無の章 消失の形象 ~絶命~
常伊達代議士は議員会館の事務所で、政策秘書の国玉若比古の書いた政策原案に目を通していたが、部屋のテレビの画面にライフシェアータウンの候補地が映し出されると、怪訝な表情を露わにした。その候補地はほとんどが大黒大臣の関与が疑われる土地だった。
テレビの中継は、公園に増加するホームレスの人々を映し出し、行く当てのない人々と紹介した。そして、ライフシェアーの実態を取り上げ、必要性をことさら強調した。ライフシェアー法案が通り次第、失業者の多い都市部でシェアータウンの建設か開始されると締めくくった。
常伊達代議士はいったん読みかけの書類に目を戻したが、しばらくすると、読み終えないうちに書類を置き、立ち上がった。事務員が行き先を尋ねると、曖昧にうなずいただけで部屋を出た。
常伊達は大黒厚生労働大臣の事務所に向かっていた。
ノックもせずに、部屋に入り、止めようとする秘書を軽くあしらうとドアを開けた。大黒は2人の男と机の上に図面を広げ、話をしていた。
「これはこれは、常伊達先生。御大自らお出ましとは何事ですか?お呼びいただければこちらから伺いましたのに」
大黒はあからさまに迷惑と言いたげに常伊達を部屋に入れ、図面を片付けさせると人払いをした。
「3回ほど声は掛けたがな、返答が無いのでな、ついでがあったから寄ってみた」
常伊達は柔らかい口調で言い終えるとソファーに腰を下ろした。
やれやれという態度を露骨に示しながら、大黒が常伊達の前に座ると、常伊達は世間話を始めた。
「それでご用件は終わりですか。ご存知の通り少々忙しくしておりましてね」
5分ほど話に付き合った大黒は話の腰を折った。そんな大黒を見据え、常伊達は忙しいと言う大黒の神経を逆なでするようにゆっくりと口を開いた。
「本気で進めようとしているのか?」
「何事にも本気で臨んでおりますが、何のことでしょうかな」
「ふるさとの石見銀山を東京に造るつもりか?」
「東京に銀鉱は無いでしょう」
「人権を奪うような政策は愚かなことだ」
「石見銀山は江戸時代のことですよ。時代錯誤も甚だしい。国民の不安を煽り、誤解を招くような発言は控えていただきましょうか。もう、よろしいかな」
そう言うなり、大黒は椅子を蹴る様に立ち上がると常伊達に背を向け、電話を掛け始めた。
常伊達は、「ばか者が」と言う言葉を何とか飲み込み、怒りを抑え部屋を後にした。
ドアが閉まるや否や、大黒は受話器をたたきつけるように置いた。
「何を言うか。生活保護を受けて気力なく生きるより、生活が保障され、自分の稼いだ分を自由に使えるのだから何の文句がある。タウンで働くと言うことは大きく捉えれば社会奉仕も兼ねているんだ。働き甲斐があるし、生きている実感こそ人権そのものじゃないか。」
いらだちが治まらず、感情が爆発寸前の大黒の耳にノックが聞こえた。ドアが開くと、末娘の光りが顔を覗かせた。
「パパ、入っていい?」
娘の突然の訪問に機嫌を直した大黒だったが、光りと供に入ってきた常伊達の私設秘書の国玉の顔を見ると、不機嫌さが戻った。
「国玉君、悪いが今日は帰ってくれ」
「大黒先生、すみませんでした。うちの常伊達が何か言いましたか?」
そう言うと先にソファーに座った光りの後ろに立ち言葉を続けた。
「年を取ると固定観念とやらが強くなってしまい、融通が利かなくなってしまうのですかね。年寄りの足掻きとでも言うのでしょうね。困ったものです。そろそろですね、常伊達先生の引き際は」
「まったくだ、寝ぼけたことを言うだけ言って、帰りよった。老いぼれが。早く引退しろと言ってやれ」
身内であるはずの国玉の常伊達への裏切りの言葉は、大黒の気をなだめ、心地よくさせた。
「その辺りは任せてください」
「掛けなさい」
大黒は光りの隣を指して言った。
「ねえパパ、いつになったら結婚できるの?私達」
「常伊達の爺さんは気づいているのか?」
