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エリシオンの四神 〜最後の四日間〜  作者: 伏黒照


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第六十四話 側対歩 〜魂の重さ〜

令和8年8月18日誤記につき壱字修正(「170センチ代」→「170センチ台」)

上野によるエリシオンの歴史の断片が語られた。そして彼はセメルに憑依しているイッペーに話を振る。

「私もアーロンについては正直よく知らないんだ。ビール好きとか、190センチ以上の長身であるとか、そういうことくらいしか分かっていない。話もほとんどしたことがない。ただ才能ある者であることは、誰もが認めるものだった。にもかかわらず、彼の功績は正当に評価されることなく埋もれていった。ここエリシオンでも……。パズルを埋めるためにはTK56-7、お前の証言が重要になると思う。私はビンガについても敢えて触れぬようにしてきたからな……」

「ん〜ん、俺に振られてもな……オレもアーロンに、スズオとおやっさんが危険な実験を始めるから逃げろ、って言われて……」

「スズオ……だと?」

「ほら、あのいつも変な鈴つけてるオヤジだよ。チリンチリンって。ロシアにいたんだか、なんだかっていう話の……」

「それは本当なのか?」

「え?飼育員も知らなかったのか?」

「お前の言う『おやっさん』とは『滝口』のことで間違いないな?」

「ああ、そうだけど……何かオレ変なこと言ったか?」

「……『先生』が滝口と……どういうことだ?」

「その……『先生』と滝口博士が一緒に行動することが、おかしなことなのですか?」

上野の反応を見て、不思議そうに香澄が尋ねた。

「先生は確かに満州にいらした経験がある。彼の言う人物は先生のことで間違いないようだが、先生は滝口を嫌っていた。アーロンのことは認めていたが、滝口を口先だけの男と評していたくらいだ。共同で実験など……」

「でもオレらは、よく連んでるのを見かけたけどなぁ?」

「君たちの目に止まるほど頻繁に……副所長として監視でもしていたのか……?」

「ええ?スズオって副所長だったのか?」

「ああ。当時は事務屋より現場のスタッフ側で理研から派遣される方が多かった。先生は脚を悪くされていたから高齢になるにつれ、歩くのも「しんどい」と()()()()おられた。管理職でデスクワークに徹する今の方が、あまり動かずちょうど良いと仰っていたのを覚えている。」

「脚が悪いって……そんな風に見えなかったな。ピンピンしてたぞ。」

「戦時中、負傷した右脚が義足だったんだが、歩くときは独特の歩き方で……軽やかに動いているように見えていたのだろう。」

「独特の歩き方?」と山本が気になって聞き返す。

「ナンバというのを知っているか?君は体術にも心得があるようだから分かるかもしれんが、手を上下に動かして身体をぶれさせないような歩き方だ。重い荷物を持って山を歩いていれば、自然とこうなるのだと先生は言っていたが……足を下ろすと同時に手も下ろす、足を上げるときに手を上げる、みたいな、そういう動作だ。」

上野は、ぎこちなくその場で実演する。お腹の前で腕を上下に動かしながら、足踏みをしている。まるで変な踊りを披露しているような光景で滑稽であったが、特に笑う者はいなかった。

「てっきり私は、左の手足、右の手足を同時に前に出すものかと思っていました。」

山本は感心したように言う。

「ああ。それではぎこちなく動けない。足を上げるときに同じほうの手で引っ張り上げる感じだ。」

「……そんなの気づかなかったぞ。」

イッペーは首を傾げている。

「私は慣れていないので、不恰好に見えるだろうが、慣れてる人は手の動作もここまで大きくしないで歩いている。先生は長身で背筋も伸びていたから、余計に歩く姿が流れるような感じで、ほかの者とは明らかに違って見えた。」

「ん?長身?……アイツ、オレより小っちゃかったぞ。多分マサと同じくらいだと思うけど?」

「お前の身長……私より大きいようには記憶していないのだが?」

「え?いや、あんたはデカいよ。オレらより遥かに。ツヨシよりデカいだろ?」

「先生は私より若干低いが、あの年代としては結構な長身だ。170センチ台半ばか後半のはずだ。」

「ええ?……いや、どう考えてもオレより低いはずだけどなぁ……」

「TK56-7、お前の身長はいくつだ?」

「オレは168センチ。マサの奴が多分165とかだと思う。ツヨシは……180近くあって、レニーはツヨシよりは低かったか……。スズオはマサと同じくらいだから、絶対170はないはずだ。」

