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エリシオンの四神 〜最後の四日間〜  作者: 伏黒照


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第六十二話 柔能克剛 〜 Myopic Void 〜

令和8年8月18日誤記につき壱字修正(「ボーガン」→「ボウガン」)

サマエルもマハザエルも、何かに支配されてしまったような変貌ぶりである。少年たちはもとより周囲の全てを敵と見做しているような凄まじい殺気を放っている。

「ボウガンの矢の影響なのか?」

香澄も山本も急変した二柱の堕天使に戦慄している。大田とオサム、松野と佐久間、添田と香野が各々立ち尽くしている。堕天使の放つ光は、禍々しい紅蓮に変化した。五人の少年たちは彼らの敵意を受け止めながら、抗戦の姿勢を見せているものの、オサムだけは未だこの変化に適応できていないのか、茫然と深紅の放電を只々見つめていた。大田がオサムに声をかける。

「オサムちゃん、集中しろ。さっきまでのアイツらじゃない。別人と思って割り切れ。」

「……そうだね。それにしても……赤って目に悪い色だね……」

言葉の調子とは裏腹に、オサムはこの瞬間、完全に戦闘態勢に移行した。

「一気に制圧する。」

言うが否や、オサムは旋回するような跳躍で垂直に高く舞い上がった。これはまるで、少年たちが巻き込まれたバス事故のとき、迦陵頻伽が宙に舞ってみせた動きを彷彿とさせるようなものであった。これを目の当たりにした香澄と山本がそう考えている間に、堕天使二柱の連携による巨大な光の雲海が立ち込める。そして彼らの咆哮に合わせて、そこから落雷のように無数の光が降り注ぐ。しかし、オサムは浮遊状態のまま水平に薙ぎ払うように左腕を翳すと、落雷はことごとく空中で遮断されていく。これを見て獣化した堕天使たちは驚愕の表情を浮かべた。今度は二柱の腕から伸びる電撃が、槍のようにオサムに直接襲いかかる。彼は空中でいつもの高速移動に似た動きを見せる。後退しながら的確に深紅の光を次々と弾いていく。空気の海の上を、踊り狂いながら後方に拍を刻んでいくような、軽やかな舞であった。香澄や山本はもちろん、大田をはじめとした少年たちにとっても、唖然とするほど衝撃的な光景だった。全ての電撃が封じられ、業を煮やした堕天使は飛び道具ではなく、自らオサムへの攻撃に転じるつもりのようであったが、彼らの表情に異変が現れる。宙で脚をばたつかせ、顔の周りで蝿でも払うような手の動き……いや、まるで空中に浮いていながら溺れているような、もがき方だ。彼らはもとより、この場の誰もが何が起きているのか分からない。堕天使たちは、どうやら息ができずに苦しんでいるように見える。オサムが右手を翳す。サマエルとマハザエルが、二柱まとめて見えざる力で、雑巾のように搾られていく。そう、かつてオサムが鹿島に行ったことと同じように見える。しかし今回は、堕天使の鳩尾が拳を叩き込まれたように、それぞれ一瞬凹み、そのまま気を失った二柱が地面に失墜してあっさりと勝負がついてしまった。鹿島への報復のときのように執拗なまでに、激痛を与えるようなやり方ではなかった。呆気にとられる皆に見守られるなか、オサムもストンと地面に降り立ち、さっと東側通路の方面に目を向けている。冷ややかな目だ。


彼の視線の先にある東側通路……柱の広間からずっとまっすぐに伸びたその先は、突き当たって直角に北に曲がり、メインシャフトに向かって伸びている。このL字型の通路曲がり角付近、床というか地面をよく観察すると、微かに岩壁に向かって人が滑り込んだような跡があった。山本と大田がこの通路を一度確認に来ていたはずだが、微弱に発信されているジャミングのせいなのか、彼らほどの注意力をもってしてもこの痕跡は看過されていた。この壁の裏側は、表と同じような通路が少しだけ伸びているが、その先は足場が途切れ、断崖絶壁になっていた。大きな縦坑のようである。そしてこの縦坑の縁に二人の宇宙服の姿があった。一人は銀色、もう一人が白、目撃情報どおりの姿である。何やら話をしているようだが、宇宙服のフルフェイスのヘルメット同士が、黒い線一本で繋いであるのが見える。ジャミング以外で電波を出さぬように、有線プラグで会話をしているのだろう。オサムによってサマエルたちが沈黙したタイミングに合わせたかのように、白い方が左手で銀色を招くようなジェスチャーをして、ヘルメットのプラグをさっと抜いた。そして両腕に固定されたホースような物の先から、大きなコウモリの羽が急に飛び出てきた。銀色が腰の命綱のようなワイヤーを白の方に繋ぐと、白の宇宙服はコウモリの第一指の突き出た鋭い爪の部分を、上へと続く縦坑の岩壁に食い込ませた。鳥類の羽は、人間で言うところの『腕』であるが、コウモリの羽というのは『手』が肥大化したものである。爪のように突き出ているのが親指に相当し、羽の中の筋のように見えているのが、ほかの指にあたる部分だ。レベル3で安藤博士たちに目撃されたときは、通路をグライダーのように滑空していくのに使っていたようだが、今回は絶壁を登るための巨大な手として使い、器用によじ登っていく。縦坑にはいくつかケーブルや管のような物も、下から繋がっていて上に向かって伸びている。彼らはこれらの工作物に一切干渉しないように避けて、竪穴の壁伝いにあっという間に上方の暗闇の中に姿を消してしまった。


