第六十五話 考えるヒト 〜 Red Hot 〜
北側通路から迫る熱気は、尋常なものではなかった。異様な機械音と、まるで人の呻き声のような音が入り混じりこだまする。地下の摂氏十五度程度の温度が、一気に倍近くまで上昇しているような感じ……コレは感覚だけの話ではなく、実際に上昇していた。危険との対峙で流れてる汗ではない。暑さに伴う吹き出す汗である。山本が額の汗を拭いながら言葉を紡ぐ。
「まるで製鉄所の中にでもいるような、暑さというよりも熱さだ。」
このときの地上は十二月の寒空、風速三メートルの北風、気温は氷点下一度、全くの真逆の状況である。そして一際戦慄する者がいた……上野である。
「バカな……コレは……この感じは……どうやって起動させたんだ。」
「上野博士、あなたは先程『封印されていたXタイプを起動させる』と仰っていた。まさかこの熱気、そのXタイプなのですか?」
香澄は上野が狼狽えている分、却って冷静になっていた。上野のこの反応、今まで聞いてきた話、状況から間違いないであろう。ここにいる上野以外の者で、ソレがどんなものかを知る者は誰一人いない。それでもここまで伝わってくる熱気や振動は、最早ソレを知らずとも自ずと恐怖を感じさせるに足るものであった。上野博士は、香澄からの問いへの返答の代わりに、全員に向き直って大声を上げた。
「みんな!急いでレベル5から逃げるんだ。私はアイツを手動操作で稼働させるつもりだった。そもそも自動では動けるはずがないのだ。」
「落ち着いてください、上野博士。それはヒトの脳を接続して動かしていたからですか?」
「香澄……知っていたのか?」
「いえ。噂では聞いたことがありました。ですが、本当にそうだったのですね。」
「各部位を既存の技術で動かせても、ヒト型として動かすには限界があった。そこで被検体の脳を接続させて稼働を試みた。そして成功したのが『首藤デンゼル』という被検体だった。だが彼の脳は焼け切れて、今はホルマリン漬でヴォルトの氷室に保管されている。」
上野が説明をする間にも、Xタイプの進行は止まることなく、香野たちにもハッキリと振動が分かるほどまで近づいて来ていた。工事現場におけるパイルドライバーのような音が、規則的に響いてくる。
「ではコントローラーが盗まれた、ということですか?」
「いや、違う。そうではないんだ。……仮にコントローラーを持っていても、こんな動かし方はできない。この音は確実に『歩行』してきている。手動操作はごく単純な足を上げる、下げる、手を前に出す、後ろに振る、といった程度。だから私はあくまでアレをレーザー照射の砲台として使おうとしただけなんだ。ただ……」
迫り来る恐怖のなかにありながらも、彼は説明を続けるのを一瞬躊躇する。
「ただ、黒崎さんに説明したときに、ミカエルの特殊能力である説教者を流用して動かせないだろうか?という提案があったんだ。説教者は周囲の人間を強制的に従わせる能力。だが、そもそもアレは機械であって、触媒となる脳が外されている。その接続部に……大野を搭乗させるつもりだった。ミカエルの能力を流し込めるのであれば、操ることも可能かもしれないと、試してみるつもりだった……。恐らく今の黒崎さんには、そんな考えはないのだろうと思う。その大野を救っているのだからな。」
「ちょっと待って。じゃあ誰かが無理やりその機械に押し込まれてるってこと?」
珍しく添田が声を上げた。それは同時に、ここにいる他の者も即座に気づいてしまったことでもある。
「可能性はある。しかし、誰でも動かせるわけではないんだ。それが全く分からない。」
「では、こう考えてはどうでしょうか?……今、ご説明された方法と同じことを、目論んだ人間が他にもいたのだと。」
香澄の言葉に、上野は目を見開いた。
「先程まで、我々を襲ってきた謎の宇宙服は、サマエルさんたちに鉛を打ち込んで、遠隔操作をしていました。つまりミカエルさんの能力には及ばずとも、似たような技術は持っている。上野博士の仰るような適合者かどうかは関係なく、搭乗者の脳を媒体にして操っているのかもしれません。」
「だったら誰でもいいから乗せてるってことか。一体誰が乗せられてるんだろうな?」
香澄に続いて発したイッペーの言葉を聞いて、上野は愕然とする。周囲に漂う熱気とは裏腹に、体温が下がっていくような感覚で、目の前が暗闇に覆われたように思われた。
「黒崎さんはさっき、原が拐われたと……まさかXタイプの触媒にされたのか?」
一同がどよめく中で、もう一人の頼れる人物が上野を諌めるが如く立ち上がる。
「話は大体理解した……で、あれば俺の出番ということだな。相手が人間でなく機械だったら力づくで行くしか方法がないと踏んでいたが、今回は俺の説教者でソイツを止められるってことでもあるんだろう?違うか?飼育員?」
こう言ってミカエルは拳をボキボキと鳴らしたあと、北側通路に目を向ける。この勇姿にほかの六天使もミカエルを支持する。上野博士、香澄博士、山本も同様に彼に期待を寄せた。だが、この大人たちの会話に耳を傾けながら、北の通路を睨み続ける松野、大田、佐久間の三人は、朧げに彼らの話どおりにはならないのではないか、と危惧していた。
そしてもう一人、オサムも楽観できないと予感していた。
(ミカエルさんの能力が作用するために、ヒトの脳が触媒になるのは分かったけど、そもそもその回線に直接介入できないのか?
