ」
貴子が帰ると2人はしばらく無言だった。
「・・・きっとあなたは噓をついていないと思う」
安堵の表情が阿路の気持ちを表していた。
「でも、スマホのことが説明できません。もしWという人物が関係しているのなら、どういう経路であなたのスマホを手に入れたんでしょう。そしてなぜ、華琴の死後にスマホを返してきたのでしょうか」
「僕がスマホがないのに気づいたのは仕事終わりでした。その日は外出もしてませんし、職場で落としたと思って、紛失届を出しました」
「警察にですか?」
「いえ、紛失物は管理事務所で一切の手続きをすることになっています」
「一切ということはスマホの機能停止手続きも含むのですか?」
「もちろんです」
疑問を感じた真琴がそれを口にする前に、阿路が応えた。
「笑えないことですが、今回は若い事務員が手続きを忘れていたそうです。だからこのスマホはずっと使用可能でした」
「あり得ません。そんなこと・・・信じられない」
「でも、ライフシェアタウンの何千人もの住人の管理をしているのですから・・そんなこともあるでしょう」
「・・・」
機能が停止されていれば悪用されずに済んだのに。管理事務所の責任を問うこともしない阿路の言葉にも呆れて言葉が出ない真琴に、スマホをまじまじと見ながら阿路が呟いた。
「普通、2か月も経てば返ってきませんよね、でもスマホは拾得物で事務所に届いていました。今さら返す必要もないでしょうに」
「・・・そうですね」
真琴の脳裏には管理棟関係者の関与とピンナップされた。
管理棟の事務室は、窓口以外まったく中の様子が見えない造りになっていた。
真琴は物音ひとつしない事務室の横を通り過ぎて、阿路と一緒に管理棟を出た。
外に出ると止んでいた雨がまた降り出しそうな雲行きになっていた。
正門で阿路と別れた真琴は振り返り、低く垂れた雨雲に覆われた始めた巨大な団地を見た。そして飲み込まれるように小さくなる阿路の姿を見送った。
風が強く吹いてきた。遠くに光る雷鳴が、真琴に嵐を告げていた。
ライフシェアタウンに住む真面目な印象の阿路と、その兄を信じ切っている妹のことを思いながら歩き始めた。
華琴もあんな目で私を見ていたのかな?「大好き」って言ってくれていた妹。
まだ21歳だった。大人になってお互いが理解できるようになった矢先に逝ってしまった。寂しさが込み上げてきた。
たとえ病死であったとしても、Wを必ず突き止めて華琴の死の原因をはっきりさせる。
真琴は大きく息を吸い短く強く吐くと、追ってくる雨雲振り切るように歩きを速めた。
Wはライフシェアタウンの住人で、阿路さんを知っている人物なのか?
スマホの持ち主が阿路さんである必要があったのではないか?
ライフシェアタウンの住人は、華琴にアルバイトを紹介することができるのか?
健康食品として飲んでいたものが、華琴の死に関係しているのではないか?
Wは華琴の死を知ったからスマホを返したのか?
