明の章 永遠の不文律~宿命~
閑静な住宅街にひときわ目立つ大黒の私邸。広さもさることながら、2メートルもあろう塀に囲まれ、隅々まで確認できるように内外に防犯カメラが設置されている様子は、要塞のようにも見える。
夜の帳の降りる頃、そんな大黒の私邸に何人かの来客があった。
広々とした応接室には、島根で結婚式を挙げ、東京での披露宴のために帰ってきた大黒の娘の光りと婿の国玉若彦が大黒の横に、そして都議会議員の紅雲が対面のソファーに座っていた。
その後ろに控えるように芳志総合病院の筒賀事務長が立っている。そして入り口近くに大山製薬開発部の伊江谷が身を固くしていた。
「紅雲君、今日はありがとう。ほら、お前たちもお礼を言いなさい」
大黒は機嫌よく、娘の顔を見た。
「紅雲先生、ありがとうございます。お忙しいのにわざわざお運びいただいて、ねぇ、若彦さん」
若彦は繋いでいた光りの手をそっと離し、膝の上で揃えると頭を下げた。
「紅雲先生には日頃よりお世話になっております上に、過分なお祝いをいただき、恐縮に思います」
顔を上げて紅雲の顔を見たあと、後ろに立つ筒賀に視線を移したが、すぐに光りに戻し笑った。
「若彦さん、これでいよいよあの方に宣戦布告ですね」
紅雲が唐突に切り出した。
「滅相もない、こんな若造が何ができましょうか。これからはお父さんに厳しくご指導をいただいて、精進する所存なのですから」
真面目な顔で答える若彦を、気に入ったように大黒は大笑いをした。
「あの方が引退なされれば、あとは若彦さんが継がれるのでしょう。長男さんは取るに足りないお相手ですから、はっきりおっしゃればよろしいのに」
紅雲はにやりと含みのある表情を大黒に向けた。
「お前さんも名乗りを上げようって考えかな?」
大黒が突き刺すような目で紅雲を見据えた。
「とんでもありません。大黒先生、私はそんな野心は持っておりませんのに・・・」
慌てた様子を装う紅雲を相手にせず、大黒は光りに席を立つように合図をした。
光りが席を立つと、大黒は視線を筒賀に向けた。
「座りなさい」
「ありがとうございます。先生、その前に紹介させていただきたい者がおります。よろしいでしょうか?」
大黒がうなずくのを見て筒賀が呼ぶと、伊江谷は音を立てず小走りで近寄った。
「今回の薬の開発を手がけております大山製薬の伊江谷でございます」
筒賀の紹介に伊江谷は深々と頭を下げた。
「君が、夢のような薬の開発者か?進み具合はどうかな?」
応えようとする伊江谷を抑えて筒賀が応えた。
「順調に進んでおります。病院の方がうまくいきますと、治験の方も進むのですが・・・」
大黒に促されて若彦が応えた。
「紅雲先生のお力添えでこちらも滞りなく進んでおります。芳志総合病院との契約も近々締結される運びになっておりますので、筒賀事務長、もうしばらくお待ちください」
「そうか、そうか。いよいよだな。生活に必要なものがライフシェアタウンの中ですべて回れば、辛い生活を送らずにすむ。そうだ、住人の笑う姿をテレビで流せ。銀山だといったあの老いぼれに見せてやらんとな」
応接間に大黒の笑い声が響いた。
筒賀は大黒に頭を下げると、スマホを握って部屋の外に出ていった。
残された伊江谷に大黒が尋ねた。
「君の薬は麻薬のように楽になるが、常用性はなく、副作用もない。本当かね?」
「はい、今のところは問題はないと思っております」
「思っている?」
「いえ、いえ、それは、それは思っているのではありません。治験が進んでおりませんので、もう少し時間をいただければ、はっきりとすると・・・」
「思うんだな?副作用の危険はないと言いきれるのか?」
答えに戸惑う伊江谷のかわりに、電話を終えて帰ってきた筒賀が応えた。
「先生、そのあたりはデータを整理しまして、詳しくお話させていただきます」
「そうだなぁ、もう少し詳しくね。頼むよ」
ソファーに座らない筒賀を横目で見ていた紅雲が、筒賀の様子に何かを感じた。
「筒賀さん、そろそろ失礼したら?」
「ああ、もうこんな時間ですね、私どもは失礼いたします」