「うすうすは分かっていると思います。でも私自身、このまま常伊達先生の下に居りましても将来が見えませんから」
そう言いながら国玉は光りの顔を覗き込んだ。
「まあ、光りがどうしてもと言うのなら、結婚は反対はしないが、それなりに働いてくれれば、その後の身の振り方も考えんでもないがな」
「ありがとうございます。私なりにご期待に沿えるように働かさせていただきます」
国玉は立ち上がり、仰々しく一礼をした。
事務所に帰った常伊達は、スタッフを帰し、一人になった。山済みの書類を背にして、常伊達は目を閉じ腕を組んだ。
「人権の喪失」
石見銀山は当時、20万人もの人が働いていたという。陽の光のない暗い坑道で、身体を休める場所もなく、30歳まで生きられないといわれる過酷な環境で、ひたすら石を掘る己の両手のみが生きている証だったのだろうか。
人間としての権利を経済第一とすれば、確かに大黒の言っていることは理にかなっているのかもしれない。
今一番必要なことが、失業して路頭に迷い、生きる道を見失うより、とにかく生命の維持を優先して、食って寝るという逃れられない宿命の不安を消すことなのは確かだ。
しかし、その代償として課されるものが辛すぎるのではないか。
常伊達の脳裏に、俯き黙々と仕事をするライフシェアータウンの人々が、薄暗い坑道で銀を掘る姿と重なった。胸をかきむしる様な、いたたまれない衝動が常伊達を襲った。
「いや、違っとる」
常伊達は立ち上がった途端、頭を抱えうずくまり倒れた。
ライフシェアタウンの管理事務所でシフト調整の残業をしていた雷樹のパソコンに、新規の仕事依頼のメールが届いた。
『‘至急・極秘’
介護職 男性1名 有資格者
依頼先 常伊達代議士事務所
勤務先 芳志医療センター病院
至急勤務調整後、派遣手続き終了次第、勤務すること』
雷樹は休日出勤可能リストを開いた。
介護福祉士の有資格者は2名いた。その2名に休日出勤依頼のメールを送った。
1名は予定を組んでしまったと断りの返信があったが、3分ほど待っても、もう1名からの返信はなかった。雷樹はもう一度リストを開いた。
名前を追って行って高木仁宜という名前にカーソルを当てたまま雷樹の手は止まった。
雷樹はシフト管理は全て記録保存ためメールで行う規則になっていたが、返信のないもう一名に電話連絡をした。
「ああ、大丈夫だよ、急ぐから、返事は?」
相手は返信しなかったことを詫びて、なんとか都合をつける、と答えた。
「用事あんなら無理するな。用があると返信しろ。後は俺が上手く片付けてやっから、分かってるな。」
電話を切ると高木仁宜という名前をクリックして、勤務依頼のメールを送った。
仁宜からはすぐに了解の返信が来た。
追加のメールに詳しい資料をつけた。仁宜から有資格者についての問い合わせがきたが介護福祉士の依頼ではないことと、交代要員がいないことを伝えると、早速明日からの勤務了解の返信が届いた。
雷樹は、派遣手続きを済ませた。緊急な場合は現地での契約となる。
「これで、終了」
と声に出し、パソコンをシャットダウンした。
「あー、タバコ吸いてー」
独り言を言いながら雷樹は足早に事務所を後にした。人通りの少ない細い道に入り、タバコを吸いながら、断れない性格の仁宜のことを考えていた。後ろめたさが煙に巻かれて犬の文字になった。立ち止まると、タバコを捨て、靴で潰して消した。
「雷樹。ご飯済んだ?食べに行こう。おごるよ。」
佳奈子だった。突然の声への驚きは、悪事を暴く天の声のように雷樹を慌てさせた。
佳奈子は雷樹の意外な反応に戸惑い、矢継ぎ早に言葉を足した。
「ごめん。驚かせた?そんなつもりじゃなかったんだよ。ごめんね。ごめんね。待って、ちょっと話がしたいんだ。」
ゆるい下り坂で雷樹は足を速めた。佳奈子は小走りになって追いかけ、雷樹の腕を掴んだ。
