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命の章 ~ 霊命 ~ 信じるが・・・揺らぐ

謎の男から雷樹を人質にしたとの脅迫を受け、眠れない夜を過ごした卯月は、翌日その男からの連絡で指定された場所へと向かった。


その場所は青木ヶ原樹海の遊歩道を進んだ先にあり、卯月は目印の立て看板を見つけた。

心細さを押し殺して男の連絡を待っている卯月に、スマホが着信を伝えた。

成彦からだった。その名前にほっとして電話に出ようとしたとき、卯月は後ろから何者かに口を塞がれ、そのまま気を失った。


頬に落ちた水滴で目を覚ました卯月は、ぼんやりとした頭で辺りを見渡した。待ち合わせの目印だった看板はおろか、遊歩道さえ見えない。

樹海のかなり奥のほうに入り込んでしまった卯月は、ゆっくりと体を起こし、かすかに光の指すほうへとふらつきながら歩き出した。


しかし、卯月の足元はごつごつとした石や木の根が続き、しばらくするとぽつぽつと雨が降り始めた。

完全に方向感覚を失ったと観念した卯月は、雨の落ちてくる空を見上げ、ふうとため息ついた。

だが卯月に不安感はなく、不思議なことに神秘的な樹海の力強い生命力の影響か、卯月の気力は増していた。

呼吸を整えて気を取り直し、足を踏み出した卯月だったが、目の前の岩の裂け目に気付かなかった。


卯月は背丈ほどの穴に滑り落ちて、樹海に吞み込まれてしまった。


その卯月が樹海で探している雷樹は、何日か前にタウン近くでワゴン車に乗せられた。

車は夜通し走り続けて、山間にある運送会社の倉庫に着いた。

両手を縛られ、スマホと財布を取り上げられた雷樹は、小さな高窓が1つある部屋に閉じ込められた。

用心深い兎山は居場所を特定されるのを避けて、同じところに長居をせず、何度となく場所を移動した。


兎山の目的はなんだ?教団を裏切ったからか?見せしめ?制裁?なぜ兎山は俺の居場所を知っていた?俺はいつから目を付けられていた?お前は信者に監視されていると言われた。浅草か?天野卯月・・・あのときなら、天野卯月は大丈夫だろうか?


「至急連絡ください」

移動する車の中、身動きの取れない雷樹の脳裏に岩堤の言葉が飛んできた。

だがこの状態では連絡できない。

「あなたはイレーザーです」

「チャンスを逃さず行動してください」

「イレーザーであることを忘れないでください」

岩堤からは何度も一方通行の連絡があった。返事は返せないものの、その言葉は助かる当てのない今の雷樹を、心強く支えていた。


雷樹は移動中にパンと水を与えられ、監視付きではあったが、トイレの使用は許されていた。

外に出ると雷樹は監視の目を盗み、イレーザーの中で尊厳の薬と言われている錠剤を手に取っていた。その度に、雷樹の迷いを見透かしたように、メッセージが岩堤から送られてきた。

「早まらないで、諦めないでください」

雷樹はその言葉だけでイレーザーであることを手放さずにいられた。


3日が過ぎたころ、八神会のお兄さんと呼ぶ男たちに雷樹を見張らせて、兎山は出ていった。

雇われた2人の男は雷樹を放っておいて、スマホを開き、話をしている。

しばらくして、目を閉じて様子を探っている雷樹は「カチン」という音とタバコの匂いに気づいた。

この男たちは教団の人間ではない。八神会とか言っていた。反社の人間・・・なのか?

