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エリシオンの四神 〜最後の四日間〜  作者: 伏黒照


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第五十五話 極性の反転 〜 Rust In Peace …… Polaris 〜

2026年8月28日遺漏につき参字追加(「所長たちが放り込まれた車両に」→「所長たちが五人の放り込まれた車両に」)

このエリシオンで人身御供として、永遠の見えざる檻に囚われていた天使四柱と堕天使三柱。

レベル5の中央に位置する柱……通称『ウォーデンクリフ・タワー』は強力な磁場を作り出している。

磁力を帯びた天使たちは、磁気抵抗によってタワーに繋ぎ止められていた……。


仕組みはこうである。

タワーは磁極が『N極』で固定されている。

対してミカエルたち天使四柱も、『同じN極』で固定されている。斥力……同極同士での強い反発が生じる。ところが『離れようとする』瞬間、タワーには強力な電磁誘導が発生する。これが『レンツの法則』である。電磁誘導は変化を妨げる方向に働くため、タワーに『引き戻す力』が発生する。タワーから『離れる力』と『引き戻す力』が完全な均衡を維持することで、被検体を床から3センチ足らず宙に浮かせた状態で固定していたのだ。逃げようと動けば動くほど、強い電磁誘導が発生し、タワーに生体発電による電磁エネルギーを吸い取られる。逃げることが同時に縛ることになる、見えざる鎖が完成するのだ。

一方のサマエルたち堕天使三柱は、『異なるS極』で固定されていた。引力……異極同士で強い吸着が生じる。彼らの場合は全くの逆で『吸い寄せられる』瞬間、タワーに発生する電磁誘導は変化を妨げる方向に働くため、タワーから外へ向かって『弾き飛ばす力』が発生する。『吸い寄せられる力』と『弾き飛ばす力』の完全なる拮抗が、結果として同じ『宙に浮いた状態で固定』されていることになる。

今回の四柱目の堕天使……南のアザゼルが加わったことで、この均衡がどう崩れたのか……

まず彼が手にしていたシリコン回路は、『磁束をまとめる』ためのアイテムであった。磁束を一本化、彼にのみ力が集中するように導いたのだ。南のアザゼルもまた『S極』であることで、爆発的に跳ね上がった吸着の力が彼にのみ集中する。タワーの磁界バランスを一気に崩した、この『超強力S極の影響』で、サマエルたちS極にかかっていたタワーの外への斥力……『弾き飛ばす力』のリミッターが外れ、結果として各々が一直線にミサイルのごとく放たれたのだ。


この場にいる八柱の天使、あるいは悪魔というべきか……。彼らの誰一人として何が起きたのか、どうしてこのような結果になるのか、全く把握できていなかった。ただただ、結果に対して全員が愕然としていた。

堕天使……東のサマエル、北のマハザエル、西のアザエルの三柱は、設置された救助マットによって壁への直撃で生じる衝撃は大幅に緩和されていた。被検体としての彼らには致命傷となるようなケガもなく、自分たちを十数年もの長きにわたり縛りつけていたタワーを、潰れたマットに寄りかかるようにして眺めていた。

一方の天使……東のミカエル、北のガブリエル、西のラファエルは、自分たちの前方に射出された堕天使たちを、茫然と見つめていた。南のウリエルは自分の座していた右方向で、今も骨の軋まんばかりの勢いでタワーに吸着し続けるアザゼルの哀れな末路を、目を見開いて唖然としている。

誰もが言葉を失って何も考えることができない状態が続く。1秒は1分に、1分は1時間に感じられるほどに、彼らの時間は膨張していた。ようやく最初に言葉を発したのは、七柱のリーダーであるミカエルであった。

「……一体、何が起きた?どうして柱から切り離された……?」

こう口にするミカエルは、右手を握ったり開いたりを繰り返して、己の手の動きを見続けていた。特に自分への変化は見られない。柱の周囲の者たちに聞こえるよう「すまない」と一言だけ発すると、右拳を超スピードで振るってみた。左手をマットにかけて寄りかかるようにしていたサマエルよりも、右側にずらした場所を狙った拳撃であった。サマエルのもたれる壁の遥か右……サマエル自身から見れば左方向の壁が拳大に抉れた。案の定、ミカエル自身とタワーに繋がったままの三柱の天使は、同時に同等の衝撃が身体に跳ね返り、大きな青白い放電が起こる。顔を顰めて右拳を見つめながら、ミカエルは再び詫びる。

