第五十三話 上る者、下る者 〜Bright Light Fright〜
黄金の丘……ここは昔レベル4から5の深層部の工事を行う際の寄宿舎のように使われていた場所である。三人暮らし……という表現が適切か分かりかねるが、セメルたちだけでは広過ぎるが、二十人程度の宿泊を可能にするために造ったものであり、その後少し手を加えて今のような家屋になった。見た目は和風だが、丸太ではなく角ログを用いた『ログハウス』である。校倉造と言えばイメージが湧くだろうか。壁は白い漆喰で真壁風に見せており、中に入れば木の香りが漂う。とても10年以上経過していると思えないほど、新築の面影を残していた。
屋根は板葺に見えるが、こちらは黒っぽい和風色のアスファルトシングルである。有機質フェルトにアスファルトを染み込ませたもので、謂わば紙であったことから耐火性もなく(建築)基準法でも認められない素材であった。昭和50年代以降ガラス繊維を使って不燃性を向上させているが、ちょうどアスベストも段階的に禁止が進んでいく時期である。昭和62年と言えば奇しくも『アスベスト問題』が浮上し始めた時代……この時点で築10年以上の施設であるため、制限がかかり始める前の屋根材が含まれている可能性が高い。この建物が『壊される』、あるいは『崩れる』ことがない限りは問題ないはずである。地下壕の空隙内という特殊な環境ゆえに、風雨等の劣化原因がないこと……加工しやすいこと……安価であること……こうした理由から使われていた。
先程このウチを『ログハウス』と称したセメルが飛び出していき、ただその後ろ姿を見送るだけの少年たちは、暫く呆然としていた。一体先程のセメルの変化は何だったのであろうか。そして飛び出してきた光は何なのだろう。そしてこの疑問を投げかけるべく、小前がオサムの脇に来て尋ねた。
「なあ、オサム?さっきのアイツ……人が変わっちまったみてえだったけど……顎にぶつかった光のせいかよ?」
そう言われたオサムは、足元のゴム球を見つめながら答える。
「そうだね……違う人になった……あとは忘れていた記憶を思い出した……とかかな?……先生は何か分かりますか?」
香澄は額に手を当てながら考え込んでいた。
「私が今回分かったことは、『自分がいかに何も分かっていない』ということだ。藤原が知っていたホルズワースという人物については、特に記録には残っていない。先程の説明を聞く限り、セメルくんが嘘を言っているわけではなさそうだった。解析を任せていた黒崎も、このことは知っていたのだろうか?」
香澄にもさっぱり分からないのだと知ると、オサムは自分で考えてみるしかないと思い始めた。
「……あ、そうだ。マエコーもセメルさんにぶつかった光を見てたんだよね?ほかのふたつの『おにぎり』から出た光の方はどうなったの?一瞬だったし。誰か見てた?」
「ああ。2本ともまっすぐ上に飛んでった。で天井に吸い込まれたみてえに消えちまった。逆にオサムちゃんたちが言ってた『アイツにぶつかった光』ってのは分かんなかった。」
竹田が見ていたままを話す。周囲の反応も概ね同じようだ。大田が顎を撫でながら首を傾げて圓崎に確認する。
「なあ、エンちゃん?俺にはさっきのアイツは完全に別の人間に見えたんだけど、どう思う?」
「ああ。俺も同じ意見だ。さっきのは明らかに誰か違う人物に切り替わったって感じに見えた。」
腕組みしながらこう答える圓崎が、いつもの彼に戻っていることは皆が感じていた。そして心から安堵を覚えたのはオサムや松野はもちろんだが、誰よりも大田なのだろう。淡々と尋ねるいつもの顔より、やや和んだ表情に見えた。
「でもよ、違え人間になんて、そう簡単になれんのかよ?」
安川の疑問ももっともだ。別の人間に替わるなんて……
「だったら、悪人を善人に変える光だったんじゃねえか?」
香野がこう言うと、何故か少年たちの視線が一人の人間に集中した。
「ちょっ、ちょっと待て。何で俺が悪人なんだよ?さっきだってコード教えてたろ?」
「まあ、悪人から善人はともかく……性格を変えちまうってのは本当なんじゃねえ?」
柴崎が上手く纏めようとしつつも、ちょっとイタズラ心が芽生えたのか、溝端を見ながら続ける。
「試してみる?ミゾで?」
「何で?!シバ!お前まで揶揄うのかよ?」
笑いながら「冗談、冗談」と言って柴崎が溝端をなだめている。この間オサムは昨日のことを思い出し、急いで添田に質問した。
「ねえ?エダくん?昨日のこと覚えてる?」