まあ仕組みは自分には分からないので、それが正しいのかもしれない。
また、ヒトの脳を直接機械人形に埋め込むのではなく、どうもヒトを丸ごと収納するスペースがあって、そこに誰かを放り込む造りなのだろう……
自分も昔交通事故に遭ったときに、頭に糊をベタベタ塗られて、たくさんの線を繋いで検査された記憶がある。そんな感じで接続するのか?
被検体なら無線接続ができそうだけど、さっき原先生が犠牲になってるかもと心配したくらいだから、普通の人間でも代用できる有線のはず……
どういう大きさかは分からないけど、もし接続する人が、さっきの宇宙服を着てても入れる隙間があったら、ミカエルさんの力は及ばないんじゃないか?
しかも、被検体だったらパラジウム・ジャミングが外部からでも効くけど、原先生みたいな普通の人間だと効き目がなくて、何も防げなくなるのでは……?
でも何か弱点があるはず……だから次の世代のSタイプってのに移行したんだろうから。でも、エネルギーを莫大に消費するって話で、お金がかかるから辞めたんだっけ……?)
音はより大きく、温度はより高く、恐怖はじわじわと拡がる。北側通路にいるその姿を、少年たちでも視認できる位置にまで、ソレは迫ってきていた。
壁が、床が、飴細工のようにドロドロと溶け落ちている。
最古のXタイプ……先読みの者。
火を盗んだ者の名を冠する怪物が、無機質な言葉を吐き散らしながら、一歩、また一歩と近づいていた。
少年たちの正面から、熱波が吹き付ける。それは生温かい不快な風のようでもあり、同時に異形の悪魔が、彼らの頬を嘲笑いながら撫でていくような、冷たく鳥肌を立てるようなものでもあった。
「エクレプサ・ト・ピュール……」
誰もが言葉を失っている。目眩のように揺れる陽炎の中で、意識が翳む感覚に駆られるにもかかわらず、ゆっくりと近づいてくるその足音だけは、しっかりと耳に響いてくる。その体躯は乗用車並みの大きさであろうか。実際には三メートル余りであるが、軽自動車というよりもっと大きい物のような錯覚に陥る。
「こいつがXタイプとやらか……確かに燃費も悪そうで、すぐに乗り換えられても仕方がないな……」
両腕を組み仁王立ちのミカエルは、機械人形の前に躍り出る。身体のあちこちから、まるでヒトの血管を彷彿とさせる剥き出しのコードが、ミミズのように蠢いている。腹部辺りには、炎のような影が時折見えている。エネルギーを自己生成してでもいるのだろうか。
「どこへ向かうよう命令されてるのか知らんが、ここから先は通すわけにはいかない。話が通じるとは思わんが、念のためだ……。おとなしく引き返すつもりはないのだな?」
「……エ……エクレプサ……ト・ピュール……」
「はあああ!」
ミカエルの声が空間全てを包み込む。一瞬、この熱気すらもレベル5全体から消し飛ばしたかのような気魄。少し遅れてミカエルから、衝撃波のようなものが放たれる。あるいは、彼の迫力がそう思わせたのか。その背後に控えていた全員の耳が急激に詰まる。熱波とは別に息苦しくなっていく。『先読みの者』の頭部もガクンと音を立てて若干凹んだように見えた。この場の被検体もヒトも等しく巨大な圧力で押し潰されるような感覚……立っているのが精一杯で膝をつく者が続出する。ミカエルの干渉に抗おうとしているのか、『先読みの者』の各可動部からギーギーと軋むような音が、耳障りにひしめいている。ミカエルも鬼の形相で両の手を胸の前で合わせ、必死に能力を使っている。しかしジリジリと、ミカエルの方がこの体勢のまま後ろに押し戻されている。
「エクレプサ・ト・ピュール!!」
