第五十一話 道標 〜逆位相〜
2026年7月12日第51話「再びほかの者」に続けて「──米田」を4字追加。
12月4日の金曜日の朝である。ここにやって来て40日足らずの少年たちにとっても、彼らよりも長くこのエリシオンにいた人物たちにとっても、昨日は非常に長い1日となった。少年たちは、セメルたちのウチ……黄金の丘で過ごした夜は、果たしてよく眠れたのであろうか。地下施設では日の出によって目を覚ますことはないものの、ここではほかのエリアと異なり、家屋のある天井方向に付けられた照明は、本物の太陽のように時間ごとにその明るさを変えていく。この山間部の冬の朝は地上であれば、冷え込んでいて曇りや雪も珍しくない。むしろ日が差し込んでいる晴れの方がこの辺では少ないくらいである。
昨日のセメルが奥に姿を消した後は、言いつけどおりにマモルが世話役として働いてくれていた。香澄博士が咄嗟の思いつきで言った「チョーさんへの影響」も、特に問題ない旨きちんとセメルが調べてきたと伝えられた。もっともチョーさんは普通に敷地に踏み入っていて、体調の変化もなかったので今更という気もしたが、「調べた」とはどう調べたのであろうか。未来視とやらでチョーさんがここに来た未来を見て、問題ないと判断したのだろうか。香澄があわよくば断る口実にしようとしていたことは、班分けの話し合いで共有されていたため誰もこの問題には深入りすることもなかった。香澄にしてみれば、これすら少年たちに対する表向きの説明であり、単にセメルから高山オサムへの関心を反らせればなんでも良かったことである。
布団は用意がない、とセメルは言い残していたが、毛布が15枚と座布団は20個用意されていた。押入の中にあった普段彼らが使っていないものだ。だが、カビ臭さはあまり感じない。使ってなかった座布団のひんやり感はある。風呂は個人宅としては広めで、四人くらい同時に入っても狭いとは感じないだろう。普段のシャワーは水であったため、お湯の張った浴槽は久しぶりであった。最終的に子ども十四人が、毛布を被って座布団を枕代わりにし、縁側の正面にある一番大きな座敷で寝ることになった。20畳以上あるので余裕である。チョーさんを含めた大人が隣の客間を使い、ここも10畳以上あるので大人四人でも充分な広さであった。
最初はアリーナでの野宿では交代で見張りをたてるつもりであったが、少年たちは一様に疲れていたのか、あるいは『家らしき場所』での休憩が安堵感に繋がったのか……風呂上がりには十四人ともあっという間に眠ってしまった。ずっと元気のなかった圓崎も風呂に入って少し寛いだようで、彼もまた例外なく眠りに落ちていた。
四人の大人は襖を開けて、少年たちの様子が分かるようにしておいた。チョーさんは横にならず壁際に座って、背中を壁にもたれたまま熟睡していた。彼らは皆、無線供給による治癒のため眠ってしまったのかもしれない。残った香澄たち三人は、座布団の枕で仮眠をとりながら、念のための見張りを行って朝を迎えようとしていた。
昨日の地上では1センチほどの降雪が見られた時間帯があり風はほとんどなかったが、夕方以降では程よく吹いていた。午後からは比較的高めの気温が続き……と言っても1℃を下回っているのだが……相変わらず氷点下ではあるものの、今朝は昨日の朝ほど冷え込んでいない。もっとも地下は地上の気温に干渉されることなく15℃前後と安定した温度のため、多少ひんやりはしても寒さ暑さとは無縁である。
マモルとツクモは午前4時半に起床して朝食の準備を始めていた。途中からは藤原と山本も手伝い、二十一人分のご飯はすべて塩むすびで用意された。遅れて香澄が加わる。
「博士もまだ休んでいてください。我々だけでも大丈夫ですよ。」
「いや。少しくらいは手伝わせてくれ。」
「では味噌汁とお茶用に魔法瓶でお湯を用意いただけますか?おにぎりはもう少しで終わりますので。」
魔法瓶とはこの場合は電気ポットのことである。湯沸かし機能がない保温のみのものを従来は魔法瓶と呼んでいたが、湯沸かし機能付きの電気ポットもその名残りで、こう呼ばれることが少なくなかったのだ。インスタントの生味噌を人数分のお椀に入れて、電気ポットのお湯を注いで味噌汁を作る。
