貴婦人の楔 -1-
第二章 貴婦人の楔は、何回かに分けて投稿します。
扉を開けたのは、深い葡萄色のゆったりとしたドレスを纏った女性だった。淡い栗色の髪は頭の低い位置で丁寧にまとめられており、手には小さな革のハンドバッグが固く握られている。
静かに扉を閉めた女性は、この空間に居た誰とも目を合わせずに、消え入りそうな声で言った。
「……や……夜分遅くに申し訳ございません……。こちらが、レミナンスでしょうか……」
女性が話し終えるより早く、ミルラはカウンターを出ていた。珍しいことに、依頼人をエスコートしているようだ。小声で何かを話しているが、こちらには届かない。女性を連れて、ゆっくりとカウンターの前まで来たミルラは、アンティーク調の椅子の座面を、人差し指ですーっとなぞった。すると「ぽふん」と可愛らしい音を立てて、白い小花の刺繍が施されたクッションが出現した。さすがにクッションを生み出すところは初めて見たな……。いや、そもそも「生み出す」という表現で合っているのだろうか……?
僕が頭の中の疑問符を増やしている間に、ミルラはカウンターへ戻ってきて、「もう悪阻は大丈夫みたいだから」と、ホットミルクを出すよう僕に耳打ちした。軽く背伸びをしたミルラの髪から、花のような、ほのかに甘い香りがする。そこで初めて、彼女と鼻がぶつかりそうな程近くに居ることに気づいてしまい、思考が一瞬だけ止まった。返事をする声が上ずったのは、そのせいだ。……不意打ちの接近は、心臓に悪いので止めて頂きたい。あと、ルシエラさん……にやにやするのを止めて頂きたい。
僕がホットミルクを作っている間に、契約書へのサインは終わったようだ。――少し震えた文字でサインされた女性の名前は、フィオナ・グレイラッド。彼女とはまだ、目が合わない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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