命の章 ~ 霊命 ~ 信じ切る・・・命を預けられる?
数時間前、倉岡が紗羅にディープインサイドを試みたあと、寝息を立てている紗羅を少し離れて見守っていた技荻は、突然部屋に流れ込んだ不快な臭いに気づいた。
椅子から座立ち上がったときにはすでに遅く、ベッドに寝ていた紗羅の姿は消えて、リビングから聞きなれない声がした。
連れ去られた紗羅を追い、リビングへ向かおうとする技荻に岩堤のメッセージが届いた。
静観です。距離を置き私の目になってください。
イレーザー技荻の行動は、随時更新される岩堤のメッセージによってすべて決定される。
技荻は指示通りに立ち止まり、紗羅の部屋のドアの陰からリビングの様子を探った。
そして技荻の目はラーテルの暴挙を冷静に岩堤に伝え、サルとヴァイパーが紗羅の部屋の窓から外へ飛び出した瞬間も、動じることなくその様子を捉えていた。
一方、毒を打たれた武美を担いで入り江に着いたベンは、コートを脱ぎその上に武美を横たえた。
今か今かとサルの到着を待っていたベンは、あとを追ってきたサルが手にしているシャベルを見て、思わず声を上げた。
「何でシャベルを?何をするんだ?」
「ヘリはすぐに来ない。だから武美さんを埋める」
「埋める?サル・・・何言ってんだ?」
「だから穴を掘って埋めるんだ」
サルは場所を選び、穴を掘り出した。
ベンは戸惑いながらもサルの勢いに押されてシャベルを取った。
空が白々としてきた。
人が座り埋まるほどの穴を掘ると、サルは目を閉じている武美に話し掛けた。
「武美さん、今から武美さんを埋めます。いいですよね、武美さん」
泣き顔のサルは物言わぬ武美の服を脱がし始めた。
「何をするんだ?・・・バカ、やめろ」
ベンは叫び、サルを止めようとした。
それでも手を止めないサルをベンが力づくで武美から離しにかかった。
「ベン、止めないでくれ。このままだと毒が回る、いくら武美さんでも・・・」
そのとき武美が薄っすら目を開けた。
「武美さん・・・あああ」
ボロボロとサルの目から涙がこぼれた。
「サル・・・埋めろ・・・お前に・・預けるから・・・」
サルはうんうんと頷き、ベンは武美の言葉に戸惑いつつも、武美を抱き上げ、傾斜のある穴に座らせた。
サルが泣きながら武美に砂をかけていく。
武美はすべてを受け入れたと示すように口元に笑みを残し、目を閉じた。
「武美さんは俺に命を預けてくれたんだ。じいちゃんが教えてくれたんだ。薬がないときこうすれば助かるって言ってたんだ」
ぼそぼそと自分自身に言い聞かせて、サルは砂に埋まった武美の脇に座り込んだ。
ベンは肩を震わせているサルにかける言葉を思いつかず、武美の無事を祈るしかなかった。
そんなベンに、岩堤から急ぎ別荘に戻れとの指令が来た。
「別荘に戻れ?なにが起こった?終わってないのか?」
ベンはサルを残し、別荘へ走り出した。
そして別荘にたどり着いたとき、まだ夜のほの暗さを残す木立の中から別荘の窓をけ破り侵入する人影がベンの視野に入った。
「誰だ?ヴァイパーか?」
そのリビングでは毒を打たれたはずのラーテルが、今にも紗羅を狙って左手を振り降ろそうとしていた。
思兼はじりじりとラーテルに近づき、紗羅を引き離す間合いを計っていた。
あと1歩近づければ手が届き、引き離せる。
思兼がその1歩を踏み出そうとしたとき、ラーテルの凶器に満ちた目が恍惚とした眼差しに代わった。
まずい、やられる。
思兼はラーテルに向かって飛び掛かった。
間に合わない。
絶望的な状況を受け入れかけた思兼の腕の中に、紗羅が飛び込んできた。
ラーテルの左手が紗羅に振り降ろされる寸前、思兼よりも早く技荻が動いた。だが振り下ろしたラーテルの手で撥ねられて技荻は転倒した。
逃げる紗羅の腕を掴もうとするラーテルに縋りついた技荻を、窓から飛び込んできた男が押しのけてラーテルに体当たりをした。
そして男はラーテルの左手を掴み、縺れるように押し倒し、覆いかぶさった。
「小戸山・・・」
ラーテルが吐き捨てるようにその男の名前を叫んだ。
毒を持つラーテルの左の手を握りしめて放そうとしない小戸山から、逃れて、起き上がろうとするラーテルが突然血を吐いた。小戸山の手をむしり取るように外して、開いたラーテルの手のひらには小さな針のついた潰れた球体が残っていた。
状況を理解できないラーテルは、手のひらの物体を不思議そうに眺めた。
そんなラーテルに息絶え絶えの小戸山が引導を渡した。
「お前の父親がサンズのために用意をした科学毒だ。お前は父親の毒から逃れられない」
科学毒と引き換えに、自らラーテルの毒を身に受けた小戸山は、焦点の合わない目で紗羅を探した。