真琴は必死で調べたが、Wのこともアルバイトのことも何一つ解明できず、小さな手がかりさえなかった。
1度上司に相談をしたが、病死ならどうしようもないと一笑された。
必ず何かあるはずなのに・・・悔しくて何度も唇をかんだ。
簡単じゃないのは分かっている。真琴は限界を感じる度に華琴の倒れた場所に行き、諦めそうになる気持ちを奮い立たせた。
ある日、取材帰りの真琴は突然降り出した雨を避け、デパートの入口近くで雨宿りをしていた。
「もう・・・雨女だよね、私。傘買ったほうがいいかもね」
恨めしそうに見上げた空から視線をデパートの入口に移したとき、1人の男を見て思わず名前を呼んだ。
「阿路さん?・・・」
阿路は急いでるようで真琴に気づかず、人ごみに消えた。
阿路さん?あれは阿路さん・・・
真琴は何度も繰り返していた。
その男は高級なスーツを着こなしていた。その姿は真琴の知る阿路とはかけ離れていたが、別人とは思えないほど似ていた。
はぁと肩の力を抜いた。真琴は男を追うことを諦め、雨の中を会社へ向かった。
何の変化もなく時は過ぎた。
真琴は調べつくした感に身動きできずにいた。
そんな時、真琴は大黒大臣の娘の結婚報告を兼ねた記者会見に同行取材することになった。ライフシェアタウン推進派の大黒大臣の娘光りと、ライフシェアタウン構想に断固反対をしていた常伊達代議士の秘書国玉若彦との結婚はライフシェアタウン構想の行方に影響があるのではと騒がれていた。
アシスタントで同行した真琴は、壇上に上がり娘婿と紹介された国玉若彦を見て、手の震えを止めることができなかった。手に持った書類のカサカサという音に、隣にいたカメラマンが険しい顔で真琴を睨みつけた。
上司に許可をもらい、会見場の外に出た。
体の震えはまだ止まらない。
阿路さん・・・瓜二つの男がいた。デパートの入口で見た男。真琴にとって国玉若彦という男の登場は衝撃だったが、見過ごせないと直感していた。
「阿路さんと国玉若彦、繋がりはない・・・いやこんな偶然はない。あの男がWかもしれない。W・・・若彦・・・妹の付き合っていた相手のWだ」
国玉若彦を調べれば、華琴の飲んでいた薬について分かるかもしれない。
真琴ははやる気持ちを落ち着かせると会場に戻り、素知らぬ顔で若彦の写真を撮った。
その後、真琴はできる限り時間を作ると若彦を見張り、調べた。
だが様々な方向から調べても、結局2人を結ぶものは見つからなかった。
そしてあの夜、大黒の私邸に若彦が現れ、同じ時間にライフシェアタウンに絡む面々らしき者が顔を揃えた。
何者かを知りたくて、出てきた2人の男をつけ、1人の男が芳志総合病院の事務長だと突き止めると、その病院といくつもの顔を持つ宗教団体との関係の手がかりをつかもうと、教団と接触し、教祖に面会をした。
そして呪縛をかけられたように動けなくなった。
気落ちしたまま2月になった。
いくら調べてもたどり着けない真実は、時とともに薄くなり、やがて別の真実に生れかわってしまうのかもしれない。
夢で繰り返される真琴の思う真実と、その現実から逃げ出そうとする心のせめぎ合いは、少しづつ真琴の精神を蝕んでいった。
相談する相手もなく自分を追い詰めていった真琴は、真実の暴露は鳴く雉の叫びと思い始めていた。そして告げられた現世の末路を思うと眠れなくなっていた。
仕事でも無気力な態度が目立つようになり、上司から休暇を取るように言われたのだが、そのことさえ現実味がなく、行動に移せずにぐずぐずと3日経った。
その日は帰宅途中の真琴を待ち構えたように、冬の凍える雨粒が落ちてきた。
真琴は立ち止まってビル陰に身を寄せ、落ちてくる雨の一粒一粒を目で追っていた。
真琴を呼ぶ声を遠くに聞いた。
肩を揺さぶられて気づいた。
「真琴ちゃん大丈夫?気分悪いの?」
「ああ・・・天野ちゃん」
真琴が新聞社に勤める前に一緒にアルバイトをしていた天野卯月が心配そうに真琴の顔を覗き込んでいた。
「なんか悩んでるの?・・・」
真琴はうつろな目を卯月に向けた。
「どうしたの?ねぇ・・・真琴ちゃん・・・しっかりして」
卯月はもう一度肩を揺すった。
「・・・・・・」
言葉なく、うつろな目にうっすらと涙が滲んだ。