「先に帰って。私はもう少し先生とお話をしてから、帰るから」
「そうさせていただきます。大黒先生、今後ともよろしくお願いいたします」
筒賀は伊江谷と共に頭を下げたが、渡りに船とばかりに姿を消した。
「なにかあったのか?」
「さぁ、どうでしょう。いろいろと手回しをされてますから、大変なんでしょう」
紅雲が大黒の問いに応えて、冷えたコーヒーに手を伸ばした。
「紅雲先生、コーヒー熱いのをお持ちしましょう」
「若彦さん、ありがとう。よく気が付かれること」
若彦が部屋を出ると、紅雲は立ち上がり大黒に近づいた。
「先生、若彦さんを跡取りにされるの?」
「・・・」
大黒は応えるつもりはないらしく、紅雲の動きを興味ありげに追っていた。
「私、もう少し上に行きたいわ。今度の仕事を仕上げたら、ご褒美にお願いしてもいいかしら?」
紅雲が大黒に近づき耳元でささやくと、2人は声を立てて笑った。
そんな様子を見ている妻世利に、大黒が気付いた。
冷めた顔でつかつかと部屋に入り、トレーごとテーブルに置くと、世利は紅雲に向かって言い放った。
「本妻の目の前でご褒美をおねだり、大した度胸ね。紅雲都議会議員、お帰りはあちら」
大黒から慌てて離れた紅雲は一言も返さず、バタバタと出ていった。
残された大黒は、惚れ惚れとした顔で世利を見た。
「一括ですな、奥さん見事です」
「ふざけないで、2度目はありませんよ」
「分かっていますが、でも僕は何もしていませんよ」
「分かっています。勝手に女がちょっかいを出すんでしょ」
「そうです。その通りです」
「明日があります、早くお休みください」
「ところでどうして君がコーヒーを運んできたの?」
「あなたの優秀な秘書の佐具柄女史が教えてくれた。あなたが危ないってね」
「そうか・・・彼女か」
「おやすみなさい」
そう言うと妻の世利は自室に入っていった。
気は強いが後のない女だと苦笑いをして、大黒はしばらく1人の時間を楽しんだ。
大黒は開発者の伊江谷との会話を思い返していた。
安全な麻薬はないと思いつつ、そのようなものが開発されたなら、どれだけの人が救われるだろう。可能性を考えるだけで少年のように胸がときめいた。
その頃、病院からの連絡を受けた筒賀は芳志総合病院へと向かっていた。
緊急で運ばれた患者は、関係の深い宗教団体の人間だった。
右手の甲に火傷を負ったらしいが、搬送中に意識がなくなり、火傷の状態も悪化したとの連絡を受けたのだ。問題なのは、その患者が開発中の薬の治験者であることだった。
ライフシェアタウンへの進出計画の大切な時期なのだ。原因を突き止めなければならない。薬と関係があれば、すべてが振出しに戻る。
筒賀が病院に着くと、能見医師が待っていた。
「能見先生、患者の容態は?」
「搬入時、意識がなく慌てましたが、今は落ち着いて点滴中です」
筒賀は声を潜めた。
「薬との関係は?」
「安心してください。関係は無いようです」
「関係ないのですね。うむ・・・」
そう言いつつも筒賀の顔は厳しくなっていた。
「患者は?」
「事務長、部屋で話しましょうか」
2人は事務長室で話を始めた。
「実は薬については問題はないですが、患者が例の子供の記録を取ってくれていた神盛さんです。火傷をした覚えがないと言ってます。しかし火傷の症状がありますからね、まぁ本人が混乱して状況を思い出せないのかもしれません。回復すればはっきりするでしょう」
「そうですか、能見先生、患者から目を離さず回復に全力を尽くしてください」
「ところで、大黒先生のご機嫌はいかがでしたか?」
「ご機嫌は、いいだろう。思うように事が運んでいるからな」
「それでは・・・ちょっと失礼」
能見は緊急の呼び出しを受けた。
「何かありましたか?」
「事務長、神盛さんが急変して心肺停止の状態です」
能見は神盛の病室に向かった。
静まり返った病室に、担当の看護師と駆け付けた数人のスタッフが、茫然と立っていた。
能見の顔を見るなり看護師は、首を横に振って座り込んだ。
能見は担当の看護師だけ残し、他のスタッフを退室させた。