普段時計はなくとも、少年たちは自然と5時台に起きていたが、今日はなかなか誰も目を覚さなかった。ただ一人、オサムだけは5時に起きていた。皆が食事の準備をしているので手伝おうとしたが、皆眠っているしまだ横になっていて大丈夫と言われたため、オサムは辺りを散歩してみることにした。
朝食が用意された6時半近くにようやく大田が目を覚まし、続いて圓崎、松野、その後はほぼ一斉に全員が目を覚ますことになった。毛布を片付けて少年たちの眠っていた座敷で、全員が食事を摂る。握り飯と味噌汁とお新香と質素ではあるが、皆美味そうに頬張っていた。食事にはセメルがいなかった。香澄がマモルに訊ねたところ、5時半ころに出かけたという。その頃散歩中だったはずのオサムは一切姿を見かけなかったが、例のワープで跳んだのだろうと思い深く考えることもなかった。
皆ひと息ついて、まどろんでいたが、オサムがマモルに話しかける。年上と分かっていても、どうしても敬語では違和感があるらしく、同い年くらいのイメージのようだ。
「昨日お兄さんが言っていた『頼みごと』って何か分かる?」
「一応兄ちゃんもそのことがあるから、昼までには戻って来るって言ってた。でも、遅くなりそうなときはボクからみんなに賽銭箱のこと訊いてみてくれって言われてる。」
「賽銭箱?あの池のすぐ前にあるヤツ?」
「そう。でもまだ朝だし後でいいよ。遅くなるなら、兄ちゃんから連絡来ると思うから。」
改めて見回すと、全員すっかり顔色が良くなっている。夜、風呂に入るときには自力で歩けるようにはなっていたが、松野と安川が脚の痛みも傷も癒えていたことがオサムを一番安心させていた。添田も咳き込むことは無くなっている。チョーさんは少し痩せたようだが、念話もできるくらいに回復していた。一方、圓崎は顔色こそ大分良くなったものの、相変わらず『以前のような元気』は戻っていないようだ。
香澄は一人ひとりに目を向ける。全員が無事回復している様子に、ここに来る選択は正しかったと改めて思っていた。そしてマモルに今朝から姿を見せない兄について確認をした。
「セメルくんは一体どこに行ったのだろうか?」
「兄ちゃんは秘密が多いから、ボクにも分からない。でも兄ちゃん戻るまでみんなゆっくりしていきなよ。ツクモのじいちゃんもそう思うでしょ?」
「そうだね。そうしてくれれば、じいちゃんも嬉しいよ。」
そう言ってマモルの頭を撫でている。目が見えないといっても、特に不自由そうに見えないほど動きは自然である。
「先生?なぜ八咫烏さんはツクモさんと呼ばれているんですか?」
オサムは香澄が『本名も年齢も分かっていない』と言ったことを覚えていて、ずっと気になっていたようだ。香澄は『セメルがいない』という前提で、マモルとツクモに尋ねた。
「どうでしょうか?お二人が嫌でなければ私が知っていることを、この子たちに教えてもよろしいでしょうか?」
「ボクは構わないよ。ボクも聞きたいし。ね?じいちゃん?」
「ええ。私も構いません。むしろ自分では上手く説明できませんし、マモルもきっとそうでしょう。どうぞお話ください。マモルと一緒に私たちも聞いていてよろしければ?」
「ありがとうございます。是非ご一緒にお聞きください。」
昨日のセメルとは大分二人は違う考え方のようだ。香澄も了解を得てほっとした顔である。全員が縁側に集まり、香澄による話が始まった。
「迦陵頻伽と並んで古くからエリシオンにいるのが今出かけているセメルくんと、ここにいるお二人だというところまでは説明をしたね。兄弟の共命鳥よりも八咫烏……ツクモさんが先にいたと聞いている。ツクモさんはどういう経緯でエリシオンに来たのか分かっていない。ご本人も記憶がない、ということだった。だが、研究員に話しかけられて『ツクモ、カラス』という言葉だけおっしゃったそうだ。皆は九十九里浜という場所を知っているかな?」
口々に「知っています」と言い、全員が頷いた。
「八咫烏とは三本足の大きなカラスで、神の化身と言われているんだ。漁師たちがこれを崇めていて、あの九十九里浜には八咫烏信仰というのが根付いているんだよ。だからツクモ、カラスという言葉からツクモは『九十九』で『九十九里から来たカラス』で『八咫烏』と命名された、と聞き及んでいる。間違いないでしょうか?」
「ええ、おっしゃるとおりです。それで私もツクモと名乗ることに致しました。表札にもそう書きました。」
(アレは自分で書いたのか。では最後の文字は「鳥」ではなく「烏」……結構綺麗な字だけど、最初は目が見えてたのかな?)
