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明の章 是非は無し ~懸命~

浅い眠りのまま、6日目の朝を向かえた仁宜がナースステーションに顔を出すと、看護師の岩永姫子が手招きをした。

「仁ちゃん、明日お休みでしょ。私が入るから安心してね。あ、それから常伊達先生の入院があと2週間伸びたよ」

「先生、経過が良くないのですか?」

「そうじゃないけど、何かあるのよ。政治家先生はよくあること。でも私は嬉しいよ。仁ちゃんにまた会えるしね」

「でも僕は1週間の契約ですから」

「え、そうなの・・・」

姫子は意外な顔をして言葉を切った。


ところが、その日の終わりに常伊達の秘書から2週間の契約延長が告げられた。

帰り支度を済ませナースステーションを通りかかった仁宜に、姫子が小声で話しかけてきた。

「仁ちゃん、勤務継続だってね。今日、飲みに行かない?もう少しで私終わるから、待っててよ」

「すみません。これから事務所に顔出すんで」

「遅くなっても良いよ。ご飯だけでも付き合ってよ」

「何時になるか分からないから、約束できません」

「そうなの、じゃ、今度は絶対付き合ってね」

仁宜は曖昧に返事をして病院を出た。姫子は頑丈な体つきが特徴の看護師で、何かにつけ仁宜に声を掛けてきた。病院での仕事は慣れないことも多く、姫子がいろいろ助けてくれことはありがたかったが、個人的な付き合いをする気にはなれなかった。

仁宜が事務所に着くと、雷樹が残業をしていた。

「お疲れ。雷樹が残業なんて珍しいな」

「まあな」

お前には関係ないとばかりに、素気ない返事が返ってきた。

ちょっと間を置いて、一週間の報告書を書いている仁宜に、雷樹の方から話しかけてきた。

「岩永姫子に告られたらしいな」

「いいや、そんなことないよ」

「えらく気に入られてるって聞いてるけど、どうなんだ?付き合ってやれよ」

「その気はないし、俺は・・・幸せにはできない」

「姫ちゃんが好きだって言ってんだろ」

仁宜は答えずに仕事を続けた。

「お前に惚れてるって聞いたぞ。抱いてやれば姫ちゃんが幸せになるじゃないか」

「・・・・そういうもんかな?」

「そういうもんだ。俺の取り巻き気取りのあいつらは、俺の彼女になりたくて張り合ってんだよ。可愛いもんだぜ。だから抱いてやる。そうすると別の女がいい女になろうともっと頑張る。いいんじゃないか。それで」

「おまえはどうして一度に何人もの女と付き合えるんだ?」

「男の本能さ、俺は本能に忠実なだけだ」

「俺、わからん」

「おまえ、男か?」

「・・・・・」

雷樹は答えない仁宜を無視して投げやりに話を続けた。

「まあ、どうでもいいや。姫ちゃんは年上だけど元気な子供を生みそうだな。看護師だし、家は金持ちらしいし、おまえに似合ってるけどな・・・まあいいっか」

雷樹は改めてパソコンに向かうと、仁宜が帰宅するまで顔を上げなかった。


仁宜はもやもやとした気分を引きずって、浴場と食堂を備えた寮に帰った。

タウンの寮は個室、家族部屋、2人部屋とタイプが分かれていて仁宜は料金の安い2人部屋を選んでいた。寮に着くと同室の住人はまだ帰宅していなかった。

部屋に入ると共有部分があり奥に寝室が並んでいる。左のドアを開けて自分の寝室に入り、ベットに寝転がった。

2週間の契約延長が決まったことは素直に喜べた。そして常伊達との会話が、タウンの生活について考える機会を与えてくれた。

大きな野心があるわけではないし、夢や目的を見つけていない仁宜にはここの生活が合っていると思っていた。今日のことで何かが違っているようにも思えて来た。堂々巡りの思考は、もう独りの住人、橋本の帰宅で途切れた。

「髙木さん、ちょっといいですか?」

ノックと一緒に声がした。

「今行くよ」

仁宜が寝室を出て、四畳半ほどの共有部分のテーブルに着くなり、橋本は話し始めた。

橋本は仁宜の部署とは異なる製造部門に勤務していた。

細かいことが気になるらしく、3日に一度は話を聞いてくれと言ってくる。一通り話すと仁宜の励ましで気を良くし、部屋に戻る。



大したことではないのに話さずには居れないのだろう。愚痴が口癖になり、不平不満でしか自分を出せない彼らに、頑張れとは言えない仁宜だった。

いつの間にか「拗ねるな、腐るな、死ぬな」これが仁宜の口癖になっていた。

今日の橋本は、片付けのできない先輩に怒っていた。ひとしきり話を終えた橋本が寝室に戻ると、仁宜は入浴し、独りで食事を済ませた。

広い食堂の隅でコーヒーを飲みながら、堂々巡りの思考に戻っていた。

タウンでの繰り返しの作業は廃品回収業と同じだが、共同体での仕事は個人の責任が発生する。そんな中、今回の契約の延長は、仁宜の仕事振りが認められてのことだったが、個人が評価を受けることがほとんどないタウンの仕事の中で、仁宜が名指しで求められた契約は、仁宜にとって生きている証しになっていた。

「自分の仕事と決めて臨めば何かが変る」

常伊達代議士との出会いは、仁宜の果てしない霧のかかったような人生に明かりを点した。

仁宜は何かを求め、探し始めていた。


仁宜の気持ちの変化は、退院後の常伊達の介護を仁宜個人が引き受けることで形を現した。それは髙木仁宜の新たなスタートだった。


退職届けを提出する日に、タウンの中で雷樹を友と感じたことはなかったが、班長と副班長の関係だったためか、今の思いを雷樹に話したいと思った。

しかし、何度か連絡をしたが雷樹からの返事はなかった。漠然とした中で、自分の前世が犬だったと信じていた雷樹との世界の違いを感じていた。

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