命の章 ~ 霊 命 ~ 信じるも・・・苛烈が待つ
緋色の心に芽生えた恋心・・・たまらなく切ない。
緋色と紗羅の恐怖からようやく逃れた陸と空の縁者長は、その足で教祖のもとへ車を走らせた。
絶対的な恐怖を持つ緋色を前に、サンズにとって教祖は盾であり、教祖にとってサンズはいざというときの矛となる存在だった。
教祖を飾り物の虎と蔑み、やけどを負わせ、教祖をねじ伏せた緋色は、サンズにとって抗えない脅威になっていたが、当時のサンズたちは口を閉ざし、教祖の尊厳を守ろうとした。
そして、そのやけどの跡がおどろおどろしい血管腫に変化をすると、飾り物のトラは孤高のトラとして教祖の前世を彩った。
それは縁者を威圧する上で効果的に使われて、教祖の絶対的支配を強固なものにしていった。
天性の直感を持つ教祖は、緋色の性格や特性を見極めて、教団そのものにまったく興味を示さない緋色との摩擦の起きない絶妙な距離感を保っていた。
緋色は金銭的なことに対しては無頓着だが、人間関係の損得に関しては異様な執着を見せて、何事も優位に立とうとした。そのためには誰が傷つこうと気にも掛けず、不要と判断したら即切り捨てる。
不安を知らない緋色は、どんなに状況が悪化しても引き際が分からず、強引に進もうとする。
そしてその欲深さは、事が悪化すればすぐさま自分を正当化して他者に責任転嫁をする。罪なき者を陥れ、罪を着せてもまったく罪悪感を持たない。
教祖は緋色との摩擦を避けるために、どんな卑劣なやり口にも黙認どころかサンズに尻拭いまでさせていた。
教祖と緋色の微妙な関係を知る、当時からサンズのメンバーだったふたりの縁者長は、すべてに対し付かず離れずでやり過ごしながら、サンズとしての地位を守ってきた。
半年に一度の格付け会議が近づいたころ、そんなサンズに鳳凰拉致の天命が下った。
それは緋色も参加した計画だった。
失敗を嫌う緋色は、鳳凰と呼ばれるテラの拉致に執着していた。
だがそれは、またもや失敗した。
傭兵まで雇い念入りに計画したものだったが、最後の最後に正体不明の奴らに獲物を持っていかれた。
そして裁きの場での緋色の冷淡な怒りに、イーグルと呼ばれる蔵山は背筋が凍り付いた。
鞍山に懸念はあった。
初回の鳳凰拉致の失敗、続いてあの熊が葬られた・・・その時点で正体の分からない奴らが動いていたことに気づいていた。
しかし口出しできなかった。
待てよ・・・あの女は、鳳凰のマネージャーはどこに消えたんだ?・・・あのときから奴らは動いていたのか?そんなことにも気づかないとは・・・何たる失態。
しかし、たかがモデルひとりを守るために動くとは・・・何の組織だ?
何故この女を欲しがるんだ?モデルのテラは・・・何を持っている?
能力と実績が問われる格決め会議を前に、緋色の言葉が刃となってのど元に突き付けられた。
フロントガラスに教祖が浮かんだ。
「方士様・・・」
そう呟くイーグル蔵山の視界から、教祖の姿が霞んで消えた。
蔵山から緋色の様子を聞き、その中でなぞの組織の存在ありとの報告に、教祖は顔色を変えた。
「蔵山、それは国か?公安か?・・・何か別の組織なのか?」
「申し訳ございません。今調査しております・・・しばらくお待ちください」
「いや、いい、もう動くな。いいか、一切動くな、静かにことが治まるのを待つのだ。他の者にも伝えろ」
「承知しました。しかしながら緋色様には・・・」
「放っておけ、気まぐれ小僧に付き合うことはない」
「・・・お伝えせねばなりませんが・・・」
「お前たちが伝える必要なない、誰かに行かせろ」
「方士様のご命令、承りました」
翌日ハイエナと言われる兎山は、教祖の言葉を伝えるため再び裁きの場にひれ伏していた。
「マザコン兎のバカ息子・・・」
緋色の侮辱の言葉が、ひれ伏した床を這いまわっている。
教祖の動くなと言う天命が下りた。何もするなと・・・それを伝えに来た。
だが・・・俺はあの男を拉致した。どうする?今さらあの男を開放することはできない。
侮辱の言葉に迷いが加わり、兎山は緋色の登場にしばらく気づかなかった。
「どうした?兎山・・・」
兎山はその声にびっくりしたが、身体を起こすことができなかった。
意識とは関係なく、兎山の身体は小刻みに震え始めた。
その姿に緋色の顔が緩んだ。
「お前・・・女々しいな・・・」
とげのない声に、兎山は恐る恐る顔を上げた。
「トラが何か言ってたのか?」
「はい、お伝えいたします。国の調査機関が動いているので、静観せよとのことです」
