命の章 ~ 霊 命 ~ 信じるという幸せ
本編で重要な役割の緋色が登場します。火之迦具土神(ヒノカグツチの神)はイザナギとイザナミの神生みで生まれた火の神様です。しかしその火が原因で母のイザナミは亡くなってしまいました。そしてそのためにカグツチは父のイザナギに切られてしまいます。生まれたカグツチに罪はないのに。
胸が痛みます。
追い詰められた探目は、小戸山のもとを訪れ、教祖より直々に招待の儀式を受け縁者となった。
探目の前世は、意図せず内乱に巻き込まれて命を落とした公家の娘だと教祖に告げられた。
そして、前世の罪の数を贖罪して神の示す道に立てば、来世は人の羨む高貴な娘に生まれるとの宣告を受けた。
招待を受け入れた探目は全財産を罪の数として神に捧げ、助けを求める者との出会いを探し求めて日夜歩き回った。おにぎり1個と教団内で万能だと言われている栄養剤だけの生活でも、来世の姿を想像するだけで幸せだった。そして命を費やし、自己を追い詰めれば追い詰めるほど、その達成感に心は満たされていった。
緋色。それは口に出してはならない神の子の名前。
その異様な姿の乳児は、大きな地震に見舞われた日に辛うじて被災を免れた教団に連れてこられた。
その乳児はまだ生後1週間も経っておらず、全体が赤黒く、薄い膜で覆われたその身体は、微かに手足や顔の形が分かるだけの塊だった。
祭壇に寝かされた瞬間、その小さい身体はブルッと震え、燃え立つ火の色に変わった。
緋色と名付けられた神の子は、祭壇に寝かされたまま誰にも触れられることなく、その命の尽きる時を待っていた。
神の子の成長を記録する係となった芦屋と神盛は、いつ訪れるかわからない神の子の最期を書き留めるためだけに昼夜を問わず見守り続けた。
だが予想に反して神の子は胎児の形のまま命を繋なぎ、半年もすると血色の膜は薄くなり、その姿が透けて見えるようになった。丸くなった体形に隠れたその顔は、角度を変え覗き込んでも見ることはできなかった。
膜の中で静かに息づく神の子は食べ物をまったく必要としなかった。そのためか排泄をしている様子も見られなかったが、日を追うごとに身体は徐々に大きくなっていった。
神盛はその姿を膜の中で孵化のときを待つヒナのように感じていた。
2年が過ぎたころ、小寒の凍えるような中、芦屋彦治と神盛奈穂は、緋色と呼ばれる神の子の誕生日を祝う準備のため、奥の祭殿と言われる部屋に入った。
芦屋と神盛は、御簾で仕切られているその奥で何かが動く気配に立ち止まり、顔を見合わせた。
恐る恐る近づき御簾を開けると、祭壇に神の子が座っていた。
神盛は芦屋を残し、教祖の部屋へ知らせに走った。
残った芦屋は神の子の正面に回り、神の子の様子を窺った。
神の子は1歳児のように祭壇に座り、頭を垂れていた。
神の子を覆っていた膜は跡形もなく消えていたが祭壇の上には鉄錆のような匂いがかすかに残っていた。
芦屋は恐る恐る神の子の足に触れた。
途端にその指先に軽い電流が走った。芦屋はサッと手を引き、痛みを感じた指先を、そして痛みを与えた神の子を見た。
何事が起こったのか理解できずに立ちすくむ芦屋は、神の子から目が離せなかった。その芦屋の目には、畏怖と羨望とが混ざりあう感情が映っていた。
芦屋の中で時が止まった。血液が逆流するような圧迫を体中に感じた。
どのくらいの時間がたったのだろう。
呆然とする芦屋に、神の子は愛らしい顔を向けて無邪気に笑った。
教祖を呼びに行った神盛がひとりで戻ってきた。
「教祖様はお見えになりません。すべてを芦屋さんに任せるとのお言葉です」
教祖はそれ以来、親代わりとして芦屋彦治と神盛奈穂に緋色の養育を任せ、緋色との関わりを持とうとしなかった。