「え?急に何?昨日のことって、どのこと?」
「サクマくんに助けてもらったのは覚えてる?」
香野は恐らく添田が洗脳されてた可能性を思い出して、オサムは質問しているのだと、すぐに気づいた。そして彼の答えは……
「サクマくんに助けられた?ってどの辺で?」
「ひょっとして何も覚えてない?タバコ親父に攻撃されるところを庇ってもらったこと……」
「……クニヨシとマツノのサンドイッチ攻撃が成功して、途中で気を失ったみたいだから……覚えてない、ごめん。」
このやり取りで確信したオサムは、香野に目配せしてから全員に告げた。
「昨日のシバケンの言ってた読みは当たりだったみたい。」
昨日のやり取りを知らない香澄と山本、チョーさんと米田にはいまひとつピンと来ていない。それを彼らの顔を見て察してか、オサムは改めて皆に向かって説明する。
「昨日一旦気を失ったタバコ親父が、次に起き上がったとき……軍服の人は多分『舐めた態度』から『隙のない本気』に切り替えただけだったんだけど、タバコ親父は何も喋らないで攻撃を続けてきた。そしてカズキとクニヨシの二人で軍服にダメージ与えてフラフラにさせた直後に、タバコ親父が訊いてきたんだ。なんでアニキがフラフラなんだ、って。」
この話は特に四人には話していなかったので、彼らも少し驚いているようだ。
「それでマエコーやオータくんは洗脳かもと考えた……
さらにシバが次元式だったんじゃないかって……
藤原さんもこの話を聞いて、催眠術で個人差はあるけどそういうのがあるって説明をしてくれた……
さらにエダくんの記憶がないこと……
さっきのセメルの変わり様……
恐らくさっきの光は、そういう人格、性格が変わる光なのかもしれない。いつ『誰が誰を操ろう』といった『悪意で操ろう』ではなくて、あの光がその辺に散らばっていて、触れるとそういうことが起こるのかもしれない……。
先生たちやチョーさんたちの中で、誰かそういう光のこと、あるいは病気のこととか聞いたことないですか?」
大田がこれを聞いて合点がいった部分があるのか、オサムに続いて発言した。
「確かに、そういう病気になる光……本当は光じゃねえのかもしんねえけど、あれが不規則にこの施設ん中飛び回ってんなら、誰かが急に風邪引くのと同じで、突然性格が入れ替わったみてえになんのかもしれねえ。だったら昨日俺もこの光みてえな物を人の気配だと思って反応したけど、誰もいなかった、ってのも納得できる。さっきは光として見えてたけど、普段は無色透明なら誰の目にも見えねえかんな。防ぎようがねえのかも。」
香澄が「一理ある」と言って思い当たることを口にする。
「昨日私が説明した『パープル・ダンサー』もそういうことの一環としての現象かもしれない。あれはシステムが行っていることも分かっていて、現象としては『人の姿』が目の前に現れるもの……だが予期せぬ電波が放たれて、それが知らず知らずのうちに人の精神に干渉をしているのかもしれない。」
さらに藤原がこれに続いた。
「そしてそれを意図的に行うのが『共振意識』……無線神経は各々の深層意識が、あるいは強い感情が意図せず他の被験者にも繋がってしまうのではないですか?」
藤原の見解は正しい気がする。そして山本がこの結論を聞いて思うところを口にした。
「藤原の読みは当たっているのだろう。だが被験者だけの、このエリシオン限定のことでは決してないのかもしれない。さっきまでの高山くんたちとセメルくんのやり取り……例えこれが地上で普通に行われた会話であっても、彼は高山くんたちに感化されたのではないかな?みんなの誠実さや結束の強さが、彼の心を動かしたように思う。Tマターという特殊な粒子を介さずとも、人の善意や悪意は結構伝わるものだからね。」
皆黙り込んでしまった。さまざまな思いや記憶が頭をよぎり、それぞれの感情が交錯して考えに耽っているようだ。そういう意味ではセメルの一言で圓崎が救われたという事実もある。そしてこの重い空気を動かしてみせるのが佐久間であった。
「はい、はい。難しい話は終わり。」
手を叩きながら佐久間が皆の前に出る。
「この分だと、あの親父小学生も当分戻って来ねえだろう。そこでようやくシム提案の『カジ救出作戦』に移る頃合いなんじゃねえかと思うんだけど、どうよ?みんな?」
「俺も賛成。もしかしたら施設の人間が異常に気付いて、カジのこと上に避難させてくれてるかもしれねえけど、とにかく合流して無事を確認が先決だと思う。もうアイツ(セメル)も俺たちがここから出て行ったからって怒らねえでしょ。上と下で2班に分けて行動でいいんじゃねえ?オサムちゃんは下行くんでしょ?アイツの様子を見に行こうと考えてるんだろうし……」