「すまない、みんな。安易に試したことを許してくれ。」

「所長が詫びる必要はありません。皆同じことを考えていましたから……」

北のガブリエルが左手を胸に当てながら、声を搾り出すように応じた。タワーの反対、西のラファエルも、南のウリエルも特に『所長』と呼ばれるミカエルに対して恨めしい思いはないようだが、膝を立てて座り込み、少し苦しそうである。ウリエルも同様に答える。

「刑務官殿の言う通りです、所長。俺の隣で柱に引っ付いちまったコイツの持ってた書類も、黒焦げになって何が書かれていたのか分かりません。……なぜ奴らだけが解放されたのか?本当に我々に課せられた呪縛から逃れたのか?」

七名のなかで最も痩身にして最年長者でもあるウリエルは、痛みでその声は掠れていた。第三者から見れば一番の重症のように思われるだろう。だが当人はその体躯とは裏腹に、かなりの持久力を誇っていた男である。

「最悪ですね。逆なら良かったのですが……よりによって『彼ら』の方が解放されるなんて……どうするつもりでしょう?あの三人は?」

こう言ったのは、このなかで最も若い30代半ばの被検体であるラファエルであった。


七人の悪魔と呼ばれる彼らのことを、エリシオン内部の者ですら、彼ら全員が『刑務所から来た受刑者たち』と認識していた。だが実際にはそうではない。

「所長」と呼ばれるミカエルこと柴田は、かつて鬼塚刑務所の所長を務めていた男である。

「刑務官」と呼ばれた北のガブリエルこと丹羽(にわ)は、同じく鬼塚刑務所の刑務官であった。

残りの二人と射出された三人が同刑務所の被収容者たちである。

南のウリエルこと鈴木は放火の罪で服役していたが、刑務作業に最も真面目に取り組んでいた「模範囚」の一人である。

また西のラファエルは、隣人の喧嘩に巻き込まれて止めようとするも、誤って人を殺めてしまったことで服役し、彼もまた「模範囚」であった男だ。

受刑者のリーダー格である東のサマエルこと品川の罪名は『覚せい剤取締法違反』……

北のマハザエルこと若林の罪名は『詐欺』……

西のアザエルこと西山は、元ボクサーで罪名は『傷害』……

三名のいずれもが模範囚ではなかった。


昭和62年……このときの刑務所における『中間処遇』は、本格的に始動していた時期である。この年の4月は、百年以上に渡り運営されてきた『国鉄』(日本国有鉄道)が、民営化により『JR』を発足させた時期でもあった。この前後でも、電電公社(現NTT)や専売公社(現JT)といった相次ぐ民営化が行われ、行政改革真っ只中の転換期にあったと言える。こうした急激な社会変化への順応ができずに孤立して再犯へつながることがないよう、適応を促すことで円滑な社会復帰を目指してもらう。仮出所における社会変化への戸惑いを軽減させる『中間処遇』……長期隔離されていた社会にいきなり戻すのではなく、文字通りクッションとして中間に挟む……という制度が注目された時代である。だが悪魔たちの場合、現在エリシオンに十年以上いるということは、こうした情勢の変化より遥か前に刑務所にいたということになる。


今、信じがたい光景を目の当たりにして、ミカエル……元所長の柴田の脳裏には、国鉄民営化よりも過去……忌まわしき当時の記憶が蘇る。

昭和47年……刑務官たちの新デザインへの制服改正が行われた年である。奇しくもエリシオンに現在囚われの身となっている高山少年たちの生まれる直前の年である。それまで『看守』と呼ばれるのが通常であった時代から、社会復帰を後押しするための『教育者』としての重要性が浸透し始めた時期でもあった。

同時に四年前(昭和43年)に起きた事件によって、刑務所の改革が進み始めた時期でもある。差別と戦う英雄などと周囲がまつりあげた男が、筆舌に尽くし難い暴虐の徒であったことが明るみになった事件……これを発端として、さまざまな大きな事件が引き起こされていった。

二年前(昭和45年)には万博いう泡沫の夢に湧く世間の裏で、ハイジャック、シージャックが相次いだ。

また社会の欺瞞に対して、著名文化人が自決をもってこれに警鐘を鳴らす、という事件まで起きている。

こうした時代背景により、良くも悪くも刑務所は世間の話題の的であった。

鬼塚刑務所の所長に赴任して間もなかった柴田は、正義感が人一倍強く、面倒見もいいことから周囲からの信頼も厚かった男である。丹羽もそんな所長を慕う刑務官の一人であった。石田と鈴木は背負った罪は重いものの、どの職員の目から見ても模範囚に相応しい二人と言えた。

