第六十六話 導波管 〜エル・オンブレ〜
項垂れるように埋もれているプロメーテウス……その開かれたハッチからは、漏れ出す水の勢いが止まりつつあった。一緒に中から出て来た虫たちは、まさに電飾のように繋がれて濡れたまま一切動くことはなかった。
「これって……」
オサムは見た瞬間に、なぜこの虫が利用されているのかという疑問だけが頭の中を巡り、どう言葉を続けていいのか分からなかった。
「ひでえな。コイツら、ログハウスの庭を飛んでる虫じゃねえか?」
イッペーは、エナメル線で結ばれた連なるオオスカシバを摘み上げ、顔を顰めている。
「今までこの虫たちが、Xタイプを動かしていたのですか?」
香澄は言葉を失っている上野に問いかけるが、彼は険しい表情のまま香澄の言葉も届いていない様子であった。
「ヒトでなくとも直列に繋げば、こうした虫の脳さえも代用できるというのか……恐ろしい……」
山本も厳しい表情で呟く。
「大抵のことには最早驚くことはないと思っていたのだが……まさか俺たちの相手をしていたのがオオスカシバだったとは……恐れ入ったものだな。」
腰を下ろしたまま、ミカエルは誰に言うわけでもなく、そう呟いた。
山本が水たまりを横断してXタイプに近づこうとしたとき、放心状態だった上野が止めに入った。
「漏電している。今は危険だ。水が引くのを待とう。」
上野の進言に従って待つことにした一行だったが、なかなか水は引くことはなかった。
「上野先生、コイツをイッペーさんと一緒にどかしても大丈夫ですか?周りに水が溜まってきて、隙間が塞がって堰き止めていると思うんですが?」
オサムは、めっきり口数の少なくなった上野に恐るおそる打診する。勝手にどかしたりしたら、何か咎められそうな気がしたからである。
「……ん、なるほど……岩場では水が浸透していかず、その穴に流れているのか。確かにその穴をX-01が塞いで(水が)抜けないようだ。すまない、すぐに気付かずに。君たちなら直接触れずに感電する心配もないだろう。やってみてくれ。」
自分の様子が子どもたちを怯えさせていると察したのか、上野は申し訳なさそうに答えたが、相変わらず硬い表情のままであった。オサムとイッペーが、遠隔でXタイプの躯体をゆっくりと、慎重に地面から引き抜いていくと、その塞がれていた隙間からゴボゴボと水が流れ始めた。
「コイツ、めちゃくちゃ重いな?よく動けたよな、こんなんで。」
「本当ですね。ここまで重いのを浮かせるのは初めてです。」
「それにしても、お前上手いな、アイル・ウィーブ。」
「え?どうしたんですか?いきなり英語?」
「ああ、悪い。『アイル・ウィーブ』ってオレたちの『この力』のことだよ。アーロンが言ってたんだけど、英語みたいだけど、英語じゃないナントカ語って言ってたんだけど……何語かは忘れちまった。」
「へえ……そんな名前があるんですね。へえ……」
「ああ。お前多分、ツヨシよりセンスあんぞ。アイツ、なかなか上手くなんなかったかんな。」
「ええ?ビンガさんよりですか?へえ……ってぉわぁっ!」
突然オサムが動かないXタイプに向かって引き寄せられる。イッペーも同様に引っ張られている。穴の先でゴウゴウと音がして、水どころか空気まで一緒に吸い込まれていくようだ。Xタイプがどんどん穴の中にめり込んでいく。オサムとイッペーは一旦この機械人形とは縁を切って、左右に散って離脱した。そのうち万歳でもするように、両腕を挙げた状態のXタイプが、スポッと引きずり込まれて、派手な音がしたかと思うと少し間を置いて、遥か下の水面に落下したような音が響いてきた。
「そうか。温度差で押し出されたのか。」
香澄が周りを見渡しながら、そう叫んだ。実際自分たちのいる場所はXタイプ──プロメーテウスが放っていた熱と、ウリエルたち天使による蒸発と結露を繰り返す目まぐるしい温度変化で、最終的に柱の間一帯の温度は大分上昇していた。
「確かこの位置の真下だと、水を貯める空間があったはず。常時水温で冷やされた空間に、高温になったここの空気が一気に引っ張られたんだ。」
「そうか。ここがあの湧水ピットの真上だったんだ。」
尻をついて泥水まみれのオサムが、香澄の言葉を聞いて合点がいったように嬉しそうに声を上げた。Xタイプを吸い込んだ穴は、その周囲がひび割れて凹んでおり、若干残っている水が、いまだにチョロチョロと滴っている。先程までの勢いが止んだことで、立ち上がるオサムは穴の中を覗き込もうと考えて近づいて行く。これをいち早く察知して彼を制したのは、意外にもイッペーであった。