「……間違い……ないのか?」

「ああ、自信ある。オレはツヨシみてえに頭良くねえけど、記憶には自信ある。」

上野はここで頭を抱えて、小さく呟いた。

「誰だ?先生のフリをして滝口と一緒にいたのは……?身長165くらい……」

上野は周りには聞き取れないような独り言をブツブツと続けている。だが最後に頭を抱えていた腕をパッと振り下ろした。

「まさか……奴が?」

こう口にして彼は震え始めた。それは恐怖によるものなのか、あるいは別の感情からなのか、周囲の誰にも判別がつかなかった。上野は考え込んでからは、すっかり無口になってしまった。


その間にこの場の七柱の天使、香澄博士率いる少年たちで情報共有が図られた。ここでミカエルたちが所長と刑務官、被収容者であることが全員に知らされる。イッペーことセメルからは、滝口博士の息子であるツヨシと友人であることが告げられた。そのツヨシ含めて四人が、博士に招かれてここに来たのだという。訳もわからず被検体にされてしまったが、自分はさほど不自由を感じることなく過ごしていたと言うが……このほんの僅かな時間の付き合いだが、このイッペーという人特有の感覚……良く言えば適応力の高さがあるから、こうもあっけらかんと語れるのであろう。

ホルズワースとは酒好きだからという理由で仲が良くなったらしく、実験に関するような話は一切していなかったが、彼が工作好きで作ったカラクリなどは解説してくれたらしい。上野に話していたように、彼に救出されたと思われるが、イッペーの記憶も当時の救出される直前で途切れている。オサムたちによって賽銭箱の封印が解かれたときに、そこから突然目を覚ました状態というのが本人の説明である。また『セメル』としての記憶はないようで、自分の中にセメルの意識が残ってるかを尋ねても、難しいことは分からないと答えるのみだった。

「とりあえずは、ここが封鎖されるのが明後日ってことだけど、早くみんなで脱出すればいいんだろ?悪いんだけど、オレはツヨシを先に迎えに行ってもいいか?」

「先生、ビンガさんがここにいるイッペーさんとレベル3で合流していたってことは、依頼していた二人の救出は終わってると考えて良さそうですね?」

「確かに。……彼はこのレベル5に戻って来ようとしていた。ところでイッペーさん、あなたは最初我々と会ったときに、レベル4でアリーナに向かって飛び出して行きましたが、レベル3にはどうやって行かれたんでしょうか?」

「ああ、アリーナの天井からだよ。」

一同は驚愕して思わず声を上げた。だが、この事実は七柱の天使たちには逆に納得のいくものだったらしい。また無口になっていた上野も承知のことのようで、再び彼が会話に参加した。

「被検体で、かつ宙を浮くことでもできない限り行き来はできない。天井部には元々伝令管を通すために開けられていたヒト一人分通れる程度の穴があって、ミーズの通路と繋がっているんだ。たとえ抜け穴に気付いても、その先はアリーナの天井。あそこから落ちれば無事で済むことはない。」

ミーズとはここにいる大田、佐久間、香野たちを含めた十人の少年たちが最初に収容されていた部屋のことである。メインシャフトまで一本道の通路のみで繋がっていて、他から隔離された場所となっている。十人はその部屋からの逃走を試みたときと、クラス振り分けが決まって連行されたとき以外では近づくこともなかった。そのため、あの通路をよくよく観察することなどなく、抜け穴など全く知らない事実であった。佐久間たち三人は、もしあのとき逃走に成功して、その抜け穴に気付いて飛び込んだりしていたら……と想像して、一瞬血の気が引いていた。


「あと、ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど?」

香野が手を挙げている。山本がこれを促し、皆の抱える疑問を代表して口にした。

「イッペーさんの魂は、あのゴムおにぎりに入ってたってことですよね?今自分たちの直面してる状況も大分非現実的だけど、魂だけ保管しておくなんてできるんですか?別に今さらイッペーさんが嘘を言ってるとは思わないけど、あんまり納得いかなくて……」

