命の章 ~ 霊命 ~ 信じては・・・いけない
卯月は、ブラインド越しに日差しの差し込む病室で目を覚ました。
うっすらと目を開けると、点滴スタンドの横に成彦が厳しい顔で座っていた。その顔つきから、卯月は自身が生死の境目にいたことを察した。
「ありがとう、さすが私の夫だわ」
「何が夫だ、無茶ばかりして」
「無茶・・でした。でもあの男が雷樹を血祭りにするって言うから・・・」
「だとしてもお前さん1人で何ができる?」
「そう・・・何にもできなかった・・・」
「もう二度と無茶はするなよ、相談するって約束だったよな」
「わかったから、で、雷樹は助かったんだよね?」
成彦の厳しい顔が呆れた顔に変わった。
「死にかけたのに人の心配か?・・・助かるも何も、お前さんの周りには誰もいなかった。大体その雷樹っていうやつは元信者なんだろう?信用できるのか?お前さんをおびき出すために手伝った可能性もある」
「そんなことない、絶対ない。私を罠にはめるなんて。あいつは教団とは縁を切って立ち直ったんだから」
「お前さんが思っているだけかもしれんだろ。人は恐怖や欲望で縛られた縁は断ち難い。その男も」
「・・・なんて言ってるけど、助けてくれたんでしょ、雷樹のこと」
疑いのない満面の笑みを浮かべた卯月に、成彦は返答に詰まった。
「雷樹も、私も助けてくれるって分かっていたよ・・・成さんだもの」
「・・・」
苦虫を嚙み潰したような顔をした成彦に、卯月はくすっと笑った。
卯月の隣の部屋には、何とか一命はとりとめたものの意識が戻らない雷樹がいた。
医師から意識が戻っても後遺症が残る可能性があると告げられた。
呼吸器をつけて命を繋いでいる雷樹を、武美が腕を組み、仁王立ちして睨み据えていた。
その怒りは雷樹に向けたものではなく、武美自身に向けられていた。
「雷樹、戻ってこい。このままだと・・・お前は消えるんだぞ・・・お前の人生が無しになる」
武美がタンカとともにヘリから降下したとき、サルと心はすでに男たちを制圧し、縛り上げていた。
雷樹が落とされて5分が過ぎ、すでに溺水から生還できる限界を超えていた。
ヘリが上昇していくと、波が落ち着いた海面を心が指差した。
その方向を見ると10mほど先に頭らしきものが見えた。
その影はすぐに波間に消えたが、その直後、船に近づいてくる姿があった。
「サル、救出だ」
多希流が雷樹を海の中から持ち上げた。
武美とサルが雷樹を船に引き上げ、心が雷樹の口をふさいでいたテープを剥ぎ、手足の縄をほどいた。
「呼吸なし、心肺停止」
心が叫ぶと、船に上がってきた多希流と依千姫が一気に動いた。
依千姫は先にヘリへと戻り、多希流は雷樹をタンカに乗せると上着を脱がせた。
すると心は、みぞおちあたりに2本の指を当て、続けて経絡に沿ってなぞるような仕草をした。
「武美さん、これでヘリまでは大丈夫だ」
「サル、依千姫と心肺蘇生を続けろ。あとは岩堤さんから指示が行く。病院まで持たせろよ。」
「了解」
サルは風に揺れるロープを操り雷樹をヘリに運び上げた。
そして依千姫が心肺蘇生を始めるとヘリは真っ直ぐに搬送先の病院へと向かった。
潮風の中に漂う焦げ臭さで我に返った3人の視線は、見上げた空から縛り上げた男たちに移った。
「さてと、後片付けだ」
「これからは私たちの仕事だ」
男たちの前に立ちパンと手を打った武美を、心が止めた。
「・・・」
「多希流、豊後水道へ向かって」
「分かった、私らの縄張りに戻るよ」
多希流はクルーザーの舵を北へ取った。
「海保で処理するのか?」
「管轄区間に入ったら、こいつらに罪状を告げて逮捕する」
「罪状?」
「事故の隠ぺいと公務執行妨害・・・」
「事故?・・・こいつらは事故を起こして隠そうとしたのか?」
「ああ、火災事故を隠そうとした」
「・・・こいつらにお前たちを妨害する暇があったか?」
「ああ、ちゃんと妨害した」
「・・・お前、こいつらに何かしたろ・・・」
「何もしてない。記憶が曖昧な状態で目覚めるだけだ」
心は武美の問いに淡々と答えた。
「うむ・・・おぼれた男のことだが・・・」
「武美さんの仕事は分かっている。私らは溺れた男を救助していないし、対象になる男はいなかった」
「だな・・・」
武美は心の真意を測りかねていた。
なぜ俺たちに進んで協力するんだ?
イレーザーに正体を明かすということは、人生において少なからずリスクを背負うことになる。それを承知で三姉妹揃って・・・なぜ動く?
