立命 ~諾~ 立命
雷樹・誇り高き犬へ
救出された雷樹は、ヘリコプターで病院に搬送された。
命に別状はなかったものの腕と肋骨の2か所の骨折、全身打撲で全治1か月の診断を受けた。
その上、雷樹は精神的なダメージも大きく、しばらくは抜け殻状態だった。
安静期間が終わり、雷樹が少しずつ自分を取り戻し始めたころ、4人の男が病室に現れた。
その中の1人は、雷樹がサンズの原山に襲われたときに助けてくれた男だった。
家族構成や今までの就労経験など、いくつかの質問を受けた。
その日は10分ほどで男たちは病室を出て行った。
雷樹は男たちの存在感に圧倒されて、呆然としていた。
あの男たちは何者なのか。
時間が経つにつれて、少しずつ思考力が戻ってきた。
あれは面接だった。だが何のための面接だったのか。
いや、その前にここはどこなのか、俺はどうなるのか、疑問が次から次へと湧いてきた。
そんな中で、雷樹は佐祐と話していたイレーザーのことを思い出した。
都合の悪いことはすべて消し去る組織があるらしい。佐祐は消しゴム屋と言って笑っていた。
「消しゴム屋・・・あいつらがイレーザーなのか?・・・なら笑えねぇな」
その翌日、雷樹を助けてくれた男が書類を持って入ってきた。
その男は武美と名乗った。
「順調に回復しているそうだ。良かったな」
雷樹は武美という男を観察した。実戦で鍛えた無駄のない体をしている。穏やかに話しているのに隙というものがない。
歯向かえば瞬殺されるだろう・・・雷樹は身震いした。
「終わったか?」
雷樹は、え?という顔をその男に向けた。
「俺の分析は終わったか?・・・抵抗は無駄と分かればいい」
雷樹はゴクリと唾を飲み、目を逸らそうとした。
だが武美の視線は、微かな瞬きさえも許さないほど雷樹をとらえて離さなかった。
雷樹は体の芯が恐怖で固まるのを初めて経験した。
教祖の前で跪いたあの日の恐怖は、脳裏に張り付いた犬という文字に縛られたものだった。
雷樹の意識が生み出したその恐怖は、意識を変えれば消えていった。
だが今感じている恐怖は、本能をじかに掴みして凍らせている。
武美は封筒に入った書類を雷樹に差し出した。
「読んでおけ。返事は・・・」
雷樹はぎこちない動きでその封筒を受け取った。
武美は言葉を途中で切ると、静かに部屋を出ていった。
雷樹は渡された封筒を眺めていたが、開けずにサイドテーブルに置いた。
「読んでどうなる?どうせ消すつもりだろう。何をしろって言うんだ?」
雷樹は立ち上がり、体の動きを確かめた。肩を回した。いける。
この病室は一般病棟。
今夜、ここから逃げる。このまま消されるわけにはいかない。
雷樹はその時を、息を凝らして待った。
夜間の病院は静かだった。
消灯前に見舞客を装って外に出た。
早足になる。
駐車場に出ると暗闇の中を一気に走り出した。
病院の敷地から門を左に曲がった。
今どこにいるのかさえも分からないまま、雷樹は速足で歩き始めた。
雷樹の横を影が通った。
ギクッとして後ろを振り返った。街灯のせいなのか?見上げた。
ぼんやりとした灯りが雷樹を照らしていた。
雷樹は不安を払うように首を振ると前に一歩踏み出した。
足がすくんだ。黒い影がいた。
「武美さん・・・・・」
武美が目の前に立っていた。
混乱した雷樹は一瞬ひるんだが、武美の威圧感に恐怖を覚えながらも闇雲に突進した。
「犬っころのくせに、俺に嚙みつこうっていうのか?」
すっと身をかわした武美にあっけなくねじ伏せられ、雷樹はいつの間にか数人の影に囲まれていることに気づいた。
「俺は消される・・・」
絶望を受け入れた雷樹の武美に対する恐怖は、次第に畏怖へと変わっていった。
あっけなく連れ戻された雷樹は、翌日面接室と書かれた部屋で武美に読んでおけと言われた書類を読んでいた。
数分前、武美は神妙な顔で座っている雷樹に尋ねた。
「書類は読んだか?」
「・・・まだ、読んでいません・・・」
雷樹は口ごもり、小声で答えた。
「読みもせず逃げようとしたのか?」
「・・・あんたら、俺を消すつもりだろう?あんたらは用なしになった人間を消すイレーザーっていう組織の人間なんだろう?」
武美は雷樹の話を面白そうに聞いていた。
「俺は何も悪りいことしてねぇし、あんたたちに消される理由もねぇ」
「そうか。まあ落ち着け。・・・まずこれを読め。御託はそのあとだ。半蔵門、あとは頼んだ。30分後にこいつを集会室に連れて来い」
武美はそう言うと、黒い髪をひとつに束ねた女性を残して部屋を出ていった。
半蔵門と呼ばれた女性は武美を見送り、静かに閉めたドアをふさぐように立った。
この人も強い。細身の女性なのに剣鉈が思い浮かんだ。迷うことなく鋭くごつい剣鉈を眉間に向かって振り下ろすことができる人だ。
そう判断した雷樹は半蔵門の刺すような視線にビクビクしつつ、覚悟を決めて机の上の書類を読むことにした。
それは雇用契約書だった。職業は特別公務員。警備業務。契約は3年間。更新あり。
最後に戸籍謄本が付いていた。
「山田雷希?・・・誰だ?・・・らいき?俺か?・・・」
なぜ新しい戸籍が必要なのだろうか?
