立命 ~諾~ 立命
神の海の密会・・・拉致
テラは、1か月前に大黒厚労大臣の秘書から打診されて、後日生化学研究所長の事代の訪問を受けた。事代の話は、漠然とではあったがこれからのテラの生き方に深く関係していくように思われた。
テラは両親を亡くしても、モデルという仕事と出会えたおかげでその中に存在意義を見出していた。
だがその仕事を失った今は、周りに支えられていることに感謝しつつも、目的もなくただ生きていることに心苦しさを感じていた。
存在意義を見失っているテラにはその誘いは魅力的な話だったが、詳しくは大黒大臣が直接会ったときに話をすると言われ、提示された条件に戸惑いは隠せなかった。
その条件とは、島根到着に1週間をかけること。人に知られないように配慮すること。
大黒の用意するスマホで連絡を取り合い、使用中のスマホは自宅に置いておくことなど、到底気の休まる話ではなかったからだ。
即答を避けたテラは、様子を見に訪れた太力に相談をした。
「きな臭い話だな・・・どうしたい?」
「興味はあるの・・・でも・・・」
「大臣かぁ・・・でっかいな」
「なんかね・・・なんで?って」
「まぁ、結論はゆっくりと考えて、そろそろ卯月さん誘って飯食いに行こう」
考え悩む様子を見かねた太力の言葉に、テラは唐突な質問をした。
「ねえ、もし旅行に行くならどこに行きたい?」
「俺は戸隠山に行ってみたい」
意外にも即答した太力にテラは驚いた。
「戸隠って、長野でしょう。お蕎麦のおいしい所よね。ああ、お蕎麦食べに行きたいの?」
「蕎麦もだけど、そこの神話が面白い。天照大御神が隠れた岩屋の扉を手力雄って神様が開けて、ぶん投げた岩屋の扉が落ちた所が戸隠だって言われている」
「へぇ、そうなの。太力、憧れてるの?その神様に」
「まあな」
「あら、それなら行ってみようか?長野回って島根に」
「ふん、その気もないくせに」
テラはごまかすようにへらへらと笑った。
「卯月ちゃんに連絡しよう。お蕎麦でいいよね。あら、以心伝心、卯月ちゃんから電話よ、はい、ご飯・・・」
絶句しているテラに、太力はただ事ではないと聞き耳を立てた。
「分かった、私も行くわ、太力もここにいるから迎えに行くね」
「どうした?」
「由宇子ちゃんが危篤・・・」
テラは青ざめた顔で太力を見上げた。
そして由宇子の一件で広島から東京に戻ったテラは、考えた末に大黒からの再度の誘いに応じることにした。
指定された日、沖合に浮かぶ大黒のクルーザーでは、大黒とテラが事代と太力を交えてテーブルを囲んでいた。食事を前にテラは緊張していた。
何人かのボディガードが要所、要所に、目立たないように隠れているのが分かるとテラの緊張は増していた。
大黒がそんなテラに声をかけた。
「テラさん、今夜は快く出向いていただき、感謝してますぞ。遠いところを、それも1週間もかけて来ていただいたのだから、お礼の言いようがありませんな」
大黒はテラと太力に労いの言葉をかけた。
「感謝だなんて、こちらこそお招きいただき、ありがとうございます」
「さあ召し上がってください。新鮮な物ばかりを用意したから遠慮しないで。ホテルも取ってあるからゆっくりして、本題は食事を済ませてからでよろしいかな」
大黒が同意を求めるとテラは頷き、事代も同意した。
テラは勧められて前菜を口にした。
太力は気にする様子もなく、料理を口に運んでいる。
それから大黒は世間話のように自分の政策を話し、気持ち良さそうにお酒を飲んだ。
テラは箸を進めながらたまに頷き、話を聞いていた。
「太力さんも遠慮なさらずにどうぞ」
事代が太力に酒を勧めた。
「1杯だけ頂戴します」
太力はそう断りを入れて、注がれたグラスを空けた。
「車での長旅はお疲れでしたでしょう。戸隠はどうでしたか?」
「楽しかったです。お蕎麦もおいしくて、ホテルもとても素敵なところでした。何から何までお手配いただいて、ありがとうございました」
「糸魚川に行かれたとか?良い翡翠が手に入りましたか?」
「翡翠を探しましたが、見つかりませんでした」
「残念でしたな・・・」
大黒が目くばせをすると、控えていた秘書が小さな箱を持ってきてテラの前に置いた。
「そんなこともあろうかと・・・」
「これは?」
「糸魚川の翡翠ですよ。若いころに新潟に居ましてね、そのときに集めたものですわ。テラさんが糸魚川を回ってくると聞きましてな、昔の物を引っ張り出しました。お陰でいろいろ思い出しましたわ」
