立命 ~諾~ 立命
思い絶つは・・・人並み
佐多成彦のマンション
成彦は保護した卯月を自宅マンションに連れてきたが、卯月は目覚めないまま1日が過ぎた。
夕暮れが迫るころにようやく目を覚ました卯月は、ベッドから跳ね起き、部屋を飛び出した。
リビングのソファーでくつろぐ成彦を見て止まった。
「何であんたが・・・」
そしてきょろきょろと部屋の中を見回した。
「ここは・・・」
「お察しの通り、俺の家だ」
「私・・・そう・・襲われて・・・分かんない・・・」
「俺の部下がたまたま通りかかって、お前さんを助けてここへ運んできた、という訳だが」
「噓ばっかり、なにがたまたまよ。あんたが私を襲わせたんでしょ。何が目的なのよ?得体の知れない公務員のくせに、何が助けたよ、信じらんない。私帰る」
「お前さんが何をしたかは知らんが、狙われてるんだぞ。俺を疑う前に冷静に考えてみろ。心当たりがあるだろう」
「思い当たること・・・」
「とにかく今夜は子供じみたことはせずに、おとなしくしてくれ」
「・・・」
「コーヒーでいいか?」
卯月は素直に頷き、ソファーに座った。
コーヒーを待つ間、卯月は改めて部屋を見渡した。
生活感のない簡素な部屋。
そんな中で壁にかかっている絵が気にかかった。
成彦がコーヒーとパスタをテーブルに運んできた。
「腹減ってるだろ、口に合わないだろうが・・・」
言い終わらないうちに卯月は手を合わせ、フォークを手にしていた。
「いただきます」
成彦はその変わり身の早さに思わず苦笑した。
「何がおかしいの?意外といけるわよ、これ・・・」
あっという間にパスタを平らげた卯月は、コーヒーを一口飲むと悲しげな顔を絵に向けた。
「この絵は・・・秀さんの絵?」
「分かるのか?秀が18才の時の絵だ、未完成だがな」
「秀さん、分かっていたのかな?」
「何がだ?分かるって」
「自分のこと・・・」
成彦は、秀の絵に悲しげな眼差しを注ぐ卯月に興味を抱いた。
「秀さんはこの部屋で見守られながら眠ることが分かっていたの、きっとこの絵を描き始めたときから・・・だから描かずにはいられなかった」
「・・・」
成彦は卯月が秀の絵を見ていないことに気づいた。
その瞳には、幾重にも重なる青の奥底に沈む漆黒の深海が映っていた。
その卯月は絵に込められた秀の思いを代弁するかのような言い方をした。
成彦は理解できない卯月の言動に、高千穂のテラが重なった。
卯月が振り向いた。意表を突かれ成彦は思わず一歩下がった。
「私、ここで寝るわ」
成彦の知る天野卯月がそこにいた。
「客間がある・・・」
「ここがいいの、秀さんの絵が守ってくれるから」
「はぁ?守る?」
「あんたからに決まってるじゃない・・・」
そう言いながら卯月は成彦の寝室からタオルケットを持ち出し、そのままソファーに寝転がった。
成彦はあきれ返った表情のまま、首をひねり寝室へ入った。
翌日、気持ちの良い朝を迎えた卯月は、早くから家へ戻る準備をし始めた。
そこへ物音を聞きつけた成彦が寝室から出てきた。
「何をしてるんだ?」
「家に帰る・・・つもりだけど・・・」
「まだそんなことを言っているのか。どんなに危険な状況なのか分からないのか」
心配する成彦に反抗的な顔を向けた。
「俺は仕事で3日間留守にする。いいか、絶対にマンションを出るな」
「そうなの?なら私も仕事に行く」
立ち上がる卯月を引き止め、紙袋を差し出した。
「これは当面の着替えの服だ。うちの事務員が用意してくれた。食い物は適当に食ってくれ」
「家に戻るから・・・そんなもの必要ない・・・ねぇ、もういいでしょ」
玄関に向かう卯月の腕をつかみ引き止めた。
「お前さん、分かっているだろう。どんな奴らを相手にしているか。今までのことを考えてみろ。大切な友人をなくしたのだろう。連絡が取れなくなった友人もいるだろう」
真琴ちゃん・・・棚伏・・雷樹・・・脳裏に一瞬よぎった恐怖を、卯月は頭を振って払いのけた。
「あんたには関係ない。私は真実を突き止めて・・」
成彦は腕を掴んだまま、嫌がる卯月をテーブルまで引っ張ってきた。
「秀の絵を出しておいた。留守の間見るといい」
絵を見るなり卯月の表情が変わった。
「見てもいいの?」
「気の済むまで調べるといい」
卯月はすぐに絵を細かく見始めた。
「現金な奴だな・・・」
