明の章 使嗾の根源~生命~
過去を辿るように導かれた場所。
そこでLUNAを待っていたものはそっと寄り添う優しさだった。
LUNAの心は懐かし色のやさしさにその優しさを重ねた。
あの夜から奈留瀬は香りの女を探し続けていた。
関係するホテルを調べたが、それらしいものは出てこなかった。
だがWOMプリンセスという会社が月に2回イベントをするということ、そのときに登場する月の姫と言われる美しい謎の女がいることは分かった。
ネットでもその存在が噂になっていたが、その女が探す女なのかは分からなかった。
明日がそのイベントの開催の日だが、どこのホテルなのか手掛かりは皆無だった。
打つ手をなくした奈留瀬は街を歩き回り、今夜もあの女を最後に見た場所、西新宿に来ていた。
周りを見てもそれらしき女はいない。
表情に乏しい奈留瀬の顔に落胆の感情が見えたとき、行きかう人の流れに紛れて微かな香りが漂ってきた。
その香りが鼻腔の奥の本能に触れた。
奈留瀬は目で追う香りの先に、求め続けた女を見つけた。
その女は建物の前に不安げに立っていた。
近づくと香りが強くなった。
間違いない。
だが奈留瀬は立ち止まらずに通り過ぎた。
俺はあの女の男を殺したに等しい。それが分かったとき、あの女は、おれは、どうする?
憎まれて蔑すまされてしまえば、夢の中でも会えなくなる。
奈留瀬は現実に怯え追い立てられるように女から離れようとした。
その時、香りが乱れた。
関わるな。
嫌がる女の声がした。
振り向くな。
見るな。
断腸の思考は停止し、奈留瀬は女に絡む男たちの手を払い、女とタクシーに乗り込んでいた。
帽子は取れて、長い髪が絡み怯える横顔は、紛れもない昇の女、ルナだった。
疑問が浮かぶ。
確かにルナは俺の顔を見たはずなのに嫌悪どころか何の反応もしない。取り乱していて気付いていないのか?それともこの女はルナではないのか?
奈留瀬は行き先をTホテルと運転手に伝えたが、女が行き先を震える声でPホテルへと変更した。
しばらくして平静を取り戻した奈留瀬がLUNAに声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
言葉をかけながら陶酔と秘匿の思いの狭間で、奈留瀬を縛っていた喪失感はルナの香りに溶けて消えていった。
「助けていただいてありがとうございました。車代も今、持ち合わせがなくてホテルに着きましたらお支払いします」
奈留瀬は探りを入れた。
「どなたかと待ち合わせだったのですか?でしたらその方に連絡をしないと心配されますね」
「いいえ、待ち合わせ・・・ではありません。でもあそこで待ってて・・・」
女は涙ぐんで続けた。
「約束してたの・・・いつだったかわからないけれど・・・」
「そうでしたか。実は僕も同じ様な理由であそこに行きました。ずいぶん前にあの場所で見失ってしまった大切な人に会えるような気がしたのです」
女はゆっくりと顔をあげて、とっさに作り話をした奈留瀬を見た。
奈留瀬は視線を合わせずに笑って応えた。
「今日、僕は見ず知らずのあなたを守るためにあそこに行ったのかもしれませんね」
その言葉にはっとして奈留瀬を見た。
「ごめんなさい。お名前を伺っていませんでした。私は・・・・・」
「これは僕こそ失礼いたしました。僕はこういうものです。いつでもお守りしますよ」
奈留瀬は名刺を出しながら女と視線を合わせた。
柔らかく微笑む女に奈留瀬は確信した。
俺だと気づいていない。
いや分かっていない。
奈留瀬の表情には気付かず、LUNAはふと「お守りします」その言葉に月乃を思った。
「心配しているのかな?」としても明日のことがあるから探しているだけ。
きっと心配なんかしてない。
「奈留瀬さん、詳しくはお話しできないのですが、私のこと助けていただけませんか?」
女が硬い表情で頼んできた。
昇の女が俺のものになる。名刺入れを内ポケットにしまう奈留瀬の指先に力が入った。
「お仕事でしたら喜んでお引き受けします」
奈留瀬が答えると同時に、タクシーはPホテルに着いた。
その頃Pホテルでは監視カメラ映像から、着替えを済ませホテルを出るLUNAが確認されていた。その後手を尽くして捜索したが、9時を回ってもLUNAの足取りは掴めなかった。
気をもむ月乃に、フロントからLUNAが見知らぬ男と一緒に帰ってきたことが伝えられた。
明日の準備を考えながら、月乃は怒りを抑えてLUNAをフロントに迎えに行った。
LUNAは男に支えられるように立っていた。
疲れ果て月の姫の面影の全くない姿に、LUNAを責める気持ちは消えていた。
「このたびはありがとうございました。お部屋へお連れ致しますのでロビーのほうでお待ちください。失礼いたします」
着くや否や月乃は、挨拶だけして男の名も聞かず、嫌がるLUNAを急き立て部屋まで連れて来た。
月乃はとにかくLUNAの姿を隠したかった。
こんな姿を世間に曝すわけにはいかない。
これが月の姫だと分かったら取り返しがつかない事態になる。
倒れかかるLUNAをストールで覆い、エレベーターに急いだ。
幸い部屋までのあいだ人目はなく、月乃は胸を撫でおろした。
だが部屋入るとLUNAは、ストールをはぎ取るなりイラつく感情をあらわにした。
「月乃。奈留瀬さんを連れてきて」
「後ほど別室にご案内いたします。あとはお任せください。お礼を含め、失礼のないようにいたしますのでご安心ください」