山本も、上野博士もこれに関しては全く説明のつかないことであった。少年たちにとっても、天使たちにとっても、それこそ眉唾物にしか思えないのは当然である。

「おお、いい質問すんな、お前?オレも不思議だと思う。けどこれに関してはオレ説明できんぜ。」

イッペーの自信満々な反応は、上野博士を始め、この場の多くの者には、かなり意外に映った。

「オレがどうしてこんな風になったか、っていう()()()()とかは全然覚えてねえけど、この『魂』の話についてはアーロンに聞いてるからな。」

「アーロンに?彼がこの超常現象を理解していた、ということか?」

上野が前のめりにイッペーに尋ねる。

「ああ。……物質ってのは固体、液体、気体って変化すんだろ?その先が何か分かるか?」

尋ねられた香野が「いえ」と答える。ほかの少年たちも皆首を横に振っている。

「その先ってのは『プラズマ』だ。電気とか、炎とかは気体じゃない、その先の状態なんだ。そして太陽はまさにプラズマなんだよ。ヒトの身体の中にあるのは固体とか液体とか気体だけど、魂はそのどれでもない。アーロンによれば究極のプラズマが『光』だって言ってた。光は質量ゼロ、重さがない。魂も光と同じで重さがない。魂は21グラムだって言った人がいたらしいけど、それはデータもほんの数件で根拠がないって話らしい。光をもし閉じ込めることが可能なら、魂だって保管できるんだ、って言って黒いゴムの塊みたいのを作ってたぜ。作品名はなんちゃらだ、って言ってたけど、なんだったかな〜?意味を聞いたらなんじゃそりゃ?っていう名前付けてたんだよなぁ……。」

佐久間がオサムに向かって「しょうもねえ名前ってアレじゃねえか?便所がどうとか言ってた……」と言うので、オサムは「ひょっとして『カージー・キー』じゃないですか?」とイッペーに尋ねてみた。

「あああ!そうそう、それそれ!」嬉しそうにイッペーが、尋ねたオサムに向けた右手の人差し指を何度も上下に振っている。

(アレって、あのゴムおにぎりの名前だったんだ……)

そのとき上野の無線が突然電波を受信したようで、人の声が聞こえ始めた。

「……えの、上野?上野?応答してくれ。黒崎だ。上野?」

慌てて上野博士がログ・パルを取り出して、一斉に天使たちに警戒される。これを見て少し距離をとって黒崎副所長からの通信に応じた。

「こちら上野です。黒崎さん、すみません。すぐに応じられず。」

「どうした?不測の事態か?お前は無事なのか?」

「特に私の安否に問題はありません。現在はレベル5の『柱の間』におります。ただいくつかご報告しなければならないことが……」

「そうか。お前が無事なら、悪いが先にこちらの用件を伝えさせてくれ。今、俺は佐東たちを連れてレベル4まで来ている。」

「レベル4に?」

「ああ。安藤たちから報告があってな。ショロトル発展型の被検体らしきものが膨張を続けていて、レベル3の通路を塞いでいるらしい。そこでモトイが宇宙服のような格好の奴に拐われた。」

「原が?どうして彼が?」

「分からん。全く一体何が起きているのか……例の施設封鎖の警告で、上も混乱している。あっちは所長に任せて、俺はレッドハウスで『ギャロウズ・ポウル』を今取ってきたところだ。意識不明だったが、大野も見つけて回収している。小日向とセキュリティガードに任せて地上へ運ばせた。パラジウム・ジャミングも切らせているから、被検体でも問題なく地上へ出られるよう警備にも手配済みだ。」

「ギャロウズ・ポウルを使うのですか?」

「暴走する被検体には悪いが、避難の妨げにもなる。それにモトイの奴を捜索しなければならない。宇宙服が被検体でないにしても、コレならその気になればヒト相手でも通じるからな。ただ敵の防護服が有機物でなければ遮られて何も対抗策にならんが……。通路の被検体一掃にはコレが最も早い。それと……吉田は一緒ではないか?」

「いえ。ここには来ておりません。彼も深層に来ているのですか?」

「今朝レベル4に向かわせた。ホワイトルームにいたはずのアザゼル確認に行ったのだが、どちらも見つからない。無線も繋がらない。」

「アザゼルでしたらサマエルたちの解放の役割を無事終えて、柱に張り付いています。彼は今朝一人でここにやって来たようです。しかし、吉田については少しお待ちを……今サマエルたちにも確認しましたが、誰も目撃していないようです。私もすぐにそちらに合流いたします。ほかの報告は後で……」

