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命の章 ~ 霊命 ~ 信じるが・・・生まれる

紗羅という少女は静岡に住んでいるようだ。

どこかの通信制の高校に在籍はしているが、ほとんど登校はせずに進級の試験を受けて、機を見て転校をするという生活を繰り返しているという。

それ以前の情報は、卯月の収集力を持ってしてもすべてが謎の少女だった。


パソコンを前に、顔をしかめる卯月のスマホが震えた。


真夜中の電話。着信の番号に記憶がない。

卯月は眉をひそめながら耳に当てた。

「はい・・・」

「天野卯月、お前か?紗羅を探っているのは」

「・・・」

紗羅?卯月はすぐさま録音のスイッチを入れた。

「紗羅・・・誰よ、それ。突然なんなの?あなたは誰?」

「誰?知る必要ない」

「必要ない?何言ってんの、あんた、名乗るのが礼儀でしょ」

「礼儀?人のことをコソコソ嗅ぎまわるお前が・・・笑わせんな」

「・・・まあいいわ、それで紗羅って子が何だって言うの?私は知らないけど、その子、あんたとどういう関係?」

「関係?ふん、どうでもいいこった」

「どうでもよくない。私はあんたに責められる筋合いはない」

「・・・お前は・・・制裁を受けるんだよ」

「制裁?なに?理由を言ってよ。訳わかんない、私が何をしたって言うの?」

「汚れてんだよ、おまえは。何をしたかも意識してないとは・・・そんな奴は生きてるだけで汚らわしい」

「汚らわしいって・・・」

「お前は罪を認めて、俺に許しを請え」

「許しを請えって・・・」

「お前にはそれしか道はねえんだよ」

「バカみたい。付き合ってられない」

こいつは狂っている。やばい。卯月は身震いして、電話を切ろうと耳元から離した。


「なら・・・棚伏雷樹は血祭りだな」


スマホが捨て台詞を低く呟いた。

棚伏・・・雷樹・・・血祭り?


「あんたトラ野郎の信者なの?」

「信者?くだらねぇ」

「違うの?なら何者?」

「雷樹をどうしてほしい?・・・おまえ次第だ」

卯月はSASURAというサイトを調べていた。この男が言う紗羅という子がSASURAと関係があるということなのか?この男はトラ野郎とは関係ないと言っているが、雷樹と卯月の繋がりは教団だけだ。

卯月の迷いは消えた。

「・・・どこに行けばいい?」

「ふん、ようやく分かったか、お前は俺に逆らうことはできねえんだよ」

「・・・」

「黙って連絡待ってろ」

卯月はぷつりと切れたスマホを握りしめた。


この男は・・・教団の幹部なのか。

ならばこの男の言う紗羅、そしてSASURAというサイトも教団絡みということだ。

だが信者を否定していた。

分からない・・・

男は私の連絡先をなぜ知っている?

そうだ、あのとき雷樹に渡した連絡先をあいつが手に入れたのなら・・・本当に雷樹がやばい。


卯月は強く首を振って、広がる不安を打ち消した。

「雷樹は、あいつはしぶとい、きっと大丈夫」


卯月は雷樹の無事を信じ、願うしかないと自分に言い聞かせてスマホを置いた。


そのころ、紗羅をサンズの小戸山が訪ね、教祖の言葉を伝えた。

小戸山は紗羅の教育係となったあと、教祖と紗羅を繋ぐ役目を担っていた。

「SASURAのサイトを閉めることになりました。紗羅様のことを探っている者がいるようです。紗羅様はしばらくお母様の別荘でお過ごしください、との方士様よりのお言葉です」


