第五十七話 再来 〜 Long Lost Friend 〜
共命鳥セメルは、迦陵頻伽の顔をじっと見つめていた。ビンガもセメルが自分を「ツヨシ」と呼んだことが不思議で身体を起こしながら、彼のことを観察していた。
(敵対する意思は感じない。一体何だ、この違和感……いや、懐かしい感じは……?)
「本当にツヨシでいいんだよな?無事だったんだな、お前?」
そう言った途端、セメルの潤んだ目から涙がこぼれた。
「……セメル?悪いが、なんのつもりだ?マモルはどうした?」
「ん?セメル?それにマモル?……ツヨシ、お前こそなんのつもりだ?……ってその白髪、おやっさんに何かされたのか?一気に老け込みやがって、そんな面じゃ愛ちゃんに逢わせらんねえな?まったく……」
セメルの言葉を聞いてビンガは鳥肌がたった。
(何だ、コイツは?なぜ……いや……まさか……この喋り方……そんなはずは……?)
「お、お前、まさか……イッペー……なのか?」
「さっきからお前何言ってんだ?決まってんだろ?俺ほどのいい男がほかに、どこにいるってんだよ?……っておい?」
ビンガは、目の前にいるセメルを抱きしめた。枯れたはずの涙が、呻き声が、失くしたはずの感情が一気に溢れ出て止まらなくなった。
(そんなことが、そんなはずは……、でも、コイツは確かにイッペーだ。)
「しゃーねえなあ……いつからお前、そんな泣き虫になったんだよ?こっちまで泣けてくんだろ?」
イッペーと呼ばれたセメルは、泣き続けるビンガの背中を、ずっと優しくさすっていた。
暫くして落ち着いたビンガは改めて『イッペー』に尋ねた。
「ところでイッペー、お前なんでセメルの姿なんだ?どういうことか説明してくれ。俺も大概のことには慣れたつもりだったが、さすがに今回のお前のことは説明がつかん。教えてくれ。」
「お前……喋り方までオヤジ臭くなったな?俺の姿って……ん?あれ?え?おお?ええ?……」
ビンガに言われて、初めて自分の身体のサイズが小さくなっていることに気づいたイッペーは、自分の腕や足を見回している。
「……まさか、お前……今まで気づいてなかったのか?」
「う、ええ?そうか、そういうことか……ん?そうすっとセメルってあのジャリガキか?」
「……まあ、そうだな。そういうことになるな。」
「何だよ……ああ、どうりで身体が軽かったわけだ……」
「いや……軽いとか以前に気づけよ、背が縮んだ、とか……」
「言われてみりゃ、そうかもだけどよ……お前やレニーじゃねえんだから、分かんねえよ。」
「分かんだろ?さすがに。」
見た目には三十代半ばと小学生でありながら、二人は同い年の仲間という感じであった。
「でもお前が無事で良かった。俺もきっとアーロンに助けてもらったんだろうな……」
「アーロンが?生きてるのか?アーロンも?」
「分かんねえ。俺とレニーとマサはアーロンに教えてもらったんだ。その……おやっさんとスズオのジジイがマズいこと始めるから逃げろ、って。まあ、元々マズいことに巻き込まれてるし、これ以上マズいなんてねえだろう、って思ってたんだけどな。」
ビンガは考え込んだ。イッペーは悪い奴ではないが、こちらが欲しい情報を引き出すのは、かなり骨が折れそうである。そこで単純にどこからここに来たのか、尋ねることにした。
「イッペー、お前どこで目が覚めて、ここまで来たんだ?」
「あああ……そういや、気がついたら『ログハウス』にいたんだよな、俺……。いっぱい子どももいてさ、多分あの兄弟と一緒で、どっかの施設から連れて来られたんだろうな……可哀想に。」
そう言いながら、確かに自分の目線が明らかに彼らよりも低かったことを思い出していた。
「イッペー、俺と一緒に来い。レベル4に向かう。」
『イッペー』ことセメルは意味が分からずも、知らぬうちに精悍な顔つきをするようになった『ツヨシ』ことビンガの背中を追って走り出した。
その彼らが言う『ログハウス』こと黄金の丘では、無事非常食の握り飯を全員が手にして、上を目指す班が先に出発して行った後であった。
改めて上層に向かったのは、圓崎、柴崎、竹田、溝端、吉村、小前、米田、チョーさんの被検体八名と、藤原を加えた合計九名である。
対して最深層を目指すのが高山、松野、安川、添田、佐久間、香野、大田の被検体七名と、香澄博士、山本の二名を加えた合計同じく九名となった。