はっと、追われていたことを思い出した。向出手のことが原因なのか?教団が関係しているのか?
混乱し、手ごたえのない思考の中に突如として結論が姿を現した。
棚伏雷樹は山田雷希に生まれ変わる。
変わらなければならない理由はひとつ、棚伏雷樹を守るため。
自分の置かれている状況を理解し、納得した雷樹は書類を机に置いた。
気配を感じて顔を上げた雷樹の目の前に、半蔵門が立っていた。
アルトの低い声が告げた。
「時間だ、ついて来い」
雷樹は抵抗せずに半蔵門について集会室へ向かった。
集会室に入ると、10名近くの目が一斉に雷樹に向けられた。
それぞれの視線に縛られて雷樹は身がすくみ、入り口で立ち止まった。
雷樹は半蔵門に背を押され、部屋に入るとパイプ椅子に座らされた。
「班長、こいつを入れるのか?」
「ああ、ヘタレだが、かぎ分ける能力は犬並みだ」
班長と呼ばれる武美がニヤニヤしながら白髪の男に答えた。
「あらぁ珍しい、班長が人を褒めてるぅ」
甘い声で茶化す女性。大きな男とイヤホンを付けた男がはやし立てる。
「犬って言われてうれしいのか?おまえ」
「そうかも、班長にとっちゃ最大賛辞かもな、いいことだ」
「俺は班長に褒められたこと1回もねぇし・・・班長褒めてくれよ」
「あほか!」
雷樹の心情を無視した勝手な会話が続く。
だが、そんな他愛ない会話の中に仲間意識の強さが見える。
雷樹は身を固くし、目だけ動かしてそれぞれを観察した。
班長武美を除いて8人の強者が雷樹を囲んでいる。
武美が1人ずつ名前を読み上げ、雷樹に紹介した。
技荻羽矢妃石策勉音迫潤
倉岡嘉実 (くらおかよしみ)半蔵門三津樋口速斗
名方翡翠 (なかたひすい)岩堤創
にこやかに笑っているが、この人たちは何か尋常じゃない。
そう直感したとき、班長と呼ばれる武美と目が合った。ぶるっと寒気がした。合った目に縛られた。
まただ、目が外せない。
「早速、こいつは何かをかぎ取ったぞ」
と武美は豪快に笑った。つられてみんなも笑った。
この人たちは何なんだろう?この人たちが本当にイレーザーなのか?俺はどうなるんだろう?
