第四十二話 軌道修正 〜Compassion complements complex combat〜
2026年5月29日壱字遺漏(とで言うべきか→とでも言うべきか)につき壱字加入。
小前が戦慄とともに叫び出す。
「もう治っちまったのかよ?!」
吉村がその叫びを合図にでもしていたかのように飛び出す。手前のアレーシュマの頬をめがけて殴りかかった。「ぴちゃっ」という水浸しの雑巾にでも拳を当てたような音がする。吉村が拳を振り抜く姿勢のまま止まっている。その腹部に向かって、アレーシュマの左脚が平行に伸びていた。腕組みをして直立のまま、自分への攻撃をしてきた吉村の身体が吹き飛ばぬよう、計算し尽くされた鳩尾への蹴り。アレーシュマは彼を一瞥すらしていない。遅れるように吉村が「がふぉっ」と血を吐き出して、その場で膝をついた。
伸ばした左脚をゆっくりと戻す。アレーシュマの表情は憤怒の形相から一変して冷ややかな表情になっている。
「シム!」
佐久間が正気を取り戻したのか、吉村に駆け寄った。
「……わ……りぃ……」
吉村の掠れた声と同時に佐久間が叫び出す。
「てめぇーーっ」
ドンと何かを押し潰すような音がしたかと思うと、今度はオサムが割って入っていた。アレーシュマの左拳がオサムの頭上手前のところで止まっている。ここでようやく左側に顔を向けたアレーシュマは、自分の拳を見つめている。
「はぁあああ!」
気合いを入れるような声を発して、アレーシュマの左腕に小さな青白い稲妻のような光が溢れ出す。逡巡する暇もなく左腕を引き戻して再度オサムに向かって振り落とす。オサムと後ろにいた佐久間、倒れていた吉村の3人がそのまま地面を滑るように後方に突き飛ばされる。
「面白い技だ。だが俺との相性は最悪だぞ。」
今までの彼であれば、見得切りのひとつも披露しているところだが、相手の技の特性を見抜いて冷静に対処している。これが本来のアレーシュマ、大野の姿なのだろうか。
オサムの視線が一瞬安川たちの方に向けられる。今度はアレーシュマの左からオサム、正面から安川が突っ込んで行く。アレーシュマの咆哮が再び響き渡る。高速で移動していたオサムと安川が途中で動きを止めて、咆哮による音圧に耐えるように両腕を前で交差させる。
再び安川に視線を送り、オサムと安川は2人同時に松野たちと合流し直した。その途端彼ら4人を覆うように真上から大きな影が襲いかかってきた。アザゼルだ。両手を広げてボディプレスのように4人纏めて押し潰そうというのだろうか。オサムが藤原を連れて壁際まで離脱して、3人はアザゼルの落下地点から2メートルほど離れた位置に後退する。だがアザゼルはそのまま落ちずに右手を床に向けて突き出し、オゾン・クラックを放つ。大きな衝撃音と同時に小型のクレーターのような円状の凹みができて、床が砕石のように飛散した。
医務室にいたチョーさんの付き添いの3人も、アリーナから響いてきた音に気づいた。異常事態と直感して山本が2人に叫ぶ。
「私が見てきます。米田くん、博士とチョーさんを見ててくれ。」
「いや、私も行こう。米田くん、悪いがチョーさんを頼む。」
「分かりました。2人ともお気をつけて。」
「急ぎましょう。あの2人が復活したのか、あるいは新手の刺客かもしれません。」
そう言って山本、香澄が実験アリーナに続く通路を走り抜けていく。
2人が到着したときにはすでに戦闘は開始されていることが窺える。
「博士、やはり危険です。米田くんのところへ戻ってください。」
「いや。藤原もあそこにいる。確かに私では力不足かもしれないが、それでも彼らを守るために戦おう。」
「……分かりました。どうも今は高山くんたちを中心に応戦しているようです。一旦ここで様子を見守りましょう。米田くんもいくら強いと言っても、あの2人に襲われでもしたら……そのときは私が彼と連携して食い止めます。もし、こちらにも危険が及ぶと判断したときは、博士はこの場を離脱してください。いいですね?」
「分かった。よろしく頼む。」
山本はすぐにFKK421と記された例の丸薬を飲み干す。薬の瓶を眺めながら不安がよぎる。