雷樹は突然止まった。勢いのついた佳奈子は転倒した。擦りむいた腕を摩りながら立ち上がろうとした佳奈子が顔を上げると、逆光の中目の前に表情の見えない雷樹の顔があった。パンツのポケットに手を入れたまま助けようともせず、雷樹は佳奈子に顔を近づけ冷たくささやいた。
「うざってえー。お前、千夏からなんも聞いてねえか?なら聞いてから面出せ」
雷樹は振り返ることなく、佳奈子を置き去りにして立ち去った。
帆戸柵佳奈子は雷樹の彼女を気取っていたが、前世占いの一件以来、雷樹は冷たくなった。今日も取り巻きに囲まれている雷樹に声を掛けたが、無視された。その上、取り巻きの一人千夏がわざわざ近づいてきた。
「あんたの寝姿悲惨なんだってね。女じゃねぇ不細工だって・・・誰かが言ってたよ」
そんな言葉が信じられず確かめようと雷樹の帰りを待っていたのだが、雷樹の言葉にその必要もなかった。
雷樹の気配が遠ざかるのを背中に感じながら、佳奈子はゆっくり立ち上がったものの、すぐに動くことができなかった。ぼんやりした頭で佳奈子は、摩帆瑠の死を渋谷の巨大モニターで知った時、交差点の真ん中で立ちすくんだことを思い出していた。 佳奈子は己の力でトップの座についた摩帆瑠の生き方にあこがれていた。佳奈子自身が受ける蔑みや嫌がらせは、摩帆瑠の活躍の陰にもあるであろうこととして、我慢できた。これまで佳奈子は辛い現実を受け入れず、見ないように生きてきたが、今立ちすくむ中で摩帆瑠の死や雷樹の冷たさと向かい合っていた。
そして佳奈子は気づいた。
「何が起こるかわからない。過去はどうでもいい。ぐずぐずしてられない。」
大きく息を吐き、ライフシェアータウンを出る決意をした。
帆戸柵佳奈子はライフシェアータウンの家族棟に、パチンコ通いの父とパートを掛け持つ母と住んでいた。母は自転車で帰宅すると半額で買ってきた惣菜を夕飯だと言って並べた。そんな毎日に、佳奈子はうんざりしていた。
毎日、夕方になると雑誌から出てきたような格好に着替え、白いハイヒールに美しい足を収め、出かけようとする娘に母は毎回同じ小言を言った。
「毎晩毎晩、ふらふらして、いいご身分だね。そんな派手な格好やめて少しは先のこと考えな」
そんな母を佳奈子は冷めた目で見た。
「あんたそれで幸せなの?ばかみたい、蟻んこみたいに這いつくばって何が楽しいの。私は真っ平だわ。わたしはもっと楽しい生活をするの」
そんな言葉を母に言うことさえ、面倒だった。
雷樹と分かれた夜、佳奈子が帰宅すると母親は食事の準備をしていた。佳奈子は立ち止まりもせずにその背中に告げた。
「私ここ出て行くから」
「え?出て行くって、出てどうするの」
母は振り向きもせずあきれたように言った。
「友達の家に行くから」
「悪い仲間の家か」
晩酌をしていた父親も口を挿んできた。
「何で悪い仲間って決め付けんだよ」
「派手な格好してふらふらしてんだから、決め付けるも何もないだろ。ろくな人生にならないよ。考え直しな。三食、食べられて、自分で稼いだ金は自分で使って、親の苦労なんか知ろうともしない。何が不満なんだい」
母親の決まり文句を聞き流して、佳奈子は3畳の自分の部屋に入ると、小声で悪態をついた。
「お前の娘に生まれたのが不満なんだよ。ばーか」
佳奈子は散かっている部屋を見回し、掛けてある服を旅行バックに詰めた。机に散乱している化粧道具をまとめながら、鏡の横にピンで留めてあるいくつかの写真の中の1枚を手にした。
半年ほど前、ネイルサロンで気になった人を思わず隠し撮りした写真だった。手に取ると、何か思いついたように、化粧道具と一緒にバッグに入れた。一時間程で荷物をまとめると、あらかた回りを片付け部屋を出た。
食事の済んだ母親は、くたびれて横になっていた。
「ここに居たらあんたみたいになりそうでいやだ」
その母親に吐き捨てるように言うと家を出ると、佳奈子は振り向かずに迷いのない足取りで真っ直ぐに歩いて行った。その後ろには何も変りのないライフシェアータウンのマンモス団地の窓の明かりが無数にあった。




