明の章 使嗾の根源~生命~
その後、雄介は警察署で取り調べを受けていた。
警察は最初から雄介の犯行だと決めつけていた。
「名前は?」
「・・・」
「住まいは?」
「仕事はなにしてるんだ?」
「・・・」
雄介は黙秘をすることに決めた。何かを話せばばっちゃまや竹林庵に迷惑がかかる。
それだけは避けたいと考えた。
「証拠は挙がってるぞ、なにせ、お前現行犯だからな」
「俺、何にもしてない」
「女を縛って、川に入れようとしてただろう」
「違う、助けてた」
「お前な、電話があったんだよ、助けてくれ、殺されるってな。そこで駆けつけたらお前が犯行に及んでいたというわけだ。言い訳できねえぞ」
「俺は、悲鳴を聞いて助けに行っただけだ」
「悲鳴だと、お前、台風の中何してたんだ?」
「走ってた」
「笑わせんな、誰がこんな雨ん中ジョギングするんだ。それも山の中を走ってただと。もう少しましな噓つけ」
「嘘はついてないし、悪事もしてない」
「よし分かった。嘘も悪事もないなら名前を教えろ?」
「・・・」
「今日はお泊りだな」
「・・・」
留置所の中で雄介は冷静になろうとしていた。
間違ったことはしていない。
あの人を助けなかったら後悔しただろう。
雄介はもう一度思い返した。
男が3人いた。
車が1台いや、2台か、止まっていたが中の人数までは分からなかった。
女が木につながれていた。
電話があったと言っていたが、誰がいつ電話をしたのか。
あの辺りには、スマホどころか持ち物らしきものは何もなかった。
雄介は川沿いに記憶をなぞっていった。
パチッと脳内で音がした。
「あそこは・・・芽唯が立っていた場所だ」
静まり返った氷の川面と、風の吹き荒れる嵐の川、様子は違っていたが雄介の脳裏に焼き付いている竹の座で見た風景に間違いはなかった。
「芽唯はあの恐怖に縛られているのか」
あの場所はオロチの棲み処と伝えられている天ヶ淵。
芽唯がオロチという言葉に怯え、人を恐れ、言葉を失ってしまった訳を雄介は想像した。
今夜は良かったんだ。
芽唯と同じ恐怖を味わった人を助けたんだから。
「ばっちゃま、これでいいよな。逮捕されちまったけど俺・・・これが巡り合わせなのか?」
雄介は留置所のベッドで膝を抱えたまま、目を閉じた。
うとうととした雄介は揺り動かされて目覚めた。
「寝ていたところすまんが、一緒に病院へ行ってくれ」
呼びに来たのは取り調べをした刑事だったが、雄介に対する態度が変わっていた。
「何しに行くんだ?」
「被害者がお前に会いたいと言っているそうだ」
「あの人大丈夫だったんだな。良かったよ」
刑事は雄介を病院に送り届けると、帰宅してもいいと告げ戻っていった。
夜明け前、病院を出て雄介が竹林庵の北側の山に入ったころ、竹林庵では芽唯が一睡もせず雄介の帰りを待っていた。
「雄介が考えてしていること、心配ないから放っておけ」
昨夜、ばっちゃまは、芽唯にそう告げると部屋に戻っていた。
だが、芽唯は一晩中食堂の窓から雄介の姿を探していた。
雄介を心配する気持ちが恐怖に勝ったとき、芽唯は傘と懐中電灯を持ち、嵐の竹林の中に飛び出した。芽唯は雄介が話していた竹の座を目指していた。かざした電灯を頼りに、雨に打たれながら小走りに進んでいた芽唯が立ち止まった。荒れ狂う竹林の中に光るものがあった。
悲鳴をあげ逃げようと後ずさりした芽唯に、後ろから覆いかぶさる恐怖と芽唯の内側から湧き上がる恐怖が芽唯の正気を奪った。
芽唯の悲鳴が雄介に届いた。
雄介は悲鳴の聞こえた方へ向かった。
竹の座への道の途中、倒れている芽唯を見つけて駆け寄った。芽唯は小刻みに痙攣していた。
抱き起し、「芽唯」と呼び続ける雄介の脳裏に、ガラスの芽唯がひび割れていく姿がよぎった。
雄介は芽唯を抱きかかえ、竹林庵へと走り始めた。
風雨の中、1人の女性を抱きかかえたまま走ることは鍛えた雄介であっても容易いことではなかった。
芽唯の顔を雨が打ち続け、痙攣が激しくなったように感じた。
1人では抱え直すこともできず、手のしびれは限界に来ていた。それでもなお雄介は立ち止まることをしなかった。
雄介を微かな光が照らした。
芽唯を探しに出ていたばっちゃまが、老人とは思えない歩きで真っ直ぐに向かってきた。
「雄介、大丈夫か?」
「ばっちゃま、芽唯を背負うから手伝ってくれ」
ばっちゃまは持ってきたレインコートを芽唯に着せ、雄介に背負わせた。
竹林庵にたどり着くと、雄介は痙攣を繰り返す芽唯を抱いたまま玄関に座り込んだ。
ばっちゃまは薬を持ってくると芽唯のほほを軽くたたき、気づいた芽唯に薬を与えた。
「薬を飲めば楽になる。芽唯、しっかりしな、雄介もいるぞ」
芽唯は雄介を見て安心したのか、そのまま目を閉じた。
「雄介、大広間に芽唯を寝かせてくれ」
芽唯を横にし終えた雄介は、枕元に座ったまま茫然と芽唯を見ていた。
断片的でしかない感情のつながり、強く結べない絆、確認できない芽唯の気持ち。
俺は芽唯を守っているのか?守れるのか?雄介は芽唯の中にある雄介への気持ちを確かめたかった。
「驚いたな、芽唯が心配して雄介を探しに行くとは・・・」
ばっちゃまは感心したようにうんうんとうなずいた。