(これだけ連続して服用すれば効力が弱まるかもしれない……持続効果がいずれ完全に途切れでもしたら……)
アザゼルも昨日まで米田にバカザトなどと蔑まれていた人物ではなくなっている。無言でアレーシュマに合流して少年たちに対峙する。オサムは置き去りにしてきた佐久間と吉村のもとへ再度移動し、3人ごと今の立ち位置に戻ってきた。
「エンちゃん、オータくん、みんなをお願い。うちら4人でアイツらを止める。」
オサムはアレーシュマから目を逸らさず、圓崎たちに呼びかけた。
「いけるのか?4人で?」
圓崎の質問にオサムに代わって安川が答える。
「いけるっしょ。」
添田がある提言をする。
「今回俺がオサムちゃんの役をやるから、オサムちゃんは陣形どおりに右配置で。」
オサムは地面に手をついたクラウチング・スタートのような姿勢で添田に答える。
「……了解。行こう。」
続いて松野が号令をかける。
「四神相応!」
先頭が松野、添田が少年たちを背にして構える。左手に安川、右手にオサムの布陣。扉破りを試みたときよりも早い詠唱が始まる。
「朱雀開きて層霄に臨み」
「玄武嶔として地軸を隠す」
「蒼龍左驂に蚴虬し」
「白虎騁せて右騑となる」
続けてオサムが叫ぶ。
「──開門!」
その瞬間添田以外の3名は高速でアレーシュマたちを囲むように散らばった。
向かって右手にオサムが両手を前に翳して立っている。
松野は敵の頭上に高く舞い上がる。
左手からはスライディングで安川が突っ込んでいく。
添田が両手を合わせ後方支援に回る。今回は彼の放つ青白い光が一番眩しく輝いている。彼のいる場所だけが重力が大きくなっているのか、若干だが床が下方向に押し込まれているようだ。
この場に臨む皆がこの光景に驚く。中でも驚いているのは反対側の通路で見ていた香澄博士と山本である。
「共振意識で連携しての戦い……こんな使い方が……」
香澄は筆舌に尽くしがたい感情に支配された。心を奪われた、とでも言うべきか。これが、これこそが無線神経『ワイヤレス・ニューロ・リンク』本来の姿なのかと……
安川のスライディングにはアザゼルは何故か反応できていない。
そのまま右脚を蹴り飛ばされてよろめいている。
安川は蹴りの反動でそのまま回転、
もう一度両足で同時に蹴りを入れる。
その蹴りの反動で軽やかに元の場所へ戻る。
続いて上空から舞い降りる朱雀の如く、
松野が両腕を広げてアレーシュマの顔面に向かって落下。
そして相手の顎をすくいあげるような右足蹴りを放つ。
アレーシュマは後ろにのけぞり、
ギリギリのところでこれを躱す。
だが躱したその刹那、
オサムは離れた位置で右脚で水平蹴りをする。
連動するように大きな衝撃音とともにアレーシュマの背中から、
見えない何かが急激にぶつけられる。
その衝撃でアレーシュマは嘔吐するように咽ぶ。
咽びながらもオサムに向かって威嚇の咆哮を上げる。
この衝撃で弾けるような音ともにオサムは後方へ飛ばされる。
壁に激突しているがダメージを相殺しているのか、
壁がオサムより大きい長方形に抉れている。
このとき着地寸前の松野が空振りした右脚を引き戻しながら、
左脚を蹴り込む。
両脚でアレーシュマを挟み込み、
その腹部を前後から潰してみせた。
右手で倒立するように着地して、
この態勢から腕の力だけで、
再び元いた位置に跳んでいく。
4人は攻撃前と同じ陣形に戻っている。あまりに見事な連携で、少年たちが皆言葉を失っている。
アレーシュマは自分の左手にいるオサムに向かって雄叫びを上げて、右ストレートを叩き込む勢いである。オサムの頬に複数のカミソリにでも切られたように傷が刻まれていく。
これをギリギリまで引きつけて、縦に広げた両腕をまるで獰猛な虎の顎のごとく挟み込む。2本の鉄柱ででも叩かれたような鈍い音とともに、今度は右目と口からアレーシュマの流血が舞う。
勢いが止まったアレーシュマの背後から、安川が飛び上がって両手を組んで振り上げている。放物線状に跳んでいた最高点は3メートルに達した。
そして落下の勢いそのまま、ダブル・スレッジ・ハンマーでアレーシュマの脳天をぶち抜く。