「ありがとう、いってらっしゃい、気をつけてね」
早く出て行けとばかりに、顔も上げずに見送る卯月に呆れ果てたが、その素直さと変わり身の早さに成彦は感服させられた。
3日後の夜、仕事を済ませ成彦は帰宅した。
部屋に入ると酒の匂いがした。
ソファーの周りに飲み干したワインのボトルが転がっている。
テーブルには秀の絵がきれいにまとめてある。
卯月の姿は見えない。洗面所にも浴室にもいない。成彦は静かに寝室のドアを開けた。
ベッドで寝息を立てている卯月がいた。
成彦は高千穂で雅楽に合わせて踊っていた卯月を思い出した。
「酒を飲むと豹変すると言ってたな・・・やれやれ。おい大丈夫か?起きろ、天野卯月・・・」
卯月の目がぱちりと開いた。
「おおお・・・成彦・・・待ってたぞ、お帰り・・・」
言うなり卯月は成彦に抱きついてきた。
成彦は何も身に着けていない卯月に気づき、慌てて離れようとした。
「お前何してんだ、何か羽織れ」
ケラケラと笑いながらしがみついて離れようとしない卯月に、手荒くもできず成彦はされるがままになっていた。
「勘弁してくれよ」
匙を投げた成彦の耳元で、卯月がブツブツ言い始めた。
「何で置いてくのよ・・・さみしいでしょ・・・絵が言うの・・止めろ・・・収めろ・・・ずっと一緒だよ・・・いいんだよ・・・」
「こいつは何言ってるんだ?」
寝言を言いながら、卯月は成彦を放そうとしない。
真夜中に部下の名方から、襲われた卯月を保護したと連絡を受けたとき、胸に激しい一撃を食らったような衝撃が走った。
現場に向かう間、冷静でいられない自分に驚いていた。
名方の傍らで気を失っている卯月を思わず抱きしめた。
「三重に運びますか?」
名方の冷静な問いに我に返った。
「この件は私が処理する。あとで経緯を送ってくれ」
そのあと成彦は迷わず自宅マンションに卯月を連れて来た。
普段なら拾い上げることのない手帳。
その手帳の持ち主である天野卯月に、昇の死と向き合うために訪れた宮崎で再会した。
成彦はそのときにぼやっと浮かんだ因縁という言葉を思い出した。
なんとその女が、今腕の中で寝ている。
因縁などという実体のない古めかしいものを気にも留めない成彦だったが、教団と薬の関係を突き止めようと躍起になっている卯月のことが、ときには息苦しさを覚えるほど気になり始めていた。
酒のせいなのか無防備な寝顔をしている。
なぜ俺の前に現れたのか。俺の都合もお構いなしに居座るつもりか?
卯月が寝返りを打つ。
吐息が顔にかかる。
人並みの幸せ。
恋愛をして結婚をして、子供を授かり辛苦をともにして、年老いていくそんな他愛ない平凡な幸せを、秀から奪った俺はそれを望まないと決めていた。
やめろ誘うな、離れてくれ、俺に構うな。
叫びたいほどの感情がほとばしる。秀はこんな感情さえ知らずに逝ってしまった。
なぜお前は俺に試練を与えるのか。
佐多成彦と天野卯月、交わるはずのないふたりの人生が交差し、絡まる。
絡まったものを解くカギは秀の絵。
様々な色が混ざり、カオスの色を奏でる。
混沌とした中、はっきりとした意思を持つ者が際立った色を放つ。その色にそれぞれの意思が共鳴し、大きな流れとなり導きの道を示す。
翌朝、卯月はひとり成彦のベッドで目を覚ました。
全裸の姿に気づくと、顔をしかめて舌打ちした。
「やっちゃった・・・私のご先祖様は裸族ぅぅぅ」
と鼻歌まじりに起き上がった卯月の記憶に、成彦が割り込んできた。
「あいつは・・・」
急いで服を身に着けると、そっと寝室のドアを開けた。
成彦の姿はなかった。
ほっとした矢先にメールが届いた。
「帰るまで外には出るな」
逃げ出すことを読まれていた。
「絵の話を聞かせてくれ」
そうだ。絵の話をしなきゃ・・・返信をしようとした卯月の手が止まった。
「誘ったのはお前さんだ」
卯月は最後のメールを無視してスマホを切り、大きなため息をつくと、思い出したくない昨夜の痕跡を消すように部屋の片づけを始めた。
一方職場へ向かう成彦は、返信の来ないスマホをしまい、立ち止まり足元を見た。
「結婚か・・・監視の手段としては厳しいな」
思兼智の言葉の示すことを成彦は理解していた。
必ず来る別れ。
そのときに卯月を、己の感情を切り捨てられるのか?
成彦はそのときを受け入れる覚悟を決めて、人の流れに紛れその場を離れた。