柴崎は、さも当たり前にオサムに尋ねた。
「そうだね。……自分としては今の話で益々下に行って悪魔の解放、エネルギー供給を止められれば良いって思ってる。もちろん自分たちも力が半減していくんだろうけど……空気と一緒で、遮断した瞬間に息ができなくなるわけではなくて、いくらか空気中に残ってるエネルギーで動けますよね?先生?」
「確かに高山くんの言うとおり、すぐに動けなくなることはない。だが……私はね、本音を言うと、もう君たちは全員で上に向かってほしいと願っている。昨日も話していた自衛隊もひょっとしたら明日や明後日には……あるいは今日にも来てくれるかもしれない。」
何だかお別れの挨拶をされているような感じに聞こえる。
「痛みを緩和させながら、君たちの身体を戻す方法は正直分からないが、外へ出れば徐々に自然と戻っていくはずだ。成長痛よりもずっと厳しい痛みを最初は伴うだろうが、きっと良い医師が救ってくれる。私も良い方法が分かり次第、君たちのもとに足を運ぼう。セメルくんのことは私一人でも何とかなる。力不足に見えるだろうが……どうか信じてほしい。山本と藤原が一緒に行けば、君たちの力になれるだろう。悪魔たちのことも大丈夫だ。任せてくれないか?」
「先生は……これから一人でどこに向かうんですか?」
オサムはどう答えて良いか分からず、とりあえず行き先、最初の目的だけ訊いてみた。
「私はまずレベル5に向かう。ビンガくんに昨日依頼した二人の救出が無事できているか確認する。それと下にいるのは恐らく吉田博士と上野博士……少なくとも上野博士はいるはずだ。セメルくんに聞いた話を含めて彼に尋ねておきたい。滝口博士のこともよく分かっていなかったが、ホルズワースさんのことも訊いておきたい。上野博士はこの施設でいろんな経験をしてきている。ここを終わらせるつもり、というならできる限り情報を集めておきたい。それが君たちの今後の治療にも役立つかもしれないからね。」
「……先生の話は分かりました。でも昨日のような刺客がいるかもしれないなら、やっぱり一人は危険です。だから自分がついて行きます。エンちゃん……」
圓崎に呼びかけてオサムは彼の前に立つ。真っ直ぐに圓崎の顔を見て問いかける。
「エンちゃん……もう、大丈夫……だよね?」
この瞬間だけ刻が止まってしまったかに思えるほど長く感じられた。見守る皆が自然と息を止めていた。
「……ああ。大丈夫だ。心配ない。」
これを聞いてオサムはにっこりと微笑んだ。
「エンちゃんいれば、みんな安心だね。……先生、出発前に一度マモルくんたちの様子だけ見ておきましょう。セメルさんが様子を見に行けなかった代わりに。」
「……分かった。では高山くん、改めてよろしく頼む。」
佐久間がオサムに肩を組んでいつもの調子で割って入る。
「タカヤマ!なに通夜みてえにシケた顔してんだよ?……エンちゃんいれば安心?そんなこたぁ、み〜んな知ってんだよ。それよか、お前一人の護衛の方がよっぽど心配なんだよ。なあ、エンちゃん?……だからオレもこっちについてってやんよ。」
「……サクマくん……」
「ったく、しゃーねえなぁ。オサム、とっととカタつけて早く上に行こうぜ。」
「クニヨシ?」
「まあ、クニヨシとオサム……サクマまでいたんじゃ誰か止めるヤツいねえと危なっかしいかんな。」
「カズキ……」
「マツノだけじゃ止めらんないと、いけないし……特にオサムちゃんは視点がひとと違うし。四人揃ってなきゃ、バランスが取れないでしょ?」
「エダくんも……」
圓崎が真ん中に立ち、香澄と五人の少年たちを見つめる。
「……マツノ、お前がコイツら引っ張ってやれ。上で待ってんぞ。」
「ああ。エンちゃんも無理はしねえで。」
「悪い」と言って前に進み出たのは香野だった。
「俺もそっちに行かせてもらう。俺はサクマたちみてえに強えわけでも足が早えわけでもねえけど、オサムが言ってた『下からの脱出』をやんなきゃなんねえときは、俺みてえな小柄な人間がいた方が役に立つと思う。いいか?オサム?」
少し考えてオサムが応える。
「確かにコウノなら入れる場所があるかもしれない。頼むよ。」
「おお?だったらオレもそっち行くよ。ウォータースライダーやってみてえし……」
「いや。悪い。マエコーはそっちに残ってくれ。」
「なんでだよ?コウノ?オレだって……」