更に足元すれすれに滑り込んだ松野が、右拳をアレーシュマの顎に合わせて叩き込む。ズドンと爆発でも起きたような音が響いた。この2人のコンビネーションでアレーシュマは完全によろめいている。まるで本当にダイナマイトの爆破にでも巻き込まれた様相になっている。松野の打撃が佐久間を上回っているのもあるが『上下からの衝撃』が、相乗効果で更に威力をとてつもなく跳ね上げているのだ。
神格化で引き上げられた彼らの衝撃力……この戦闘を見守っている香澄博士の手元に計測器があるわけではないが、明らかに自分が見てきた過去のデータの数字を上回っている。
安川クニヨシ(169センチ・62キロ)の打撃は速度『マッハ0.4』で『5トン』の衝撃。
佐久間ヒロシ(173センチ・65キロ)の速度『マッハ1.1』で『7トン』の衝撃には劣っている。
松野カズキ(165センチ・66キロ)は速度『マッハ1.3』で『11トン』の衝撃。
5トンと11トンの挟み撃ちでその衝撃は一切逃れることなくアレーシュマに注がれる。単純な足し算なら16トンであるが、そうではない。マッハ0.4とマッハ1.3の衝突……相対的に『マッハ1.7』、速度の2乗効果が上乗せされる。
しかもダブル・スレッジ・ハンマーでの上空からの叩きつけ……
水平方向の正拳突きは反動で自身の身体も若干後退する。つまり力が逃げていく。
質量は放たれる片腕分の重さのみ。
だが、3メートル上空から放物線状に落下しながらの叩きつけであれば、
水平方向への攻撃と異なり逃げる力はない。
重力とともに安川自身の体重もさることながら、
全ての力が脳天から地面に突き抜ける。
正拳突きを遥かに超える破壊力。
8トン相当にまで膨れ上がっていると推測される。
8トンと11トンの衝突に速度の2乗効果が加わるとすれば……
32.3トン相当。
これは『乗用車20台が頭にだけ降り注いだ』ようなもの……
「なんて破壊力だ……」香澄は息を呑んだ。
いくら超再生を持ったアレーシュマも、頭に集中して喰らったダメージは簡単には拭えない。脳震とうも免れない。
アザゼルの見せた23トンの破壊力を凌駕している。扉破りでは一方向のため使えないコンボ(挟み込むことができない)だったが、対人戦としては驚異の超重量である。
アレーシュマの脳は完全に異常をきたしていた。今回の衝撃は一瞬で脳脊髄液が沸騰してしまったような状態である。三半規管も破壊されている。バランスもとれない。佐久間の与えた顎を砕くダメージすら、ものの2秒もかからずに再生していた超再生力『サラマンダー・キャンセラー』も、脳そのものが液体状にまでされて、松野たちの超音速による衝撃波によって攪拌機に晒され続けているような状況である。再生をしてもすぐに攪拌され、延々と再生を繰り返して追いつかない状態……超再生が続いているがゆえに、他の部位への電気信号が一切伝わらないのだ。
意識朦朧で揺らめくアレーシュマ。
相棒アザゼルはアレーシュマの姿に動揺しているように見える。彼自体は復活してから、ほとんど脅威となっていない。
アレーシュマの顔が耳からの出血、鼻血などの流血で赤く染まっていく。
三度同じ陣形に戻っていた松野たち4人は、油断せずに身構える。戦意喪失と看做したアザゼルは彼らの視界には最早入っていない。すでに完全ノックアウトと思しきアレーシュマの方が、予測不可の危険を孕んでいる。特にオサムはそう考えていた。チョーさんの例がある。どう考えても肉体の崩壊にしか見えなかったあの状況から、敵も味方も油断させた大逆転劇に繋がったからだ。しかもアレーシュマは今回4人の連携でここまで押し切れたが、自分一人では絶対に勝てなかった相手だろう。何故ならオサムが非力ということは勿論だが、アレーシュマはオサムの能力を理解していた。復活時の一言からそれは確信できることだ。正直言うと、何故添田が今回に限って後方支援を買って出たのか、実はオサムには分からなかった。だが結果だけ見ると、自分に執拗に迫ってくる攻撃をアレーシュマが続けてくれていたがゆえに、勝利に結びついたと思えた。仮にいつもの後方に回るのが自分の場合、皆の高速処理の要となる自分を攻撃されて、連携が乱れていた可能性がある。アレーシュマはその特性をも見抜いたからこそ、最後までオサムへの攻撃に執着したのだろう。そう考えると、咄嗟の思いつきでの添田の作戦は凄いと感じた。もちろんこうした要役は全員が経験している。その上で特性を最も活かせるのがオサムだったと言う感じで定着していたのだ。過去安定した結果を出していないとは言え、今回が完全なぶっつけ本番ではなかったということも大きい。ほかの3人が交代要員になり得たのは、きっとアレーシュマには誤算だったことだろう。
