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立命 ~諾~ 立命

雲散霧消・・・卯月


翌日、成彦は依頼された件を報告するために秋津総合病院を訪れた。


院長室に通された成彦は、早速報告書を秋津に渡した。

「結論から言いますと、羽山医師は姿を消してすぐに出国して国内にはいません」

「逃げたということですかな?」

「そうでしょうね。これだけ素早く動けるのは、バックにかなり大きな組織がついているということでしょう。彼は周到な計画のもとで動いていて、発覚した時の逃亡先についても手配済みだったのでしょう。煙のように消えたのはその証しです」

「ほう、そんな男だったのか・・・物静かで仕事熱心な印象だったが・・・」

「臓器移植について訴えるにしても、彼の仕業だという明確な証拠がない。もし何らかの形で表沙汰になったとしても病院には影響がない訳ですし、これだけの計画のもとでの犯行ですから、羽山個人の責任ということで押し通せるでしょう。こちらも被害者ということです。まあ管理責任について、おしかり程度はあるでしょうが、ここは深追いをなさらずに収められたほうが得策と思いますよ」


「得策?」


秋津は成彦をまじまじと見た。

成彦はその視線を苦笑いで受け止めた。

「それからちょっと気になったのは、羽山が芳志総合の筒賀事務長と何度か会っていたようです。この件に筒賀が絡んでいれば、疑惑として表に出すだけでもタウンの病院の経営の件は厳しくなるでしょうね。未だに茶徳さんは力を持っていますが、セクハラ事件に続いてのスキャンダルはまずいですからね、避けたいでしょうな」

成彦は意味ありげにニヤリと笑った。


「茶徳大臣?」


秋津が身を乗り出してきたときノックに続きドアが開き、都が顔を出した。

「お客様?入って大丈夫?」

「・・・いいよ・・・」

「ああ、興信所の人ね、天野ちゃんも入って」

都のあとについて入った卯月は、成彦の存在に一瞬止まりかけた。


何であの男が?興信所の人?


