立命 ~諾~ 立命
探目の切り札
探目は、大黒の妻の世利に嫌われていることは重々承知していた。
ちょうどそのころ偶然に若彦の弱みを掴んだ探目は大黒を離れ、若彦の公設秘書になろうと画策していた。
しかしその若彦が急死してしまった。
窮地に立った探目は、若彦のスキャンダルをネタに土屋をそそのかし、後釜を狙う計画へと瞬時に切り替えた。
だがその矢先に、大黒が若彦の跡目を引退した常伊達の息子にまかせるらしいという噂が立った。
そのあとの土屋の様子を見ていたが、後釜の件は進展がなく、大黒に対するアプローチは裏目に出てしまった。
そのうえ土屋を利用しようとしたことがばれてしまい、土屋の信頼も失ってしまった。
そして、今夜の大黒の態度が探目の不安を確信へと変えた。
大黒は探目を公設秘書から私設秘書に変えるつもりでいると、玄関まで見送りに出てきた世利が含み笑いの顔で囁いた。
しかも最後に言い放った世利の声が耳に残っていた。
「格下げされるのよ、あなたは・・・」
今夜も探目は、世利から逃げるように大黒邸を出てきた。
「私を切る・・・いいやそんなはずはない・・・先生が私を切れるはずはない」
繰り返し自分に言い聞かせても世利のさげすんだ言葉が被さり、めまいがした。
居ても立っても居られなくなった探目は、政策秘書として大黒に紹介しようとしていた、小戸山という男をホテルのラウンジに呼び出した。
その男小戸山は、政治の勉強会と称した食事会の帰りに探目の前に現れた。
有名私立大学を卒業したあと、今は塾の講師をしているが政治に興味があり、探目に付いて勉強したいと言ってきた。
なんと国会議員政策担当秘書の資格を持っているという。
相談する相手もなく、追い詰められた探目にとって渡りに船の救い神だった。
小戸山を利用できるとふんだ探目は、食事に誘い、私的な秘書の会合にも何度か連れて行くうちに、小戸山の頭の良さや、読みの深さにほれ込んだ。
そして今夜、大黒に私設秘書の話を持ち掛けたのだが、相手にされなかった。
大黒の私設秘書には見込みがないのだが、どうしても手元に置きたいと思う探目だった。
呼び出しておきながら、探目は近づく小戸山に気づかず、考え込んでいた。
「探目さん、心配しないで。先生に一度紹介していただければ、あとは僕がうまくやりますよ」
探目の心配事を見透かしたように声をかけてきた小戸山の姿に、探目の不安は一瞬で消えた。
探目から今の状況を聞いた小戸山の表情に、不敵な笑みが浮かんだ。
「それなら大黒さんに引いてもらえばいいでしょう」
「引いてもらう?・・・」
オウム返しの探目に、小戸山は爽やかな笑顔で答えた。
「失脚・・・です」
「え?・・・」
「それが手っ取り早いでしょう」
「できるの?」
「作戦を立てましょう」
小戸山の計画に聞き入り、聞き終わったあとの探目は不安が吹き飛び、はればれとしていた。
「あとで盗聴器を送りますので、大黒の自宅に取り付けてください。書斎、それとリビングの2か所、まず1週間様子を見ます。何か出てくるでしょう」
探目は、頭に浮かんだ憎々しい世利の顔をはたき落とした気分だった。
「・・・問題がありますか?」
そんな探目の様子に小戸山が尋ねた。
「問題なんて・・・ないわ」
あの天敵の忌々しい女の秘密も分かるかもしれない。一石二鳥とはこのこと、探目はほくそ笑んだ。
後日届いた盗聴器を持って、探目はいそいそと大黒の自宅へ向かった。
探目はアレンジの花籠を持っていた。
この中に盗聴器を仕込んだ。
大黒の秘密もだが、世利の秘密も何か見つかればあの女をやり込められる。そう思うと、探目は弾む気持ちを抑えられなかった。
玄関に着き探目がインターホンを押すと、都合のいいことに世利ではなく、家政婦の声がした。
「先生に頼まれて、書斎にある書類を取りに来たの」
古くからいる顔なじみの家政婦がドアを開けると、探目は世利の姿を探しながらリビングへ向かった。
「先にこれをリビングに置くから、ところで奥様はどちらに?」
「庭で土いじりをされています」