自分に近づく紗羅を、小戸山の涙をためた目が捉えると、その姿を確かめるように瞬きをした。
「紗羅様、私に近づいてはいけません。私は罪深い汚れた人間です・・・」
ラーテルの毒で神経を侵され始めた小戸山は残った力で身を起こし、背を向けるようにして紗羅を拒否した。
近づくなと言われ、紗羅は、素直に立ち止まったが、その眼差しに恐怖はなく、小戸山を温かく包み込む優しいものだった。
紗羅様、あなたの微笑みの中で今世を終わる私は幸せです。人生の最後に、憧れた父の姿でもなく、方士様の人形でもなく、あなたを守った私として終焉を迎えることができます。
声にならない小戸山の呟きに頷く紗羅を見た小戸山は、安らかな微笑みを浮かべて息絶えた。
そして紗羅は父の教えの通り1滴の涙を流すことなく、微笑んで小戸山を天国に見送った。
「アウル・・・あなたって・・・馬鹿ね」
小戸山の身体を押しのけて半身を起こしたラーテルは、息苦しさを隠してあきれ顔で笑った。
張り詰めた空気の中、ラーテルと目の合った紗羅が引き寄せられるようにラーテルに近づいて行く。
到着したベンは、すぐには倒れこんでいるラーテルと小戸山の状況を把握できずにいたが、それでも慌てて紗羅の腕をつかみ引き止めようとした。
そのベンを思兼が首を振って止めた。
紗羅は起き上がったラーテルの横に座り、ふらつくラーテルを抱きとめた。
毒が回り抵抗する力もなくなりラーテルは紗羅に身を預けた。
すると紗羅はラーテルの左手を取り、その指から毒の仕込まれていた3個の指輪をすべて外した。
「お姉さんの本当の名前を・・・教えて・・・」
「・・・夢子と書いて・・・むこって呼ぶの」
ラーテルは素直に答えて弱々しく笑った。
「むこ・・さん」
紗羅は指輪を外した手を優しく撫で始めた。
「あなたの汚れは指輪を外したから消えた。夢子さんはお父さんが大好きだったのね。お父さんの言うとおりに生きて、お父さんの願いを叶えてあげたかった。でもあなたはお父さんの犯した罪を分かっていた。だからお父さんの罪を認めたくなかったあなたは、その罪を消そうとした。夢子さん、もう何も考えなくていいの。あなたのお父さんの罪も流されて遠い世界に運ばれて・・・もう終わったのだから」
「終わったの?・・・」
紗羅はこくりと頷き、ラーテルの手を擦り続けた。
「あなたは・・・私を許してくれるの?」
「許すのは私ではなく夢子さん自身よ」
「・・・」
「苦しんでいる夢子さんをあなたが許してあげればいい」
「私を・・許すの?」
「十分に悲しんで苦しんだでしょ。もうお仕舞いにしてもいいと夢子さんに言ってあげて」
「・・そう・・するね」
ラーテルの呼吸は浅くなり紗羅の胸の中で苦しそうに答えた。
そしてラーテルが喘ぐように思兼を呼んだ。
「思兼・・・か・ら・す・・が・・」
何かを言い残そうとしたラーテルは、言い終わらずにその命を閉じた。
紗羅の涙がラーテルの左手にポトリと落ちた。
紗羅は、ラーテルの父への思いを自分の思いと重ねていた。
救護隊を連れて到着した半蔵門が、倉岡をストレッチャーで運び出し、ラーテルと小戸山をイレーザーの本部へと向かわせた。
思兼と担架を抱えたベンは、紗羅を半蔵門と技荻に任せて入り江に向かった。
入り江に着くと、少し盛り上がった砂の横でサルが膝を抱えて座っていた。
泣きはらした目のサルがその心情を語っていた。
驚きを隠し砂浜に埋められた武美の顔を覗き込む思兼に、サルはしどろもどろな説明をした。
「ヘリがいつ来るか分からないから、砂の中は暖かいし、じいちゃんがふぐ毒は埋めたら抜けるって言ってた・・・」
「だから埋めたのですか?ふう・・・それで武美は生きていますか?」
代わりにベンが答えた。
「呼吸の確保はしました。今のところは自発呼吸できています・・・」
「それは良かったです。打たれた毒が出血毒でなければこの方法は間違いではない。埋めることで呼吸の確保ができているのかもしれない」
「サルは・・・」
「そんなこと知っていたかな?サルは必死だったんですね。考えつくことを、自分にできることをしただけだろうな・・・」
一時も武美の傍を離れようとしないサルを、思兼は温かい眼差しで受け止めていた。
浜辺に繰り返し打ち寄せる波にサルはなだめられ、落ち着きを取り戻した。
サルは武美の息遣いから生まれる微かな風を必死に捉えていた。サルにとってそれが武美の命の限界を知る唯一の術だったのだ。ふと気づくと、その波跡が武美の足先に近づいていた。
サルにはそれが武美の限界を知らせているように思えてならなかった。
「じいちゃん、助けてくれよ・・・」
サルの願いを削ぐように、ヘリを待つ時間がじわじわと武美の呼吸を弱めていった。