その日のうちに、紗羅は世話をする者2人とともに母の残した別荘に身を隠した。


紗羅が母の残した別荘に身を隠して3日目の夜、眠りについた紗羅の枕元に白髪の男が立っていた。

その男はベッドサイドに跪いて、左手を広げて紗羅の額を覆うように当て、5本の指を立てた。

「ごめんね、失礼するよ」

男は紗羅に囁くように話しかけ目を閉じた。

数分後、男の白髪がほのかに色を帯びてきた。

そして男のこめかみがぴくぴくと動き、その白髪がぼんやりと光を放った。

「ありがとう」

紗羅の額から手を放した男はそう言い残し、静かに姿を消した。


翌朝、紗羅は窓辺のカウンターに頬杖をつき、鳥のさえずりを聞いていた。

今朝はなにかが違っていた。庭の木々が、花壇の花々が朝の光に溶けて見えた。

その光景に癒されたのか、紗羅の頬に理由もなく一筋の涙が流れた。

思ってもいない心の反応に驚き、そっと頬に触れた。

紗羅はその濡れた指先を朝日にかざし、不思議そうな顔をした。


そんな紗羅を気遣うようにそろそろとリビングの引き戸が開き、静かに入ってきた小戸山を、紗羅は満面の笑みで迎えた。

「そろそろ顔を見せるころだと思ってた」

「今日もご機嫌はよさそうですね」

「うん、今日は特別に気持ちいいの」

「何かありましたか?」

「ううん、別にないけど・・・」

「ないけど?・・・」

「長い夢を見ていたような、・・・」

「夢ですか?」

小戸山は窓辺に立つ紗羅を眩しそうに見た。



数年前、疲れ果てて肩を落とし教祖の前に現れた小戸山に、前世は、宗教弾圧を受けた信徒の生まれ変わりで、この現世で真実の教えに従い全霊を持って仕えれば、来世は人々を救い慕われる宗教家に生まれ変わると、教祖はまことしやかに告げた。