そんな卯月と冷ややかな視線の成彦を見比べて、都が成彦に尋ねた。

「もしかしてお知り合い?」

「まあ、少々・・・」


卯月は、成彦の返答にあからさまにいやな顔をした。


「羽山のことは分かったの?」

「ああ、あとで報告書を読むといい」

「うん?もう話は終わったの?」

「ああ、終わった・・・佐多さんが君に会いたいと言ってらしたよ」


成彦は名刺を都に差し出した。

「はじめまして、お噂は天野さんから聞いています。お話を伺いたいのですが、今日はこれから予定が入っておりまして残念です」

「そうなの?それではまたお会いしましょう」


成彦は秋津に頭を下げて、卯月に目もくれずに部屋を出た。


「先生、私も失礼します。用事を思い出しました」

「天野ちゃん・・・」

呼び止める都に切羽詰まった顔で詫びて、卯月は成彦を追った。


駐車場で車を出そうとしている成彦を見つけ、走り寄った。車の窓が開いた。

「何か用か?」

「どうして電話に出ないの?」

「・・・出る義務はない」

「あんたね、何よ、調査結果?興信所?公務員のくせに噓つき」


興奮する卯月に成彦は冷笑を浴びせた。


「勘違いしてるのはお前さんだ。俺はしがない興信所の所長だ」

「公務員だと言ったじゃない」

「お前さんが公務員だと言ったから、合わせただけだよ」

「・・・そんなことどうでもいいの。もう一度絵を見せて。事務所に連れて行って」


卯月はドアを開けようとしたがびくともしない。

「天野さん、あの絵のことは忘れなさい」


卯月は閉まっていく窓に手を入れて、早口でまくし立てた。


「今さら何を言うの?手伝えって言ったのはあんたでしょ。私は真琴の妹さんと薬の関係をはっきりさせたいの。情報もあげたでしょ。赤いピルケースのことも」

「何ひとつ実証されたものがない、その赤いピルケースをお前さんは見たことがあるのか?どんな赤なのか、どんな形なのか知っているのか、実物を見てもいないのなら諦めろ」

成彦は卯月の手を払い、窓を閉めた。

「待って・・・あの絵には由宇子の未来が・・・」

成彦は叫ぶ卯月を置いて走り去った。



家に帰り着いた卯月は布団をかぶり、声を上げて泣いた。

真琴が言っている赤いピルケースが問題になった物と同じとは限らない。確かにそうだ。赤いピルケース・・・実物がないからどうしようもない。


卯月は真琴の資料の中で、唯一現実的なものだった赤いピルケースが証拠にならないと言われ、それを追って命を落とした真琴までもが鼻であしらわれたように感じた。

何のために真琴の情報を提供したのか。卯月は後悔した。そのうえ、成彦は秀の絵の存在も忘れろと言ってきた。いったい何を考えているのか。


ひとしきり泣いた卯月はシャワーを浴びたが、それでも成彦への怒りは収まらず、由宇子に電話をした。

あれ以来由宇子と連絡が取れていなかった。

今回も電源が入っていないと感情のない声が返ってきた。


怒りが虚しさに変わっていく。


「もう終わりにして」と言った由宇子が思い出された。

そして「絵のことは忘れてください」それに冷たい口調の成彦が重なった。


由宇子のことだから十分に考えてのことだと思いつつも、何か隠しごとをされているように思えた。


卯月はハッと思いつき、伊豆野に連絡した。

「伊豆野さん・・・あの薬のことだけど、結果はどうでしたか?」

「結果ですか?・・・」

伊豆野は珍しく口ごもり、即答を避けた。

「由宇子に口止めされましたか?」

「うぅん・・・」

「伊豆野さん、あの薬は私が依頼したものです。私には結果の報告を受ける権利があると思います」

「・・・」

「確かに由宇子は終わりにするといいました。でも若狭さんの薬は若狭さんだけの問題ではありません。私の友人が命をかけて見つけた真実の証拠なのです。友人は逝ってしまって今さらどうしようもありませんが、友人が必死で妹のために集めたものをなかったものにする訳にはいきません」

「そうですか・・・僕は和久さんと同じ意見です。やめませんか?これ以上調べても・・・」

「やめません。ここでやめたら真琴に申し訳が立たない・・・」

電話の向こうで大きなため息が聞こえた。


電話を切ると、卯月はしばらく立ちすくんだ。

「合成麻薬・・・レトロウイルス」


伊豆野の口から出た言葉だった。

2種類の薬が存在していた。なんのために教団は2種類の薬を必要としているのか?

若彦はどちらの薬を真琴の妹に渡したのだろうか?


もう一度真琴の資料を読み見返そうとパソコンを棚から取り出そうとしたとき、真琴のスケッチブックに触れた。


「真琴ちゃんのスケッチブック・・・まだ見てなかった・・・」

卯月はそれを丁寧に取り出すと1枚ずつ捲っていった。

真琴が取材に行った所なのだろう。真琴らしい繊細な景色が描いてあった。

最後の絵は妹の肖像画だった。


卯月は切なくなった。

これはご両親が持つべき大切なものだと思いながら、残された白いページをパラパラと捲った。

最後のページを見て、卯月はスケッチブックを抱きしめ、わなわなと震えた。

「真琴ちゃん、真琴ちゃん・・・」

そこには卯月が探し求めていた赤いピルケースが描かれていた。


「めそめそなんかしてらんない」


卯月は成彦への腹いせのように、教団の薬を買い取った信者に詳しく話を聞くため連絡をした。

3日後の夜、信者の取材を済ませた卯月は興奮気味に家路を急いでいた。

信者から得た情報は衝撃的なものだった。



帰り道で警邏中の警官とすれ違った。

チラッと卯月に目をくれたように思った。

どきりとした。

バックの中には信者から買った薬が入っていた。薬を見られたら誤解されると思った卯月は、バックを胸元に抱えて急ぎ足になった。

止められたら・・・そのときは薬のことを隠さずに話せばいい。そうすれば薬を警察が調べるだろうし、切り口ができたらすべてが明るみに出る。


「すみません、ちょっとよろしいですか?」

後ろから声が掛かった。


卯月は目を閉じて歩きを止めた。

「なんですか?」

「お勤めの帰りですか?」

「え?・・・まあ・・・」

「お名前は?」

「天野卯月です」

「身元の確認をさせていただけますか?」

卯月が免許証を提示すると警官はさらに要求してきた。

「バックの中を確認させてください」

「・・・」

一瞬考えた卯月だったが、返事も聞かずにバックに手を伸ばす警官に違和感を持って、怪訝な顔を警官に向けた。


この警官は何かがおかしい。そのとき卯月の脳裏を真琴がよぎった。


やはりこの警官は信用できない。卯月は逃げると決めた。

「これは任意ですよね。拒否します・・・」


卯月は足早にその場を立ち去った。

なぜか警官は追ってこなかった。

卯月は途中で路地に身を隠した。

息が上がっている。落ち着こう。

薬のことがあったから怪しく見えたのだろう。いや、あの警官は何かおかしかった。

真琴の部屋に現れた警官ではないか?いいやそんなはずはない。真琴との関係が分かるはずはない。


一息つき気の緩んだ卯月は後ろから不意に肩を掴まれて、薄暗い路地隅に引きずり込まれた。そこには待ち構えたように4、5人の男がいた。

路地の入口にあの警官が通りかかった。その警官は路地をチラッと見たものの、すぐに大きな通りに視線を戻し、まるで人の目を阻むように背を向け立っていた。

「たすけ・・・て」

しかしそのあと警官は叫ぶ卯月に見向きもせずにその場を立ち去った。


警官を追う卯月の目が力なく諦めかけたときに、スーツ姿の男が逆光の中にぼんやりと浮き上がった。


必死に抵抗しながら男に向かって叫んだ卯月だったが、あっけなく口を塞がれ声は届かず、気を失った。


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