オサムは不思議そうに八咫烏に視線を向ける。どことなく白鳥所長のような、おおらかなお爺さんという印象である。
「ツクモさんは最初混乱していた様子だったが、口にすることがことごとく的中したという。そしてほぼ同じ時期に来た共命鳥の二人にも似たような現象が見られたことで、『三人は未来視ができる』という結論になった……」
香澄が言葉を結ぶところで、ツクモが激しく咳き込み始めた。
「大丈夫じいちゃん?」
マモルが心配そうに背中をさすっている。山本がさっと立ち上がり台所に向かう。持ってきたポットでお湯を注いで、ツクモに飲ませる。
「ありがとう。すまない、気を遣わせて……」
まだ少し咳をしながらツクモが山本にお礼を言っている。ところがマモルが驚いた表情のまま、その場に立ち尽くしている。
「……お、おじいさん……?」
なんだかマモルの様子がおかしい。目の焦点が合っていない感じだ。
「か、香澄は……いるか?」
しゃがれた細い声でツクモが話しかける。香澄も訳がわからないが返事をする。
「はい。ここにいます。どうされましたか?ツクモさん。」
「時間がない……グミョー弟は昨日莫大な力を費やした。いいか、よく聞け。レッドハウスに行け。『ギャロウズ・ポウル』がそこにある。そして『ハングマンズ・ニー』……立川に預けてある。アレは……誰も知らない。頼んだぞ……」
香澄は全く何の話をされているか分からない。
「何なのです?それは?あなたは一体……?」
「俺は『エデン』の住人……いいか?『エリシオンの孔雀』を守れ。いいな?俺のように、『三つの風』に葬られる前に……」
全員が突然のことにどう対処して良いか戸惑っている。茫然としていたマモルが自問自答でもするように声を出す。
「おじいさん?カラスのおじいさん?」
二人ともほぼ同時に前のめりに倒れた。素早くオサムが倒れ込む寸前に座布団を滑り込ませ、衝撃を緩和した。山本が二人を仰向けに寝かせる。呼吸は正常で気を失っているだけのようだ。暫くは彼らを起こさないように、全員が縁側から外に出た。
「一体、何なんですか?」
藤原が香澄に詰め寄る。しかし本当に香澄にも事態がのみこめていない。
「分からない。本当に分からない。さっきの単語はいずれも私は初めて聞いた。だが、ひとつ……」
「レッドハウス……ですか?」
藤原に代わりオサムが言葉を続けた。
「チョーさんの情報にあった『真っ赤な部屋でネズミ男に改造された』場所ってのが、なんとなくそこっぽいですよね?」
「私もそう考えていた。だがチョーさんも場所は分からないのだろう?」
香澄の問いかけにチョーさんは手も頭も横に振っている。本当に知らないのだ。
「どうしますか、博士?このままセメルくんを待ちますか?」
腕組みしながら考えこむ香澄にオサムが意見を言おうとしたとき、意外な人物がここで声を上げた。吉村であった。
「あのよお……前にも話し合ってた班を分けるってやつ……これからオレは上に戻るのを提案してえんだけど?」
山本は吉村の顔を見て、彼の意見に傾聴の価値ありと思ったのだろう。彼が話しやすくするため、先を促すように優しく声をかける。
「大丈夫だ。みんな聞いているよ、吉村くん。そのまま続けてくれ。」
軽く頭を下げて吉村は続けた。
「とりあえず、今日は昨日と違って階段やエレベーター……止まってたり、通路が塞がってるとかは分かんねえけど、一緒に扉を開けてくれる人がいる。だったらまずオレはカジのヤツが無事かを確認してえ。」
口に出す者こそいなかったが、確かに皆が危惧していることである。鹿島のいる病室はレベル3の北側にある。ひょっとしたら今でも増殖を続けている二体のトカゲ男たちは、南側の通路にいるため大分離れていた。しかも通路というより洞窟のような場所を全て塞ぐには質量が相当膨れ上がることになる。レベル4へ通じる扉付近は塞いでも鹿島にまでは影響はないのでは、という若干楽観的に皆が考えていた。だが常識が通じる状況ではない。本当にレベル3にいる全ての者たちが、押し潰される事態に発展しても最早おかしくはないのだ。吉村の提言はもっともである。