雷樹はうっすらと目を開けた。

そしてふたりの男を確認すると、雷樹は体を捩ってトイレの合図をした。

面倒くさそうに男が雷樹に近づいてきた。

「小便か?」

雷樹が頷くと、兄貴分らしい男と顔を見合わせた。

「いいんじゃねぇ」

ライターをカチンと鳴らし男が顎をしゃくった。

見るからに男たちは汚れ仕事に慣れていた。

雷樹を立たせたその手には刃物があり、逃げ出す隙はなかった。


部屋に戻ると、両手を縛り直した男が兄貴分の男に聞いた。

「足、縛るんすか?」

「手だけでいい・・・どうせ船に乗せんだから」

聞くや否や、雷樹は隙をついて突進し、タバコに火をつけようとしている男に体当たりした。

「この野郎、ふざけたマネしやがって、お前、何してんだ」

兄貴分の男は火のついたライターを放り投げて、大声でわめいた。

「にいさん、すんません、こらあ、おとなしくしろ」

雷樹はあっけなく押さえつけられて、手足を縛られ、床に転がされた。


兄貴分の男が腹立ちまぎれに雷樹を蹴ろうとしたとき、ドアが開いて兎山が若い男を連れて入ってきた。

雇われた男たちは、入ってきた男の狂気を帯びた雰囲気に肩をすぼめて部屋を出て行った。


過剰な反応を避けるため、雷樹は目を閉じて気配だけを探ることにした。


兎山の緊張が部屋の空気を震わせて、目を閉じている雷樹にも伝わってきた。


男は3歩ほど部屋に入って立ち止まった。

その場で腕を組み退屈そうに眺めている男を前に、兎山は不自然なほど肩を怒らせ、雷樹をパイプ椅子に座らせた。

深く被ったパーカーのフードから見え隠れする男の目は鋭く尖り、その口元は毒を持つ笑みを浮かべている。


椅子に座り俯く雷樹の顔を掴み上げて、兎山は凄んだ。

「あの山中でお前を助けた男は誰だ」

「・・・」

「今、お前は何をしている?」

「・・・」

「白状すれば助けてやる・・・」

「・・・」

雷樹はうつろな目をして兎山が背にしている壁を見ていた。


そんな雷樹の危機を察知したように、絶え間なく岩堤から励ましの言葉が届いた。

兎山が口を開くたびに、抵抗できない不甲斐なさに襲われる雷樹は、岩堤の声で辛うじて平常心を保っていた。

「天野卯月は・・・今ごろ樹海で迷子らしい・・・助けなくていいのか?」

「・・・」

雷樹は過度の反応を隠すために、だらりと力を抜き無気力な目を兎山に向けた。

「お前な、・・・」

兎山が無反応な雷樹の胸倉を掴み、立ち上がらせた。


立ち上がった雷樹は、兎山の後ろに音もなく姿を現した男と目が合った。その瞬間、その男の残忍さを見て取り、雷樹は確信した。


こんなにも冷酷な目を見たことがない。間違いない。こいつが教祖の息子、緋色。


男の行動に兎山は慌てて身を引いた。

嘲笑を含んだ冷めた目が、そう確信した雷樹を捉えた。

「お前の今の飼い主は、何者だ?」

飼い主だと?教祖の息子に再度犬扱いされた雷樹は、怒りでカッと目を見開いた。

途端、男の表情も一変した。

「兎山、生ぬるいな」

と言うなり、緋色の平手が雷樹の頬を打った。

雷樹は痙攣して気を失った。


「兎山、お前は今だに真の恐怖が分かっちゃいない。だから舐められんだよ。紗羅に撫でてもらえ」

激しい怒りを発する緋色の姿に、兎山の身体は小刻みに震えていた。

「こいつは羽山に渡して始末させろ」

「羽山にですか・・・しかし方士様が・・」

兎山は緋色の非情な命令に思わず抗議した。

「うるさい、面白くねえな、くそ、どうでもいい」


その反応に兎山は、緋色が雷樹に対しすでに興味を失ったのを感じ取った。

これ以上の抵抗は矛先が自分に向くと判断した兎山は、横たわる雷樹に哀れみの視線を落とした。


一方緋色は、気を失い椅子から崩れ落ちる雷樹の姿に、麗華の姿を重ねていた。

あの日を、麗華が消えた日を、鮮明に思い出した。

胸が痛むという経験のない感情に緋色は戸惑い、横たわる雷樹から逃げるように部屋を出た。

そこには現実を直視できず、麗華を放ったまま逃げ出した無表情の緋色がデジャブの如く現れていた。


なにかに追われるように車に乗りこんだ緋色だったが、エンジンを掛け、ハンドルを握った途端に右手をパッと離した。

右手にビリビリと痛みが走り震えが止まらない。

震える手を拳にした緋色の顔は苦痛に歪んでいた。


ひとり残された兎山は雷樹の始末に困惑していた。

自白させたあとに緋色の命令という大義名分をもって、雷樹を羽山に送る手はずになっていた。

だがその緋色がすべてを投げ出して去った結果、兎山は大義名分を失った。


兎山は緋色を追うこともできず、呆然と見送った。

教団のすべての活動を自粛するという教祖の方針を聞いたのは、雷樹を拉致したあとだった。そのとき、すでに引き返せない状況だった兎山は、教祖を無視することに抵抗はあったが、緋色の反応に賭けた。今となっては、その決断がさらに兎山を窮地へ追い込むことになってしまった。