当初は下を目指す大人は香澄のみで、Fクラス四人と佐久間と香野が同行する予定であったが、圓崎の提案で「戦力を均等化した方がいいだろう」ということになった。小前は香野との約束で、そのまま上を目指すことにした。それで大田が最初に名乗りをあげる。続いて山本が、自分は被検体には劣るが戦力にはなれること、最深層では施設側の人間が多い方が、不測の事態に対応しやすいだろうと主張した。こうして一行は、次に会うのは脱出成功のときと約束を交わして、半々に分かれて行動することになった。レベル5に行く九人は、マモルが目覚めるのを見届けてから出発しようということになり、圓崎組を先に見送ったあと、屋敷の縁側で会合を行っていた。すっかり最近は、首元を痒がったりすることがなくなった佐久間についてである。ビンガからもたらされた「Sタイプの細胞が佐久間に埋め込まれている」という衝撃的な情報を、改めて本人含めて九人で共有したのだ。昨日から言い出すタイミングがなかったが、これから少年たちにとって未知の場所に足を踏み入れるにあたり、全員が知っておく必要のあることと香澄は考えたのだ。大田と香野は若干戸惑った顔であった。ところが当の本人、佐久間は大してショックを受けている様子はなかった。
「まあ、要するにヤバいってことなんだろ?でもよ、教えてくれたおかげで安心できたぜ、オレは。」
敢えて周囲を心配させまいとしているというよりは、言葉どおり本当に彼は安心したのだろう。言われた細胞とやらが、この先どうなるのか。
散々苦しめられたアレーシュマと名乗った大野のようになってしまうのか。
この先のことは不明だが、何も知らずに突然変化が訪れるよりは、変化が必ず起こると知っておいた方がいい、というのが彼の考え方だった。
「あれ?兄ちゃんは?……カラスのお爺さん?」
先に目覚めていた八咫烏は、香澄たちと話を終えて、マモルを抱えて奥の部屋まで連れていき、布団に寝かせていた。目が不自由とは言え、ずっと過ごしてきた家の中は迷わず動けるようだ。最初にマモルに手を引かれていたのは、段差が苦手だからのようである。
「マモル……気がついてくれたか。セメルは『ツヨシはどこだ?』と言いながら突然出て行ってしまった。」
「ツヨシくん……、あ、そうだ!あの子たちは?」
「全員ではないが、半分の子たちが残っている。会ってみるかい?」
「あの子に渡しときたいものがあるんだ。あの子はここに残ってるかな?」
そう言って玄関の方に走っていき、外に飛び出して行った。八咫烏はその動きを把握して、ゆっくりと自分は縁側の方に歩いていく。マモルが目覚めたことを、香澄たちにも伝えるつもりであったからだ。八咫烏は縁側にオサムと香澄以外に、山本が一緒に座っていることに気づいて足を止めた。先程までいなかった人物がそこにいる、というのは把握できるのだろう。オサムは相変わらず何か考えに耽っていて、八咫烏のことは察知していないようだ。山本だけが彼に気づいた。
「大丈夫ですか、ツクモさん?何かに躓きましたか?一瞬驚かれたようですが?」
オサムは地面に視線を向けて固まったままだが、山本の言葉で香澄は後ろを振り返った。
「おお、すみません、気がつきませんでした。マモルくんの様子はどうですか?」
香澄に尋ねられ、何かに戸惑いを覚えていた八咫烏も我に返ったように、これに答えた。
「マモルが先程目を覚ましました。それで、お渡ししておきたいものがあると言って、庭の方に一人で出て行ったのですが、見かけませんでしたか?」
「いえ。こちらの縁側から見える場所には……池の周りにも来ていないはずですが……でもマモルくんが目を覚ましたのは良かった。」
そんな会話をしていると、庭の西の方から走ってくるマモルが現れた。灯籠に隠しておいた何かを持ってきたようだ。灰色のパイプのようなものを2本持っている。庭の中に埋めて使う下水道用の直径4センチの塩ビ管である。掌くらいの長さに切ってあり、両端は金網で閉じられている。
「良かった。間に合って……。君にこの子たちを連れて行ってもらいたいんだ。」
マモルは、持っていたパイプの蓋を開けて中身をオサムに見せる。彼は差し出された2本のパイプを手に取って覗き込んだ。目を閉じた小さな鳥がそれぞれに収まっている。眠っているのだろうか。あるいは剥製のようなものなのか。
「……ん……シジュウカラかな?」
「すごい!よく知ってたね。そう、君が今右手に持ってるパイプに入ってるのがエナガで、左手のがシジュウカラだよ。名前はね、エナガがボクの相棒で『リトル・ウイング』。シジュウカラは兄ちゃんの相棒だった『ジプシー・アイズ』って言うの。」
「オサム、お前、鳥詳しいんだな?」
香野がパイプの中を覗き込みながら言う。
「いや別に。でもシジュウカラはその辺にいて、しょっちゅう鳴いてるし。でも野鳥がこんな地下に迷い込んでくる方が不思議なんだけど?」
「ジプシー・アイズとリトル・ウイングは、ここで僕らと一緒に暮らしていたんだよ。地上より環境もいいからって、二羽とも五年以上生きてたんだ。すごいでしょ?」
確かに凄いことである。二年……長くても三年程度の寿命の彼らが、五年もの長期間生きていたのは奇跡である。これは恐らく、15度程度の気温が年間保たれ、天敵もいない、エサも豊富であったこの環境が幸いしたのだろう。
「でも六年目のときに、大分弱ってきて……それで兄ちゃんが虫たちの時間を止めてたのを真似て、この子たちの時間を止めてみたの。」