オサムが、そんな考えを巡らせている間もアレーシュマは不安定なままであった。乱高下を繰り返している。ほかの3人は完全に畳み掛ける絶好の機会だと考えたのか、まずは添田から提案がなされる。
「もう終わりだと思うけど、最後にきちんと拘束できるようにもう一度攻撃をした方がいいと思う。」
「よっしゃ、仕上げにかかろうぜ。オサム。」
安川は乗り気のようだ。慎重派の松野も珍しく意見が合致したらしい。
「今ここで完全に落ちてくれれば、安心できんだけどな。」
『落ちる』とは柔道用語で『気絶する』ことである。ただし故意に行うのは危険行為と見做されるため、真面目な松野は本当の試合でこういう不謹慎な発言はしないはずだが、連携でかなり消耗しているため、少しでも早い収束を望んでるのは本心なのだろう。だが、不思議とオサムは今回に関しては、もう少し様子を見ておきたいというのが本音であった。
「悪いけど、俺はもう少し待って上手く自滅してくれればいいかな、って思う。さっきのチョーさんみたいな擬似行為だったら怖いから。後出しで相手の手見ての必勝、がいいと思う。オータくんの真似じゃないけど……勘なんだけど……。」
松野はオサムの意見には納得してくれたようだ。
「確かに。近づいてあの骨攻撃でブッ刺されたら、それこそコイツらがさっきまでぶっ倒れてたのと同じ目に合うってことだかんな。」
「……まあ、オサムが乗り気じゃねえって言うなら、このまま勝手に落ちるっつう前提で様子見っけど。」
添田が珍しく意見を曲げるのを頑なに拒む。
「ええ?いいの?逆に回復しちゃったら、今やってたこと全部水の泡だよ。いいの?それで?」
何か違和感がある、そう思ったオサムが恐るおそる尋ねる。
「……エダくんは……今トドメ刺さないとヤバいって勘がするんだね?」
「う……うん。そうだね。」
後ろで彼らを見守ってきた少年たちと藤原も、突然の連帯感の途切れに戸惑い始めた。さっきまでの神業とも言うべき連携であの強敵を圧倒していた4人とは、最早別のユニットになってしまったような印象である。勘と言えばこの男、大田も察したのだろう。離れている4人に向かって声を反響させるように口に手を添えて呼びかける。
「オレの勘ってことで言えば、今のアイツはさっきのチョーさんみたいに『覚悟』ってのは感じない。だから意図的な演技とかではないと思う。だけど、何か『悪い予感』はある。意図的でなくとも近づいたら自爆に巻き込まれる、とかそういう感じの嫌な予感。」
松野はこれを聞いて添田に進言する。
「あいつの勘ってことなら様子みよう。」
だが添田は依怙地になっているのだろうか。黙って一人で、酩酊者のようなアレーシュマに近づいていく。
「あのバカ、一人で行くんじゃねえよ。」
そう言いながら安川が後を追う。
このとき佐久間が何かに気づいたのか、ただならぬ様子で全力で添田に向かって走り出す。
「何だ?」
圓崎にも大田にも何の変化があったか全くわからなかった。
だが添田がアレーシュマの前に立った途端、真横から巨大な放電が彼を襲った。
地面を滑るような音がして、気がつくと佐久間が添田を抱えて地面に突っ伏していた。間一髪、戦意喪失に思われて皆が放置していたアザゼルが放った特大の電撃であった。佐久間自身は顔面を地面にぶつけていたのだろう。派手に鼻血が流れていて、右頬はどこかでついた切り傷から血が滲み出ていた。目を丸めて自分の身に起きたことがすぐに理解できなかった添田は、何ひとつ考える余裕が消え褪せていた。
(第四十二話 終わり)