横たわるサマエルとマハザエルの前に座り込んで、オサムは彼らに向けて両腕を翳していた。皆に言われるがままに、気絶した添田を介抱していたときの様子と同じに見えるが、この二人に対してはやたらと水平に腕を動かしている。隣では、山本が気絶している堕天使たちの脈や呼吸を確認しているが、身体が結構痙攣を頻繁に起こしている。また発熱もかなり異常な印象を受ける。この症状から山本はこう呟いた。

「神経毒だったのか……」

松野と添田もオサムと同じように、そんな重症のサマエルたちに腕を翳していた。三人の背後で、佐久間と大田は無言でこの様子を見ていたが、香野がオサムの隣にしゃがみ込んで話しかける。

「なあ、オサム?何か払い除けるみたいに腕動かしてっけど、何やってんだ?」

佐久間と大田のみならず、山本も密かに疑問に感じていただけに、別グループで行動している小前の代役として、香野が遠慮せずに質問してくれるのはありがたいと思ったところである。

「う〜ん……操る電波が遮断されたはずなんだけど、また飛んでくるといけないから警戒してて……ついこんなふうに動かしてるんだけど……頭の周りを遮断したら、さっきみたいに息吸えなくなっちゃうし……どうすればいいのかな?」

これを聞いた香澄博士が顎に手を当てながら、天井を見上げる。

「山本……本当に神経毒の類なんだろうか?」

「ええ、症状からも可能性は高いと思います。それと、見てください。彼らの傷口を。矢に刺された部分から黒緑がかった血が微妙に流れています。変色するほどの毒物を盛られたのは確かではないかと……」

香澄は山本の指摘した血液をじっと眺めながら、何か考え込んでいる。彼にはどうしても、何か違和感があるのだ。

毒……確かに状況からしてそう考えて妥当……だが被検体に毒が効くのか……まあ効かないことはないだろうが、矢に刺されてこんなにもあっけなく……

「先生、改めて確認しますか?」

香澄の様子を見ていて気を利かせた香野が、佐久間と一緒に彼らに刺さっていた矢を持ってきて声をかけてきた。大田が、握り飯を持っていくときに使った銀紙の切れ端を少し余分に持ってきていたので、それを使って直接触れぬように持ち手の部分を包んでくれていた。「ありがとう」と礼を言って手に取り、間近で眺めていた香澄は、急に何かを思いついたようだ。

「高山くん、ミカエルさん、今は付近に敵の気配はないんですよね?」

「ああ、さっきまでの件があるから察知できていないだけ、ということも否定できないが、我々の感覚の届く範囲で敵らしき者は感知していない。お前たちはどうだ?」

ミカエルが、他の三柱にも確認してくれている。またオサムや松野、添田の答えも「いないはず」であった。香澄はミカエルに近づいて柱を見ている。少し近過ぎやしないかと、周りで見ている者の方がハラハラする。

「大田くん、香野くん、悪いが私と一緒に来てもらっていいかい?力仕事が必要になるので申し訳ないのだが?」

「だったら俺も行くよ。もう大分、首の痛みは治まったかんな。」

そう言って腕を動かす佐久間だったが、オサムと一緒にサマエルたちの治療に手を貸していた松野が、これを遮って立ち上がった。

「いや、サクマはもう少し休んどけ。ここはオサムとエダくんがいりゃ大丈夫だろ?サクマは万一、何かあったときに伝令として走ってもらうから。今はこっちで待機、代わりに俺が大田と香野と一緒に先生の護衛と手伝いに行ってくる。」

笑顔で言う松野の提案に従い、佐久間は待機を受け入れ、オサムたちも頷いた。香澄は三人の少年とともに北側の通路を抜けて、北西の外周プラント出入口に向かった。

──暫くするとドタバタと音をさせながら四人が北側の通路から戻って来た。

(あの白衣の学者、迦陵頻伽が出入りしていた場所からベッドを持って来ました。しかも二つも。)

