↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/147

明の章 是非は無し ~懸命~

介護を始めて5日目、日課の清拭の準備をしている仁宜に常伊達が尋ねた。

「生まれはどこだ?」

「宮崎です」

「ご両親は健在か?」

「はい」

「兄弟は?」

「兄がいます」

それだけ言うと口を噤み、仁宜はお湯で手を温め、常伊達の身体を拭き始めた。

着替えを済ませ片づけを終えた仁宜は常伊達に呼ばれ、そばに座るように言われた。

「君はなぜライフシェアータウンに入ったんだ?今まで何をしていたんだね」

唐突とも思われる質問に、仁宜は伏せた目を上げた。

質問は答える義務のないものだったが、常伊達と目が合うと仁宜は拒めなかった。

「私は大学を辞めて、横浜の会社で廃品回収業をしていました。ある日、墨田区で回収している時に、隅田川神社を探している初老の女性と出会いました。その人は宮崎の人で同郷だったこともあり、隅田川神社に送った後、1時間ぐらい話をしました」

仁宜はその時のことを思い出しながら話を続けた。

「回収の仕事は朝6時から夜11時まで独りで仕事をします。お客さんとは言葉を交わしますが、仕事ですから短い会話で終わります。自分のことや将来について、人と話すのは久しぶりでした」

「毎日6時から11時まで働くのか?」

「はい、陽が沈んだ後は、商品を解体したり、メンテナンスをする時間になります」

「それで生活できるのか?」

「決まった収入ではありませんが、生活には困りませんでした。お金を使う時間もありませんから」

「働きづめということか」

「いえ、仕事にノルマはありませんから気楽でした。でも将来を考えると不安になりました。そんな時にライフシェアータウンの募集があり、応募しました。そして介護の資格を取り働き始めました」

「タウンの生活は幸せか?」

仁宜は少し考えて答えた。

「わかりません。何を基準のしあわせでしょうか。お金ですか?自由ですか?」

「しあわせの基準か?」

「はい、基準です。しばらくして副寮長になり、みんなの悩みを聞くようになりました。悩みも望みも様々ですが、みんな口を開くと不平不満が溢れてきます」

「そんな時どうしたんだ?」

「黙って聞いていました。私には分からないことですから」

「聞くだけか?」

「はい。私は何もできないから」

少し間を置き、常伊達は話を変えた。

「お兄さんがいると言っていたな。どんな人なんだ?」

「兄はすごいです。かないません。私は弱いから」

「君の夢はなんだ?」

「夢ですか?ありません」

静かにきっぱりと答えた仁宜に、常伊達はそれ以上何かを尋ねることはなく会話は途切れた。


その夜、布団に入ると仁宜は常伊達との会話を思い出した。そして久しぶりに故郷の宮崎ことを考えた。


仁宜の兄、高木耀あかるは医大を卒業後、高千穂で鎌倉時代から続く旧家を継いでいた。高木家は農業を営んでいるが、代々嫡子は医師免許を取り、家を継ぐことになっていた。

 家に縛られ、兄と同じ道を歩かなければならないことに仁宜は疑問を持ち、長男と言うことだけで、親の言うままに家を背負っていこうとする兄のことが理解できなかった。

 高木家は古くから剣道場を持ち、剣道や棒武術を子供達に教えていた。棒武術については高千穂の神楽で舞われているが、高木家の縁の者は実践の棒武術を身につけていた。なぜ戦いのない今の時代に、実践が必要なのか尋ねた仁宜に、父親は鍛錬だと答えただけだった。

 そんな父親の簡単な返答に疎外感を感じた仁宜は、高木家に必要なのは長男だけと決めつけ、家の命に背き東京の大学に入学した。その後、親に相談なく大学を1年で退学すると、今では家との連絡も絶っていた。

 何をする気力もなくアルバイトで生活をしていたが、人との関わりが煩わしくなり、気楽さを求めて廃品回収業についた。

 毎日、毎日、同じ事を繰り返し、時間を消費するだけの生活は、気づかぬ内に日々の時間の流れを消し去り、生きている実感を奪い、明日の存在さえ感じない状況に、孤独な仁宜を追い込んでいた。

 だがあの日、隅田川神社で婦人を下ろした帰り、川沿いに軽トラックを止め青く高い空を見上げた。車を降りて深く息をした仁宜は、たとえ億劫だったとしても面倒だったとしても生き続けている自分を実感した。

うつむかず顔を上げることから始めたようと思った3日後に、ライフシェアーの募集が、仁宜の視線の先にあった。

 孤独が人の実感を蝕み、かかわりから生まれる喜びや苦しみが、生きている実感そのものになることに気づいた仁宜は、迷わずライフシェアーに応募した。

 家を嫌い、父親を嫌い、兄を嫌い、逃げるように上京した頃、何が自分を追い詰めたのか、何にこだわっていたのか分からない仁宜だったが、大きく高い壁と感じていた兄の迷いのない生き様を、今では兄の人生として受け入れ始めていた。