まだ中間処遇は確立されておらず、国会でも議論にあがり『条件付きの実施』という模索の最中にあった。当時は保護観察という既存制度の一環と考えられており、交通事犯のみを集めた開放的処遇というものは存在していたが、あくまで別の制度としての位置づけとなる。

そして、長野の施設で中間処遇の試験的運用として、自分たちの刑務所が選出された話が浮上する。所長の柴田はこれを素直に喜んだ。二人の模範囚を法務省に推薦し、刑期の長い重犯罪者であっても、「真面目に取り組めば更生できるという前例を彼らが築いてくれる」、そう本気で考えていた。だが自分たちの熱意とは裏腹に、通知の内容では模範囚ではない者たちまで選出されていた。推薦した二人を含んだ五人が選ばれたのは、試験運用ゆえのその効果の確認のためだろうと、柴田は自分に言い聞かせた。再犯の可能性を孕んでいることはもちろん、決して更生の意欲を大きく感じることがない三名……品川、若林、西山の選出には所長のみならず、皆が違和感を覚えるものであった。

そして『おためしの荷出し』の当日……柴田所長も刑務官の丹羽も、笑顔で彼らを送り出すつもりであった。刑務官は丹羽を含めて三名に絞り、所長が立ち会う。だが……やって来た護送車は、明らかに法務省のそれではなかった。試験運用で手順書もない、超法規的措置として行われるもの、と言っても違和感は拭えない。五人には編笠を予め被せていたが、謎の迎えたちは重々しい鎖を乱暴に振り回し、顔を全て覆い隠す黒頭巾を、受刑者たちに無理やり被せていった。

「ふざけるな!聞いていた話と違うぞ。どういうことだ?」

頭巾を被せられる直前に抵抗しながら若林が叫んだこのセリフ……あとから彼の話を聞いて柴田も丹羽も理解することとなる。三人は素性を隠したPA(プロジェクト・アポテオシス)所属の法務省職員から、「刑務所の外に出してやる」、そう持ちかけられていた。結局、彼らも騙されたのだ。移送ではなく拉致とも呼ぶべきこの状況に、柴田と丹羽は躊躇うことなく、五人の受刑者を救おうと動いた。若い二人の刑務官は突然のことに立ち尽くすのみで、何も考えることができなかった。所長たちが五人の放り込まれた車両に飛び込み、外に連れ出そうとしたが、後ろから殴られ柴田も丹羽も気絶してしまった。ほかの二名の立会人……新採と採用五年目だった若い刑務官たちが、その後どうなったかは彼らも分からなかった。秘密裏に護送するため、所内の職員は極力立ち会いを避けるよう命じられ、これに従ったことが仇となった。この送迎時の真実を知る者は誰もいなかった。こうして拘束され連行された七名は……次に目覚めたとき、エリシオンで望まぬ被検体にされていた……。


マットに寄りかかっていたサマエルは、不思議そうに何度か床に手を触れる。

上体を前のめりに傾け、しばらく床に目を向ける。

おもむろにその場で立ち上がると、今度は両掌を交互に見る。

そして両の足で大地を軽く何度か踏み締める。

十数年ぶりの地面の感触……

自身の動作に一切の激痛も電流も伴うことがない……

彼は両腕を水平に伸ばし、やや上向きに顔を上げたあと瞼を静かに閉じる。

ずっと宙に浮き重さと無縁であった彼が、今自身の痩せ細った身体の重さを噛み締めている。

北のマハザエルも、西のアゼエルも立ち上がる。彼らも重力を懐かしんでいる。

サマエルは東のミカエルに近づいて声をかけた。

「悪く思うな。先に言っておいたはずだ。『お互い恨まないことだ』と……」

ミカエルも冷静さを取り戻したのだろう。

「恨みやしない……これが『馬鹿げたこと』なのか?」

「ああ。奴の手紙にはこう書いてあった。『欠けた南の悪魔アザゼルが現れるとき、柱を囲む悪魔が三体弾けて四体になる。弾かれる三体は堕天使の名を冠する者たち。解放後、自由を満喫するといい。』……馬鹿げた内容だろう?今この状況で聞かされても?」

