明の章 使嗾の根源~生命~
津久見は雄介を連れ、電車で島根に向かっていた。
行かないと言い出すことも考えていたが、雄介は反抗さえも億劫らしく言われるままついてきた。
福岡を出て一言も会話せず、お互いそれぞれの思いと向き合っていた。
雄介は日本海に沈み始めた夕日を見ていた。
そんな雄介が、ちらりと津久見を見た。
津久見は手帳を開いていたが、雄介の懐疑的な視線には気づいていた。
「また俺を見捨てるのか?」
雄介の目はそう言っていた。
日の落ちた車窓に5歳の雄介がいた。
親戚に会いに行くとだけ話し、里親に引き渡すため神戸に向かった。
最初で最後の旅行だった。広いところで雪遊びがしたいと言う雄介を六甲山の牧場に連れていった。
何の疑いもなく喜ぶ雄介を見て、津久見は手放す寂しさを心深く抑えこんだ。
雄介のためと信じ込み、幼い雄介の気持ちを確かめようともしなかった。
夕食を済ませ、神戸のバスターミナルで雄介を担当の職員に預けると、何も聞かない雄介を残し、福岡行のバスに乗った。
眠れない夜を過ごした津久見に、担当の職員から雄介が地震に巻き込まれ、行方不明との連絡が入った。
遠く離れた福岡ではなすすべもなく、繰り返される報道に心を打ち砕かれた津久見だった。しばらくして幸いなことに雄介の無事が分かり、奈良に住む宇佐野さんが養子として引き取ってくれたことが分かった。
窓の中の雄介と目が合った。
「雄介、弁当食うか?」
雄介の目は拒否していなかったが、弁当を渡すと面倒くさそうに箸をつけた。
津久見も弁当を開き食べ始めたが、時折、雄介が発する無の視線が、口に運ぶものを苦痛の塊に変えた。だが津久見は雄介の無言の反抗に返す言葉もなく、味気ない食事を黙々と続けることしかできなかった。
「うまいな」
何かを言わないと雄介を問い詰めてしまいそうな自分をごまかして、思ってもいないことを口にした。
5歳の雄介の手を離した事情を説明すれば、雄介は分かってくれるだろうか?
津久見は雄介を傷つけてしまったあの日に戻って関係を作り直そうと思っていた。
捨てたのではないと今更言っても分かってはくれないだろう。だが今雄介は津久見とともにいてくれる。時間をかけて雄介への思いを分かってもらうしかないと覚悟を決めていた。
そんな考えを見透かすように雄介の目が津久見に向いた。その視線はすべてを許さない怒りを含むものに代わっていた。
「怒りの感情だ。空っぽだった雄介の心に感情が戻り始めた」
さり気なく視線を弁当に移した津久見だったが、箸を持つ手が少し震えていた。
津久見は雄介の反応の変化に気付いた。後悔の苦しさの中に5歳の雄介の手が見えた。
「二度と手放しはしないよ、雄介」
津久見はその思いを残った弁当と一緒に噛みしめて飲み込んだ。
結局、雄介は一言も話さず島根に着いた。
出雲大社近くのホテルに着くと津久見はビールを買い込んできた。
「雄介、飲もう。お前飲めるのか?」
津久見はベッドに腰かけている雄介に缶ビールを1本テーブル越しに渡し、自分の缶ビールを開けると急いたように一口飲んだ。
「おお、乾杯せんとな、乾杯」
まだ缶を空けてもいない雄介を見て缶ビールをヒョイとかざした。
雄介は津久見が無理にはしゃいでいるのを見て、気持ちが重くなった。
あの時もこうだったように思う。雪の中で雄介は津久見と遊んでいた。面白かった。楽しかった。嬉しかった。
・・・なのに、お前は消えた。何も言わずに俺を捨てた。
雄介も缶を空けて口を付けた。
意外とうまいと感じた雄介は続けて一気に飲んだ。
「雄介、お前いける口だな、もっと飲めよ。ほら」
津久見は嬉しそうに2本目のビールを雄介に渡した。雄介は迷惑そうに受け取ったが、津久見の気持ちを振り払うように缶を開けた。
「よしよし雄介、飲みたいほど飲め、つまみもあるぞ」
顔を赤くした津久見は雄介の横に座ると弘原海の里の話を始めた。
津久見は漁師だったこと、雄介を助けた心、依千姫、多希流のこと、弘原海の里に住む子供たちのことを、雄介と離れていた時を埋めるように話し続けた。
長い話に雄介のビールを飲むピッチが速くなった。
「うぜ・・」
寄りかかっていた津久見の体が重くなった。
缶ビールの缶が津久見の手から落ちていた。
「ったく・・・」
ベッドに津久見を寝せると、空の缶を拾い上げテーブルに置いた。
手に持った残りのビールを飲み干して時計を見た。
10時を回っていた。雄介は躊躇いなく津久見のバッグに手を伸ばし、中の財布を手にすると中身を確かめて現金だけ抜いた。
「俺がお前を捨てたって、文句ないよな」
冷めた目で津久見を見た。財布をバッグに戻しかけた雄介の手が止まった。
津久見が寝ながら泣いていた。
「何、泣いてんだ?」
立ちすくんだまま雄介は津久見を見ていた。しばらく津久見の涙は止まらなかった。
「雄介、雄介は?大丈夫か」
津久見は夢の中での雄介の心配をしていた。
涙が枕にしみていた。雄介は財布に抜いた現金を戻した。
「宗ちゃん・・・」
幼い頃の津久見の温もりが思い出された。
そして今でも津久見の中に、雄介が否応なしの存在としてあり続けていることに気付いた。
固く絡まった何かが緩んだ。
雄介は涙の乾いた津久見の寝顔を見ていた。雄介が静かな穏やかな時間を受け入れ始めた時、突然、横殴りの感情が雄介を一撃した。
「俺だけのうのうと生きている」
胸の真ん中がキリキリと痛み始めた。
「昇・・・テラさん・・・ルナ・・・」
雄介は津久見の傍らに膝を抱えて横になり眠れぬ夜を過ごした。




