明の章 追憶の陽炎 ~身命~
数日経つと、那美本人が言っていたように水泡は涸れ始め、火傷は跡形もなく消えていた。
大戸野は那美とは距離を置いていた。なぜか父親という感情が薄れたように思っていた。
特異体質と和久には話したが、それだけではないものを感じていた。
それは、和久も気づいているようだった。
火傷の治療の件の報告を受けた時のことだった。
「那美さん変わりましたね。たまに知らない人に思えます。
性格があんなに変わるなんて、でもまあ元気出し、若くなられたようにも感じるし、20年前の那美さんは・・・あんなに感情の起伏が激しくなかったような・・・気がしますけど」
大戸野は那美の体に起こったことと、今起こっているいることが別々の次元のことで、それがリンクすることでまた別の次元への扉が開き始めたと推測していた。
人間は計り知れない変化の中で大きな試練を受けることになる、そう懸念する大戸野だった。
和久は、20年前の那美を知らない大戸野には通じないこととわかっていたが、言葉にせずにはいられなかった。
死に直面していた時の必死の思いが、最近の那美には感じることができなくなっていた。
「那美さんが元気になって、心配がなくなったということね。でも一度も声を立てて笑ったことがない・・・」
そんなことを受付で那美の記録に書いていると、桃子が顔を出した。
「あら、桃子さん、いつもありがとうございます。お帰りですか?」
桃子は那美の足の治療が終わってから時々顔を出して、10分ほどだが那美の話し相手をしてくれていた。その桃子が複雑な表情で和久を手招きした。
「桃子さん、どうしました?」
桃子は首を傾げながら言葉を選んでいるようだった。
「那美さんのことですか?」
こくりとうなずき、和久の耳元で小声で話した。
「あの人は、那美さんではないです」
「え?」
和久は、聞き返そうとしたが桃子は首を振って、涙目になった。
「待って、先生の所に行きましょう」
和久は桃子の手を引き、診察室に入った。
桃子の話は信じがたいものだった。
「解離性同一性障害。まさか・・・」
桃子がおかしいと思ったのは、ケーキをホールごと食べようとした日だった。
桃子を見て落ち着いた那美が、しばらくして消え入るような声で「助けて」と言ったらしい。
その時はあまりに脈絡のない会話の中でのことで聞き流してしまったが、先ほど那美は、那美ではなく今からは小夜美だからよろしくね、と話したというのだ。
小夜美は那美が現実の苦しみに耐えられなくなると出現し、那美の心のダメージが肉体に及ばないようにしていたが、次第に那美が死にたいとばかり言うから代わってあげた。那美は消えていく自分を受け入れて、そのほうが幸せだと言っているという。お利口な那美であろうと足掻けば足掻くほど、深い憎しみの痛みに耐えられず私と代わるの、と小夜美は笑いながら話したという。
和久は、薬を塗ろうとした時の苛立った那美が思い出された。
あの時は小夜美という人格が現れていたということなのか?
那美さんは生きる気力をなくしたのだろう。
和久は大戸野と相談して、20年前の事実を那美に話すことにした。
だが那美は、その日から情緒が不安定になり、苛立ったり、突如としてこみ上げてくる感情を抑えられず泣き叫び、落ち着いたと思うと夢見心地で部屋の中を歩き回り始めた。
和久は幾度か機会をとらえようと試みたが、那美は起きては騒ぎ立て、疲れては眠ることを繰り返していた。