「いや、俺がそちらに向かおう。小日向を戻したので、今は佐東とセキュリティガード一名と、あともう一人、医務室にいたビンガと合流した。ビンガの話を聞いて黄金の丘(ブロン・イ・アー)に向かったが、もぬけの殻だった。ビンガもグミョー兄と一緒のところを背後から突然襲われたらしい。お前もモトイのように標的にされるかもしれん。そこにVクラスがいるなら安全だろう?」

「承知いたしました。あとこちらには香澄たちもおります。」

「香澄も?では少年たちもいるのか?」

「今は二手に分かれて半分は地上に向かっているそうです。」

「そうか……分かった。事情を話してそこにいる彼らにも協力を仰ごう。戦力は多い方がいいだろう。」

通信を聞いていたオサムは香澄に不安を漏らす。

「マモルくんとカラスさんは無事なんでしょうか?もぬけの殻って一体どこに消えたんでしょう?」

「確かに不安だが、彼らは賢い。危険を察知して身を隠しているか、避難したに違いない。」

「ええ。そうだといいんですが……」

オサムは二人の無事を祈りながら、預かったパイプの中の眠れる小鳥たちに視線を向けていた。


通信を終えた上野が皆に呼びかける。

「皆、聞いていたとおりだ。ミカエル、お前たちも今なら地上に出ることができるだろう。香澄、お前たちもだ。私は黒崎さんと合流して原の捜索と、レベル3での暴走被検体の後始末をする。FRG-04……ミカエルたちを頼む。今ならメインシャフトのエレベーターで容易に地上に出られる。黒崎さんは戦力と仰ったが、もうこれ以上はお前たちを巻き込むのは危険過ぎる。恐らく敵は、まだエリシオンのどこかに潜んでいて、こちらを監視している。PAの母体が動いているのは間違いないだろう。香澄、地上で所長と一緒に彼らを保護してやれ。それから山本……いや、何でもない……。TK56-7、お前も山本たちを援護してやれ。」

「上野博士……」香澄が何か言いかけるが、上野の覚悟の目を見て言葉を詰まらせた。

「ミカエルにも言ったが、贖罪などにはならないし、そうだとも思っていない。黒崎さんは私の考えを理解してくれる。私は計画に反して、ミカエルたちも先に解放してしまった。タワーに張り付いてるのはアザゼルと滝口だ。コイツらではミカエルたちの代わりは務まらん。ナンバー・オブ・ザ・ビーストの期限である四十八時間を待つことなく、被検体のエネルギーは枯渇する。さあ行け、早く。」

全員が彼の決意を肌で感じた。ここはその意志を尊重して、指示どおりに脱出を急ぐことが最善だろう、そう皆が考えている中、大田が急に辺りを見回し始めた。

「どうした?オータ?」

松野と佐久間がすぐに彼に声をかけて、彼らも同様に警戒を始める。

「分かんねえ。けど、なんか変な音が聞こえた気がした。あっちの方角から。」

そう言って大田が指差したのは、北側通路の方であった。

「向こうから?ヴォルトの方から、ということか……」

上野も何かよからぬ勘がよぎったのだろうか。そして構える上野の前にミカエルが立ち塞がる。彼は背中越しに上野に言った。

「飼育員、お前の覚悟は受け止めたが、先に招かれざる来訪者を片付けてからだ。」

「なんだ」オサムは何かに集中するように床を見つめながら、眉間を寄せている。

「どうしたの?オサムちゃん?」

添田が声をかけると同時に超高速でオサムは眠っているクニヨシの元に行き、彼を抱えて急いで戻って来た。

「エダくん、クニヨシを頼むね。物凄い高熱……なんだろう?火が燃え盛りながら近づいて来てるような感じだ。」

「その少年の言うとおりです。所長、北側にこんな反応を感じたことは一度もありません。」

ガブリエルがミカエルに警戒を促す。香野や被検体ではない大人たちには、まだ彼らの警戒する異音すら聞こえていない。だが徐々に通路の先からは、声なのか慟哭なのか判別のつかない何かが微かに聞こえてきた。同時に少しだが地面も揺れている気がする。少しずつ近づいてくるその正体は、一体なんだろうか。

(第六十四話 終わり)

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