これには香澄も山本も驚いた。さらっとマモルが言ったことは、とんでもない驚異、いや脅威になり得る能力である。これが上野博士たちも知らない、彼らの能力なのだろうと理解した。もっとも香澄とオサムは、八咫烏からも驚くべきことを聞かされてはいたのだが……。
「ここには昔、菜園もありましてね。そこにクチナシとアカネを植えておったんです。」
こう言いながら八咫烏が縁側を出て歩いて来た。
「……?あれ?じいちゃん?大丈夫なの?」
「おお、すまないね、マモル。もう大丈夫。先生たちにもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。」
オサムは目を丸めている。香澄も少し声をかけられて驚いているように見えた。
「どうしたの?オサムちゃん?また、違うこと考え始めたの?」
添田が心配そうに声をかけてきて、上の空だったオサムがさらに驚いたように大袈裟に反応した。
「あ、ごめん、ごめん。確かに今、違う考えごとしてた。……えっと、ツクモさん……もう大丈夫なんですね?」
「何言ってんだ、オサム?さっきまでその爺さんと縁側で話してたんじゃねえ?」
「そういや……そうだね。クニヨシの言うとおりだ。」
オサムが笑いながら、頭を掻いてみせる。山本がツクモの言う『菜園』が気になったらしく、彼に尋ねた。
「先程おっしゃっていたクチナシとアカネというのは?」
「ああ。オオスカシバとホウジャクのエサです。彼らの卵や幼虫をエナガが啄ばんで、成虫になった彼らをシジュウカラが器用に獲えて自分のエサにする。こうして程よい環境で共存していたんです。」
「そうだったんですね。」
「何だ?そのオオなんとかって?」
怪訝な顔で安川が言い放った。
「ああ、そうか。君たちは見たことないのかもしれないね。この辺りでは普通にいる虫たちなんだけどね。」
「虫?!」
過剰なまでにオサムと香野が反応した。
「おお、何だ?お前ら揃って虫ダメなのかよ?」
佐久間は面白がって二人に肩を組んで、揶揄おうとしている。山本がこれを見て笑顔で続ける。
「高山くんは野鳥は平気だけど、虫はダメなんだね?オオスカシバやホウジャクというのは、ニッポンには生息していないハチドリによく似ているって言われる虫で、結構人気のある虫なんだよ。どっちも蛾なんだけどね。」
「蛾〜?」
揃って少年たちは顔を顰めた。
「まあ、苦手な人には酷だろうけど、オオスカシバは特に緑色のキレイな色の蛾なんだよ。どちらも空中でホバリングして止まりながら、花の蜜を吸う姿がハチドリに似ているんだ。ハチドリのことを英語ではハミングバードと言ってね。オオスカシバの羽ばたいている音も鳥みたく聞こえるんだよ。」
オサムは急にさっきまでの虫に怯えるような様子と一転して、難しい顔で地面を見つめながら考えごとを始めている。安川や添田は「またか」といった感じで笑って見ているが、香野はオサムが自分と一緒に見かけた、『一瞬カマキリか何かに見えたあの虫』のことを考えているのだろう、と悟っていた。恐らく自分たちが見たのが、『オオスカシバ』なのだろう。
「君たちが地上に出たら、その子たちを森に放してあげてほしいんだ。頼めるかな?」
マモルの声でオサムは我に戻って、返答した。
「分かりました。預かります。でもこれ持ち歩くのは……どうするのがいいかな?」
するとツクモが、後ろ手に持っていた古いホルスターを、悩んでいるオサムに差し出した。
「私はもう使うこともありません。昔使っていたものですが、良かったらこれにそのパイプを挿してみてください。」
手渡されたものを手に取ってオサムが眺めている。
「山本さんが付けてるのと似てますね?」
「そうだね。本来これは銃を携帯するためのものなんだが、私は便利なんで使っていたんだけどね。ツクモさんも昔愛用されていたんですね。」
ツクモはまるで見えているかのようにオサムの背中から肩にかけて、手際よく装着させていった。そして両脇のところにパイプを挿してみると、確かにちょうどいい感じで邪魔にならず、これなら落とさずにすみそうだと思えた。
「おお、オサム、かっけえーじゃん。似合ってんよ。」
松野が褒めるので、少し照れくさそうにしている。そしてこの直後に、例のサイレンが鳴り響いた。全員が驚くなか、一人だけ冷静な者がいた。ツクモこと八咫烏である。
「いよいよ、全門閉鎖が稼働したか……」
ツクモはオサムの肩に手を置いて力強く言う。
「ようやく私の途切れていた記憶の断片も繋がった。君たちはレッドハウスに急ぐんだ。マモルのリトル・ウイングは決して手放してはいけない。その加護が必ず君たちを救うだろう。」
目の前の老人は微かに震えていた。だが、彼の盲いた目には希望の未来が見えているのであろうか。オサムはその手にそっと触れて、これから出会う困難に立ち向かうことを誓うのであった。
(第五十七話 終わり)