高木家の長男耀あかる、兄は今も霧島連峰をひとりで駆け巡っているのだろうか。

仁宜はまだ幼い頃、言葉少ない兄が、珍しく興奮して話してくれたことを思い出していた。


耀は11月中旬を過ぎると、太古の昔アマテラスオオミカミが姿を隠した折、八百万の神々が闇に覆われたこの世の危機を打破するために集まり、会議をした場所と伝えられている天の安河原を訪れる。

 天岩戸神社の西本宮から岩戸川沿いに10分程下って行き、小さな橋を渡ると、木々が覆いかぶさり、河原に出る。太古の人々も歩いたであろう細い道を辿ると、目の前に願いを込めて、幾段にも積み上げられた小石の塔の織り成す、神景が現れる。

数え切れないほどの小石の塔のあり様に畏怖の念を抱き立ち止まりる。そして気を新たに一歩を踏み出すと、たちまち立ち昇る幽玄の空気が

まとわり付く。

 願いの石の森は耀を厳かにその奥の洞窟へと導く。洞窟の奥には思考や知恵

を司るといわれる思金の神がご神体として祀られている小さな祠がある。

 木々に覆われ陽射しの少ない神々の庭にひっそりと佇むその祠に、限られた

時期に日の光が射し込むことがある。毎年、耀はその時間に合わせ、ひとつの

石にこめられた絆を確かめるためにここを訪れる。


 7年前嵐の中、耀は霧島連峰の高千穂の峰に立っていた。空を見上げ雲の流れ

を読み、人業とは思えない速さで木々の生茂る山の斜面を駆け下りていた耀が、

突然木を掴み立ち止まった。

獣?いや違う。

だが、この嵐の山の中を獣のように走り、曲がり、進む人間はそういない。

耀は動きを止めて気配を消した。

すると合わせた様にそのものも気配を消した。

無の睨み合いが続いた。

耀は高千穂へ帰ることにした。

何者であれ、激しくなる嵐の中、耀にとって庭のような九州山地を追ってはこ

れないと考えたのだ。

決断すると耀は一気に動いた。

そのうしろをすぐに、大きな気が追ってきた。

耀は2日を掛けて霧島連峰を縦断した。その間、ずっと同じ間合いでそのものは追ってきた。

攻撃することもなく、止まることもなく、ただ耀と並走した。

高千穂の天の安河原にそのものを連れてきた時には、嵐も収まっていた。

訪れる人の気配もなく、ただ願い石に落ちる雫の音だけが耀を出迎えていた。

 耀が動きを止めた時、そのものは音もなく耀の対面に立っていた。

その瞬間だった。その時を待っていたかのように雲の切れ間から、光の帯が射

し込みその男を照らし、その光は洞窟の奥にある小さき祠にまで達していた。

人々の思いが積み上げられた願い石の森の中に、その男は神の化身のように浮

かび上がった。


耀は物心ついてから修行の日々を送ってきた。

何の疑問も持たず山中を駆け巡り、先人達が行なってきた事を繰り返してきた。

孤独の中で、いつも死が付きまとうような修行を積んできた。

それは言い伝えにある、いつ訪れるか分からぬ在る時のために・・・

果てしなく遠いその時は、耀の日常化した修行をさらに孤独なものにしてい

たが、今目の前にある存在が孤独な耀の存在を肯定してくれた。


孤独の共有という特殊な状況が生み出したものは、衝撃的な出会いではなかっ

た。それは、それぞれの存在の確認であり、お互いに話さずとも分かっていた

のは嵐の山中が2人の居場所という事だった。

耀がぼそりと尋ねた。

「また走るか?」

「ああ」

はっきりとした返事が帰ってきた。多くを語らずに、その男はそのまま背をむ

けて霧のかかる上流へ向かった。山へ分け入る手前で立ち止まったその男は、

小石を手にして耀を見ると、己の存在の証しのように、河淵の苔むした石の上

に重ね置くと音もなく山中に消えた。

 いつの間にか日も陰り、天の安河原に漆黒の夜が訪れようとしていた。

ぼんやりと闇に佇む耀には、その男の存在が極限に追い込まれた自分自身が

創り出した幻のように思えていた。

だが手にした携帯に登録されている宇佐野雄介という名を見て、耀はこの壮絶な2日

間を残された願い石の存在と供に記憶に刻んだ。

11月23日の夕方、耀は高千穂神社の神楽に出ると、雄介との出会いがもたら

した高揚感はそのままで、神を迎える棒術の舞を納めた。

12/31日更新

文章に読み辛い箇所がございましたので訂正いたしました。


今年も今日で終わりとなります。

良いお年をお迎えください。

そして、来年も「天壌無窮」をよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。