北のガブリエルが所長のミカエルと、西のラファエル、南のウリエルにも念話で状況を報告していた。柱の広間で待っていた全員が、ベッドを丸ごと持ってきたのには驚いた。被検体でなければ何往復もするところを医療用ベッド二床のみならず、いくつかの医療器具も運んできていた。これらは香澄博士が匿っていた被検体二名のために運び込んでいたものである。匿っていた二人はビンガによって救出されていたため、用済みとなった器具一式を持ってきたのだ。「こんなに荷物あんなら俺も行ったのに」と半笑いで、佐久間もベッドを用意するのを手伝っていた。そして香澄はマハザエルの血液を確認し始める。同様にサマエルについても確認を進める。「やはり」と彼は短く呟いて一人で納得している。「何か分かったのですか?」と尋ねてきた山本のみならず、この場の全員に聞こえるように香澄が説明を始めた。


(やじり)は『鉛』だったらしい。血が変色していたのは、被検体特有の筋繊維のフェロマイオシンに鉛が溶け込んで、あの黒緑の毒々しい色になっていたのだと言う。そして堕天使の傷口付近だけ、磁気反応が消えていた。わざわざベッドごと持ってきたのは、電力遮断時にも稼働できる被検体のスキャナーが一体化しているからである。「センサーのバッテリーが残っていて良かった」などと言いながら香澄は説明を続ける。一見、鉛ごときに被検体が毒されるとは考えにくいが、『鉛』で筋繊維内の磁気を遮断して、電波を吸収、蓄積させる『アンテナ』にしたのだ。このアンテナを通して特殊な電波を受信させ、遠隔操作でサマエルとマハザエルを暴走させた、というのが香澄の説明であった。

「そしてもう一つ大事なことが……ミカエルさんたちも気づいていらっしゃるのではないでしょうか?ウォーデンクリフ・タワーの磁場が弱まっていることを。」

「やはり、そうか。何となく違和感は感じてはいたが……」

香澄は、ここにあるはずの強力な磁場が弱まっていることも、この鉛のアンテナの感度を高めたのだろうと推測していた。本来ならこの場所であれば、こうした細工は磁気バリアで弾かれていたはずと主張する。さっきミカエルに近づいて距離を詰めたのは、それを確かめるためだったようだ。彼の導いた結論はこうだ。レベル5への侵入、磁場操作、被検体の特性……『エリシオン内の全てに精通する者』があの宇宙服なのだと……。

(所長、またあの場所から入ってきた連中が……)

西のラファエルの念話を受けて、ミカエルが説明を終えた香澄たちに呼びかける。

「お前たちも通ってきた西の通路の抜け穴から、再度客人が現れたようだ。ん……何だ?ヴォルトにいたはずの飼育員も混じっているのか?」

急にオサムが弾かれたように機敏に動き出す。松野と添田も連携して、西側通路付近に寝かせていた安川とアザエルを広間の北東側に移動させた。ベッド二床と堕天使二柱も一緒に同じ場所に素早く運んでいく。意図は分からずも、自然と山本は香澄博士を保護するような姿勢で、彼らの動向を注視している。

「……どうしたんだね?高山くん?敵なのか?」香澄が尋ねる。

「念のためです。変な異物が混じっています。」オサムの返答に天使たちも警戒を強める。彼らには「異物」が何を意味するかは把握できていなかった。オサムが佐久間と香野に視線を送る。これを見て二人が山本と香澄博士を伴って、ベッドが運ばれた場所で待機する。添田と大田が東側のミカエルに近い場所で控えながら、オサムは松野とともに敢えて柱の南側に回り込む。西の通路が見える付近まで移動して、そこで足を止めた。黒焦げのアザゼルとオサムに目を向けて、南のウリエルが念話でミカエルに問いかける。

(所長……この少年は何に気づいたのでしょうか?確かに見知らぬ気配が混じっていますが……また迦陵頻伽そっくりな動きを……)

(分からん。だが彼が異物と言うのだから、我々にとっても『招かれざる客』なのだろう。それにしても本当にこの少年だけでなく、今回の客人にも同じ能力が発現してるようだ。最新の被検体では再現が可能な能力なのか?)

カツーン、カツーン……

徐々に足音が近づいてくる。足音は一人分……そして通路を抜けて広間に顔を見せたのは、レベル4からやって来た上野博士、遅れて僅かに宙に浮いて移動してきた被検体が、入口付近で待機している。香澄は驚いたが、オサムたちの警戒の様子から、声に出すのを堪えていた。

(どうして上野博士が?彼はレベル5にいたわけではなかったのか?)