その言葉に小戸山は現世での幸せを諦めた。


小戸山は教職の両親の元に生まれ、高校の教師をしていた父を尊敬していた。

生徒に慕われて充実した日々を送る父の姿にあこがれて、必死に勉学に励んだ小戸山は父と同じ道に進み、女子高の教師になった。


だが、小戸山は父のような教師にはなれなかった。

小戸山は容姿にコンプレックスを持っていた。

「もやしみたい」「ニタニタ笑って気持ち悪い」「あの目、どこ見てるかわかんない」

無邪気な戯言が小戸山のコンプレックスを何度も突き、くすくす笑いは瞬く間にあからさまな侮辱の笑いに変わり、小戸山の教師生活は無残に終わった。


ずたずたに切り裂かれた心を抱えて橋の欄干に佇む小戸山を、ひとりの男が救った。

その男は、現世は仮の姿といい、今の生きざまがすべて来世に影響すると諭し、小戸山の手を取った。

それが当時知恵の賢者と呼ばれていた芦屋だった。


その後、小戸山は来世に夢を託し、修行に明け暮れた。

半年もすると、もやしと言われた貧弱な体は鍛え上げられた逞しい肉体に変化し、気持ち悪いと言われた細く切れ長の目は、笑みの代わりに冷静な鋭い光を宿していた。

そのころには小戸山の父親への想いは、教祖さえ手を焼き、制御できない息子と平然と向かい合っている芦屋への憧れへと変わっていた。

めきめきと頭角を現した小戸山は教祖の目に留まり、5年を待たずにサンズに任命された。

そしてすべてに自信を持ち始めたころ、小戸山の前に愛らしい少女紗羅が現れた。



車道から少し奥に入ったところに建つ、木立に囲まれた静かな別荘。裏手の道を少し歩くと小さな砂浜に出る。

そんな母との思い出が残るその別荘には、笑っている紗羅の写真が飾ってある。

それは写真家の父が残したものだった。

紗羅の父は微笑みを求める写真家と言われ、厳しい環境で生きている人々が垣間見せる笑顔の瞬間を映し伝えてきた。

だがその父は紗羅が9歳のときに、外地で帰らぬ人となった。

紗羅は母とともに涙を流すことなく父を見送った。

「何があっても笑っているんだよ。紗羅の笑顔はみんなを幸せにするんだから」

それが父の口癖だった。

紗羅は幼いころ愛犬ロロを事故で失った。

そのとき、笑顔で見送ればロロは天国で幸せになると父は紗羅を慰め、それを信じた紗羅の心は悲しむことを拒否した。


一方、悲しみに暮れて過ごしていた紗羅の母は、偶然に出会った神盛奈穂という女性と親しくなり、心の癒しを求めて、紹介されたセミナーに参加した。

それが慈愛の賢者と言われる神盛奈穂、そして教団との出会いだった。

ほどなくして紗羅の母は熱心な縁者となり、愛する人を亡くした母娘は教団の教えにすがり、現世の悲しみを捨てて平穏な生活を送っていた。


だが紗羅をさらなる悲しみが襲った。

突然母が倒れて、手立てをする間もなく父を追うように他界したのだ。

母は遺言として紗羅が成人するまでの間、神盛奈穂を後見人に指名し、紗羅は母と暮らしたマンションで、神盛奈穂に見守られながら成長した。その紗羅の存在は、教団内では秘密にされ、紗羅は教団との関係を知らされることもなく、その関わりは月に1度神盛奈穂に連れられて、教祖や兄様と呼ぶ緋色に挨拶に行く程度だった。

紗羅は父親の教えを守り、いつも微笑んでいた。そうすることで周りを幸せにしていると信じてきた。

幼く純粋な故に、紗羅の言葉は心のわだかまりを優しく溶かし、闇を払って触れ合う人たちを笑顔にしていた。


教団の主導で始めた紗羅のセミナーだったが、参加者の笑顔の数が増えるほどに紗羅の笑顔は弱々しくなり、次第に瘦せていった。少し控えようと言う神盛奈穂の言葉にも耳を貸さず、紗羅は笑顔を絶やさずに、俯く人の手を握り、擦り励まし続けた。


その姿に限界を感じた神盛奈穂は、縁者との直接のふれあいを減らして、語らいの場として紗羅のサイトを立ち上げた。

そのサイトを立ち上げたのが小戸山だった。


当時芦屋の補佐をしていた小戸山は、しばらくすると紗羅の教育係に任命された。

素直で笑顔の愛らしい紗羅の教育を担当することで、小戸山は諦めていた慕われる教師という夢を叶えた。

時は過ぎ、大切に成長を見守ってきた紗羅という少女は16歳になっていた。


そして、身を隠している別荘で小戸山を迎えた紗羅は、可愛らしい幼い少女ではなく、少し大人びて小戸山の目に映った。


紗羅様、私は夢を見ているのでしょうか?

手を伸ばせば届くところに紗羅様がいらっしゃる。

小戸山は恍惚とした表情を浮かべて、紗羅を崇めるように眺めた。

そのまぶしさの中に恋心が生まれた。


ふと教祖の言葉を思い出した。

「慈愛の賢者がいなくなり紗羅は小戸山を頼りにしている。側にいて支えてやってくれ」


その言葉で、恋心は小戸山の純心を野心に変えて、使命となる新たな夢を与えた。


紗羅様と結ばれたなら・・・



雷樹は誰にも言えない秘密を抱えての二重生活に、いまだ慣れずにいた。

一匹狼を自負していた雷樹だったが、さすがにぼんやりとした寂しさの置き所を探そうと思い始めていた。

だが親しい友人を作ることにはためらいがあった。

佐祐の顔が浮かんだ。こんな生活でも何年か経てば、気軽に会うことができるのだろうか。

ハッとポケットに押し込んだ卯月の連絡先を取り出した。突然声をかけられ、答えようがなく素っ気なくあしらった。勘のいい卯月は何か感づいたに違いない。未練がましく思えたが、3年後に連絡しようと決めて、連絡先を財布にしまい込み帰宅した。