先ほど読んだ契約書が頭をよぎった。
「お前は、俺たち有事対策室処理班の仲間になる。拒否は・・・しない方がいい」
班長武美が見透かしたように応えた。
「お前はこれから入り口に立っている奴らと研修合宿に入る。あいつらが同期だ。同期といっても必要以上の関係は構築するな。あとは半蔵門に従え」
雷樹は同期と紹介された3人に視線を移した。その3人も身を固くして場の流れを見ている。
武美に視線を戻した雷樹は決心したように立ち上がり、大きく息を吸い、武美に一礼した。
「よろしくお願いします」
周りから歓声が上がり、拍手とともに雷樹はイレーザーと呼ばれる有事対策処理班に受け入れられた。
そして面談室に戻った雷樹は、雇用契約書に新しい名前、山田雷希と書いてイレーザーの一員となった。
雷樹の長い1日が終わった。
布団に入っても目がさえて眠れなかった。
雷樹を仲間という処理班の1人ずつを思い返した。
技荻羽矢妃、思わず誰もが目を引くショートカットのキュートな女性だったが、あの人は処理班でどんな仕事をしているのだろうか。
石策勉という人はパーカーの上からもその強靭な肉体が想像できた。空手の有段者らしい。
ヘッドホンを片時も外さずにつけていた音迫潤という人は、男性ながら高い声をしていた。
倉岡嘉実は軽いノリの若者だったが、白髪に染めているせいか年齢がはっきりとしない。
半蔵門三津。雷樹に見せた殺気を隠し、ケラケラと笑っていた。特技はどんな重機でも正確に操ることができるらしい。サンズに襲われたとき、車1台やっとの山道で大型のトレーナーを運転していたのはこの人だったのかもしれない。
小刻みに体を動かしていた樋口速斗のことを、武美が「こいつはサルに勝つ」と言っていた。どういうことなのか。
そして名方翡翠は処理班の副班長らしい。イレーザーのNo.2ということだ。彼は後ろの壁際に立ち、声を立てずに笑っていた。武美とは正反対の真面目で堅い印象を受けた。
そして岩堤創という人は雷樹の一番近くにいたのに、紹介されるまで気付かなかった。思い出そうとしても漠然とした姿しか浮かばない。存在感が薄い人だった。
そんな岩堤とは会話をしなかったのに、「よろしく」と声を掛けられたように思うのはなぜだろうか。
処理班では雷希と呼ばれたが、違和感はなかった。今は何も考えずに新しい名前で目の前の道を歩いて行こうと決めた。
布団にもぐり無理矢理に目を閉じると、瞼に佐祐や天野卯月が映った。
「いつかまた会えるのだろうか・・・」
捨てたいと思っていた腐った過去。
しかし過ぎ去った時の中に捨てがたきものがあった。大切な友人がいた。雷樹は名前が変わり過去がなくなろうとも、雷樹を認めてくれた友人を忘れることはないと心に誓い、眠りに落ちた。
訓練施設のあるという離島へ出発する朝、武美が談話室に顔を出した。
緊張した面持ちの雷樹に、持ってきた珈琲缶を渡すとソファーに掛けるように言って、武美も横に座った。
「お前・・・向出手という女に追われていたんだろう?」
雷樹はギクッとして武美を見た。
「安心しろ、もう逃げ回る必要はない」
「あの女、逮捕されたんですか?」
「裁判で負けて財産没収になり、執行命令が出たそうだ。執行の日、向出手は怪しい部屋に逃げ込んで、半狂乱になって抵抗したらしい。掛け軸の後ろの隠し金庫に金塊が積んであって、執行官が触れようとすると金切り声を挙げて殴りかかったそうだ。無駄なことだよな。そのあと通報を受けた警官が駆けつけてみると、薬を飲んでいて助からなかったという話だった。金に執着したあの女の生き方はすさまじいが、その末路は何にも残っちゃいねぇし、その生き様さえも消えちまった・・・空しいな」
雷樹は向出手の手下として働いた日々を振り返った。
それはすでに過去のことなのだが、今ここに立つために通らなければならない崖っぷちの道だったのだろう。
「向出手は終わったが、お前は大禍津教に命を狙われている。こっちのほうが手強い。お前の情報の名前はもちろん、顔写真から体の特徴まで全国の信者が知っている。こいつを探せっというお達しで、何万もの動く監視カメラがお前を探している。だからお前は・・・」
「山田雷希になるんですよね・・・」
「3年・・・我慢しろ。信者が知る棚伏雷樹の記憶が薄れるまで、友達にも会えないが命には代えられん」
「何で一気に消さないんですか、あんな奴ら」
「・・・お前も体験しているだろ。あいつらは教祖の一言で簡単に今を捨てる奴らなんだ。下手に動けん」
「くそッ」
雷樹はそう言いながらも体験したことを思い出し、身を固くした。
人格殺人・・・髙木仁宜・・・を殺せと言われたことがあった。良し悪しなど考える余裕がなく実行したが失敗した。
あのとき髙木仁宜を潰していたら・・・俺はどこまで落ちていただろう。
雷樹は両の手のひらを広げた。ジワリと公園で差し伸べられた暖かい手の感覚が広がった。
「お前が・・・消したれ」
声がした。
茶化して言う武美だったが、思わず顔を上げた雷樹に映る武美の眼は、笑っていなかった。




