命の章 ~ 霊命 ~ 信じるに・・・込める思い
一方、別荘に紗羅と一緒に残った技荻は、心もとない寂しさの中にいた。
技荻の本名は早野陽美加と言い、裕福な家庭で育った。
そんな陽美加は10歳のころ、興味本位で母親の高価なアクセサリーを持ち出した。
宝石の紛失は若い使用人の罪となった。
陽美加は母親の激しいしっ責と父親の冷酷な怒りに恐怖を怯え、真実を告白できなかった。
そのため、陽美加は罪悪感と恐怖に打ち震える幼い心を守るために、噓と突き通すという鎧を身に着けてしまった。
そしてその鎧は、場面ごとに変わる陽美加の衣装となり、傷つかないように傷つけないように生きる陽美加を守ってきた。
日々を生きる中でさまざまな感情に振り回されることを苦痛と感じていた陽美加は、高校で演劇と出会った。演劇は彼女にとって、噓をつくという鎧を身につけるその生き方を肯定するものだった。
演劇にのめり込み、その道に進むためにイギリスへ留学をした陽美加だったが、舞台に立つことなく、結婚を勧める親に、強制的に帰国させられた。
親の拘束から一生逃げられないと悟り、思いつめた陽美加は自殺を考えるほどに追いつめられた。
その陽美加が帰国する飛行機の中で、思兼と出会った。
思兼は、隣の座席の陽美加の異様さを感じ取っていた。
その女性は結婚をすると嬉しそうに話すのだが、何か真実味がない。当たり障りのない会話がかみ合わず、そのたびに戸惑いが見え隠れする。極度の緊張のためなのか?話すほどに的の外れた会話になっていくのはなぜだろう。
しかしそれがその女性の謎めいた魅力となっていることも否めなかった。
陽美加に興味を持った思兼は、もう一つの顔の精神科医の名刺を渡し、祝福の言葉を添えて後ろ姿を見送った。
そして1年が経ったころ両親に連れられて、その女性、早野陽美加が来院した。
結婚をすると幸せそうに語っていた姿は見る影もなく、思兼の質問に背を丸めて俯いたまま、顔を上げて答えることはなかった。
しびれを切らした両親が、ここ1年の経緯を説明し始めた。胸が痛むような責め言葉にも陽美加は無反応だった。
「この子は、子供のときから噓をつく子なんです」
母親はさげすむ眼差しで娘をちらっと見て声を潜めた。
その声に反応して、母を見上げた娘の顔に、一瞬押し殺していたであろう敵意が走った。
両親は、数回の受診のあと保護入院が必要との診断を受けて、陽美加を入院させることを希望した。
陽美加は抵抗することなく、数ヶ月を病院で過ごすことを受け入れた。
入院後、少しずつ自分を取り戻していった陽美加は、意思決定時にパニック状態に陥ることを除いては、生活に何の問題もなかった。そんな陽美加にとって、鍵のかかった病室での生活はあまりにも残酷な仕打ちだった。
しばらくして、作業療法を始めた陽美加は朗読に興味を示した。そして読み込んで覚えたものを、ひとりで演じるようになった。
陽美加は天性の俳優だった。
そして虚構の世界でしか生きていけないと悟った早野陽美加はイレーザーとなり、古来の俳優を意味するわざおぎを名乗った。
普段は顔を隠し、人形のごとく何事にも反応しない技荻だが、ひとたび役を与えられたならば、覚えこんだ台詞を駆使して、イレーザーの思惑どおりの結末に持っていく。
ただただ指示に従って演じる。幕が下りても達成感に喜ぶという感情に浸ることはなく、演じ終われば悲しみも苦しみも残らない、独り芝居に身を投じていた。
技荻の意思や感情を必要としない虚構の世界が技荻の人生そのものとなり、今ではイレーザーとして重要な役割を担う存在になっていた。
そんな技荻が捕らわれている紗羅を前に、岩堤のメッセージを無視して自分の意思を示した。
技荻の心が、紗羅を守りたいと切に思う心が、技荻の虚構の鎧を打ち破った。
「大丈夫か・・・」
ラーテルと小戸山を緊急搬送で送り出した半蔵門は技荻に声をかけ、そして紗羅をソファーに寝かせた。
その紗羅は、ラーテルを微笑んで見送ったあと、焦点の合わない目で技荻を探しているように見えた。
技荻はそんな紗羅に掛ける言葉がなく、立ちすくんでいた。
私を探している・・・行くべき?放っておくの?どうすればいい?逃げる?