「生きのいい臓物だからな、金は入るし、羽山は喜ぶし、人助けになるし、そしてそいつの来世も保証されるん・・・だろう?」

緋色が冷酷な笑みを浮かべて言い放ったとき、背筋が凍り身震いがした。

近づくのはやばいと分かっていたのに、いつの間にかその手伝いをする羽目になった。

手伝い?いや今じゃ俺が首謀者だ。雷樹の拉致が教祖にばれたら、ただじゃすまない。失敗しても緋色は庇ってくれる訳がない。もう後戻りはできない。計画通り羽山に雷樹を渡すしかないのか。


俺の来世は家畜なのか。


「母さんどうしたらいい・・・助けてくれよ」

そのとき、途方に暮れる兎山のスマホに陸の縁者長の鹿山から動画が届いた。

動画を見た兎山は、雷樹の横にガックリと膝を着いた。

それは兎山にとって最後の頼みの綱の母が、脱税で逮捕される動画だった。


「かあさんが逮捕された。どうしよう、どうしよう、俺はどうなるんだ」

母の逮捕という現実を前に、雷樹の生死を握る兎山の葛藤はあっさりと他人事となった。



数時間後、雷樹は潮の香りで目覚めた。

手足を縛られ、目と口はふさがれて身動きができない状態だったが、意識ははっきりとしていた。

体が揺れている。船?に乗っているのか?雷樹は漏れ聞こえてくる外の話し声に聞き耳を立てた。

「あんたは行かないのか?」

「急用ができた。時間が来たら予定通りに出港して、うまくやってくれ」

「上手くかい?荷物を言われた場所に捨てるだけだろ?」

「ああ、ここには戻るなよ」

「分かってますよ、報酬の方はよろしく」

「分かってる」

イラついた声は兎山だった。

荷物を捨てる?荷物?俺のことか?船?俺を海に捨てると言うのか?


兎山は慌ただしく船から下りて行った。

静かになった船内で雷樹は状況を整理した。

俺は兎山に捕まり、どこかの倉庫で監禁された。そして教祖の息子に平手打ちをくらって気絶したが、今は身動きの取れない状態で海に捨てられるのを待っている。

逃げる方法は・・・ない。助かる方法は今のところ考えつかない。

いや、俺はイレーザーだ・・・諦めるもんか。

そこでふと雷樹は気づいた。


意識が戻っているのに、岩堤さんの声が聞こえない。なぜ・・受信できないのだ。

岩堤さんの声の受信はイレーザーであることの証、そしてとてつもなく厳しい今の雷樹にとって唯一の支えだった。

俺は見捨てられたのか?