「ばっちゃま、芽唯は大丈夫かな。痙攣が激しくなっていたけど」
「薬を飲んだから、寝れば大丈夫だよ。心配するな」
「そっか」
雄介は芽唯が自分を心配してくれたことがうれしかった。自分のことを顧みずに嵐の中に飛び出すなんて、日頃の芽唯からは想像もつかないことだった。雄介と芽唯の繋がりは少しずつ感じられるものになっていた。
「ずぶぬれじゃな。風呂入って早う着替えな」
「そうする」
ばっちゃまは部屋を出て行く雄介にほっとした顔を見せた。
「雄介、ありがとうな。台風じゃから今日はゆっくり休むといい。たまに芽唯を看てくれな」
「わかった。ばっちゃま、・・・俺・・・」
雄介は今日のことを言いかけたが、疲れた顔のばっちゃまに余計な心配をかけたくないと話すことをやめた。
部屋を出た雄介は手にしたスマホをどうしたものかと眺めた。
翌日、台風が去り、何事もなかったように1日が始まった。
ボランティアの人たちと一緒に、台風の後始末をする雄介を芽唯が見ていた。
相変わらず会話はなく、目を合わせることもなかったが、芽唯の雄介への感情に変化がみられた。
食事も一緒に取ることが多くなった。芽唯が笑うことはなかったが、共に過ごす時間を受け入れているように見えた。
1週間たったころ、雄介は久しぶりに竹の座へ行ってみた。
台風の影響はあまりなかったようだ。雄介は岩の上に座ると周りを見渡した。
なぜか岩の上に折れてきた竹がなくなっていた。
雄介は岩から降りると、折れた竹の根元を探そうと歩き出した。
折れてきた方向をに当たりを付けて付近を探したが、片付けた後どころか折れた竹の根元さえ見つからなかった。
「おかしいな、この山は・・・ばっちゃまに訊くか・・・知るはずはないな」
その夜、竹林庵へ帰ると、珍しくばっちゃまが起きていた。
「お帰り、茶でも飲むかえ?」
「もらうよ」
ばっちゃまは湯気の立った湯呑を雄介の前に差し出した。
「ありがとう」
ばっちゃまは雄介の前に座った。
「雄介、なんか話があるのかい」
雄介は直ぐに返事をしなかった。躊躇いの時間の中、ばっちゃまは雄介が口を開くのを静かに待っているようだった。
「ばっちゃま、芽唯のことだけど・・・」
「うん」
「どうして、あんな風になったんだ?」
ばっちゃまは少し間をおいて話し始めた。
「何故なのかは誰も知らん。見た者がおらんしな。ただ去年の梅雨時期に矢口神社の近くで意識のない状態で発見された。意識が戻った後には嵐を怖がり、人を怖がり、琴線に触れると半狂乱になり、意識を失ってしまう。繰り返すうちに感情はすり減り、恐怖以外の何事にも反応しなくなった・・・芽唯がここに来てほぼ1年経つが、ギリギリのところで壊れずに生きている」
心配顔のばっちゃまはゆっくり湯呑を口に運び、お茶を飲んだ。
雄介はばっちゃまの話を聞きながら天ヶ淵での出来事を思い出した。
ばっちゃまに話すきっかけを探していたが、竹の座で見た芽唯の姿が助けた女性と重なって、消せなくなっていた。
そんな雄介に念を押すようにばっちゃまは話をを続けた。
「そう、1年でようやく、芽唯は落ち着いてきていた。そんな時雄介を心配して衝動的に嵐の中に飛び出していくなんてな・・・このことが芽唯にとってどう作用したのか分からない。薬で何とか抑えているが、これ以上の衝撃や激昂が芽唯にどんな風に影響するのか想像もつかん。雄介、静かに芽唯を見守ってくれな。くれぐれも芽唯が心配するようなことはせんでくれな」
「うん。わかった。・・・寝るよ、俺」
「ああ、おやすみ。明日またな」
そう言ったばっちゃまはいつもの笑顔に戻っていた。
あの夜、雄介は病院の特別室に案内され、雄介が助けた女性と会った。
横になっていた女性は雄介を見るなり呼び寄せると手を握り、何度もありがとうと繰り返した。
頭に包帯を巻き、顔には傷があるのだろうか、治療が施されて右側だけが見えていた。
発見と治療が早かったので身体的には問題がない、と母親大山茅乃が説明をしてくれた。
名前を大山市子といった。市子は大山製薬の孫娘らしい。
意識の戻った市子が犯人は複数で、一緒にいた男性は助けてくれた人だと証言したのだ。
その証明ための面会だったが、嵐の中、見ず知らずの自分を命がけで助けてくれた雄介に、市子は運命だといい、しばらくの間でいいからそばにいてほしい、と頼み込こんできた。
PTSDを心配している市子の家族からも、仕事として受けてもらえないかと言われた。
雄介はきっぱりと断った。
聞くや否や、市子の瞳が恐怖の色への変化した。
雄介は市子の瞳に芽唯の恐怖と同じものを見た。
帰り際に、その気になったら連絡をして欲しい、と会社の者と言う大山狭霧にスマホを渡された。
芽唯と市子、同じ恐怖、そう思うと、スマホをつい受け取っていた。
ばっちゃまに話してからスマホを返すつもりでいたが、言いそびれてしまった。
ましてばっちゃまの言葉は雄介にとって警告のように聞こえた。
収めたはずの昇とテラのことが、胸の奥をチクチクと刺していた。
スマホには何度も着信の表示があった。
「今度の休みに返そう」
雄介は、このことで芽唯を失うことになりかねないと判断し、市子に連絡をした。




