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エリシオンの四神 〜最後の四日間〜  作者: 伏黒照


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第四十話 全身全霊 〜咽ぶ烏、焦る鳥〜

レベル4の共命鳥たちの屋敷。隔離されたここだけの閑散とした空気は相変わらずエリシオンの一画とは思えない日常が営まれていた。

「ちょっとだけ出かけてくる。」

「ズルイよ、兄ちゃん!オレも一緒に行く。」

「ダメだ。マモル、お前は爺さんと一緒に留守番だ。」

「ええ、いつもいつも兄ちゃんばっかズルいズルい。」

八咫烏と呼ばれる老人は駄々をこねるマモルを優しく抱き寄せる。

「マモル、セメルの行く先はとっても危険なんだ。いつも言われてるだろう?『そのうち嫌でも明日や明後日に行くことになる』って。マモルもそのうち一人で遠くにお出かけできるようになるさ。それまでの辛抱だ。さあ……」

そう言って頭を撫でられているマモルは、それでも恨めしそうに兄のセメルを睨んでいる。

「……早く帰ってきてね、兄ちゃん……」

「ああ、なるべくそうする。じゃあ爺さん頼ん……」

八咫烏が突然激しく咳き込み始める。

「ぐひゅふぉぉ、ぐぁふぇぁ……」

「大丈夫?ツクモのじいちゃん?」

「……待て……」

様子が一変した八咫烏のしわがれた声にマモルが驚いて飛び退く。セメルが老人を睨みつける。

「ジジイ?」

「……がふぉっ、がふわぉ……ぎゃおうざ………ぽぐぅお………はん、ぐぅわお……にぃ……」

「……おじいさん?……」

緊張が暫く続く。苦しんでいた八咫烏の様子が、30秒ほど経って少し落ち着いた。これを見てセメルが急にため息を漏らした。

「脅かさないでくれ。爺さん。」

「ごほっ、ごほっ。すまん、咽んでしまったようだ。すまんがマモル、ちょっと横にならせてもらうよ。」

「じいちゃん無理しないで。」

八咫烏は畳の上で横になった途端にそのまま眠りに落ちたようだ。寝息が微かに聞こえている。

「大丈夫かな?兄ちゃん?」

「爺さんも()()()()かもな……もう少しだけ様子を見てから出かける。マモル、爺さんの面倒を見てやれるな?」

「任せて、兄ちゃん!お爺さんが起きても、しっかり見張ってる。」

「……ふ、頼もしいな、マモルは……」

弟にだけは優しい笑顔を見せるセメルは、弟の頭を撫でながら眠っている八咫烏の老人を複雑な表情で見つめていた。


その頃、レベル2では迦陵頻伽(カリョウビンガ)が衰弱した2人の被検体を白鳥所長に預かってもらうための方法を模索しているところであった。

ところで、今ビンガが抱えている被検体らしき2人……彼らを救出することは今朝、香澄博士から依頼されたことであった。眠りから覚めない米田を、Fクラスの居住エリアに連れて行ったときである。

ビンガは以前から『香澄がレベル5に頻繁に出入りしていたこと』に疑念を抱き、彼を監視していた。これはビンガ個人としてだけではなく、実は黒崎からの依頼でもあった。

そしてついに香澄が四門システム解析の任を与えられていることをいいことに、廃棄から救った2人の被検体をレベル5に匿っていることを突き止めた。

だがビンガは、この2人について黒崎たちに黙っておく代わりに香澄に協力をするように要請した。それが11月19日の木曜日──つまり10日余り前である。この現場を目撃したという藤原に対して、香澄がビンガに会っていないと嘘をついていたのは、守り抜いてきた2人のためであった。そしてこの2人のことは山本にも藤原にも、香澄が秘密裏にしてきたことであった。