芦屋は神の子緋色の養育に全身全霊をかけて臨んだ。
緋色は歩くようになると祭壇から降りて、与えられた部屋で過ごすようになり、5歳になるまで何も口にせず、人に触れることなく育った。
それでも緋色の命は絶たれることなく、その身体は微かな電流を帯びたまま人の成長を辿っていた。
そのことは教団の中でも禁秘事項として扱われ、謎めくほどにその存在は神格化されていった。
緋色が成長する過程で、唯一身体に触れることを許したのは、芦屋彦治だけだった。
緋色にとってすべてを受け止めてくれる唯一の人間が芦屋であり、芦屋にとっては教団縁者の中から神の子緋色が芦屋を選び、認めて受け入れたことが誇りとなった。
緋色の成長は異常だった。
就学の年齢には、読み書きを習うこともなく、すべてを習得していた。
だが人との交わりがない生活環境では、社会性が育つはずがなかった。
緋色は自分から話すことも無く、挨拶はもちろん返事をすることもなかった。
縛られることを嫌い、感情の抑制を知らないため、緋色は些細なことでも癇に障るとその怒りのすべてを芦屋に向けた。
その都度、怒りを受け止めて軽いやけどを繰り返した芦屋の両手は、ごわごわとした皮膚へと変化していた。
瞬く間に時は過ぎ、15回目の誕生日に教祖が初めて緋色の部屋を訪れた。
教祖はサンズと呼ばれる男たちを従えていた。
「緋色、誕生日にこのサンズをプレゼントしよう」
ソファーに腰かけて本を読んでいた緋色は突然の訪問に驚きもせずに、本から顔を上げて興味無さそうに教祖の後ろに立っている男たちを見た。
緋色は言葉をかけた教祖を無視して視線を本に戻した。
「このサンズは緋色の縁者だ。お前を守ってくれるだろう」
それでも無反応の緋色に、教祖は露骨に不快な表情を浮かべた。
「何か言ううことがあるだろう・・・緋色」
「芳士様、緋色様はまだ・・・」
言いかけた芦屋の頬を教祖はいつも手にしている教本で叩いた。
そして教祖はその勢いで緋色の前に立ち、手を振り上げた。
跪く芦屋を目の端にとらえた緋色は仁王立ちの教祖の前にすくっと立ち上がり、教祖が身に着けている薄絹の式服の上から教祖の喉元に人差し指を当て、そのままみぞおちあたりまでツツウと滑らした。
「ギャ」
と教祖は短く叫び床に倒れた。
状況が理解できず立ち尽くす者たちをよそに、緋色は覚えたての日本語を話すように片言の言葉を発した。緋色が人間としてはじめて口にした言葉はそこにいるものすべてに衝撃を与えた。
「あなた、じょふく・・・さん、ではない。かわ・・・はがれた、とら・・・」
倒れている教祖を平然と見下して緋色は続けた。
「これで・・・はく?・・・がつく」
最初に我に返ったのは芦屋だった。
「誰か救急車の手配を、病院は芳志総合病院、神盛さんは皆さんを部屋の外へ」
教祖は首中央の鎖骨のくぼみから、みぞおちにかけての軽度の火傷と診断され、そのまま入院した。
それは緋色の指が触れた部分と一致していた。
この恐怖は、一瞬でその場にいたものを緋色の手中に落としこんだ。
一方目覚めた教祖はこの一件を目撃した者に緘口令を敷き二度と緋色に近づくことはなかった。
そして教祖は気を失う寸前に聞いた言葉を神の啓示として受け入れた。それまで縁者の前世について思いつくまま言葉にしていた教祖だったが、これをきっかけに己を神託者と信じ教祖の立場を固めていった。
そんな教祖を気にも留めず、サンズが教団最強と認めた緋色は芦屋を超えるほどに成長した。
そのころには誰ひとり暴れだした緋色を止めることができなくなり禁秘のはずの緋色の存在も、周知の事実となっていた。
ある日身の回りの世話をしていた者の何気ない一言に緋色は激怒した。
