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立命 ~諾~ 立命 

因果の果てに・(そそのか)しの手


3日後、予定していた会議を済ませて島根から戻ってきた大黒は、さほど疲れた様子も見せずに翌日には議員会館へ向かった。

しかし世利は穏やかで何事もないように見える日常を過ごしながら、時おり垣間見せる大黒の厳しい表情にただならぬものを感じていた。

雑談の中にも島根のことが話題に上ることはなく、世利は事の経緯を聞きだす機会を得られずにいた。


世利はそんな気がかりを持て余しながら、その日の夜も8時を過ぎても連絡がない大黒の帰りを待っていた。

インターホンが鳴りモニターには探目の姿が映っていた。


探目・・・よくもまあ臆面もなく顔が出せたものね。

平然とした顔で玄関に立つ探目に、世利の溜め込んだ怒りが突き上がってきた。


大黒はこの女のために窮地に立たされた。

その始まりは、探目が仕掛けた卑劣な策略だった。


あの会食のあと、探目と小戸山の行動がおかしいと、雄介が目撃した事実を教えてくれた。

そのときすべてに合点がいった。


少し前に世利は、書斎でペン立てに使っている缶の底に盗聴器を見つけた。

それは子供の書いた絵がペイントされた缶で、大黒はそれに触ることを一切禁じるほど大切にしていた。そんなペン立てが少し動いていた。

持ち上げると小さな機器が付いていた。

それ以来、世利はそれが誰の仕業なのか探っていた。

すると探目と小戸山を含めた数人の来客があった日に、その盗聴器は取り外されていた。

世利は探目の仕業ではと疑ったが、その時点で探目と小戸山の関係もはっきりとしていなかった。そのため確証を掴めずにいたのだが、雄介の情報で探目への疑いは確信に変わった。


さも偶然に高齢者を助ける。

あの場面は、大黒に小戸山を引き合わせるために準備された計略だったのだ。


世利は奈良に行く前に議員会館の事務所を尋ねた。探目の離席は確認済みだった。

大臣に付き添い、本会議室へ行くまでの短い時間を狙い、世利は探目のカバンに盗聴器を仕掛けた。


そして盗聴器から聞こえてくる探目と小戸山との会話で、島根での大黒の会合を妨害する計画を知った。

世利は大黒から、島根の会合は重要な問題を解決するためだと聞いたので、あえて相手のことを尋ねることはしなかった。

だが2人の会話の中で、相手が若い女性であることを知り一瞬嫉妬心が顔を出したが、話の続きを聞き、探目の目的は大黒ではなくて、その相手の女性だと分かった。

そうならば探目は大黒に危害は加えない。世利は早々に結論付けた。


その女性は何者で、大黒とはどんな関係なのか?

なぜわざわざ島根で会うのか?

重要な問題とは大黒個人のことなのか?


世利は言い出せない疑問を抱えたまま、探目の企みを胸に畳み込み、大黒を島根に送り出した。

大黒の車を見送る世利の頭に、探目と小戸山のやり取りで聞いた名前が唐突に浮かんだ。


名方翡翠。


何者なのか?・・・探目はこの男がうまくやると言っていた。

見送りを終えた世利は、リビングのソファーに腰を下ろし腕を組んだ。


名方翡翠。頭から離れない。なぜこうも気になるのか?

大黒と探目を鎖のように繋ぐもの・・・

この人物が、探目が握っている大黒の秘密に関係があるとピンときた世利は、名方翡翠についてすぐさま調査会社に依頼した。


探目がのこのことやって来たのは、その結果が届いたその日だった。


「世利さん、あ、奥様、遅くなって申し訳ありません。先生お帰りになりましたか?」

いけしゃあしゃあと挨拶する探目に、世利の怒りは頂点に達した。


「まだお帰りになっていない。明日にして」

探目は世利の口調でその怒りが尋常ではないことを感じ取った。

「お待ちください。奥様、何かございましたか?どうされました?」

世利は画面越しに狼狽える探目を冷ややかな目で見据え、その画面を消した。

間を置かずにインターホンが鳴った。

「うるさいでしょ」

そして鳴り続けるインターホンにイラつきを露わにして出ると、そこにはおろおろと手を合わせ、謝る探目がいた。

「私の話を聞いてください。私は騙されたんです。あの男に。私は決して先生を裏切っていません」

「何のことか分からないし、私には関係ないでしょ」

「お願いです。入れてください。とにかく・・・話を・・・」

世利は、玄関先で(わめ)かれるのも考えものだと渋々ドアを開けた。

探目は滑り込むように玄関に入ると、自ら鍵をかけて世利にすがりつき、命乞いをするように何度も頭を下げた。

「私、騙されました。だからあんなことを・・・手伝ってしまいました」

「理由はどうであれ、あなたは大臣に顔向けできないことをしたのでしょ」

「違います。私ではありません。あの小戸山の策略なのです」

探目は腕を組んで見下ろす世利に、必死で言い訳をした。

「ただ私は翡翠君に、女の人といると先生が危ないと伝えただけです。そしたら翡翠君がその人をどこかに連れて行ってしまって、私は恐ろしくなって逃げてきました。私はどうしたらいいのか、大臣に・・・」

話を遮って世利は尋ねた。

「翡翠君って誰?」

「それは・・・名方翡翠。大臣の息子さんです。そうなんです。息子さんなんです。世利さんはご存じないでしょ。私しか知りません。だからこのことが世間に知れたれら、大臣は大変なことになります」