ビンガが敵対する意思がなかった事実は、昨日のオサムの指摘があるまで香澄はもちろん、山本も藤原も気づいていなかったのだ。

ビンガの言う協力の内容は『この施設封鎖が始まるその前に、罪なき被検体たちを無事に脱出させる』ことであった。香澄にも詳細は語られていないため、ビンガの言う施設封鎖とはいつどのように行われるかは全く分かっていなかった。このため、四門システムの解析をより早く、より多く進めていくために頻繁にレベル5に出入りするようになった、というのが事の真相である。

香澄としては現状安定している4人の被検体……つまり『高山オサムたちを無事脱出させるためのシステム解析』と考えての行動であった。


ビンガも焦っているのか、レベル1とレベル2を繋ぐ搬入口の付近から離れることなく、結局右往左往するだけであった。いたずらに時間を費やす姿は、普段の彼の印象からは随分とかけ離れた無計画なものに映る。それは今朝の依頼があるまでは『存在しないことになっているこの2人』の救出は念頭になかったからである。むしろ彼としては、米田を香澄たちに預けて自由に動けるようになるつもりだったのだ。彼の意図にも合致する2人の救出を断るわけにもいかず、急遽引き受けたのだ。最後にレベル5で行う悲願成就のために……


そんな思案中のビンガがスロープを恨めしそうに見上げると、レベル1の大会議室の施錠を終えたスタッフがここを伝って駆け降りてくるところであった。姿を透明にしているビンガと抱えた2人のことには一切気づく様子はない。ようやく、いつもと違った週例会議の大混乱から解放されて、少しでも早く業務に戻りたいという感じであろうか。

(所長が都合よくあのスタッフのように降りてきてくれれば良いが……)

スロープを駆け降りる途中のスタッフが突然足を止めた。ビンガも一瞬身構える。

「もう〜、急にいろいろやらされて、忘れてたよ荷物のこと!……何で今日に限ってこんな面倒が続くんだよ。ああ〜。台車は自分で片付けてもらおう。」

独り言にしてはかなり大声で、大分苛ついているようだ。息を切らしながらも、再び上に向かって走り去って行った。

(ふっ……所長が訓練とやらの話で相当掻き乱してくれた、ということか?可哀想に……)

透明なまま、笑みを浮かべたビンガはすっかり油断していた。

「カチリ」と静かに何かが回る金属音とともに彼の背後から『一円玉くらいの何か』が首筋に押しつけられた。凍てつくようなその『20ミリ程度の冷ややかな円』は、ただの警棒の類ではないことは自然と理解した。

(背後を取られた?一体誰に?しかも迷わず首に……俺が見えているのか?押し当てられたこの感触……パラジウムではないようだが……この嫌な鼻をつく油の匂い……まさか銃か?)

かつて被検体の実験と称して銃を向けられる経験を過去にしていた記憶が突然甦る。迦陵頻伽の見えない額から、高鳴る鼓動と共に恐怖による冷たい汗が流れ始めていた。


舞台は再びレベル4の実験アリーナ……コカビエルことチョーさんの思いも寄らぬ攻撃に、圧倒的力で蹂躙しようとしていたアレーシュマはただ苦しみ悶えるのみで、チョーさんの締め付け攻撃にも一切抗うことはできないでいた。一方の相方アザゼルもチョーさんの肋骨攻撃で貫かれた後、相変わらず斜めに傾いた状態から全く動く気配がしない。サラマンダー・キャンセラーと呼ばれるゲート再生術を上回る再生の恩恵なのであろう。目から血を放射するという離れ技──血涙の閃光『リトル・レッド・ルーレット』を使う寸前と異なり、今はすっかり元の顔に戻っていた。2体を突き刺した肋骨は時折不気味に蠢いている。肋骨が突き破った腹部は若干オレンジ色に変色しているが、流血などは一切ない。この技──穿孔の棺『アイアン・メイデン』も超再生がなせる技である。