「ここ寒いからどこかでお茶しようか・・・」
卯月は時計をちらっと見た。
「大変だったね、妹さんのこと聞いたよ。まだ辛いよね・・・」
「妹のこと今調べている・・・」
「調べる?・・・病気だったって聞いたよ」
「分からなくなちゃった」
「分からないって?なにが?」
真琴はうつろな目をしたまま短く答えた。
「待って、妹さん、病気が原因じゃなかったの?」
卯月は答えない真琴の手を引きながら、近くの店に入った。
「真琴ちゃん、今日はゆっくり茶を飲もう。スイーツも食べようか?」
卯月はクレープを注文したようで店員が運んできた。
「さぁ食べよう、チョコといちご、どっちにする?」
卯月に促されて真琴はチョコクレープを手に持ったが、口に運ばずクレープのクリームは溶けはじめ、真琴の涙と一緒にポトリと落ちた。
一方卯月は、そんな真琴を気にせずにクレープを口に運んだ。
「私・・・雉なんだって」
「・・・はぁ?」
声を立てて笑いそうになった卯月だったが、真琴の雰囲気に卯月の顔は真顔に戻った。
「雉?鳥?何のこと?」
うつむいたまま、真琴は消え入りそうな声で続けた。
「前世占いって知らないよね?」
「ああ、トラの皮ね」
真琴は驚いたように顔を上げた。
「天野ちゃん、知っているの」
「教祖には会ったことないけど、犬って言われた人を知ってるよ」
「私はうるさい雉なんだって」
「へぇ、今度は雉か、犬の人は保健所で殺された犬って言われたらしいよ。笑ってたけど・・・本当は気にしてたかもね」
「・・・・」
「真琴ちゃんは雉って鳥じゃないし、その教祖だってトラじゃない。気にしてる真琴ちゃん前に簡単に片付けて悪いけど、真琴ちゃんの前世なんて私はどうでもいい。勝手にほざけだよ」
「・・・・」
真琴は顔を上げ卯月を見ていた。
「無責任な言葉だね。実体のない言葉は消しようがないから、わざと人を傷つける言葉を使って信者にしようとしてるだよ、ムカつく」
卯月は自分のことのように腹を立てていた。卯月の様子に、真琴の泣き顔は泣き笑いの顔になっていた。
「前世がなんだっていいじゃない。今は今だからね。過去には戻れないし、未来は分からないし今を生きるしかない」
真琴は心に張り付いていた教祖の言葉が、はらりと落ちたのを実感した。
「天野ちゃん、ありがと。もうだいじょうぶ」
「ひやぁ熱弁したなぁ」
ふふふと笑った真琴を見て、卯月はほっとした表情になった。
途端、バッグをつかみ立ち上がった。
「時間ないからごめん、来週宮崎なんだ、帰ったら連絡するね、ほんとごめん、行くね」
スマホを耳に当てながら慌ただしく出ていった卯月の姿に、熱いものが込み上げてきた。
「ありがとう。時間を作ってくれたんだね。忙しいのに。・・・誰かが言ってたなぁ。時間は命と同じって。私のために命を分けてくれたんだね」
気を取り直した真琴は、スマホに残った華琴に関することをもう一度見直し始めた。
大黒大臣の娘婿の国玉若彦と芳志総合病院の事務長。
芳志総合病院と製薬会社。
芳志総合病院と教団。
ライフシェアタウンと紅雲都議会議員。
紅雲都議会議員と芳志総合病院。
それぞれの関係はあっても華琴との繋がりは全くない。
「赤いピルケース・・・」
この繋がりに薬の存在を加えると・・・・
真琴の脳裏に剝がれ落ちた言葉が浮かんだ。「雉も鳴かずば撃たれまい」
うん?あの言葉は警告?
なんで気付かなかったんだろう。華琴のことを調べるなってことなのだ。
「前世からの宿命は変えられませんが、教祖様のお言葉を信じて精進されれば、現世は幸せに過ごせますよ」
そして緊張のためそのまま受け入れてしまっていたもう1つの言葉は、裏を返せば脅迫ともとれる。
「云う通りにしなけれ、現世は不幸になる」
私は、表に出たらまずいことを探っているのかもしれない。
薬が関係しているのなら、華琴は病死ではなく・・・事件に巻き込まれた結果の死。
それから真琴は、小雨になった街を華琴が倒れた場所に向かった。
「華琴、どうしてここに来ていたの?・・・華琴のことはっきりさせるね」
「お姉ちゃんの友達が助けてくれると思うから、華琴も天国から応援してね」
真琴はもう一度立ち上がらせてくれた卯月の存在に心を強し、諦めないと雨の上がった空に誓った。