その信者に手を上げかけた緋色を諌めようとした芦屋は、突き飛ばされ壁に激突した。
立ち上がろうとする芦屋を助けようと縁者が駆け寄った。
その縁者の姿に眉をひそめた緋色は倒れた芦屋を見下ろして、冷酷な言葉を浴びせた。
「芦屋、お前、幸せだよな。俺の世話をして賢者様と呼ばれて崇められて。なあ、それで本当に願いどおりの来世になるって信じてんのか?お前は俺のために徳を積んだんじゃないよな。お前の来世への我欲のために俺の世話をしたんだろ?それでお前の来世は保証された・・・それをお前は信じるのか?」
両腕を支えられても芦屋は立とうとせずに目を閉じて、まるで審判の場にいるように緋色の尖った言葉を受けていた。
「芦屋、お前は充分尽くしてくれた。俺に善行を教えようと必死だったよな。笑うよな、芦屋・・・俺の前世は、始まりの悪。お前ごときに俺は変えられない・・・」
緋色はにやりと笑うと芦屋に背を向けた。
芦屋は信者の手からゆっくりと離れ、立ち上がった。
「ありがとう・・・皆さんの幸せな来世を祈ります・・・」
使命と信じ、神の子とまっすぐに向き合った道は我欲のためだった。そう指摘された芦屋は、否定できない自分を認めた。捧げてきた人生を自分自身で全否定しなければならないことに打ちのめされた芦屋は、その時をもって教団を去った。
芦屋が去ったあとの緋色は、奥の祭殿を出て縁者の前に姿を現した。
芦屋という歯止めのなくなった緋色は、気に障ると荒れ狂い、その怒りを縁者に向けた。
緋色の指先が触れただけで縁者はうずくまり、気を失った。
そして緋色は縁者にとって最大の恐怖となり、教団にとって絶対的な存在となった。
そんな中、前世を郭公だと言われた女がいた。
カッコウは子を繋ぐために罪深い托卵をする。
前世がカッコウだと言われた奈穂は、我欲のために捨てた罪のない卵が奈穂の母親だと告げられた。
母を失ったことを自分の非とした奈穂は、来世に母親と再び縁を結ぶために、現世で神の子を慈しみ、無心で世話をして徳を積むことを使命とした。
神盛奈穂は父親との縁も切り、すべてのものを捨てて、神の子と言われる不思議な体質の緋色の世話をした。
芦屋がいなくなったあと、緋色を押さえられるのは慈愛の賢者で、空空様と呼ばれる奈穂だけだった。
しかしその奈穂も病の床に伏し、緋色に別れを告げることなく帰らぬ人となった。
奈穂の死は緋色を変えた。縁者に対し暴力的な制裁を加えることはしなくなった。
激情のコントロールはできるようになったが、その目はあくまで冷たく、緋色の発する言葉は対象者を完全に打ちのめすまで容赦なくその心を刺し続けた。
成人した緋色は、火伏の神を祀る神社の近くに若者たちを対象とした研修施設を構えた。
その施設の奥まったところに奥の祭殿があり、そこは裁きの場と呼ばれていた。
その裁きの場の主宰の椅子に、緋色が悠然と座っている。
そしてその緋色の前にサンズと呼ばれる男たちがひれ伏していた。
緋色のとげのある低い声が奥の祭殿に響き渡る。
「鹿山・・・お前キングだっけ?・・・王様か・・・笑うわ。偉大な父親をこんなざまで越えられるかよ。ちっちぇ尻拭いばっかで、仕事したつもりかよ。まったくおめでたいねぇ」
法曹界で帝王と呼ばれていた父親まで侮辱されたが、それでも鹿山は顔を上げることをしなかった。
「詰めが甘いんだよ、小戸山。でも・・・その女が1億の贖罪ならまあ、いいか・・・真実の教えが金で買えるんだ、ここは。幸せなこった」
「熊は死んだが、贖罪は受け入れられた。家畜にならずに済んだんだな。そう思って逝ったんなら熊も幸せってこった」