「どうなるというの?」

「それはお分りでしょう。国民の非難を浴びる・・・」

世利の動揺のない冷めた視線に気づき、次の言葉を飲み込んだ。

「それはないわ。名方翡翠君?そんな人はいないわよ。あなたは妄想癖があるようね。あなたは書斎に盗聴器を仕掛けたでしょ。それも2回。だから私も盗聴させてもらったわ。脅迫まがいのことをして、言い逃れはできないわね。そのうえ、小戸山と結託して大臣に濡れ衣を着せて失脚させようなんて、許せない。首を洗って待ってなさい」

「大臣に聞いてください。私はずっと翡翠君の面倒を見てきました。大臣が新潟に出向されていた時のことです。そのとき・・・」

「くどいわね、あなた。そうよ、私も知ってたわ。あなたと小戸山の話を聞いて、島根から戻った大臣に尋ねた。そんな事実はないってお答えよ。そして戸籍も調べたし、もちろんその人が勤めているとあなたが言ってた官邸の警備室にも問い合わせたわ。でも名方翡翠という人物は存在しなかった。だからあなたの妄想をマスコミに話そうが、ネットに流そうが、相手にはされないわね」

「そんなこと・・・存在しないなんて」

「そうそう・・私、あなたのこと、まだ大臣にお話ししてないの。自白したあなたはお終いね。早く小戸山に相談して助けてもらいなさい・・・ここには二度と顔を見せないで」

世利はその場に崩れ落ちた探目にさげすむ視線を向け、静かにそして容赦なく出て行くように迫った。

這うように外に出た探目は、世利の言葉に底知れぬ恐怖を感じて打ちのめされた。


名方翡翠は・・・存在しない?戸籍もない?消えた?消された?


探目は計画通りに、翡翠が連れて来た女を小戸山に渡したあと東京に戻り、何食わぬ顔で仕事をしていた。

2日後大黒も戻ってきたが、普段どおりに政務をこなして、島根の一件で動揺した様子は全く見られなかった。


探目は名ばかりであったが親代わりとなっていた大黒の息子、名方翡翠が官邸で特別な任務についていることを薄々感づいていた。

誘拐という父親の悪事を息子の耳に入れ、目的の女を拉致させる。そして、誘拐と隠し子という事実をマスコミを使い暴露して、大黒の社会的責任を問い、失脚を狙う。この小戸山の計画に、解雇される不安で行き場をなくしていた探目はふたつ返事で乗った。


小戸山はマスコミにコネがあると言っていた。大黒の拉致事件にマスコミが反応してもいい頃なのに、世間が騒ぐどころか、命を狙われた大黒も何事もなく平然としている。


小戸山が、寺田美加という女をしばらく軟禁するが、頃合いを見て無事に解放する。そして、大黒に拘束されていたとマスコミを使い、女に証言させると言っていた。

だがその女の会見さえ未だに行われていない。


小戸山の計画が失敗したのだろうか?

落ち着くまでしばらくはお互いに連絡をしないことになっている。確認しようがない。

連絡がないところをみると・・・胸騒ぎがした。

探目は震える手でスマホを取り出した。

小戸山のスマホは電源が入っていないと無情な声で答えた。


私は何も知らない。

すべて小戸山がしたこと。

焦った探目はそう自分に言い聞かせ大黒を尋ねたのだが、大黒の妻の世利はすべてを知っていた。


様子を見るためにインターホンを押した探目は、何を言われようとその場を打開して世利を懐柔できる自信を持っていた。探目は世利を見くびっていた。

様子窺いどころか、詫びの言葉も一刀両断、バッサリと縁を切られた。


世利の冷笑に、自尊心を潰された。計画の失敗で崖っぷちに立たされた。そして孤独な生き様が絶望を生み、あらゆる負の感情が一気に探目に襲い掛かった。

そして、存在自体を消された翡翠に自身を重ねた探目は、呼吸するたびに重くなる心を抱えて大黒の自宅を逃げるようにあとにした。


ピンヒールのカッカッという音が弱くなり消えた。

立ち止まった探目は、スマホを見つめて小戸山の番号をもう一度タップした。

途切れ途切れに電子音が聞こえた。

探目は不意に後ろから肩を押された。ビクッと我に返ると、いつの間にか雑踏の中にいた。

探目の存在など気に留めず、絶えず流れる人の波に翻弄されて、耐えきれなくなった探目は一度小戸山に連れていかれたカフェに向かった。


おぼつかない記憶を頼りに、探目はようやく目的の店にたどり着いた。

看板灯はすでに消えていて時計を見ると10時を過ぎていた。

店の中も薄暗く閉店しているように見える。

引き返そうと背を向けたとき、探目は中から漏れ聞こえる低く重なり合った声に気づいた。慌ててその場を離れようとする探目だったが、体がその声に縛られたように動かなかった。それが何かの呪文だと気づいたとき、いきなり目の前のドアがバッと開き、探目はあっと言う間に店の中へ引っ張り込まれた。

探目は「ヒェ」としゃっくりのような声を上げ、思わず頭を抱えて店の床に座り込んだ。

探目が落ち着くのを見計らったかのごとく、ウォンウォンと低く響いていた声が消えた。

恐る恐る体を起こし、顔を上げた探目の見開いた眼の先の薄闇に、感情のない無数の目が浮かんで見えた。

震える膝を押さえ、どうにか立ち上がった探目に、無数の顔が声を立てずに一斉に笑いかけた。

被さる妖気に目まいがした。遠のく意識の中で探目は必死で助けを呼んでいた。

だが、財産をひとり占めにされ、不幸のどん底に落とされた両親や兄弟は、探目を恨んでいた。そして助けを頼める友人や知人はいないことを探目自身が分かっていた。


そんな探目の孤独は諦めを呼び寄せた。


諦めが体を覆ったとき、探目は背にさり気なく当てられた手を感じ、寄りかかった。

その手をあたかも救いの神のごとく感じた探目は、安堵の笑みを浮かべ、すべてをその手に預けて気を失った。


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