庭で土いじり?田舎者は好きよねと探目は鼻で笑い、大黒の座るソファーのサイドテーブルの置物を家政婦に片付けさせた。
「支援者の方からの贈り物なの。近々顔を出すとおっしゃっていたので、しばらくは大臣のお席のそばに置いておいてね。移動させないでよ」
「分かりましたよ。あなたも相変わらず忙しいのね」
「そう、忙しいばかりで何もいいことないわ。今度夕食でもごちそうするわ。いつも手伝ってもらっているから、でも今日は大丈夫よ」
探目は、書斎へ向う探目に付いてくる家政婦をけん制した。
いつもなら妻の世利のことをくどくどと聞いてくるのに、今日はそっけない探目に家政婦は首を傾げて仕事に戻った。
探目は書斎に入ると、盗聴器を取り付ける場所を探した。だが木造の書斎には鉄部は少ないうえに、小戸山から簡単に手の届く場所は避けろと言われていた。
隠せる場所が見当たらず焦る探目に、追い打ちをかけるように世利の声がした。
慌てる探目の目が、古い缶で作ったペン立てに止まった。
「これは・・・まだ持っていたなんて・・・」
探目はそっと缶を持ち上げた。缶の底は丸底で盗聴器はすっぽりとハマった。
世利が近づいてきた。
書斎のドアが開いた。
「何をして・・・」
探目は世利に頭を下げて、背を向けて電話を続けた。
「おっしゃる所には書類はありません・・・事務所に戻りもう一度探します」
振り向くと世利の姿は消えていた。
大黒の自宅は、世利の許可なしで何かを持ち込むことを一切許されていない。世利の性格を知り尽くす探目は、慌ててリビングへ向かった。
開け放たれたリビングのドアの先に世利が見えた。
「世利さん、奥様、お待ちください。それは私からでなく、支援者の方からいただいたものです。その方が顔を出すとおっしゃいましたので、どうぞ1週間だけでも大臣のお近くにお飾りください。お願いいたします」
探目は叫びながらリビングに走りこんだ。
アレンジの花籠は世利の手でごみ箱に叩きつけられる寸前だった。
世利は手を止めたものの訝しげな表情は変わらず、それを元に戻そうとする気配はなかった。
慌てて探目は世利の手から丁重にアレンジの花を受け取り、元の位置に戻した。
「申し訳ございませんでした。先にご相談すれば不愉快な思いをなさらずにすみましたのに・・・今後は気を付けます。今回は新しい支援者の方からなので、お怒りをお収めいただいて・・・」
世利は必死に謝る探目に、一言も声を掛けずにリビングを出ていった。
残された探目はきりきりと奥歯を噛み、尖った視線で世利の後姿を刺したが、世利は振り向くことなく庭へと消えた。
探目は何事かと顔を出した家政婦に、腹立たしさをぶつけた。
「私はあなたに説明したわよね。ちゃんと奥様に私の言ったことを伝えたの?奥様に誤解されて大変なのよ。あなたに責任があるのよ。まったく頭悪い人には物を頼めないわね」
「私は奥様にお会いしていませんし、探目さんから奥様にお伝えするようにも言われていませんよ・・・」
家政婦は探目の剣幕に狼狽えながらも、口答えをして切り返した。
「だから・・・何なのよ。もういいわ」
はらわたが煮えくり返る思いの探目に、家政婦の手向かいはその怒りを余計に煽り、大黒邸を出た探目は、いつものバス停まで目を吊り上げたまま歩いた。
「・・・ムカつく、あの女、あの態度・・・」
歩くうちにふと力が抜けた。
なぜこうも簡単に追い詰められるのだろう。
探目は立ち止まり、煙草に火をつけてため息をついた。
「そう、もう少しの我慢。何でもいい、あの家の秘密が手に入れば、大黒は失脚して、あの女も終わる・・・」
私があの女を蹴落とす。
探目は落ち着きを取り戻すと、ポトリと落とした煙草をヒールの先で踏み消した。
苦々しい探目の思いは踏みつぶされた吸い殻に残こり、いつまでも燻ぶり続けていた。
冷静になった探目は、小戸山に盗聴器を取り付けた報告を入れた。
「探目さん、さすがです。早速こちらで調べましょう。1週間もすれば何か引っかかるでしょう。どうするかはそれからですね」