「マエコーも俺も小柄だけど、お前……オサムの声が聞こえたんだろ?」
香野は山本たちに内緒にしてくれと頼んだことも念頭において、みんなの前での出来事に絞って話をする。
「チョーさんとの念話のとき、クニヨシとお前だけがオサムの声を拾った。俺は聞こえない。もしこっちで何かあったとき、オサムを通してチョーさんとマエコーなら連絡が取れるかもしんねえ。だからその保険としてそっちにいてくれ。頼む。」
小前はもちろん、オサムもこの申し出の理由には少し驚いていた。そんなことまで考えていたのかと……
コウノとマエコーはお互いの目を見て、マエコーの方が折れたようだ。
「わ〜ったよ。お前に任せんよ。代わりにミゾのことはオレが世話しといてやんよ。」
「なんで俺がお前たちに世話されなきゃいけねえんだよ?」
山本が彼らのやり取りを見て笑っている。米田はその顔を見て、あることを思い出した。彼は山本に耳打ちを始める。山本が頷くのを見て、米田がオサムに駆け寄った。
「なあ高山、お前にこれを預けとく。」
そう言ってタオルにくるんだ何かを渡す。
「直接触れねえように、そっと開けろよ。」
言われるがままオサムは慎重にタオルを広げる。
「これは……?」
「ロザリオだ。そっちの先生も持ってんだろうけど。これは山本さんから俺が預かってたんだ。今断ってお前に預けることにした。そっちの奴が今『連絡取れるように』って言ってたけど、これ通信器にもなるんだ。だから念のため持っててくれ。」
オサムは渡されたロザリオをまじまじと眺めている。
「失くすなよ。ちゃんと山本さんに後で返せよ。あと使い方とかは先生に聞け。俺はたまたま大丈夫だったけど、直接触っと危ねえかんな。気をつけろ。」
「分かった。ありがとう。大事に使うよ。」
「……あと、チョーさんもお前に感謝してたかんな。ありがとよ……」
そう言うと米田はまた上を目指すグループに戻って行った。オサムはやや小声で香澄に話しかける。
「この分だとやっぱり、山本さんも気付いてないんでしょうね?俺たち四人がこれに触れても平気なこと……」
「ああ。だが確かに『これ』は昨日のような被検体に出会したときに役に立つかもしれない。私のも君らに預けて……」
「いえ。多分それは先生が自分の身を守るためにも持っててください。これひとつあるだけで充分です。」
状況を察して佐久間が小声で質問する。
「なんだよ、タカヤマ?それって、そんな危ねえのかよ?」
「ウチら被検体の弱点になる金属が埋め込まれてるんだ。白衣の人たちがみんな持ってるヤツ。」
「へ〜」と言いながら香野も佐久間と一緒に覗き込んでいる。
ここで柴崎が二手に分かれた間に進み出て、全員に呼びかける。
「あのさ。言いづれえ雰囲気になっちまったけど、別に今ここで『お別れ』でなくてもいいんじゃね?今後のために握り飯作ってからみんなで持って行きてえんだけど。昨日もほら、腹空いてんの途中まで気づかなかったし。念のため。勝手に厨房使うのは、あの眠ってる二人には悪いけど……」
柴崎の提案には皆賛成した。マモルが張り切ってたくさん米を炊いていて、大きな炊飯器の中にはまだ米が余っていることを、山本と藤原が教えてくれた。この二人に吉村、竹田、小前の野球部三人と柴崎、あと手が大きいことを理由に溝端が加わって厨房にこもり、握り飯を作り始めた。ほかの者は皆座敷で、マモルとツクモの邪魔にならない程度に再び大の字で寝転んで、体力温存の休憩をしていた。圓崎と大田だけはこの大きな屋敷の周りを軽いジョギングで何周も走っている。縁側に腰掛けてオサムは香澄と話を続けていた。
「セメルさん……明らかにワープしてた今朝までの動きと違ってましたね。元々彼もビンガさん同様にあの動きができたんでしょうか?」
「分からない。だが『ツヨシ』とは恐らくビンガくんのことではないだろうか?」
「……ビンガさんの本名……」
オサムが何かに気づき後ろを振り返る。ツクモが目を覚ましたようだ。ゆっくりと上体を起こす。マモルはまだ寝息を立てたままだ。
「すまない……迷惑をかけたようで……眠っているのか……あっちは、また出かけたのか?」
ツクモは隣で『眠っているマモル』と『飛び出して行ったセメル』のことを言っているようだ。そして彼は見えないながらも、この場所での人の動きは把握できるのか、縁側のオサムたちに呼びかけた。
「お二人に話があります。お聞きいただけますか?」
眠りから覚めたカラスは、二人に何を語るのだろうか。
(第五十三話 終わり)