死にたい・・・逃げ出したい・・・
技荻は自己に対する攻撃衝動を抑えようとして、ガタガタと震えていた。
私は、あなたに取り入り騙すことが仕事だったの。ごめんね、紗羅。ありがとう。あなたのお陰で私は自分の言葉を取り戻すことができた。あなたと一緒に過ごした日々が幸せだった。そしてもう二度と戻れないことが、死にたいくらい寂しくて悲しい。
弁明はしない。でも紗羅、許してほしい。
ああ、私の言葉・・・言葉にすれば台詞になるかもしれない。信じてくれなかったら・・・
自分さえも信じられない技荻は、よろけるように紗羅から離れ、後ずさりした。
「あんたしかいないよ、紗羅を守れるのは・・・」
傍らで2人の様子を見ていた半蔵門のつぶやきに、技荻はぎくりとした。
技荻は紗羅に駆け寄り抱きしめた。
紗羅は技荻に抱きしめられ、その温かさに無理に笑おうとする口元は裏切られ、その目からは堰を切ったようにホロホロと涙が零れ落ちた。
悲しみは顔に出してはならないという父の教えを守ってきた紗羅だったが、押さえつけていた悲しみが、辛い思い出とともに溢れてきた。
紗羅の自我は悲しみを受け入れた。
肩を震わせて泣いている紗羅・・・
こんなとき、どう言えばいいの?なんと言ってこの子をなだめればいいの?
台詞・・・出てこない・・・言葉はいらない。
技荻は幼子のように泣きじゃくる紗羅をただ抱きしめていた。
責められることを罰だと思っていた技荻、悲しむことを罪と教え込まれた紗羅。
紗羅は技荻を責めず、技荻は悲しみを心のままに涙する紗羅を見守った。
「そ・っ・た・く・・・」
そう呟いた半蔵門は、寄り添う2人の姿をその情景に重ねた。
「引き際だよ、技荻さん。本当の親子にしてもらいなよ・・・」
技荻に声をかけて静かにリビングのドアを閉めた。
広島の由宇子を見舞った翌日の早朝、成彦は武美の負傷の連絡を受けた。
目を覚ましたものの、布団に包まって成彦を見ていた卯月は、一瞬、青ざめた成彦を見逃さなかった。
「どうしたの?」
「・・・」
「武美さんに何かあったの?」
「・・・」
「成さん、教えて、武美さんがどうしたの?」
成彦は卯月の勘の良さに啞然とした。ベッドに正座をして、聞き出すまでは一歩も引かないという卯月の表情に、成彦は重い口を開いた。
「・・・武美が蛇の毒を打たれて・・・意識がない。48時間以内に解毒剤が準備できないとまずい」
「まずい・・って、何?死ぬってこと?」
「そうだ・・・」
「でも、解毒剤は準備できるんでしょ?」
「それが難しい・・・」
「なんで?あんたの組織なら簡単でしょ?」
「複数の蛇の毒を混ぜたものでそれを解析することさえ困難らしい」
「うん?・・・毒?・・・」
突然、卯月は何かを思いついたように立ち上がり、スマホを取り出すと電話をかけ始めた。
成彦は卯月の衝動性には何度も驚かされたが、その度に卯月の行動が行き詰った状況を打破するきっかけとなっていた。
「成さん、間に合った。伊豆野さんが何とかしてくれる。きっと助けてくれる。会いに行こう」
卯月はそう言うと身支度を始めた。
広島に向かった成彦と卯月は、由宇子が療養中の軌跡診療所に着いたとき、そこに居合わせた伊豆野と出会った。
毒の研究をしている伊豆野に、由宇子は若狭の薬と神盛奈穂の薬の解明を頼んでいた。
そんな縁を繋いで伊豆野は、由宇子の状態を経過観察するため、定期的に広島を訪れていたのだ。
卯月はその伊豆野が毒のスペシャリストだったことを思い出した。
そして伊豆野に協力を取り付けた成彦は卯月を広島に残し、武美の待つ三重へと向かった。
そのイレーザー本部、武美の眠る病室ではサルが片時も離れず武美に付き添っていた。
そこへ伊豆野を連れた成彦が現れた。
「佐多さん、血清ができたんですか?」
サルがガタッと立ち上がり、弾んだ声で成彦に尋ねた。
成彦は無言で首を横に振った。
落胆して膝をつきかけたサルを成彦が支えた。
「こちらは伊豆野さんだ」
紹介された伊豆野を武美の命の鍵を握る人物だと直感したサルは、深々と頭を下げた。
サルの思いに伊豆野は頷き、早速点滴に液体を注入した。
「これで命は繋ぎとめられるでしょう。あとはこの方の気力と体力次第です」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
サルは何度も伊豆野に頭を下げた。そんなサルの肩に成彦が手を置いた。
「少し休め、武美に怒鳴られるぞ。いつでも、どこでも万全だろ・・・」
「・・・はい、そうです」
サルは武美の顔を覗き込み、何度か振り返り、離れがたい思いを残して部屋を出ていった。
「伊豆野さんありがとうございました。お陰様で一縷の望みを持つことができました」
成彦の言葉に伊豆野は飄々とした顔で武美に近づくと、点滴を確認した。