「まだ危ねえだろ。見ろ。ひび割れてんぞ?下手に近づいて崩落すっかもしんねえ。下を覗き込むんだったら、ちょっと待ってろ。」
彼は右手を前に出して、似つかわしくない真剣な様子で集中している。そして、穴の方から順番に目線を移していく。
「ほら、これなら安全に見れんだろ?」
彼の手先から穴まで三メートル以上にわたって透明な何かが、時折チラついている。空中に鏡の破片でも散らばっているようである。オサムはイッペーと並んで目の前を見ると、「うわぁっ」と口にして驚いた。この不思議な光景に少年たちのみならず、天使たちを含んだ大人たちの好奇心も掻き立てられて、皆イッペーの元に集まってきた。それは、こわばる表情の上野も例外ではなかった。
一斉に皆がオサムと同じ反応をする。そこにはなぜか、地面の穴の先の様子が大きく映っていた。一メートルを上回る分厚い岩盤を貫いて、その穴の先は、遥か下の方の湧水貯留ピットの天井部にまで続いていた。
「うお、何だよ、これ?お前、マジシャンかよ?」
佐久間の驚きの声は、この場の他の者の代弁でもあった。これを受けてイッペーが説明を始める。
「ハッハッハッ……面白えこと言うな?確かにタネのあるマジックだな。まあ胃カメラの原理ってやつなんだけどよ。これ以上の説明は求めるなよ。」
「……光ファイバーの原理……ということか。」
上野も落ち着きを大分取り戻したのだろう。これは初めて見る能力らしく感心しながら、イッペーの映し出した穴の様子を皆と一緒に眺めている。
「上野先生、光ファイバーって?言葉は聞いたことあるけど。」
オサムは、すかさず疑問を投げかけた。
「ああ、さっきTK56-7が『胃カメラ』と言っていただろう?あれの技術は、鏡で光を反射させるのと同じように、ケーブルの中でいくつもの光を反射させて、最終的にケーブルの先端にある画像を機械の画面にまで送って映し出しているんだ。これはそれを応用した技ということ……と言っても、ここまで出来るのにはかなりの緻密な計算をしなければならない。凄いことだよ。……迦陵頻伽も恐らく出来るのだろうな……」
「それってツヨシのことか?ツヨシか〜?……う〜ん、難しいんじゃねえか?」
「……いや、出来るはずだ。彼がお前たち四人のうちの誰かであるならば、消えた他の三人の力を引き継いで、飛躍的にその能力を向上させている。過酷な実験も繰り返された……。正直お前たち四人とは関係のない、別の人物なのではないかと自分に言い聞かせてきたのだが……。TK56-7……お前にとっては今も昭和四十七年の延長かもしれないが、もうあのときから十年以上の長い年月が流れているんだ。もし彼がお前の言うツヨシという人物であれば、彼の姿がそれを物語っていただろう?」
上野の言葉が紡ぎ終わる直前に、オサムと大田が急に険しい顔で東の通路を睨みつけ、戦闘態勢を取り始めた。佐久間と松野も、何か同じ気配を感じ取ったようだ。彼らの動きを見て香野、添田が慌てて眠り続けるクニヨシを抱えて、守りを固める。七柱の天使たちも敵に備え始めた。
「誰か来るのかい?高山くん?」
山本がそう尋ねると、オサムは振り返ることなく答えた。
「一人っぽいです。ただ……違和感があります。今は引きずるような足取りですが、急に現れた……そんな感じです。エレベーターから降りてきたとか、そういう感じではなかったです。」
「俺も同じように思った。何だか、ここの通路の突き当たりから出て来たみたいな感じがした。」
大田の勘でも、新たな来訪者は得体の知れない現れ方をしていると感じているようだ。さらにこれに加えて、サマエルも同様の違和感を口にした。
「俺にも同じように感じられた。通路を曲がって来た気はしない。ミカエル、皆、どうだ?」
「ひとつ言えるのは被検体ではないのだろう、ということだな。さっきまでの経験から、ジャミングで俺たちの索敵範囲から外れるようにしてきた……そんなところだろう。」
上野が顎に手を当てながら、被検体たちに呼びかけた。
「黒崎さんからこっちに来ると連絡があってから、随分と時間が経っている。……もう到着してもおかしくないはずだが……。考えたくはないが、ひょっとしたら今回の相手は、黒崎さんを人質にとっているのかもしれない。」
これに対して、ミカエルは意外な返答をしてみせた。
