第四十一話 外生変数 〜見知らぬ少年〜
少年たちが皆チョーさんを囲むように集まった。爬虫類のような姿で身長も178センチと子どもたちから見ても背が高かったこともあって、その顔をじっくりと見ることはなかった。米田に抱えられたチョーさんは、頬がこけたヒトの顔なのだと改めて少年たちは認識した。そしてその表情はとても穏やかなものに映っていた。
「呼吸は安定してるみたいです。先生、このまま寝かせておいてあげるのがいいんでしょうか?医務室を使うのはダメですか?」
オサムが香澄に問いかける。
「失礼。」
先に山本が前に出てきた。眠っていたオサムに行ったようなバイタル確認をさっと始める。しゃがみ込んだまま香澄の方を振り向いた。
「博士。衰弱しきってはいますが、高山くんの言うとおり安静にして様子を見る、でよろしいかと思います。いかがでしょう?」
香澄はゆっくりと近づいてきて、見下ろすチョーさんに声をかけるように山本の提案に答えた。
「そうさせてもらおう。ありがとう、本当にありがとう、チョーさん。」
子どもたちも皆口々に「ありがとう」とチョーさんに声をかける。そして山本が米田からチョーさんを預かり、香澄とともに医務室へと歩き出した。
「俺も行きます。」
米田もそのまま彼らに続く。香澄は少年たちを振り返り、呼びかけた。
「チョーさんをベッドに寝かせたらすぐに戻る。それまで藤原、念のため少年たちと一緒にここに残っていてくれ。チョーさんの側には米田くんにいてもらおう。いいね?」
米田は首を縦に振って頷いた。
歩きながら山本は先程の壮絶なチョーさんの姿を振り返る。
「それにしても、たった一晩でここまで変わるなんて……吉田博士は恐ろしい方ですね……」
「ああ。彼はまさに鬼才にして奇才と評価される男だ。あの黒崎も一目置いている。上野博士や滝口博士にも匹敵する才能だろう。」
「上野博士も……ですか?」
「彼もまた、滝口理論の完成にひと役買った男だよ。一番の古株だしね。ビンガくんの言っていた魔人Sタイプの細胞の融合という発想も、彼の導き出したひとつの解ということなのだろう。しかも彼は滝口博士赴任以前からここにいると聞いている。すでに廃棄されたため誰一人目にしたことがないXタイプを、実際に見て知っているのは彼くらいのものだろう。」
「……Xタイプですか……しかしよく当時の技術で人型の機械を造り出せたものです。現在(昭和62年)ですら、独立型を完成させるなど相当困難だというのに。」
急に俯いて黙り込んだ香澄の様子に違和感を覚えた山本が声をかける。
「どうしました?博士?」
「いや、すまん。演算処理の媒体をどうやって……いや、本当にすまない。急ごう。申し訳ない、米田くん。」
「いえ。俺は別に大丈夫です。」
香澄はこうは言いながらも昔聞いた、ある噂を思い出していた。最も効率よく最高の高速演算処理を可能にしていたある媒体のことを……
この少年たちのアリーナでの様子をじっと観察していた、非常に小柄な影があった。彼は最初にアザゼルが占拠していた放送ブースの中に佇んでいた。アザゼルのオゾン・クラックにより溶けて蒸発してしまったマイクや周りのスイッチに目を向ける。
「確か『オゾン』だったな。まともな制御ができないのであれば、やはり欠陥品だな。」
こう一人呟いているのは共命鳥の兄セメルである。弟たちに「出かける」と言っていた目的地は、同じレベル4のこの実験アリーナを指していたらしい。
「しかし、さっきのアイツは予想外だった。最近『外出』していなかったから、情報不足だったということか?」
身長は140センチ足らず、小学4年生くらいのちょうど10歳前後といったところであろうか。年齢に似つかわしくない喋り方をするのは、高山オサム以上にその存在自体から強烈な違和感が漂っている。
「まあ、あれだけやられれば普通は致命傷と誰でも思うだろうな。だが大野たちはサラマンダー・キャンセラーを使った被検体……撃ち抜かれた脳の損傷はこの短時間で修復はできんだろうが、そのうち起き上がるだろう。ちょっと時間がかかり過ぎの気もするが?……ん?なんだ?」
そう言って少年たちに目を向けた途端、セメルが激しく動揺し始めた。