最初は形勢逆転をしたチョーさんに声援を送っていた少年たちも、この凄まじい捨て身のような攻撃を目の当たりにして、すっかり言葉を失っていた。だがチョーさんは怯むことはない。彼の『今できる全力』を注ぎ目の前の強敵2体を完全に沈黙させるつもりでいた。


このままチョーさんが押し切ることを誰もが疑うことはなかった。だが少しずつ彼に変化が現れた。

まず、アザゼルを貫いていた2本の肋骨がチョーさんの身体から分離した。支えを失ったアザゼルは骨が刺さったままずり落ちてうつ伏せに倒れた。このとき刺さっていた骨がアザゼルの正面から背面に向かって押し込まれる形になり、痛々しい「グシャッ」という音ともに背中から飛び出した。チョーさんの腹部の皮膚──肋骨が飛び出していた部分は即座に再生され塞がっていく。

続いて右側から伸びてアレーシュマを刺していた2本も同様に切り離される。そして程なくして2体に刺さっていたチョーさんの骨がみるみる変色していく。まるで炎が消えた木の枝のように、あるいは炭のように黒くなり、最後はそのまま燃えカスが巻き上がるが如く塵となって消えてしまった。更に気づくとアレーシュマを『無言の抱擁』で抑え続けているチョーさんの身体が急激に萎み始めていた。腹部を中心に痩せ細っていく。これに伴い、アレーシュマを抑え込んでいる腕もプルプルと震え始め力が抜けていっているように見える。

「どうなってんだ?」

溝端があまりの急変に焦りで声が大きくなった。

「再生の力の……反動だろう。」

香澄は静かに、その問いに返答した。

2体の反撃はないと見て、最前線の4人が後ろの集団のもとに戻った。圓崎がすぐに香澄に疑問を投げかける。

「どういうことですか?先生。」

「……チョーさんは、あんな凄い力の2人をたった1人で制圧してしまった。しかもあんな力を短時間に使ったんだ。顔や腹部の表面上の再生はされたみたいだが、あれだけ派手な攻撃のあとの肋骨の再生にも時間とエネルギーが必要なはずだ。骨の再生を優先して体内の細胞が激しく動いているのだろう。」

そう解説する香澄も半ば放心状態であった。


自傷出血『オート・ヘマリッジ』(動物が防御のために自ら出血する習性)……古くから知られる習性ではあったが、それらが注目され詳細のメカニズムの解析がされるのは21世紀になってからのことである。吉田博士による『強化の技術』、固定概念に縛られず観察を続けて見出した『執念』……全てが自分を凌駕している、そう無自覚に気付かされていた。奇しくもこの年、昭和62年、世間は10月12日の日本人単独の「抗体の多様性生成の遺伝的原理」によるノーベル医学生理学賞の受賞が発表されたことで賑わっていた。藤原がレベル3で少年たちに代弁してくれていたときにも言及していたが、このエリシオン内部の研究成果が日の目を見ることは、残念ながらないだろう。例えParadigm(パラダイム・) Shift(シフト)と呼ぶに相応しくとも……

そもそも吉田博士や上野博士が富や名声ではなく、何ゆえに研究に没頭しているかは、このときはまだ誰も知る由もなかった。


大分疲弊して体内の力を再生に全て転じたのであろうか。チョーさんがアレーシュマの身体を放し、両腕が力なく下ろされる。アレーシュマがそのまま仰向けに倒れ、続いてチョーさんがゆっくりと膝から崩れる。だが床に突っ伏すその前にオサムが彼を支えていた。またいつのまにか高速移動していたようである。気づいたときには米田も駆け寄り、片膝をつき小さな両腕でチョーさんを抱えていた。

「お疲れ様でした。チョーさん。」

そう言う米田に、チョーさんはほとんど動かせないはずの右手の親指を僅かに震わせていた。念話をする余力もないチョーさんだが、オサムには彼が微笑んだ、そんな気がした。

(第四十話 終わり)

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