ノイズ混じりの意味不明な言葉が再び大きく発せられた。熱風が北から南に吹き抜けて、ミカエルが仰反るようにバランスを崩す。よろめいた彼に追い討ちをかけるように、今度は「ドグォオオ」と咆哮のような金属音が、耳をつんざく。堪らず少年たちは皆、耳を抑える。気づけばミカエルが血を大量に吐き出している。彼を一旦退かせるため、オサムと佐久間がミカエルの元に向かおうとしたとき、既に三柱の天使がその前に立ちはだかっていた。「簡単には従わせることはできないか」と短く言うと、ミカエルは口に溜まった血を吐き出す。ラファエルが肩を貸して、素早く後方に離脱する。残ったガブリエルとウリエルが無言で機械人形を睨みつける。ガブリエルは跳躍したかと思うと、そのまま機械人形の頭上に降り立った。だが人形は彼を頭に乗せたまま、意にも介さず壁際を歩き続ける。ガブリエルはしゃがみ込み、真下の人形の頭に右手を置いた。そして、まるでバルブでも回すように手を捻ると、金属を引っ掻くような音を立てながら、機械人形が時計回りに九十度以上回転した。人形も想定していなかったのか、一瞬よろめきバランスを失いかけるが、踏みとどまった。
「金属では上手く砕けないか。」ガブリエルは浮遊して人形から離れた。続いてウリエルが人形の背中を両手で直接触れる。何か触れている箇所が、小刻みに揺れているように見える。鬱陶しい蝿でも払うかのように、機械人形が背中のウリエルを横から巨大な腕で打ちつけるが、衝撃を相殺して軽やかに宙を舞う。「こっちもカタカタと揺れる程度だった。」こう言って細い腕と肩を回している。ミカエルとともに後方に退いていたラファエルは、おもむろに自身の頭を覆っていたターバンのような布を外した。背中まで伸びている、若干ごわついた長髪が熱波に靡く。合掌するように構え、気合いを込め始める。熱風に晒されているからなのか、ごわつく髪が一層厚みを増して増えていくように少年たちは錯覚する。「充分な湿度のようです」そう言って彼はミカエルを振り返る。先程の負傷はこの短時間で回復したのだろうか。ミカエルは口の周りに血の拭った跡こそあれど、再び彼が放つオーラは全く衰えを感じさせないものであった。
「飼育員。アイツにヒトは乗っていない。壊しても構わんな?」
説教者と呼ばれる能力で、彼は『先読みの者』を従えることができなかったが、同時にそれは搭乗者はいないということを確認できたということでもあるのだろうか。
「それは間違いないのか?」
「ああ。ヒトはおろか、脳みそだって積んではいない。だが……何か積んでいるのは分かったが、それが何かまでは見当もつかない。かなり中身はスカスカなんだが、電気信号があるのは間違いない。何て言えばいいのか……そうだな、クリスマスツリーの電飾みたいなのがある感じだな。」
「電飾のようなもの?……何だ?」
「とにかくヒトはいない。それは確かだ。破壊の許可をもらってもいいか?まあ拒否しても、これは警告、いや宣言として実践するつもりだがな。」
「……承知した。暴走を止めることができるなら、頼む。」
「承った。久々に連携といってみるか?もう俺が言うまでもなく、準備はできてるようだな、三人とも?」
三柱の天使がミカエルの問いに各々応える。これを見てサマエルが慌ただしく、香澄や少年たちに向かって叫んだ。
「全員、耳を塞げ。気休めでも、マシなはずだ。」
意味は分からずとも皆、その指示に従って一斉に耳を抑えた。サマエルの言葉を皮切りに、ミカエルたちの連携が開始される。
四柱の天使の間を金色の無数の光が飛び交う。ミカエルを後方、右にガブリエル、中央にラファエル、左にウリエルの布陣。これはまさしく、オサムたちが行っている四神相応と同じである。ラファエルの長髪がみるみる膨張していく。ウリエルの腕から先に煙が立ち昇っているように見える。キーンと耳をつんざくような何かが響いてきて、耳を塞いでいても治まることがない。イッペーが手を翳して不可視の防護壁を展開させる。オサムもこれを見て咄嗟に、それを真似てみせた。ミカエルが叫ぶように高らかに宣言する。
「奴を破壊する。」