「小戸山さん、夕食は済んだの?」
「先ほど済ませました。それでは分かり次第連絡します」
素っ気なく電話は切られた。
探目は友人と呼べる者がいない。生きるために友というものは必要なく、信頼関係ではなく、持ちつ持たれつの関係を選んできた。金のため、人脈のため、地位のため、出会った人を利用することだけを考えてきた。出会った縁は繋ごうとせず、始めから捨て駒として終わる縁としていた。
探目にとって信じる者、頼れる者は自分自身でしかなかった。
探目は小戸山に切られ、画面の消えたスマホを眺めていた。
スマホの画面が、若い探目の待ち受けに変わった。
50歳が近い探目は、鏡を見ることが多くなった。見るたびに、まだまだこれからと鏡の中の自分に言い聞かせる。
そんな探目も結婚を考えたことがあった。
だが大黒という男と比べると、その対象になる男たちは魅力のかけらもなく、結婚を考えること自体がばかばかしく思えた。
その大黒が離婚したとき、探目はさり気なく言い寄ってみた。
相手にされないばかりか、そのうちに大黒は天敵となる世利と再婚した。
結婚をあきらめた探目は大黒の秘書になり、欲望のまま人を踏み台にしてのし上がった。
何があろうといまさら諦めるつもりはない。あの男小戸山をうまく使えば、今の憂いはすべて払拭できる。
大臣だろうと、嫌味な女だろうと、私の行く手を阻むものはなぎ倒してやる。
探目はそれが私の生き様だと開き直った。
ほどなくして小戸山から連絡があり、今夜食事をしようと誘ってきた。
その食事が終わるころ、小戸山にメールが届いた。
「探目さん、出ましょう。ひとついいですか。何があっても質問はなしです。僕が何をしようと静かに見ていてください」
探目にそう念を押して、2人は店を出た。
2人は食事を済ませ、人通りの多い道を歩いていた。すると小戸山は突然立ち止まり、ひとりの老人に近づいて行った。
探目は、何をするの?という問いを呑み込んだ。
小戸山はぼんやりと立っている高齢者に近づき、話しかけると探目を呼んだ。
「探目さん、この方、ご病気で迷われているようです」
徘徊?面倒なことをと困惑気にため息をついた探目の後ろから、大黒の声がした。
「探目君じゃないか・・・何事かね?」
大黒は目の前のレストランから出てきたところだった。
「先生・・・道に迷われたご老人を、今連れの者が保護したところです」
「連れ?」
探目の視線を追う大黒の視線が、自然な流れで高齢者の世話をする小戸山に向いた。
大黒に気づいた小戸山が会釈をすると、大黒が小戸山に近づいて行った。
すると紹介しようとする探目の前に立った小戸山の行動に、探目は目を見張った。
「困りごとかな?」
大黒が声をかけると小戸山は、探目を差し置いて答えた。
「大臣、はじめてお目にかかります。私は小戸山と申します。大臣、大変申し訳ございません。誠に失礼とは存じますが、この方を交番にお連れしたいと思います。ご家族もお探しかもしれませんので、この場は無礼を承知で失礼させていただきます」
「おお、そうだそのほうが良い、早く連れて行きなさい」
大黒は手を振り、早く行くように促した。
抱えるように高齢者に寄り添う小戸山を見送った大黒は、その姿に機嫌を良くしたようだった。
「なかなか良い青年だ。秘書を雇いたいと言っていたのは彼か?今度家に連れてきなさい」
「はい、先生。本人に伝えます。喜ぶでしょう」
「それじゃ、探目君、これで失礼する」
そう言うと、後ろで世利と様子を見ていた男に声をかけた。
「雄介君、君はどうするかね?」
「俺は家に帰ります、今日はありがとうございました・・・姉貴ありがとう、またな」
世利の弟という男は探目にも頭を下げ、歩き去った。
タクシーに乗りこんだ大黒と世利を見送った探目は、小戸山が戻ってくるのを待った。
この一連の出来事は偶然なのか?食事の帰りに偶然に大黒に出会い、小戸山はたまたまそこに居合わせた介護を必要とする高齢者の手を取り、すかさず助けた。
そして、小戸山のその姿に大黒は好感を持った。