テラがそっと小箱を開けると、きれいに研磨された翡翠が入っていた。
「指輪でもネックレスでもお好きになさい」
大黒はワハハと愉快そうに笑った。
「ありがとうございます・・・大切にします」
和やかな雰囲気の中、黙々と食べていた太力がカタッと箸を置いた。
「テラさん・・・」
太力がテラの腕を掴んだ途端、クルーザーが大きく揺れて武装した男たちが現れ、テーブルの周りを囲んだ。
船内の異常に気づいた大黒のボディガードが慌てて入ってきた。
狙いが大黒なのか、テラなのか分からないまま船内は乱闘になった。
大黒を守るボディガード。
だが襲撃者たちは大黒には目もくれず、テラに向かってきた。
狙いはテラだ。
瞬時に判断した太力はクルーザーフライブリッジへ向かった。
その間に大黒はボディガードに守られて、無事に脱出した。
太力はテラを守りながら戦ったが、多勢に無勢で苦戦を強いられた。
襲撃者2人が同時に太力に襲い掛かかり、その1人がテラの腕を掴んだ。
テラの悲鳴に気を取られた一瞬の隙を捉えて太力は敵に囲まれ、腕を切られて思わずテラの手を離した。
連れ去られる寸前にテラを掴んでいた襲撃者が倒れた。
「保護します」
と言うなり襲撃者を倒した男は、あっと言う間にテラを連れ去った。
負傷しながらも2人を追う襲撃者を止めようと立ちはだかった太力の前に、太力の盾になるような動きをする別の男たちが現れた。
テラを追う太力に、助けに入った男たちのリーダーらしき男が止めた。
「大丈夫です」眼光がそう告げた。
助けに入った武美、石策、樋口のイレーザー3人の前に、訓練された手強い襲撃者が海から次々と上がってきた。
黙々と闘う武美の視界に、突然海保の制服が飛び込んできた。
「おお・・・宗像三姉妹か・・・海保宗像三姉妹が来るとは?」
海上から現れた宗像三姉妹に驚く武美に、三姉妹の長女の心が近づいてきた。
武美も闘いながら心に近づいた。
「何で来た?何で分かった?」
「海は私らの縄張りですから」
「だが・・・」
「あとは任せて、私らの仕事だから・・・あんたは時間がないんだろ」
「こいつらは何者だ?」
「通称AG、傭兵組織だ」
武美と心は敵への攻撃を続けながら、情報のやり取りをした。
「元は中東か?」
「そうだ、こいつらはまとめて私らが絞める」
「なら、宗像三姉妹、後は任せた」
そう言うと、武美は撤収と叫び姿を消した。
クルーザーに残った宗像三姉妹は、依千姫、多希流が敵の動きを止めると、すぐさま心がとどめを刺していった。
数分後には海保の援軍が到着した。
負傷した太力を救護班に任せて、不法侵入者の人数を確認しながら戻ってきた依千姫がつぶやいた。
「逃がした奴はいないわね・・」
「心が言っていた人数全員が海で浮かんでいる」
答えた多希流が視線を移すと、心は眉をひそめて無言のまま意識を集中させていた。
「・・・」
「心?どうした?」
「あいつ、浜に雄介がいる。巻き込まれるとまずい」
というなり海に飛び込み、水上バイクに飛び乗った。
依千姫、多希流も一瞬呆気にとられたが、心の行動を理解すると心を追って稲佐の浜へ向かった。
その雄介は、2日前に日本アルプスを縦断して、糸魚川にたどり着いた。
山は雄介に平常心で呼吸をする術を授けてくれた。それは、人社会という空間で生きる息苦しさから開放してくれる術だった。
今回も雄介は、自然の猛威に身をさらし、その中で生きることに向き合い、貪欲なままに生きて過酷な道を歩き切った。
自然の脅威の前に、雄介は人であることを忘れる。
襲いかかる猛威の中で、理屈や道理を考える暇などない。
ただひたすらに歩を進める。前だろうと後ろだろうと生きるために足を運ぶ。
死の淵に立とうが、絶望に襲われようが、一歩を進めるしか生きる術はない。
山では判断、決断、実行。ひとつでも間違えば命取りになる。
そんなきりきりとした時間から解放されて、雄介はようやく糸魚川市のヒスイ海岸にたどり着いた。
美しい海が目の前に広がっていた。
波打ち際を歩く人がいる。何人かが屈んで何かを探している。
そんな光景に、雄介はのんびりと伸びをした。
そのとき波打ち際で体を起こし、雄介と同じように伸びをした女性が目に入った。
「えっ、テラさん・・・」
そこには会いたいと願っていたテラが、連れの男性と笑っていた。
駆け寄りたい衝動を抑えた。
「元気そうだ。・・・良かった・・・」
一緒にいる男性は誰だろう?