「知らないぞ、あんなヤツは……そう言えばさっきも何か動きが妙だった奴か……」
目を細めてその少年をじっと見つめる。暫くして目を見開いた。
「まさか!滝口剛なのか?」
そう声を上げるや否や、急にポケットから何かを取り出す。緑色の……蛾のようである。しかしピクリとも動かない。これを目の前の溶けていない放送機器の上にぽんと置く。その直後、陽炎のようにその輪郭が消えてしまった。しゃがみ込みでもしたのだろうか。5秒ほど経過してまた姿を現したときには、いつの間にかさっきの蛾に触れていた。
「おかしい。ツヨシは上にいた。後ろの男はよく分からんが、大野の部下か?拳銃のようなものを持っていたが……それにしてもアイツは何だ?ひ、ふ、み、よ……おかしい。人数は合っている。誰だ、アイツは?……これも俺の知らないこと……」
目の前の緑の虫を指で軽くつつきながら、急に何かを思い出す。
「まさか……八咫烏の言っていたことは、本当だったのか?」
何かに動揺するセメルは、その後も唇を噛みながらアリーナの少年を睨み続けていた。
放送ブースにいる小さな訪問者のことは、オサムたちも誰一人気づくことはなかった。あの空間で大きめの声をあげていたとは言え、彼らの耳にまでは届くことはなかったからだ。だが、ここで勘の優れた男、大田が一瞬何か気になったのか、セメルのいるブースの方に目を向けた。
「どうした、オータ?またなんか気づいたのか?」
大田の様子に即座に反応した圓崎が気になって声をかける。
「いや……本当に一瞬だけど、何か変な気配を感じて……誰かに見られていたような、そんな感じがしたけど……どうも気のせいらしい。いろんなことが立て続けに起きて、過敏になったのかもしんない。」
「珍しいな。お前が自分の勘を否定するなんて?」
「ん〜ん。気配の消え方が変な感じというか、存在ごと急に消えたみたいに思えて……まあ、つまり気のせいだったって認めないわけにいかねえかな、って。」
だがこの話を聞いて圓崎は警戒心を強める。
「オータ。またなんか変な気配を感じたらすぐ教えろ。今度は誰かに見られてる前提でそっとな、いいな?」
「わかった。エンちゃんの方もだぞ。」
「ああ。すぐ知らせる。」
2人の緊張ある会話の最中、残りの少年たちは一気に気が抜けたのか、合図があったわけでもないが、ほぼ一斉にその場に座り込んだ。大田と圓崎もこれに合わせて腰を下ろした。佐久間は黙ったままではあるが少しは落ち着いたのかもしれない。溝端の支えなしでも一人無言で膝を抱え込んでいた。
「一時はどうなるかと思ったよ。何なんだよ。アイツら?」
すっかり小前節が復活している。
「オサムちゃん、マジでチョーさん平気なの?」
柴崎がオサムに念のため確認をする。
「うん。大丈夫だと思う。声は一切聞けなかったけど、危険な状態ではないと思う。」
「まあ、あの状況で『もうダメだ』とは言えねえだろうけど。」
溝端は特に皮肉などで言ったつもりはなかったが、周りからするとあまり良い言い方には聞こえなかったのだろう。香野がすぐに皆の気持ちを代弁した。
「ミゾ、ちょっと不謹慎じゃねえ?」
「え?別に……そんなオレ酷いこと言ったか?」
「ミゾ!今のはお前が悪い。チョーさんが俺たちを守ってくれたんだぞ。周りよく見ろ。香野がおかしなこと言ったんじゃねえって分かんだろ。」
圓崎に諫められた溝端は、本当に全員が冷ややかな目で自分を責めてることを痛感する。バツが悪そうに「ごめん。そんなつもりはなかったから……本当に。」と言いながら、体育座りで皆の輪の外に顔を背けた。吉村が溝端に気を遣ったわけでもないのだろうが、なんとなく話題を変えようと遠慮がちに皆に呼びかけた。
「ところでよ、コイツら本当に動かなくなってっけど……縛ったりしとかねえで大丈夫か?また時間経って復活したら、面倒じゃねえ?……ってあれ、あのオッサン大丈夫かよ?1人であっちに行って。」
吉村の言葉でいつのまにか藤原が、アザゼルが突破してきた出入口の方に行っていて、ようやくこの場にいなかったことに全員が気がついた。
「藤原さ〜ん、危ないよ。」
そう大声で呼びかけながらオサムが走り出した。
(こういうときは普通に走るんだ?)