「へえ・・・これから面白いのに止まれってか?」
緋色の反応に兎山は頭を下げた。
「俺はやだね」
緋色は兎山に背を向け、出口へ向かった。
兎山はその背中に活路を見出した。
「緋色様、私、裏切り者を捉えております。その男、棚伏雷樹は元縁者なのですが、八禍律、その八に値する罪を犯しました」
緋色は足を止め、棚伏雷樹という名に興味を示した。
「密告者か?証拠はあるのか?」
「方士様のお姉様の下で働いておりました。そのあと集いの場にたびたび現れ、教団のことをあれこれと探っていたようです」
「そいつは、どこにいる?」
「原山さんの倉庫に連れていき、見張りを付けています」
「へえ・・・連れてこい。トラに感づかれないようにな」
兎山は緋色と目を合わせないように顔を上げて、1枚の紙きれを差し出した。
「この女に情報を流していた可能性があります」
「天野卯月。連絡先か・・・」
兎山はごくりと唾をのんだ。
「・・・探し出せ・・・」
緋色はそう言い残し部屋を出て行った。
胸を撫で下ろした兎山は、見送る緋色の後ろ姿に違和感を持った。
「なんかあったなぁ・・・あの人」
獲物の匂いを嗅ぎつけた兎山はにんまりと笑った。
その前日のこと、緋色と紗羅は数分前まで恐怖に縛られ、打ちひしがれた男たちがいたことなどすっかり忘れて、中庭のステージで演奏の準備をしている華炎を少し離れたところから見ていた。
5ヶ月ほど前の蒸し暑い夜、緋色は狂ったようにベースギターを弾く少女をネットで見つけた。自分と同じ怒りが音に乗って青く光り、その中で苦悩が舞っている。
「その子が気に入ったの?」
ソファーに座っていた紗羅が緋色の肩越しにモニター画面を覗き込んだ。
「知り合いか?」
「知らないけど・・・誰かが知ってるよ」
「誰かって?」
「私のお友達。うん、探してくれるよ、兄様、待っててね」
紗羅は弾む足取りで部屋を出て行った。
「・・・」
そして3日後、梅雨の晴れ間を見計らってイベント用のステージを使用させてくれと、紗羅が先輩だという少女を連れてきた。
緋色はテラス席からギターを演奏する様子を見ていた。
肩当たりで切り揃えた少女の黒い髪がサラサラと音に合わせて動く。
1時間ほどの練習のあと、所属するバンドでは華炎と呼ばれているその少女が、ひとりで緋色のもとにやってきた。
華炎は本名を賀来麗華と名乗った。
緋色を見てすぐに目を伏せた麗華は、ネットの中の少女とは別人と思えるほど物静かで、可憐な感じの印象だった。緋色はそのギャップに興味がわいた。
「本当はどっち?」
緋色は麗華の怯える顔が見たくなった。
指先で麗華の頬に触れた。
「・・・」
麗華は反応せず、その表情に恐怖は生まれなかった。
少し強めに触っても驚きの声さえ上げない。
「驚かないのか?痛みを感じないのか?」
麗華の反応のなさに驚いた緋色は、隣で頬杖をついている紗羅に疑問の顔を向けた。
「・・・麗華は病気なの・・・何も感じないの・・・」
無痛症なのか。緋色は胸の内で呟いた。
それ以来、麗華は週末になるとギターを抱えて緋色のもとを訪れた。
麗華は緋色をまったく怖がらず傍らにそっと寄り添う。
無痛覚の麗華は、強く抱きしめても痛がることがなかった。そんな麗華は緋色が放電する体質であることを忘れさせる存在になった。そして麗華は、何も感じない自分を求めてくれる緋色を受け入れた。
狂ったようにベースギターをかき鳴らしても汗をかかないクールな麗華。
演奏が終わると一変して、瞳を輝かせて緋色に駆け寄る麗華。
その姿を見るたび、緋色は心の内にぷくっと生まれる不思議な感情に戸惑いを覚えた。
そんな緋色に、麗華は追い打ちをかけるように囁く。
「私と一緒にいて幸せ?」
緋色の肩に頭を預け、麗華は尋ねる。
「私は緋色を幸せにしてる?」
緋色が頷くと嬉しそうに呟く。
「よかった」
麗華は毎回同じことを口にする。
そこには、緋色の気持ちを言葉でしか確かめられない切なさが滲んでいた。
緋色は幸せという言葉を意識したことがなかった。
幸せとは縁者が来世に求めるものと聞いていた。
緋色にとってそれがどんなもので、どんな感覚なのかを知る必要もなく、それを与えられる機会もなかった。
緋色は麗華の言う幸せを、ふたりで過ごす時間と理解した。
麗華は澄んだ目で緋色を見つめ、形なく消え去る時間を夢として望んだ。
「私たち、ずっと一緒ね」
幸せな時間をずっと繰り返そうと言っているのか?