「飼育員……一応、さっきまでは緊急事態ってことで敢えて触れなかったが……我々は、いや少なくとも俺は、お前を全面的に信用したわけではない。今までのことも、先程の解放のこともお前には感謝してはいるが、現状のお前への信頼は全くの別のものだ。職業柄、その懐に隠している油の匂いが、どうも気になってな。俺たちに向けても意味はないが、少年たちや研究員たちに対しては有効だろう。ロザリオの効かない少年に発砲してから、我々をジャミングで拘束することもできるはず、お前なら……」
「……確かに……銃を携帯していることは認める。信用してもらえずとも、本当に君たちの邪魔をするつもりはない。」
「そうか……ならば俺からも忠告だ。お前にその気がなくとも、黒崎が敵対するようであれば我々は容赦はしない。いいな?」
「……承知した。」
カツーン、カツーン……
妙に足音が響き渡る。全員が固唾を呑む中、姿を見せたのは一人ではなく、二人であった。一人はかなりの長身で痩せ細った男──纏っていた白衣が大分汚れて、ところどころが破けていた。もう一人は、その白衣の男に背負われて来た細身の男で、警備服の上着の背中が鋭く切り裂かれていた。気を失っているようだが、呼吸はしているようである。
「なぜ、お前たちだけで?黒崎さんはどうした?」
二人を見て声をかけたのは、上野博士であった。白衣の男はBクラスのリーダーである佐東で、背負われているのは、セキュリティガード(SG)の隊員だった。Zタイプではなく、グンプクこと大野と同じく通常の人間のようだ。
「上野先生?良かった……何とか合流できて。失礼します。」
そう言って佐東は抱えていた隊員を、地面に下ろして丁寧に横たえた。
佐東によると、黒崎が無線で上野に連絡したその後、黄金の丘からアリーナに出て行ったときに、天井から謎の宇宙服が突然現れたらしい。コウモリの羽を展開させる方──レベル5で見た銀色のボウガン使いとは異なる装備の、白い宇宙服のようだった。攫われて気づくと、さっきの通路に放置されていたらしい。アリーナを横断する際に黒崎とビンガが前を歩き、その後ろに二人が付いて警戒をしていたそうだ。このとき自分たち二人が一瞬羽のような音を聞いた気がして、天井を見上げたのだと言う。だが羽音の正体を確認する前に、SGの男は背中を巨大なコウモリの爪に切り裂かれて、呻き声を上げる暇もなく二人とも捕えられた。そのコウモリの羽の片方が突如、巨大な蛇のように変化して、自分たちの口から腰まで腕ごと締め付けてきたというのだ。ここまで殆ど大きな音も立てず素早く行われたとは言え、前にいた黒崎はもちろん、ビンガにすら気づかせずに二人を拘束したというのは相当の手練なのだろう。佐東はそのまま気を失い、あれから時間がどれくらい経ったのか、自分たちが解放されたこの場所がどこなのか、黒崎とビンガがどうなったかも全く分からないらしい。二人が所持していた無線機も武器も全て奪われていたとのことである。
「ここで私たちと合流できたのは良かったが……ケガを負ったとは言え、何故二人は無事だったんでしょう?」
香澄だけでなく誰にとっても不思議なことである。
「彼らの命を奪うことは目的ではない……ということなのだろうが、ボウガンを向けて来た奴とは、また別の目的で侵入して来ているのか?だが、この二人をわざわざ最深層にまで連れて来た理由が分からない……。」
上野にとっても、宇宙服がPAの人間だろうという推測はできても、その行動の意味までは全く見当もつかない状況であった。ここで背中を裂かれたSGの応急処置をしていた山本が、香澄たちに報告する。
「確かに深く切られています。ですが……縫合こそされていませんが、止血の処置は行われてるようです。佐東博士が対応されたのでしょうか?」
「すまない。私は何もしていない。とりあえずさっきの一本道を、彼をおぶって来るのに必死で……」
「一本道?」
「ええ。目が覚めた場所が行き止まりでしたから、こちらに進んで来たんです。」
「おかしい……。北に折れる通路がなかったのか?」
「え?いや、通路はここに伸びているだけで、分岐している場所など見当たりませんでしたが?」
これを聞いて山本がオサムに確認する。
「高山くん、通路が塞がっているか分かるかい?」
尋ねられたオサムが返答するより先に、イッペーが声を上げた。