「熊の始末は羽山がつけたんだな、証拠を残さず海外逃亡・・・さすがだね、手際がいい」
「マザコン兎の・・・兎山。母の力を自分の能力と思っているバカ息子。詐欺まがいのやり方・・・いつまで続けるつもりだ。察に目を付けられたらどうすんだよ?」
「ああ・・・そのあたりはお前が情報くれるからまあいいか。奥山・・・あの雉女のパソコンを手に入れたのはお手柄だったが・・・もう1人の女、天野って言ったか?あの女を逃がしたのはまずかったな。まあこれからも縁者がまずいときはなんとかしてくれな、冤罪はお手のものだよな」
鴫山に視線を移した緋色の声が不気味に低くなった。
「三本足のカラス・・・LBのハッキングに失敗して格下げとなった鴫山。お前の天命は何だ?なぜ報告しない?手ごわい奴らが動き始めたのは、熊が動くときには分かってたんだろ?」
立ち上がった緋色の視線がイーグルと呼ばれる男を捕らえた。
ゆっくりと空の縁者長蔵山の前に立った緋色は、残虐な色をまとっていた。
「蔵山・・・なぜ隠した?仲間に危険が及ぶのは分かっていたはず。仲間?なんて馬鹿馬鹿しいか。空の縁者長は罠を仕掛けて仲間を蹴落とした、んだよな」
蔵山が恐る恐る顔を上げた。
「それは誤解です。あの時点で鴫山の情報に確信が持てま・・・」
緋色は蔵山の口元に人差し指を近づけた。
「言い訳か?・・・声帯焼き切ってほしいのか?」
蔵山は口に手を当てて怯えた目で、緋色に許しを請いていた。
「空の縁者長が・・・なんてざまだ」
緋色の怒りが増してピリピリとした緊張が支配している裁きの場の引き戸がスルスルと開いた。
「兄様、どの子が辛い思いをしているの?」
緋色を兄様と呼ぶ妹の紗羅が顔を出した。
紗羅の登場に、機嫌をよくした緋色の表情から怒りがすぅと消えた。
そんな緋色に肩をすくめて笑いかけ、紗羅はその笑顔をひれ伏したままのサンズに向けて、丁寧にひとりずつ声をかけていく。
愛らしく柔らかい声が近づく。
「大丈夫?」
紗羅はにこにこと笑いながら身を硬くしたサンズに声をかけていく。
紗羅に声をかけられた男たちはその声が自分の前から立ち去るのを息をつめて待った。
主宰の椅子に戻った緋色は口を挟まずにその成り行きを面白そうに眺めている。
「この人が一番辛いのかな?」
紗羅は背中が震えだした兎山の前で止まり、しゃがみこんだ。
「あなた楽になりたい?」
兎山は床に頭を擦りつけたまま、首を横に小刻みに振った。
「あら・・・兄様・・・助けてあげたほうがいい?」
紗羅はどうしようと指示を仰ぐように緋色を見た。
緋色はフフッと笑って紗羅を手招きした。
「放っておけ。役立たずだが、そいつになんかあれば母親が黙っちゃいない」
「そうなの、兄様の言うとおりにする」
「で、紗羅、こんなとこまで何の用だ?」
「華炎ちゃんが来たの。ライブがあるからお庭のステージで練習させてって」
「おお・・・分かった、紗羅、行こう」
「はあい・・・サンズの皆さん辛いことあったら助けてあげるからね」
紗羅は微動だにしないサンズに声をかけて、緋色のあとを追って裁きの場から出ていった。
残された男たちは、恐怖が去ったことを実感するまで動かずにいた。
そんな中まず原山がすくっと立ち上がり、そのまま裁きの場を出ていった。
それを皮切りにそれぞれが胸を撫で下ろし、一言も言葉を交わすことなくそれぞれに裁きの場を後にした。
だがその男たちの胸にある言葉が去来する。
「触れてはいけない緋色様の怒りの手。触れられてはいけない紗羅様の癒しの手」
緋色様の怒りに触れた者は生きることの痛みが諦めの幸せを知らしめ、紗羅様に触れられた者は、生きることの放棄を幸せと信じる。
それは周知のこととして縁者の中で語られていた。




