明の章 使嗾の根源~生命~
翌朝早くに津久見は雄介を連れ、日本海に面した稲佐の浜へ向かった。
道すがら、津久見は笑いながら昨夜のことを話した。
「夕べは先に寝てしまってすまんな。何年かぶりに酒を飲んだら酔っちまった。酒はつよいほうなんだが、おかしいな。雄介は相当飲んだみたいだな。二日酔いはないか?」
何気ない日常の会話なのに、雄介は返事ができなかった。
津久見の存在が空っぽだった雄介の心に、昇を失った痛みを呼び戻した。
復活した感情が、再び雄介を絶望と自責の念で縛り始めた。
津久見はそんな雄介に気づきながら素知らぬふりで稲佐の浜の話を始めた。
「稲佐の浜は神様が海から上陸する浜だぞ」
津久見の説明に顔を上げた雄介は、鳥居と社をいただく弁天島を見た。その姿に誘われるように波打ち際まで行き、海のかなたに目を向けた。
津久見は雄介にビニール袋を手渡した。
「ほれ、これに砂を入れろ」
雄介の足元に優しい波が繰り返し寄せては引いていった。
優しく寄せる波に昇やテラの笑顔が映っていた。
その笑顔はすくい上げようとする雄介の両手からこぼれて消えた。
手に入れたものを失う儚さは、手にできない空しさよりも雄介にとって辛いものだった。
無気力な雄介は言われるままビニール袋に浜砂を詰めた。
詰め終わった雄介が差し出すと、津久見は良しとばかりに受け取り、笑いながら
「素鵞さんに行こう。」と歩き始めた。
雄介は足元の引いていく波を目で追って、きらめく海を眩しげに見た。
神が降りてくるという海の果てを。
「そこに居るのか、昇」
返事はあるはずがない、と背を向け歩き出した雄介の耳には、かすかな海鳴りは届かなかった。
明るい夏の日差しの中、ふたりは稲佐の浜から神迎の道を通り、出雲大社へと向かった。
雄介はうつむいたまま迷子の幼子のように、とぼとぼと歩いていた。
何を持っても満たされぬ寂しさ、加えて友の死という悲しみまで背負ってしまった雄介の人生が津久見には見えた。
15分ほど歩くと参道入り口の大鳥居に着いた。大鳥居をくぐり、境内に入ると御本殿へと続く下り坂の参道が現れ、神の領域を示すがごとく大地から沸き上がる澄んだ空気に雄介は立ち止まった。
雄介の前を早足になりながら歩いていた津久見が、思い出したように右わきの小さな社の前で立ち止まり、雄介を呼んだ。
「雄介、ここがはらえの社だ。四柱の神様が罪や汚れを吞み込んでくれるそうだ」
「罪を吞み込む」
その言葉が、雄介の心に打ちこまれていた楔に掛かった。
「そうだ。雄介、出雲大社は特別な拝礼がある。まずここで今までの汚れを祓うんだ。」
「汚れを祓う」
楔にかかった罪という言葉に汚れが重なった。
津久見はいきさつわからないが、雄介が大切な友を海で失い、そのことで己を責め続けていることを確信していた。
「雄介お前はまだ若い。やり直せるんだぞ。」
津久見は心で雄介に話しかけながら、手を合わせた。
雄介は津久見に言われるまま、二礼四拍手一礼の出雲大社の独特な拝礼を済ませたが、夜の海に沈む昇と、優しい波の中の昇とが心で渦巻き、胸の苦しさは拭えなかった。しこりとなった罪深さを抱きかかえるように、背を丸めて歩いていた。
そんな雄介を樹齢四百年の松の参道がおおしめ縄のかかった拝殿へと導いた。
しばらく行くと、おおしめ縄の掛かった拝殿に着いた。
「ここが出雲大社の拝殿だ」
津久見は拝殿で参拝を済ませると、大国主命が祭られているという荘厳な造りの御本殿に向かった。
雄介は津久見の説明も上の空、自分の足元だけを見て歩いていた。
津久見は次は素鵞の社に行くといい、本殿を右に進み裏手に向かい歩き始めた。
津久見が歩けば歩き始め、津久見が止まれば止まる。
それを繰り返して神はかりのときに神々がお泊りになるという十九社を過ぎて、本殿の真裏の素鵞神社に着いた。
津久見は参拝を済ませると習わしに従い、稲佐の浜より持ち込んだ砂をおさめ、お清めの済んだ砂をビニール袋に入れた。
雄介は津久見に習い、竹林庵に持って行くための砂を納めて、代わりの砂を袋に詰め終わり立ち上がった。ふと、雄介は神社の裏ての山に気を引かれた。
ゆっくりと神社を回り、神の山といわれる八雲山を前にした。雄介は思わず目の前の岩肌に手を当てた。
3秒後、突然ピチッピチッと皮膚が裂けるような音とともに、背中に刃物が当たったような痛みが走り、思わずのけぞった。
その痛みで雄介は背中に因縁のものを背負っていることを思い出した。
少し離れて様子を見ていた津久見が駆け寄ってきた。
「どうした雄介?」
雄介はしかめた顔で首を横に振り、導かれるようにもう一度素鵞神社の前に立った。
丸まっていた背筋は痛みのために直立し、うつむくことのできない雄介の顔は、まっすぐに素鵞神社の奥深くを見ていた。
雄介の体を襲う痛みは漠然とした心の痛みとは違い、はっきりと生きている実感を伴っていた。その痛みは、のうのうと生きている自分を嫌っても、否定しても、雄介が生きていることを示していた。
顔を上げて背を伸ばし仁王立ちのまま動かない雄介に、津久見はかける言葉もなく、その姿を受け入れるしかなかった。
「雄介の中で何かが起こっている」
漠然とした不安を押し隠し、津久見は素鵞神社を後にして竹林庵に向かった。