この後、ガブリエル、ラファエル、ウリエル、そしてミカエルの順に気合いの号令が発せられる。
「有!」「言!」「実!」「行!」
ラファエルの髪から透明な粒状の何かが一気に霧散される。ウリエルによって煙が拡散していく。ミカエルから発せられる圧力は、単独のとき以上の勢いである。霧や煙の中に、虹のようなものが時折見えている。一体何なのだろうか。冷えた空気と熱い空気が交互に後方に流れ込む。
『先読みの者』はこの事態にいよいよレーザー砲を乱射し始めた。だが当たらない。全く当たらない。不思議なことに、レーザーがあちこち捻じ曲げられて、最終的に壁の明後日の方向に飛ばされていく。
ガブリエルが金色の光を纏って、旋回しながら天井高く舞い上がる。そのまま錐揉み飛行のように落下して、彼の踵が『先読みの者』の脳天に勢いよく炸裂する。素早く三方向に散ったミカエルたちが、磁力によって機械人形の身体を固定した。ガブリエルの放つ金色の光はさらに輝きを増し、彼自身の回転にも拍車がかかる。ネジ回しのように機械人形の身体がどんどん地面にめり込んでいく。圧倒的な光景を目の当たりにして、少年たちも息をするのを忘れていた。
人形が胸元近くまで埋もれたとき、その穴から一気に水が噴き出していく。踵で打ちつける姿は、まるでザムザムを湧き出させたかのようだ。そして、次に気づいたときには、機械が沈黙し辺り一面は水浸しになっていた。肩で息をする四柱の天使が、水たまりの中で各々膝をついている。
この四人の被検体には、ある共通の力があった。それは「超音波を発する」という特性を持つことである。彼らの超音波による能力……
『混乱融解』、分子振動で融解を促す……ウリエルは超音波で分子レベルの振動を引き起こすことができ、金属などの物質の融解を促すことが可能である。空気中にも放つことができるが、地下のような閉鎖空間で行えばサウナ状態となり、自身にも被害が跳ね返る。
『不作為の罪 』、髪に水分を吸着して蒸発させることで霧の盾を作り出す……ラファエルの髪の表層には塩化リチウムが配合されたハイドロゲル・ナノコーティングが施されている。この髪の毛が周囲の空気中の湿気を吸い取っていく。これを超音波で霧状に撒き散らしていくのだ。ただし連続使用すれば、頭が異常に発熱してしまう。
このラファエルとウリエルの能力を併せて使用することで、ウリエルが温度を上げると同時に、ラファエルが水を解き放って、気化熱や結露を利用して、自分たちを冷却するという相互補完が可能になり技が成立する。
『悪夢応報 』、踵に力を集中させて力を倍増させる……ガブリエルの能力はオサムや迦陵頻伽のものに少し似ている。彼らのように高速移動をしたりはできないが、ハンマーを何度も振るうように、超音波で高速の微振動を踵に伝えることで、硬い岩盤にも穴をも穿つ。服薬によって一時的に被検体のように力を発現する山本の能力を、更に強力にしたようなイメージである。
『説教者』、周囲を従わせる……元々ミカエルの能力だけが突出しており、個々の力は決して大きくはないのだが、この四人が連携して『有言実行 』を展開させるときに、その威力は増大する。ミカエルの能力は、単に従わせるだけでなく、個々の力の底上げを図っている。
こうして、まさに聖書に記述されたかのような、奇跡の力の結晶が完成するのだ。
沈黙して地面に埋まっているプロメーテウスの身体のあちこちから、火花が散っている。溜まっている水が、中の回路にも浸透して短絡してしまったのだろう。オサムとイッペーが警戒しながら近づいて、おもむろに不可視の力で隙間の生じた頭のハッチを開いてみせた。すると中から出てきたのは、内部に入り込んだ水とともに数珠繋ぎになっている緑の虫たちであった。オサムは驚く。見覚えのある虫……そう、それは……無数のオオスカシバであった。
(第六十五話 終わり)