「……どういうカラクリだ?お前たち三人だけが弾かれるというのは?」

「知らん。仕組みなど興味もない。科学者どもが考えたものだろう?俺の方こそお前に訊きたい。本当にお前らは柱から相変わらず離れることはできないのだな?」

「ああ。さっき試して分かった。俺たちは動けん。この施設の連中は……お前たちと俺たち四人を、始めから区別していたのだな。」

「そういうことのようだ。なるほど……俺たち三人につけられていた名は、堕天使の名だったわけか……。この七人の配置にも意味があったのだな。」

そう言って苦笑するサマエルは、もう一度マットが立てかけてある場所に戻り、大の字になって寝そべってみせた。少し意外に思ったのか、ミカエルが尋ねる。

「なんだ?ここから出て行かないのか?」

「ああ、そのうち出て行くさ。散々柱に縛られてきたんだ。いまさら急がずとも……もう少し、こうして地べたに眠るというのを楽しませてもらおう。体力回復も兼ねてな……」

「……そうか。それもそうだな……」


地下でサマエルたちが解放されたころ、地上部搬入口のガードマンボックスの外では、警備員村井が無事夜勤を終えて、白鳥所長に帰宅前の挨拶をしているところであった。

「それでは所長、私はこれで失礼いたします。どうかくれぐれもご無理はなさらぬように……」

「いろいろとありがとうございます。村井さんのおかげで昨晩も助かりましたよ。」

「いえ、私は何も……それより……」

念のために村井はやや声を落として、白鳥にのみ聞こえるように伝える。

「客人からの手紙、間違いなくお届けいたしますとお伝えください。」

そう言うと村井は、目を細めて駐車場の遥か先の雑木林に視線を向ける。さすがというべきか、まさに彼の視線の先はスカウト3が、タコツボに身を潜めて、潜入中の二人の中継をしている場所であった。昨日よりはいくらか気温が上がったといっても氷点下である。恐らくはあちらも交代要員が来る頃合いであろう。

「明日の土曜は休ませていただきますが、明後日の日曜は再び私がこちらで夜勤を担当させていただくよう、シフトの変更をいたしました。昨晩のような不測の事態がまた起きなければ良いのですが……。ほかの警備員に詳細は伝えておりませんが、所長が避難訓練の準備が大変なようだから、なるべく気にかけるようにと伝えてあります。」

「本当になんとお礼を言って良いのか……本当に助かります、村井さん。」

「では客人と離れることがないよう、引き続き警戒してください。」

深々と頭を下げて、またすぐに敬礼を行う。村井は自分の車に向かって歩いて行った。

白鳥はレベル2の本丸である会議室に戻って行く。通路の途中でいつのまにか合流してきた隊員が、所長の背後を護るように周囲を改めて警戒する。確認を終えて二人はゆっくりと扉を閉めた。

「所長、村井さんに預けた手紙にも記したのですが、今朝気になるものを医務室で発見しました。……少年たちの死体検案書です。」

これを聞いて白鳥は、手にしていた懐炉を落とし震え出す。

「そ、そんな馬鹿な……」

「まだ詳細は分かりません。虚偽の文書なのか本物なのかは……。亡くなった日にちは昨日のものと、今日の未明のものがありました。全員分あるのかまでは、時間がなかったので。」

白鳥の落胆も当然ではあった。だが隊員の真っ直ぐに向けられたその顔からは、まだ続きがある様子が窺える。これを察した白鳥は続きを促して、耳を傾ける。

「村井さんと所長が、夜間医務室に様子を見に行っていらしたときに、車椅子に座った男とこれを押す白衣の男を見かけました。」

「車椅子……?誰か病人を装って、ということかね?」

「分かりません。車椅子の男は、俯いて眠らされていたのか……顔は確認できませんでした。防災頭巾のようなものを被せられ、白い拘束衣を着せられているように見えましたが、私の見立てでは若い男性ではないかと……。白衣の男は若干恰幅のいい体型で、その動きを見る限りただの研究員には思えない、体型に反した機敏さがありました。ほかの者より遥かに警戒心が強いようで、距離を詰めるのは危険と判断しました。ただ地上の施設のどこかに車椅子の男を連れて行ったようです。」

「では今も上で監禁されてる可能性が……?一体誰が、誰を……?」

知らぬことが多すぎる、そう改めて焦燥感を覚える白鳥を畳み掛けるように、部屋の扉をノックする音が響いた。

「どうぞ。」

隊員はすぐに死角に身を隠す。扉を開けて顔を見せたのは、黒崎副所長であった。

(第五十五話 終わり)

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