突然サルが立ち上がった。
「ヘリが来る」
思兼とベンは明るくなった空を見上げた。
「・・・」
「ヘリの音はしないぞ・・・」
ベンは好奇の目をサルに向けた。
「風で分かる」
サルはそう言い切って、武美に被せた砂を手で掘り出し始めた。
サルは風を読み風に乗る・・・ベンは、サルを認める武美の口癖を思い出した。
「そうか、ヘリが来るんだな、よし掘り出して担架に運ぶぞ」
武美を穴から担架に移し終わったとき、上空にヘリが姿を現した。
そしてサルは天鳥のヘリで武美に付き添い三重へと向かった。
ヘリを見送るベンが肩を回して大きく息を吐いた。
「思兼さん・・・どうでもいいことなんですが、ラーテルは最後には笑ってましたよね。サンズの小戸山もなんか幸せそうに見えたし、あの娘は不思議な力を持っているんでしょうか?」
「・・・それはないだろう。擦るという行為はオキシトシンと言う快楽物質の分泌を促す。それに加えて、彼女の声質や口調が癒しの効果をもたらして、ラーテルの心の緊張を解いたんでしょう。小戸山は・・・まあ、それだけではないかもしれないが・・・そんなとこですね・・・」
「そうなのか・・・」
ベンの呟きと同時に思兼のスマホが振動した。
思兼はベンから距離を取って話し始めた。
ベンはその場に残り、ヘリの去った空を見上げた。
この空の遠くにベンのふるさとがある。内乱の戦火の下、ベンは何人もの人を、空を見上げて見送った。
そして今日もラーテルと小戸山の死を悼み、また空を見上げている。
その空に生死をさまよう武美の姿を見ていた。
10年ほど前、ベンは内乱の地とかした故郷で家族を失い、生き延びた数人とあてもなく荒野をさまよっていた。
疲れ果てて体力も気力もなくし座り込んでいるベンたちの頭上に、轟音とともにヘリが現れ、そのヘリから降下してきた男の手が顔を上げたベンの目の前にあった。精いっぱい伸ばしたベンの手を力強い男の手ががっちりと掴み、引き上げられたベンは男に抱きとめたれた。
地上から伸びた手がベンの足に触れた・・・もう一つの手が靴を掴んだ。
「下を見るな」
その瞬間、男の声がした。
15才のベンはこみ上げてくる張り裂けそうな思いを唸り声にして、しがみついた男の胸にぶつけていた。
そのときベンのすべてを受け止めてくれた男が武美だった。
ベンをヘリに収容したあと、武美はロープを掴み、見上げて手を振っている人々の元へ再び降下しようとした。
だが、危険を知らせるアラームが鳴り響き、ヘリはその場を離れるしかなかった。
その後、手続きを済ませて入国し、日本に帰化したベンだったが、残された人々への思いは消えることがなく、深い傷となって心に残っていた。
なぜ、俺だけ生きているんだ?
俺だけ平和な国で生きていていいのか?
武美さんはあの状況で俺の手を選んだんだ?
ベンは空を仰ぐたび、答えにたどり着かない自問を繰り返していた。
「なぜ、あの中で俺だったのか?」
武美に尋ねると「分からん」と素っ気なく帰ってきた。しつこく尋ねると手がデカかったと冗談のように答えた。確かにベンは成長するにつけ恐ろしく巨大な肉体の持ち主となっていった。
イレーザーとしての仕事の中で割り切れない感情を持て余していたベンに、岩堤は「すべて不可抗の定め」と笑って答えた。
不可抗力・・・人の力ではどうしようもないこと・・・受け入れるしかないこと。
岩堤は視力を失いながらもイレーザーとして生きていることを不可抗の定めと言っていた。
武美がベンの手をつかんだときに不可抗の縁が結ばれたと岩堤に言われて、ベンはその言葉を素直に受け入れた。
あとに残された人々は生きるための縁を結ぶことができたのだろうか・・・だが、今となっては思いをはせても確かめようのないことなのだ。しかし命の縁のなさを不可抗の定めと諦めるにはあまりにも悲しく、忍びない。
ラーテルと小戸山、そしてヴァイパー・・・救えなかった命があった。
彼らの罪とは命を持って償わなければならないほどの罪だったのだろうか?
ふとそんな思いが頭をよぎった。
そんな優しいベンの思考を思兼の声が断ち切った。
「ベン、一旦東京に戻ります」
思兼はヘリの消えた空を名残惜し気に見上げているベンに促した。
「武美さん、助かりますよね?」
「そうだな・・・助かるといいですね・・・」
2人はそれぞれの思いを抱えて入り江を後にした。
明けましておめでとうございます。新しい年、皆様にとって良い1年になりますように。
この小説の更新も頑張ってまいりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。