小戸山は使える。私を頂上へ連れて行ってくれる男だ。
探目は小戸山の行動に、そう確信した。
しばらくして穏やかに笑いながら小戸山が戻ってきた。
「探目さん、お待たせしました、お疲れでしょう。お茶でも飲みましょうか」
「あなたこそ、お疲れだったわね。お茶ではなくて乾杯しましょう」
「乾杯ですか?」
「そう、先生があなたを気に入ったみたい。自宅に連れてこいですって、ふふふ」
「それは良かったですね」
「ところであの老人はどうしたの?」
「警察立ち合いで家族に引き渡しましたよ、よくあるそうで探していたところだったそうです。えらく感謝されました」
「ねぇ小戸山さん、これって計画通りってこと?・・・偶然ではないわよね」
「偶然ですよ・・・いいえ必然ですね。偶然は見落とさなければ必然になりますので。さぁ、本丸に伺ったときは、しっかり僕のことを大黒さんに紹介してくださいね」
小戸山はにやりと笑って歩き始めた。
探目にとってこのことが偶然だろうと計画的なことだろうとどちらでもよかった。
追い詰められて崖の淵に立っていた数日前が、遠い過去になっていた。
失脚した大黒をあの女はどうするだろう。見ものだ。そう考えるだけで探目は気分が良くなった。
数日後、大黒の記憶が鮮明なうちに探目は小戸山を連れての自宅を尋ねた。
世利は留守で、大黒の帰りを待つ時間に仕掛けた盗聴器を回収した。
大黒に挨拶を済ませた小戸山は、頻回に大黒の事務所に顔を出して、大黒の取り巻きの信頼を得ていった。
その中で世利が奈良の実家に里帰りすると聞いた小戸山は、もう一度盗聴器を書斎に仕掛けるように探目に伝えた。
仕掛けてすぐに探目は、小戸山から住宅街にあるカフェに呼び出された。
探目は入るなりそのカフェの異様な雰囲気に足を止めた。
小戸山はそんな探目の背に手を当てて、押し気味に奥の席へむかった。
探目はきょろきょろと見回して、恐る恐る勧められた椅子に腰かけた。
「探目さん、ここは僕の知り合いのカフェです。ここなら安心してお話出来ますよ」
小戸山は注文を済ませると探目を安心させるように話しかけ、コーヒーが運ばれたあと探目に顔を近づけて話し始めた。
「早速ですが大黒さんは島根に別荘を持っていますよね。その別荘に今はどなたがお住まいですか?」
「美保関の別荘ね、親戚の人が管理がてら住んでいると聞いているわ。先生は半年に一度ぐらい行くのかな。別荘のことはあまり話に出ないわね」
「それと研究所も島根にあるらしいですね。何を研究してるのかな?」
「ああ、生化学研究所ね、行ったことはないけれど、農作物の遺伝子組み換えの研究をしているのよ。先生の妹のご主人が所長をしてるわ。先生から聞いたことないし、話題にも上らない。先生が行かれたこともないから関係ないわよ」
「所長は・・・」
「事代さんよ・・・彼に何かあるの?」
「今は情報収集が必要・・・でしょ」
小戸山にはぐらかされたと感じた探目だったが、それを顔に出すことはなかった。
「ところで、寺田美加という女性に心当たりはありませんか?」
「寺田・・・美加・・・ないわ。初めて聞く名前ね」
「そうですか・・・」
「その人が何か先生と関係あるの?」
「大黒さんはこの女性に興味をお持ちのようですよ」
「・・・そうなの・・・」
「この女性にこっそりと会われる予定を立てていらっしゃるようです」
「・・・・」
「ならば密会のあと女性がこつ然と姿を消せば・・・大黒さんのそんなスキャンダルに世間は何というでしょう」
「あらら、大変なことになるわね。茶徳さんと同じ末路かしら。でもそれだけで大丈夫?」
「写真でもつければ密会、消息不明・・・世間は十分に面白がるでしょう」
「いいえ、それだけでは足りない。確実に止めを刺さないと・・・あとは私に任せて」
探目は新しいおもちゃを手にした子供のように目を輝かして、小戸山の手に手を重ねた。
「と言うと ・・・」
「ふふふ、この日のために育ててきたのよ・・・大切な秘密をね」
探目と小戸山はカフェの閉店時間まで話し込んでいた。