LUNAをなだめようとする月乃の手を振り払い、ヒステリックに言い放った。
「違う。私は奈留瀬さんが一緒でないと月の姫はしないって言っているの」
「落ち着きましょう。月の姫、お話を聞きますから・・・」
月乃は驚いた。この3時間ほどの間に何があったのか。あの男は何者なのか。何があればこんなに簡単に得体の知れない男を信用できるのか。
LUNAはこれからの仕事の条件として、奈留瀬を雇うことを言い出した。
「奈留瀬さんは警備会社をしているの。警護のプロなのよ。だから私を守ってくれる。安心でしょ。それに月乃も自由になれるし、とにかく雇ってくれなきゃ明日は月の姫にはならない」
「月の姫、わたしの一存では決められません。会長にご相談してからのことです」
「なら、すぐに相談して」
強気のLUNAは会長樫戸綾の存在にも頑としてひるまなかった。
月乃はLUNAに押し切られる形で必要ないと思いつつ奈留瀬に話を聞いた。
奈留瀬は偶然通りかかり、男たちに絡まれているLUNAを助けたという。
そして奈留瀬は偶然と言いながら、WOMプリンセスの名前を出し、LUNAを月の姫と気付いているような言い回しで月乃を困惑させた。LUNAから守ってほしいと頼まれたことについても、何か知っているのかのように含みのある言い方で、こちらから雇わざる得ない状況になった。
樫戸綾はLUNAの暴走は今後の事業展開に支障が出ると判断し、LUNAの要求を大方のむことにした。
今回の満月の夜会を完璧に成功させることを前提としたうえで、奈留瀬の仕事はLUNAのプライベートの時間のみとし、イベントについては一切かかわらないこと。勤務時間については必ず月乃の指示範囲内とし、LUNAの行動について監視、報告することが条件となり、LUNAも納得の上で、奈留瀬は警護の仕事を引き受けた。
LUNAは完璧に10月の満月の夜会を終えた。
翌日から奈留瀬はLUNAの許されたプライベートの時間になると現れて、夜の門限時間に帰っていった。
月乃とLUNA、LUNAと奈留瀬、制約された時間の中で、程よい距離感を保ちながら、次の夜会の準備を始めた。
奈留瀬が側にいることでLUNAは落ち着き、イラつきも影を潜めていた。
感情のコントロールも服薬なしでできていた。
月乃の中で、はじめ感じた不信感も節度を持った奈留瀬の態度にいつの間にか薄らいでいた。
11月の満月の夜会、新月の宴は京都で行われる予定で、LUNAは奈留瀬の運転で京都入りした。
LUNAは助手席でドライブを楽しんでいた。
さり気なく横を見ると心を寄せる人がいる。この人と一緒なら何も怖くない。何があっても守ってくれる。眩しい海のきらめきのような喜びがLUNAを包みこんでいた。
突然軽く眩暈がした。眩暈はすぐに収まったが、隣の人の顔がぼやけて別の顔が瞼に浮かんだ。
記憶のかけらが呟いた。
俺と暮らすか?
できるの? そんなこと。
できるっしょ。
LUNAが目を開けると心配そうに覗き込む優しい顔があった。
京都での満月の夜会が何事もなく終了した後、LUNAは奈留瀬とドライブに出かけた。
帰りにLUNAは夜の月読神社に立ち寄った。
満月は煌々と2人を照らした。
神殿の前で見つめあう姿を月乃が心配げに見ていた。
新月の宴も3回目ともなると、月の姫の存在は隠しきれなくなっていた。
ネット戦略に力を入れることとなったが、LUNAの記憶が戻らないうちに本人を月の姫として登場させることは厳しいと見送られた。
しかし、月の姫に触れられると長生きするといううわさはあっという間に拡散し、隠そうとするほどに月の姫は注目を浴びる存在となっていた。
そのためLUNAは必要以外の外出を控え、東京に帰ると月乃の用意したマンションで奈留瀬と過ごした。
月乃は2人の関係を興味深く見ていた。
契約の中に恋愛に対しての規制はなく、仕事に支障がない限り恋愛関係になることは問題がない。毎日時を一緒に過ごせば、親密な関係になっても不思議はない。だが、月乃から見て奈留瀬のLUNAに対する接し方は男性として不自然だった。
奈留瀬の中にLUNAに対する思慕の感情があるのは確かだった。なのに、奈留瀬はLUNAが求めているとわかっても、躊躇を隠し距離を取った。恋心・・・ではないのか?
恋心・・・ってなんだろう?月乃には経験のない心情だった。
一方LUNAは奈留瀬に心を開いていった。
記憶が戻らない曖昧な時間を過ごす中、奈留瀬の言葉はLUNAの悲しみや苦しみを包み込んでいた。
心の奥の見えないものすべてを理解しているように寄り添ってくれた。
LUNAは奈留瀬に触れられることを徐々に受け入れていった。
何か遠慮がちな奈留瀬に、大切にされていると感じていた。
LUNAのぼんやりとした記憶のなかにも遠慮がちな人がいた。
不安定な状態はいつの間にかその人を奈留瀬にしていた。
奈留瀬はそんなLUNAの心のふちに佇むだけで、決してその奥に踏み込こむことはなかった。
だが奈留瀬は分かっていた。
守りたいのはこの本能が感じるLUNAの香りだけ。
その香りを存分に実感できる関係を失いたくないだけなのだと。
月の遣いたちは、不自然な2人の不思議な関係に、先行きの不安を感じながら静かに見守っていた。
傷つけられたことを忘れてしまえば、そして深い悲しみが癒されたならば、人は寛容になれるでしょうか?大切な人や物を失ったとき、起因するすべてを許せるのは・・・難しい。