「いつのまにか、確かに行き止まりになってる。さっきの機械が暴れてたときにでも、塞がっちまったのか?」
「直接行って確認して来ます。カズキ、オータくん、一緒に来てもらっていい?」
オサムは、先程の嫌な気配に気がついたときに、この通路が塞がれていたことまでは感知できなかった。確かにXタイプとの交戦中に大きな音を立てられても、この通路まで気にすることはできなかっただろう。行き止まりであるならば、そもそもどうやって彼らは運ばれてきたのかという疑問も、眠っている二人を置き去りにしてから通路を塞いだのであれば辻褄は合う。しかし……だとしたら、さっきの気配は何だったのか……。
三人は通路の行き止まりに到着して言葉を失った。本当に道が塞がっている。複数のかなり巨大な岩で塞がれていて、被検体の力でも簡単にはここを突き抜けることはできそうにない。つまりエレベーターが使えない状態に追い込まれた、ということになる。
「オータくん、山本さんと一緒に来たときと見て変わってるところ、どこかない?この北側が塞がってる以外の、特にこの東の突き当たりの部分で?」
大田もオサムと同様に、『嫌な気配』がこの通路の壁の向こうから来たように感じていたため、意図することを汲みして入念に辺りを探索する。松野も同様に見て回っている。オサムはふと見上げた通路の上に、監視カメラが設置されていることに気がついた。なぜか妙に強い既視感を覚える。
「おっ、これなんか引きずった跡みてえに見えねえか?ほんの少しで途切れてるけど。」
松野が見つけた地面の後は、ほんの数センチではあるが、明らかに北側を塞いでいる岩とは関係のない、比較的新しい跡のように見えた。
「う〜ん……あ!」
壁を見ていた大田が声を上げた。足元に腕が入るくらいの、小さな穴があったのだ。オサムはこれを見て、さっきの既視感は『黄金の丘の入口の騙し絵のような岩場』であったと気づいた。改めて見ると、しゃがみ込んで見てみても非常にわかりづらい場所で、看過してもおかしくない。しかも目印らしきものも一切なかった。
「こいつはシャッターみたいに上に引き上げる扉っぽい。」
そう言って引き上げると、天井こそ低いものの通路が奥に続いていた。
「ここから連れて来たんだ。今は特に怪しい気配は感じない。行ってみよう。」
三人が通路を抜けようとすると、意外に短い通路ですぐに行き止まりになった。いや、道も何もなかった。断崖絶壁である。見上げると、かなり大きな縦坑になっていた。足場もないため翼でもない限りは、上の階層には行けないだろう。イッペーがアリーナの天井を通ってレベル4とレベル3を行き来したと言っていたが、まさにここも、そういう特殊な抜け穴であって、普通の人間が出入りできる場所ではなかった。
戻ったオサムたちは、皆にこのことを報告した。被検体であれば個々の力で上に行けなくはないが、博士たちは無理であろう。上野も知らぬ抜け穴だったようだ。
「状況を聞く限り、その穴はちょうど地上の下水施設に繋がる縦坑なのだろう。上に向かっている管にしがみついても、ヒトの重さにまでは耐えられないだろうしな……。西の通路の穴は降りて来るのはいいが、昇るのは難しいだろう。君たちにはできるのかもしれないが、どのみち狭すぎる。幸い水も大分引いている。もう少しここで休んで、その少年……FRG-02と、佐東の抱えてきたSGが目を覚ましてから、ヴォルトへ向かおう。あそこからならレベル4に行くことができる。私も使った通路だ。」
「黒崎副所長は捕まったんでしょうか?」
オサムの問いは上野にとっても一番の気がかりであった。
「分からない……。だがビンガが味方でいてくれたのであれば、望みはある。ミカエル、サマエル……君たちも付いてきてもらえるか?」
「ああ。ここまで来たら、奴らの正体も気になるしな……。少年たちと一緒に上を目指してみるのも悪くない。」
果たして一行はレベル4で無事、黒崎と迦陵頻伽と落ち会うことはできるのだろうか。誰もが不安に思うなか、オサムは佐久間の首元をそっと覗き込んだ。痛みが引いて一旦落ち着きを戻したことが、却って不気味でもあった。安川の顔の腫れは大分治まってきただろうか。そして柱に張り付いて砕け散った滝口博士に目を向けて、彼も消滅させることが本当にできたのだろうかと心配になり始めた。改めて考えを巡らせると、あらゆる危惧に押し潰されそうで、オサムは吐気と目眩を感じるのであった。
(第六十六話 終わり)