神盛の身体を診ると、全身が赤く火傷の状態になっていた。話を聞くと、点滴の内容物を変えた直後に急変したらしい。手の甲だけの火傷が、何故か全身に広がっていた。
能見は筒賀と相談して、火傷の原因は不明のまま、死因は火傷によるものとした。
神盛は、その死を家族に知らされることなく教団へ引き取られていった。
病院の駐車場で、車から病院の様子を伺う女がいた。女の名前は鳴木目真琴、大手新聞社の記者。鳴木目は大黒の屋敷から1台の車を付けていた。
その車は途中で男を1人降ろし、芳志総合病院の緊急搬入口側に駐車した。車から初老の男がひとり降りて、慌てた様子で病院内に入っていった。
1時間経った。鳴木目は大黒と繋がりのあるその男の正体が知りたかった。
3時間過ぎたころ、ワゴン車が1台入って来ると、白衣を着た男と先ほどの男が出てきた。
一言二言話すと、用心するように辺りを見回し、出入り口の方に合図をした。
ストレッチャーが運び出され、そのままワゴン車に積み込まれた。
車の陰で確認はできなかったが、ストレッチャーに乗っていたのは確かに人だった。だが、顔までも白い布で覆っていたというのは普通ではない。
異様な光景を目の当たりにした鳴木目は、迷わずワゴン車を追った。
ワゴン車は都心を離れ人里離れた場所にある、葬儀場らしきものに入っていった。
霧雨が真琴の姿を隠すように降っていた。
夜中にも関わらず人目を忍ぶように集まった人々に紛れて、建物の名称を確認すると、静かにその場を離れた。「蓬莱山三神分教場」とあった。
そして翌日には、国玉若彦と関係のある男は芳志総合病院事務長の筒賀であること、その病院はトラの生まれ変わりという教祖を持つ宗教団体と繋がりがあることを突き止めた。
12月に入り鳴木目真琴はその教団の信者に接触し、前世が分かるというその教祖に会った。
教祖の部屋に入るなり、威圧的な雰囲気に吞まれまいと、妹の華琴のことを考えた。真琴は何時間も正座をして教祖を待っていたように感じたが、
「やかましい雉がお前の前世。雉も鳴かずば撃たれまい。肝に銘じることだ」
とだけ告げられ、実際は数分で終わっていた。
教祖の姿か消えると別の部屋に通され、優しいまなざしの男性にお茶を進められた。
「どうぞ、楽になさってお茶でも召し上がりください」
声が出せないくらいの緊張が、その男性の一言でほぐれていった。
目礼して一口飲み、白髪交じりの眼鏡をかけた小柄な男性の顔を見た。
どこかで見たことがある、そんな気がした。
「前世からの宿命は変えられませんが、教祖様のお言葉を信じて精進されれば、現世は幸せに過ごせます」
そう言うと男性は机を指でトンと叩いた。直接叩かれたように、真琴の頭の中でその音が響いた。
それと同時に、スマホが着信を告げた。
ワン切りされた登録のない番号だった。
「お知り合いなら、どうぞ連絡されてください」
男性が気遣うように言葉をかけた。
「大丈夫です」
疲れた笑みを浮かべ、真琴はその番号を消去した。
他愛もない話を10分ほどして、その部屋を後にした真琴だったが、建物から遠ざかるほどに不安が増してきた。
「私は雉・・・」「雉も鳴かずば撃たれまい」
家に帰っても教祖のこの言葉が頭から離れず、何かに縋りつきたい衝動が襲ってきた。
「前世からの宿命は変えられませんが、教祖様のお言葉を信じて精進されれば、現世は幸せに過ごせますよ」
もう一度あの男性に会って、この言葉の意味を詳しく聞きたいと思った。
鳴木目真琴はひとり静かな年明けを迎えていた。
今にも雨の落ちて来そうな空の様子を、ぼんやりと見ていた。
前世を告げられて以来、気持ちが重く、理由もなく落ち込み、仕事にも身が入らず、取材しても記事が書けなくなっていた。
正月休みは何もせずに、妹華琴のことを考えて過ごした。
真琴は今になって、安易に教団に踏み込んだことを後悔していた。
あの教祖に会ってから、目に見えないものに縛られていた。
そして真琴は頻繫に華琴の夢を見るようになり、妹について調べたことが夢の中で繰り返された。