最後の休暇を、映画を観て過ごした雷樹は、時間を持て余しタウンへと向かった。

遠目に、働いていたライフシェアタウンの管理棟を見上げた。

タウンの中で必死に足搔いていたころもそれはそれで面白かった。

「佐祐に逢いたいなあ・・・」

タウンの従業者の待遇は改善されたと聞いた。

雷樹が直接手を下したわけではないが、佐祐とオロチと呼んで追っていた奴らは、罰を受けたように自滅していった。因果応報・・・

ふと髙木仁宜を思い出した。虫けらと言われた仁宜は今どうしているんだろう。

潰せと言われ、仁宜に罠を仕掛けた。今は後悔している。仁宜からの最後のメールをあの公園で見たが・・・思い出せない・・・


顔を上げると、歩く先に黒いワゴンが止まっていた。嫌な予感がした。


「そのまま歩いてもらおう」

声と同時に雷樹は脇腹に尖ったものを感じた。


聞き覚えのある声・・・サンズ・・・兎山・・・しまった・・・


夜半過ぎ、イレーザー本部では連絡の取れなくなった雷樹の行方を追っていた。

雷樹に連絡が取れなくなって3日が経っていた。

「今も携帯は通じません。電源が入っていません。」

成彦と思兼が腕組みをして、雷樹と同期の野崎の報告を受けていた。

「奴らか?」

ドアを蹴るように開け、遠方の仕事から戻った武美が声を荒立てて入ってきた。

「タウンの近くで消息を絶ったのか?」

「はい、その後電源が切られています」

「岩堤さんは?」

「Sルームでトライしてもらっている」

思兼が答えた。

「厳しいのか?」

「ああ、受ける側の、雷樹の気力が落ちているらしい」

思兼の言葉に、武美はブラインドが降りた隣接の部屋に視線を向けた。

「位置の特定が難しいとは・・・雷樹の気力次第か、いやまだ行けるだろう」

「そう願おう・・・」

成彦は口を挟まず、ふたりの会話を聞いていた。


数分後、野崎の興奮した声で消沈の静寂が破られ、部屋はざわついた。

「携帯の電源が入りました。・・・静岡、浜松市ルート362を北上しています」

「サル、行くぞ、岩堤さんにも出動要請だ」

「頼んだぞ、武美」

武美は成彦に応えるように腕を上げて出ていった。


そんな武美が夜明け近く、成彦の待つ本部にひとりで戻ってきた。

「怪しい動きはなかった。岩堤さんに言わせると、雷樹の気の流れの形跡はないそうだ。そうは言っても携帯の形跡はあるわけだから、サルは残してきた」

「なあ、武美、この件は雷樹の意思ということはないのか?」

「ドロップアウトということか?」

「そうだ、その線は考えられないのか?」

「佐多らしいな。俺は雷樹が逃げ出すことはないと思っている」

「そうか・・・」

「理屈抜きで、あいつはそんな男だ」

「武美がそういうなら・・・」

野崎が会話を遮り、叫んだ。

「佐多さん、携帯の電源が入りました。やはり静岡ですが、今度は河口湖駅付近です」

そう聞くなり武美は部屋を飛び出した。

成彦は武美を見送り、指令室に戻りパソコンの画面を見た。

「この先は青木ヶ原樹海ですが・・・」

野崎が不安を口にした。


そのとき成彦の私用携帯が、卯月からのメール着信を伝えた。

  

 友達に会いに行く

    大丈夫だから心配いらない


「まったく・・多動な奴だな」

成彦はチラッと見ただけで画面を閉じた。


「佐多さん、対象が青木ヶ原の遊歩道に入りました」

「武美に知らせてくれ」

「この画面を送ります」

成彦は厳しい顔で首を傾げた。

「・・・なにか・・・引っかかる」

「え?」

顔を上げた野崎になんでもないと成彦は手を振った。

2分ほど経った。

「佐多さん電源が切れました」

「・・・」

そして電源が切れたあと、武美からの連絡もなく事態は膠着したまま3時間がたった。


成彦は目的がはっきりしないことが気になった。

目的・・・成彦はハッと思いつき、卯月のメールを開き時間を確認した。電源が入った直後に卯月が動いている。偶然なのか?

雷樹と卯月は顔見知りだと言っていた。何らかの理由で雷樹が卯月を呼び出したのであれば・・・

「野崎、すまん、このスマホの位置を調べてくれ」

「佐多さん、青木ヶ原・・・樹海の中です」

成彦はすぐに卯月に電話をかけた。

呼び出すが卯月は電話にでない。もう一度掛けなおした。

「佐多さん、電源が切れました」

「野崎、武美に雷樹は樹海にはいない。代わりに天野卯月、いや佐多卯月の保護と伝えてくれ。細かいことは各自に岩堤さんから指示する」

「佐多・・卯月?」

「俺の奥さんだ。保護対象者になっている」

「了解」

迂闊だった。あいつの大丈夫だから心配いらないとは、心配かけることを今からするってことだった。

卯月、そこは樹海だ。頼む、ウロウロするなよ。

成彦は奥歯を嚙み、急いで岩堤の部屋へ向かった。


そのころ卯月は成彦の願いは虚しく、青木ヶ原樹海を彷徨っていた。


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