「周りに迷惑ばかりかけて疎ましがられて、気を遣わせるばかりの私を、必要としてくれる人はいなかった。体感はできないけれど、私は緋色を感じるの。私にも希望があるって、未来を夢見てもいいんだって、緋色はそう思わせてくれるの」
考えることさえ煩わしいと思っていた未来。希望というものを毛嫌いしていた緋色だったが、その胸に怒りとは別の感情が芽生え始めていた。
「緋色を信じる」
信じるという感情行為を知らない緋色の心に、怒りを含まない言葉が落ち、やんわりと滲んで溶けた。
麗華は戸惑いを隠せない表情の緋色の手に、自分から初めて手を重ねた。
未来を考えない緋色には先の心配など不要だった。
そんな緋色が麗華との未来を考え始めると、感じたことのない不安という感情が生まれた。
麗華と過ごしているときには消え、離れると生まれる不安。
その感情に振り回され、緋色は小さな怒りをため込んでいった。
そのため込んだ怒りをひれ伏すサンズに放った緋色は、軽くなった心に過ぎ去り消えたはずの幸せな時間が記憶されていることに気づいた。
準備ができたのか、ステージの上で華炎が手を振って笑っている。
緋色は少し手を挙げてそれに答えた。
何気なく見上げた空に雲が現れ、見る見るうちに黒い雲は空を覆い、辺りは急激に暗くなった。
華炎が空へ向けてギターを突き上げた。
その姿に覚えたての不安がよぎった。
そのとき、稲光と共に爆音が鳴り響いた。
「・・・兄様、雷が落ちた・・・」
「・・・」
「華炎に、落ちた・・・」
「・・・」
落雷を受け、崩れ落ちる麗華を目の当たりにした緋色は、椅子から立ち上がったものの棒立ちのまま動かなかった。そして緋色は麗華に駆け寄ることなく、慌てるスタッフにあとを任せ、無言のまま自室に戻って行った。
翌日、新聞の片隅に目撃者の証言として、小さく『落雷を受け華炎死亡』との記事が掲載されていた。
その記事にぼんやりと目を落としている緋色からは精気が消えていた。
俺をいつも受け止めてくれた麗華が炎をまとい、逝ってしまった。
ずっと傍にいるといったのに噓つきやがって。
麗華は俺の何を信じるって言ってたんだ?
俺が助けてくれるって信じたまま死んだのか?
麗華は俺を信じて・・・信じて・・・
緋色はうめき声を漏らし、うな垂れた。
「兄様、麗華は信じていたよ。あっという間だったから、きっと兄様が助けに来るって信じてたはず。だから兄様は気にしなくていいのよ。そう、真実もいつかは過去になるの。だから過ぎたことはどうでも良い」
緋色を心配して様子を見に来た紗羅の言葉に、緋色はようやく顔を上げた。
「・・・・・・」
「麗華は幸せだったよ、最後のステージを兄様が見ていてくれたんだもの。兄様は麗華の最後のときに一緒にいてくれたんだもの」
緋色の混乱した頭に、ずっと一緒ねと声がした。その声が脳壁で跳ね返り、木霊している。
何かを察した紗羅が、緋色の顔を覗き込んだ。
「兄様、辛いことは忘れていいよ。ほら、聞いて。さよならって麗華が言ってる」
緋色の頭で木霊していた声が、さよならと言う声に変わり小さくなって消えた。
その日の夕方には紗羅の言葉どおりに華炎の死を受け入れた緋色は、それを過去のものとして立ち直っていた。
紗羅は3年前、緋色の部屋に妹だと言って突然現れた。
愛らしく純粋な雰囲気の紗羅は、いつもにこにこと笑っていた。
緋色は妹の紗羅だけには怒りを感じることはなかった。
その紗羅はたとえ痛みを感じても、すべてを微笑みの中に溶かし込んでしまえば、疑問も葛藤も生まれない。家族であっても、個人の生き方について肯定も否定もできないのだから干渉する必要もない。人は命という名で与えられた時間を、笑って消費するだけでいい。
紗羅はそれを幸せだと信じる少女だった。
紗羅はあるとき、前世を実験台にされたチンパンジーだと告知された少年と出会った。
見るからに心が傷つき、生きることに疲れていた。
その少年は紗羅と話をしたあと一時明るくなったのだが、しばらくして生きるのが辛いから生きることを止めると遺書を残して、自ら命を絶った。
そのとき紗羅が、嫌なことは捨てたらいい、家族が重いなら捨てたらいい、生きるのが辛いなら生きることを捨てたらいいと、その少年に話したという噂が教団の中で流れた。
そして紗羅はそれ以来、あどけない天使の顔で黄泉の国へ誘うと恐れられるようになった。
「紗羅、いいの。微笑むの。こんなこと何でもない。あなたが辛いと感じることなど無意味なこと。ほら笑って・・・その笑顔であなたは罪穢れのない世界に見送るの」
紗羅は月に一度同じ夢を見る。
どこからか、笑うの嫌・・・と小さな声が聞こえて来る。その声が細くなり、消えると夢が終わる。
そこには能面を思わせる紗羅の寝顔があった。
そして目覚めた紗羅は、誰かのために今日も微笑む。
祓戸4柱とは 罪汚れを祓い清める神様。
紗羅は、その神様の中のはやさすらひめの神という1柱です。