その場の皆が声に出さずも心の中で一斉に、オサムの走る姿に対してツッコミを入れていた。オサムの呼びかけに気づいた藤原が振り返る。オサムと合流して再びアレーシュマたちの倒れている方にゆっくりとした足取りで戻ってくる。
「高山くん。僕は頭では分かっているつもりだが正直、気持ちの方がこの状況についていけてない。今破壊されていた扉を改めて見たけど……あれをヒトがやったなんて……重機か何かでないとあんなことにはならないよ。」
オサムは何と答えて良いか分からず、黙っていた。藤原はそのまま続ける。
「この施設の中で何人もの人が倒れていったよ、目の前で。本当に見ていて、つらかった……倒れた人たちは最初は医療機関に移送されたって聞かされていて……ZタイプとかYタイプなんてのは後から知ったんだ。本当に病院で過ごしている人もいるかもしれないって、今でもそう信じたいとは思っているけど。」
藤原が足を止めたのに合わせて、オサムもその場で立ち止まり彼の話に耳を傾ける。
「人体実験なんてこれ以上は許せない、絶対に止めてやるんだ、って博士や山本と一緒に君らを救おうとしたけど、結局はビンガに助けられていた。
改めて今朝、博士が君たちに打ち明けたレベル5の闇も、2人の被験者を匿っていたことも、僕は知らなかった。大野さんたちがあんな姿で現れたときも、僕には何もできなかった……ごめん。つまんない話を一方的にして…」
オサムは藤原の方に向き直り、笑顔でこう言った。
「みんなが心配そうに見てます。無事脱出できるよう一緒に考えましょう。」
そう言って先に走り出して行った。彼の小さな背中が震えているように見えた。藤原は自分よりもオサムの方が怖くて仕方がないのだと思った瞬間、慌てて彼を追いかけて走り出していた。
オサムが戻ってくると、アレーシュマたちをどう拘束しておくか、という議論が開始された。
「ここロープとかってあったっけ?」
竹田は視線を上に向けて一生懸命に思い出そうとしているようだ。
「いや、さすがにロープじゃ無理じゃねえ?でも縛ればそう簡単にほどけねえもんかな?」
柴崎のこの発言を聞いて、香野は密かにロープで縛った圓崎を想像しながら脳内シミュレーションをしていた。
「確かによっぽど古くて千切れかかってるもんでもなければ、結べばエンちゃんの力でもほどけねえと思う。試してみっか。」
大田は真面目な顔で圓崎を縛ろうと目論んでる。
「バカ言ってんじゃねえよ。俺がほどけねえほど固く結んで、結んだ奴でもほどけなくなったらどうすんだよ?」
「それもそうか。惜しい……」
「惜しいって何だ、惜しいって。オータいい加減にしろよ。」
そう言いながらも圓崎は笑っている。このやり取りを見る限り、久しぶりに大田も今は寛いでいることが窺える。
「あ、そうだ!閉じ込めておけばいいんじゃない?」
オサムが名案を思いついたっていう感じで叫んだ。
「どこに(閉じ込める)?」
すかさず添田が聞き返す。
「ほら、あのレベル3と繋がってる扉の中に。藤原さんなら開けられるでしょ?」
オサムが指差したのはまさしく少年たちがレベル3から避難してきたときの階段がある扉であった。
「ああ、そっか!」
松野が珍しく声をあげた。だが藤原が哀しそうな表情でこれを否定した。
「普通なら良い考えなんだろうけど、ほらさっきも見てたけど、彼らはあっちの扉をあんな風に破壊した連中だよ。正確に力を測定してるわけじゃないけど、階段のところの扉も破壊する力があってもおかしくない。」
「言われてみれば、そうだね。」
オサムが本気でしょんぼりする姿を見つつ、藤原は更に続けた。
「とは言っても、ロープで縛り上げて閉じ込める、って言うんなら大分違うかもしれないね。」
「そもそもロープなんてねえんじゃねえ?」
安川が眉を寄せて吐き捨てるように言う。
「そうだね……代わりになるものも思いつかないね。」
「高山の能力で縛りつけるってのはできねえの?」
吉村が尋ねたことにオサムが今度は哀しそうな表情で答える。
「ずっと自分が見ていないところでも縛りつけるのは無理なんだよね。縛った状態で連れ回すのはできるだろうけど、それもずっと持続させるのは難しい……!!」
急にオサムが言葉を紡ぎ終えるよりも前に、弾かれるように後方に飛び退いた。
臨戦態勢に移行する。皆に訊かれる前にオサムが「今動いた」と短く叫んで警鐘を鳴らす。藤原を囲むように安川、松野、添田が構える。
アレーシュマの右手の指が確かにピクリと動いた。
大田が叫ぶ。
「おかしい。2体とも、さっきまでと倒れてる姿勢が変わってる。」
チョーさん渾身の攻撃が、結局は再生して治癒してしまったのだろうか。
アザゼルも動き出す。動かす指先からオゾン特有の匂いが漂い始めた。鋭利な、肺が焼きついてしまいそうな匂い……一気に澱んだ沼に引き摺り込まれたように少年たちは静まり返った。
放送ブースでセメルが一人ほくそ笑む。
「ようやく目を覚ましたか。ソイツが何者か見極めさせてもらうぞ。」
ゆっくりと動き出すアレーシュマの姿は、少年たちの目に恐怖を植えつけるためのスローモーションのように映っていた。チョーさんに穿たれた傷口がまだ痛むのか、右手で額を抑えながら憤怒の形相で目の前に散らばる子どもたちを射すくめる。寛ぐ余裕など与えまいと、けたたましい咆哮が再び実験アリーナの空間全てを震わせた。
(第四十一話 終わり)