「なあ・・宗像三姉妹は、今まで身体に何か変ったことはなかったか?」
「?」
「例えば、突然痣ができたとが、生まれたとき血の塊があったとか」
心はなぜそんなこと聞くのかと言わんばかりの表情を垣間見せたが、素直に答えた。
「私にはない。でも多希流が3歳のころ、両手両足が内出血して赤黒くなったことがあった」
「それで?」
「すぐに赤みは引いた。宗ちゃんがお前たちの体質だからと言ってたから、気にしなかった」
「じゃあ3人とも同じ変化を体験しているということか?」
「さあ・・・宗ちゃんに聞けばわかるかもね」
「宗ちゃん?」
「私たちの育ての親だ」
「詳しく聞いてくれないか?」
「・・・」
返事をためらう心に代わって、多希流が口をとがらせて答えた。
「心、宗ちゃんまで、巻き込むな」
それきり口をつぐんだ心だったが、一瞬見せた武美の真剣な眼差しが脳裏に焼き付いた。
その武美は事件の処理をすべて心に任せると、保安本部近くの港でクルーザーを降り、迎えに来た半蔵門の車でイレーザーの本部へと向かった。
武美がイレーザーの本部に戻ってしばらくすると、卯月は起き上がれるほどに回復し、雷樹も意識を取り戻していた。
武美は医師から面会の許可が下りると、すぐさま雷樹を見舞った。
「雷樹、大丈夫か?肩の脱臼ぐらいで済んでよかったな。お前の友達も無事だ。隣の部屋にいるが、面会は3年後だ」
「分かってます。俺の不注意であの人を巻き込んでしまいました」
「お前のせいじゃない。なるようになっただけだ」
「?・・・」
「お前の友達が持っている縁だったというだけだ」
「?・・・」
「とにかくゆっくりでいいから体を元に戻せ。音迫が、お前がいないと仕事がおもしろくないって言ってたぞ。そうだ、あいつに礼を言えよ。音迫が、お前の友達を見つけてくれたんだからな」
「そうだったんだ・・・」
「厳しかったんだぞ。雨は降るわ、だから犬の鼻も役に立たないし、気温は下がるわ、ようやく音迫が場所を特定したが、姿は見えない。岩だらけの窪みに落ちていたから、サーマルスコープも役に立たない。音迫がようやく発見したが、今度は入り口が狭くて入れない。ベンが周りを掘り起こして、岩をどけて助け出したが、彼女は心停止直前だった。移動用の固定タンカをバギーにつけて、半蔵門が樹海を走り抜けた。どうだ?雷樹・・・」
「すみませんでした。そんなに大変だったなんて・・・」
「だろう?・・・まあイレーザーにとっちゃ朝飯前だがな・・・」
神妙な顔で俯いた雷樹を見て、武美は声を立てて笑った。
「お前もよく諦めなかったな。これからだぞ、雷樹・・・」
武美は卯月救出の顛末は話してくれたものの、雷樹のことには一切触れずに病室を出ていった。
なぜ俺のことを言わないんだ。確かに俺を助けるためにヘリから人が下りてきた。
それが記憶に残っている最後の場面だった。俺は口をふさがれ両手を縛られたまま沈んでいった。
俺を海から助けたのは誰だったのか。あの2人だったのか?船には男たちが何人もいた。そいつらを片付けて海へ・・・無理だ。だが俺は助かっている。神業としか言えないが・・・
イレーザーにすれば俺を助けたことも朝飯前なのか?・・・そうかもしれない・・・
雷樹はぼんやりとした空白の時間を何とか埋めようしたが、武美以外のイレーザーは誰も顔を見せず、担当の医師に尋ねると、心停止で運ばれてきて助かったのは運が良かったとだけ答えが返ってきた。
俺は夢を見てたのか?あれは幻想だったのか?
雷樹はわが身に起きたことを、現実と幻想の狭間で恐怖から逃げようと自らが作り出した出来事だったのではと思い始めていた。
もやもやとした気持ちを持て余している雷樹の脳裏に、岩堤からのメッセージが音もなく届いた。
「無事に生還できてよかったですね。あの状況で平常心を保てたこと、さすがです」
絶望のなかで、突然に途絶えて失ったイレーザーの証。
思いもよらないメッセージの復活に雷樹の心は打ち震えた。
「指令です。幻夢は消し去り、心身ともに元に戻して復帰をしてください」
雷樹は岩堤からの指令を受けて、イレーザーとして己が今も存在していることを実感した。
イレーザーとして受け取った指令は、真実を追うことなく、夢、幻として忘れろというものだった。
すべてをなかったこととする。
揺るぎない信念のもと真実さえも無しとするイレーザー。
その信念に正義があると信じる雷樹にとって、ことの是非の判断は必要なかった。
命懸けで任務を遂行するその姿に、雷樹はイレーザーとしての人生を改めて受け入れた。
イレーザーのそれぞれが日常を取り戻したころ、卯月は退院して成彦のマンションに戻ることになった。
見送りに現れた武美に、卯月はさも親しげに挨拶をした。
卯月を送り届け戻ってきた成彦に、武美がにやにやと笑いながら声を掛けた。
「かわいい奥さんじゃないか」
「お前、べらべらしゃべるな」
「どう助けたか聞かれたから、簡単に話しただけだ」
「余計なことを」
「そろそろ正体を明かすときじゃないのか?」
「あいつは感づいているさ」
「なら・・・」
「聞かれるまで、俺からは言わない」
「まだ別れるつもりなのか?」
「・・・思兼が待ってる、行くぞ」
「おお、そうだな、さて次は紗羅お嬢様か・・・」
「技荻は動いているのか?」
「すでにターゲットには接触した」
「ならば武美の出番はなさそうだ」
「倉岡だからな、問題ない。俺らはゆっくりできるだろ、今回は」
2人の男は肩を並べて思兼の待つ部屋に向かっていた。
「それにしても母親を餌に雷樹の居場所を白状させるとはさすがだな、思兼は」
「ああ、母親の逮捕をどの時点から考えていたのか・・」
「心強い仲間だが・・・あのタイミングが計算されたものなら恐ろしいな」
「ああ、恐ろしいな」
一仕事終えた男たちは一瞬の安らぎを会話に収めて、次の仕事を見据え進み始めた。