張り詰める空気が上野にも伝わってくる。中央の天使たちにも、ヴォルトではなく西の通路から姿を見せたことで、警戒されるのは尤もなことと当人も理解しているようだ。彼の視界には、南寄りに立っているオサムと松野の二人が飛び込んできた。正面のラファエルを見てから、壁際の潰れたマットに目を移す。堕天使射出が無事完了している。それが確認できて、彼は少しだけほっとしたような表情を見せた。

「FRG-03と04の二人だけか?香澄博士は奥にいるのか?」

「ええ。その前に上野先生。ここに来る前に、誰かに襲われたりしませんでしたか?今、自分たちを襲ってきた連中に逃げられて警戒中なんです。」

「襲われた?それは大野……アレーシュマとアザゼルという二人の被検体のことか?」

「……その二人とは昨日レベル4で会いました。でもさっきのは別人です。」

「さっき?……いや我々がここに来る道中では特に誰とも遭遇していないが……」

「そうですか……。ところで、あちらの同伴者は一体……?」

「ああ。私も実はレベル4にさっきまでいてね。そこで彼らと一緒になった。こちらは……」

「あああっ!さっきログハウスで会った子か?悪いな、さっきは急いでたからよ。」

「すでに面識があったのか……共命鳥のセメル、今は事情があってイッペーと名乗っている。それからビンガは君たちも知っているだろう?」

「なぜ一緒に行動されてるんですか?」

「おおおう、あの爺さんの言伝を教えりゃいいんじゃねえか?」

「そうだったな。八咫烏に会って君たちに伝言を頼まれたんだ。カラスのジジイからの伝言だと言って、伝えてほしいと。『お預けした執行人の膝(ハングマンズ・ニー)を三人に見せてあげてください』だそうだ。これで伝わったかね?」

この言葉を聞いてオサムは脳をフル回転して考えた。オサムの視線が、目の前の客人たちを交互に捉えていく。

(なぜ渡してもいないものを、八咫烏さんは敢えて伝えたんだ?……アレを欲しがる奴はどう振る舞う……?)

「……あの……『ハングマンズ・ニー』ってのはよく分かりませんが、多分あのことだろうってのは分かりました。それをお見せする前に、皆さんの話を聞かせてください。……ええ〜っと、ビンガさんはそれが何なのかご存知なんですか?」

「……被検体の特効薬だと聞いたことがある。詳しいことは、あとで八咫烏に確認してみようと考えていた。」

「上野先生は、ご存知ですか?」

「……被検体をヒトに戻すクスリをそう呼んでいた。だが、実在はしないはずだ。エリシオン内における都市伝説みたいなものだよ。本物のはずはないが、八咫烏は私たちに渡したいと考えていたようだった。」

「……そうなんですね?……最後にイッペーさんにもお訊きしてもいいですか?」

「おう。飼育員が言ってたとおりだ。俺はアーロンにこの話を聞かされたことがある。」

「そう言えばイッペーさん。ツヨシさんにはお会いできたんですか?」

「ああ、会えた、会えた。今はレベル4の医務室で休んでるよ。」

「医務室?」

「おお。お前もツヨシに用事があったのか?」

ズドォォンン……

「用事は後回しにします。」

オサムはそう言いながら、彼の能力で捉えた目の前の被検体を睨みつける。

「お前もパープル・ダンサーなのか?いろいろ種類がいるんだね?」

粉塵が巻き上がり岩壁に磔のように捉えられた相手が、高笑いを始める。

「驚いたな……小僧。賢いお前のために教えてやる。俺はパープル・ダンサーではなく、馬魔(ギバ)あるいは頽馬(ドラゴンフライ)と呼ばれている。あっちと違って見てのとおり受肉して本体があるんでね。区別されてるのさ。」

「上野先生、退がってください!……」

上野は混乱している。ずっと既知の被検体と思い込んでいた者が、ドス黒い骨のようなものを固めてヒトを模した人形の姿になっていた。カラカラと音を立てている。今まで全く気づかなかった。

「イッペーさん……騙された振りをしてたんですね?」

オサムの質問にセメルの姿のイッペーは、バツが悪そうに答える。

「悪い。そんな高度なこと俺にできるわけねえだろ?ツヨシと交代しておやっさんが来ちまったから、あんまツヨシのこと訊けなくってよ。医務室で寝てるのが分かったし、『ま、いっか』って思ってて……それより、おやっさんに手出して大丈夫なのか?」

この話に耳を傾けていた、広間にいる全員が同時に思った。

(イッペーって人……凄まじい『変わり者』だな……)

後世の言葉で言えばまさに『天然キャラ』と呼ぶべきイッペーは、もう一つとても重要なことをサラッと口にしていた。そう、それこそがこの場の誰にとっても不明であった目の前の男の正体……『滝口崇博士』のことであった。

(第六十二話 終わり)

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