テラの様子から、その男性を信頼していることが見て取れた。
2人がどんな関係だろうとテラさんが笑っていたらそれでいいと、背を向け歩き出した雄介だったが、ふと立ち止まった。
だがなぜテラさんがここにいる?大黒に会いに島根に行くのか?
佐祐は言っていた・・・大黒がテラさんを拉致する・・・そうなのか?
雄介は浜辺の2人の姿に一抹の不安を覚えた。
そしてその不安は現実のものとなった。
雄介は佐祐の言葉が気になり、テラのあとを追って島根に着いた。
島根に着いたテラは、案の定連れの男性とともに大黒のクルーザーに乗り込み、そのクルーザーは稲佐の浜に移動して沖合に停泊した。
しばらくして、小型のボートとウォータージェットが沖に向かった。
稲佐の浜からクルーザーを見ていた雄介は、神の海にただならぬ気配が走るのを感じとった。
雄介が浜の端の方へ走っていくと、クルーザーから出てきたボートから、大黒が数人の男たちに守られて浜に上がってきた。
その中にテラの姿はなかった。
「テラさんはまだクルーザーなのか・・・」
雄介は身をかがめて辺りの様子を窺った。
大黒は守られながら、駐車場の方へ走っていった。
浜の端で這うように進む雄介の前を、ウオーターバイクから降りた男が、人を抱きかかえて通り過ぎた。
目を凝らして見ると、抱えられているのはテラだった。
雄介は2人の後を追った。
駐車場まで行き、男はテラを車に乗せて出雲大社の方へ向かった。
雄介は男の車を追った。
車は大社の入り口で止まり、男はそこでテラを降ろして、ひとり走り去った。
テラは意識が朦朧としているのか、おぼつかない足取りのまま、待っていた別の車に乗せられていた。その車は先ほどの車と反対の方向へ走り出した。
雄介が追跡すると、大きな港に着いた。
岸壁に停泊しているフェリーの横を通り、港の中を確認するように周回して車は山積みのコンテナの陰に止まった。
雄介は少し離れたところに車を停めて外へ出た。
ひそひそと話し声が聞こえるが、その中にテラの声は混ざっていない。
間違いなくテラはトラブルに巻き込まれていた。
声が聞こえなくなった。
雄介は用心しながら声のしたほうへ向かった。
コンテナに囲まれた四差路に出た。人の姿はなく、テラは消えていた。
「テラさん、俺は二度とテラさんを見捨てない」
雄介は足音を消して、テラの気配を探した。
ここに着いてから車のエンジン音はしなかった。車は移動していない。
テラはどこかに閉じ込められている可能性が高い。
車を1台ずつ見ていったが姿はなかった。
コンテナの周りを探したが物音ひとつしない。
雄介はフェリーの方へ歩き始めた。
そんな状況の中、スマホが佐祐からの着信を知らせた。
「雄介さん、島根っすよね?頼んます、透久那を助けてくれ。LBを破壊しに奴らが研究所にくる」と連絡が来た。
雄介は佐祐の必死の叫びに呆然とした。
判断、決断、実行。そして強いられる辛い選択。
試練は人生で形を変えて何度も訪れる。
俺は二度とテラさんを見捨てない・・・そう決めた。
芽唯、ばっちゃま、透久那くん・・・大切な人たちを守ると決めた。
雄介はスマホを握りしめ決断した。