「はじめにお伝えしたように、注入したものは蛇の毒です。命は取り止められてもその先は分かりません。経過をみなければ何とも言えない・・・」
「承知の上でお願いしたことです。この状況なら武美も同じ選択をするでしょうから・・・」
深い眠りについている武美に、成彦は心情を伝える視線を送った。
同時刻、思兼と倉岡が待つイレーザー本部の別室に、サングラスとマスクで顔を隠した技荻が入ってきた。
別荘から三重のホテルに紗羅を連れて移動した技荻は、倉岡からひとつの提案を受けていた。
紗羅の叔母として、これからの人生を生きてはどうかと。
別荘での半蔵門の言葉が、意思決定の苦手な技荻の背中を押した。
技荻はサングラスとマスクを外すと、思兼の前に辞表を静かに置いた。
幼いころ、自分軸の形成に至らなかった技荻と紗羅。
2人の相互理解が深まるにつれ、技荻は場面、場面での台詞が出てこなくなった。
戸惑い、悲しい表情の技荻を紗羅は責めることなく、一緒に悩み、技荻の悲しみを理解しようとした。
一方、悲しい思い出で埋まってしまった紗羅の心も、技荻を支えようとする中で技荻の真心に触れ、少しずつ悲しみを昇華していった。
そんな状況の報告を受けたイレーザー本部は、技荻の辞表を受理した。
ほどなくして、技荻と紗羅は養子縁組を結び、しばらくはイレーザーに見守られながら暮らすこととなった。
数日後、一命を取り止めた武美は、手足に麻痺が残ってはいたが、意識は戻り、起き上がるまでに回復していた。
その武美の病室に、サルはリハビリを手伝うために毎日欠かさず顔を出した。
ある日の早朝、夜の任務を終えたサルが現れた。
「武美さん、来ましたよ」
「お疲れ、毎日大変だろう。ありがとうよ」
「さあ、始めましょう」
サルはベッドを起こし、武美の足を擦りリハビリを促すように声をかけ始めた。
「はい・・・はい・・・はい」
武美は意外にも楽しそうに、サルの掛け声に合わせて身体を動かしている。
20分ほど経ったときノックが聞こえ、思兼と成彦が入ってきた。
「サル君、今日もですか、お疲れ様ですね」
思兼はサルに、にこやかに労わりの声をかけた。
「思兼さん、佐多さん、おはようございます」
サルは勢い良く立ち上がり、2人に挨拶した。
成彦も笑いながら緊張気味のサルの肩をポンと叩いた。
「良かったな、武美が無事で。サルが頑張ったとベンが感心してたぞ」
「・・・そんなら・・また来ます」
サルは武美に、そして思兼と成彦にも頭を下げ、照れを隠すようにそそくさと部屋を出ていった。
「何はともあれ、良かったよ。さすが最強の武人だな」
「佐多のお陰だ、伊豆野さんの解毒剤が効いたんだな。ありがとうな、佐多」
「いや・・実は解毒剤といっても蛇毒から作ったものだと聞いたときはぞっとしたよ。でもそれしかなかったからな・・・」
「佐多がやられたとしても、俺も同じことしたよ」
「だろうな・・・」
「毒を打てと言った佐多にも恐れ入りましたがね、検証されていない民間療法を信じて自ら墓穴に入るのもなかなかできることじゃない」
思兼が信じ難いとばかりの顔をした。
「ハハハ、サルが泣きわめくと手が付けられなくなるからな、ベンが困り果てるだろうから仕方なくな」
武美はサルの泣き顔を思い出したように擦れた声で笑ったが、ふと真顔になった。
「すまんな、佐多。大臣の件に支障はないか?」
「明日から島根に入ることになっている。思兼と進めておくから、お前は早く復帰しろ」
「ああ、サルが張り切ってるから、すぐに復帰できるさ」
「サル君のリハビリは効果がありそうですね」
「そのとおり毎日、毎日、たまに午前と午後の2回、必ずやってきてはメニューを済ませて帰っていくんだ。思兼、あいつを何日かどこかに飛ばしてくれないか?」
含み笑いをした思兼に武美は言葉とは裏腹に笑い返した。
「どこに飛ばしても帰ってくるだろうな、サル君は・・・」
「武美、観念してサルのいうことを素直に聞くんだな」
「観念したのは佐多のほうだろう。お前、可愛い奥さんの言うことは素直に聞くんだろ?」
「・・・振り回されてる、って言えば満足か?」
「ハハハ、やっぱりな、よろしく言っといてくれ。伊豆野さんのこと感謝してるって・・」
「言っとくよ。思兼、行こう」
成彦はきまり悪さを悟られないように武美に背を向けて、部屋を出ていった。
「それでは・・・武美さん、無理はしないでください」
武美はよッと手を挙げて思兼を見送った。
「いよいよ本丸へ乗り込むのか・・・」
武美は感慨深げに呟いた。
新しい年を迎えました。しかし、人としての在り方を問われる年となりそうですね。
人との繋がりを大切にこれからもプロトコルを続けていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
寒い毎日が続きます。皆様、ご自愛くださいませ。