だとしても俺はイレーザーだ、諦めない。


そんな雷樹の背にエンジン音が伝わってきた。

新月の闇の中を、雷樹を乗せたクルーザーが人目を避けて出港した。


兎山が逮捕された母のもとに着いたころ、教団では薄暗くひんやりとした会場にすべての幹部が集められていた。

逆光の中に、サンズを従えた教祖の姿が浮かび上がった。

「われらに試練の時が訪れたと、我が神より神言が下った。襲い掛かる禍を現世の罪汚れと承知して、八禍律の教えの元、現世浄化のために甘んじて耐え忍ぶと心得るべし」


それは暗に兎山親子の逮捕を指していた。


説法会終了後、サンズは今後の対策のために別室に集まっていたが、その場に兎山の姿はなかった。

「兎山は事情聴取を受けている・・・」

陸の縁者長の鹿山が険しい顔で続けた。

「兎山の教団の記録は消される。母親もだ・・・」

「原山、兎山が消えて・・・羽山は出国したまま・・・陸のサンズは壊滅的ですな」

空の縁者長の蔵山が目の奥にあざけりを隠し、言葉をかけた。

「・・・」

空のサンズはそれぞれの感情を隠し、鹿山から視線を逸らしていた。

「今後の対策は・・・」

鹿山が話し始めたときドアがノックされ、派手な女が異様ないでたちの男を引き連れて、勢い良く入ってきた。

女の手には小さな機器が握られている。

その女を見た鹿山の暗かった表情が一変した。

「ラーテル・・・よく来てくれた」

「キング・・様と呼びますか?遅くなりました。アメリカの仕事が手間取って連絡も差し上げず、申し訳ございませんでした。」

その女は不遜な物言いでキングに向かい、不敵な笑いを浮かべた。

「様はつけなくていい、こっちへ来て座れ」

キングを無視して、ラーテルと呼ばれる女は連れの男を簡単に紹介した。

「この男はヴァイパー。皆さん、私ともどもよろしくね」

「毒蛇?・・・」

シュライクこと奥山が、思わず問い返した。

サンズの視線が一斉に、見るからに爬虫類を思わせるひょろりとした男に集まった。

ウロコのような金属で全身を覆っているヴァイパーは、ぬめっとした空気を発しながら頭を下げた。

「あなたはシュライク・モズね・・・ヴァイパーは愛想がないけど、仕事はできるわよ。それで、サンズの皆様についてはほどほどに分かっているので、紹介の類はいらない」

ラーテルはキング鹿山の隣に足を組んで座り、ヴァイパーに横に座るように目くばせした。

空の縁者長のイーグル蔵山は、今までのサンズにはない邪悪で危険な匂いをこの2人から嗅ぎ取っていた。

ラーテルは、サンズそれぞれの反応をまったく気にすることなく、テーブルの上にゴーグル型の機器を置いた。

「それはなんだ?」

鹿山が触ろうと手を伸ばした。

「これは紗羅様用のVR・・・」

触るなとばかりに言われて、鹿山は伸ばした手を戻した。

「キングはご存知でしょう?方士様は紗羅様と緋色様のご縁婚をお望みです。これはそのための・・・まあ紗羅様の心の準備をお手伝いするものです」

サンズの面々は無関心を装いながらも、ラーテルの手にあるVRゴーグルに視線を移した。

そんな中、こめかみがピクリと反応した小戸山をラーテルは見逃さなかった。

「あら皆さん、方士様のお考えをご存じなかったの?」

キングは苦虫を嚙み潰したような表情で腕を組み、座ったまま反身になった。

「このVRには、紗羅様のお気持ちを緋色様へ誘うプログラムが入っている」

無関心を装うサンズの中で、小戸山が堪えきれず顔を上げた。

「安心して・・・アウル・・・」

「・・・」

名前を呼ばれて、小戸山は周りの反応を気にして目を見張った。

「単なるヒーリング効果だけだから」

ラーテルはふふんと笑い、キング鹿山を真似て、のけぞった格好で座りなおした。

イーグル蔵山はキング鹿山とラーテルを見比べて、縁者長の交代ありと含み笑いを浮かべた。

そのあと、ラーテルはすべての議題に興味を示さず、沈黙したままサンズの会は終了した。


「方士様のお言葉とお導きを信じ・・」

陸の縁者長の鹿山が閉会の弁を話し始めたとき、言い終えないうちにラーテルがガタンと音を立てて立ち上がった。

「信じる?笑うわ・・・」

そう言い、スタスタと出口へ向かった。ヴァイパーはすでにドアを開けてラーテルを待っていた。

さすがに顔色を変えた鹿山は、机をバンと叩き立ち上がった。

同時に腰を浮かした空のサンズは、目を閉じたままの蔵山の様子に、上げかけた腰を椅子に戻した。


ドアの前でラーテルが足を止めた。

「あなたがた、前世とやらを自分の目で見たの?来世ってどこにある?ふん、見てもないのに信じるなんて、おめでたいわ」

あきれたとばかりに肩をすくめ軽蔑の一瞥を投げて、ラーテルは部屋を出て行った。


最強と恐れられ、教団の守り神として役を担ってきたサンズの信念を、ラーテルが叩いた。

サンズである前に、縁者としてあるべき姿がラーテルにはなかった。

根底にある教団への不信を隠そうともせず、サンズを名乗るラーテル。なぜ教祖はそんな者をサンズと認めたのか?

鹿山に教祖への疑念が生まれた。

それは鹿山だけではなく、縁者でありながら前世も来世も否定する、不可解な存在のラーテルとヴァイパーの登場は、サンズそれぞれの前世に疑問をもたらした。


秩序という鉄壁の守りが、ラーテルの大胆な発言や行動で揺らぎ始めた。



時を同じくして、イレーザー本部の会議室で倉岡と岩堤が打ち合わせをしていた。


そこへノックが聞こえて技荻が入ってきた。

「技荻さん、遅い時間に申し訳ありません」

技荻は声を掛けた倉岡に会釈して、岩堤の横に着席した。


黒髪が顔の輪郭を覆い、眉下で揃えられた前髪が、俯いて伏し目がちの瞳を隠している。口元のマスクが技荻の息遣いを遮り、そこから技荻の素顔を何ひとつ窺い知ることはできない。

「これが今回の資料です。読み込んで準備をお願いします」

「・・・承知しました」

「設定は対象者の母親の妹、少女は母親の影響を受けて育っているように見えますが、母親の言動はすべて少女の父親を模倣したものです。このことが重要です」

「・・・承知しました」

「あとは岩堤さんから適時、技荻さんに指示を送ります」

倉岡の言葉に岩堤が頷き、技荻は決まりごとのような返事を繰り返した。


「・・・承知しました」


翌日、技荻は紗羅が身を隠す別荘の近くの浜辺に姿を現した。


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