「かと言って、いきなり全員でここを抜けたらあのアニキが何するか分かんねえ。喧嘩じゃ負けねえ、って言われてもアイツがワープできるってタカヤマも言ってたろ?怒り出したら厄介なんじゃねえかと思う。だから、扉を開けてくれる一人とオレだけで、今からレベル3に行ってみてえんだけど。」
学校ではともかく、ここに来てからの吉村としては随分積極的に発言している。だが正直彼一人で大人の護衛は心許ない。最低でもあと一人、自分が行くのが最適だろう、そう思ったオサムが声を上げる前に、再びほかの者──米田に先を越される。
「だったら俺も行きますよ。多分アイツの関心は俺には向いてる様子はないし。鍵開けるのは香澄先生と山本さんだと、アイツがすぐに『いない』って気づいて騒ぎ出しそうなんで……」
皆の視線は自然と藤原に向けられる。だが今日の藤原は冷静にこれを受け入れる。いつものオドオド感が全くない。
「確かに僕が適任だね。僕も関心が向けられていない。三人だけなら気づかれない可能性が高いと思う。」
藤原が言い終えた直後、大田とオサムが同時に何かに鋭い反応をした。二人とも素早く人差し指を口の前に立てて、昨日自分たちが入ってきた門扉の方に目を向ける。全員が『主人の帰還』に備えて緊張が走る。ゆっくりと門扉が開き、セメルが歩いてくる。彼は遠目に全員が揃っているのを見て、まるで凱旋した王様のように大仰に語りかける。
「おはよう諸君。昨日はぐっすりと眠れていたようだったね。その様子では食事は恙なく終えて集会でも開いていたのかな?それとも私をわざわざ迎えるために待っていた……わけではあるまい?」
オサムが前に出てセメルの話に応じる。
「ありがとうございました。みんなおかげで回復しました。本当に感謝しています。……弟さんは今、おじいさんと一緒に眠っていらっしゃいます。みんなのご飯やお風呂の準備をされてお疲れだったのだと思います。ですから起こさないように縁側の外で話をしていました。」
これを聞いてセメルは背伸びをして縁側の中を覗き込む。確かに二人が並んで眠っているのが見える。彼は家に向かって歩きながら、こう答えた。
「俺もだが、マモルは俺以上に外の人間と接する機会がなかった。余程嬉しかったのだろう、お前たちの世話ができることが……今朝も握り飯を張り切って爺さんと作っていたからな……すまない。気遣ってもらって。君たちの言うようにもう少しだけ寝かせてあげてくれ。」
言い終えるときには縁側から上がり込み、弟の寝顔を眺めていた。
「昨日仰っていた頼みごとなんですが、十八人いないと成立しないものでなければ、一部の人間だけレベル3に行かせることは可能でしょうか?」
オサムは二人の眠った経緯は別として、正直に自分たちの意向を伝えた。ほかの者はこの時点では黙って成り行きを見守るしかなかった。オサムはセメルの性格は寧ろ、正直に考えをぶつけることこそ正解だと確信していた。
「レベル3?なぜだ?」
「実は昨日レベル3でチョーさんと同じ手術をされた二人組に襲われて、彼らの身体が膨れ上がってずっと通路を塞いでいるんです。先月一人大怪我をした人がいて、レベル3の病室に置き去りにされています。彼の安否が心配で。」
顎に手を当ててセメルが目を細める。
「そのケガしてる奴って……ひょっとして『リーゼント』の奴か?」
オサムが目を丸める。
「すごい。そんなことまで見えるんですね?」
セメルが少年たちに背を向けて、小さく呟く。
「そうか。そういうことか。だから見えなかったのか……」
すぐに向き直りこう続けた。
「いいだろう。許可する。頼みごとは君の言うように大人数でないとできない、という力仕事ではない。君たちの智慧を借りたいのだ。だから、レベル3に行く前に一度全員で話だけは一緒に聞いてはくれまいか?答えを知っている者がいるかもしれないのでな。その上でレベル3に向かってもらう……それで良いだろうか?」
意外なほど話が通った。オサムの考えは正しかったと言える。セメルは意見が合うか合わないかではなく、言うか言わないかで相手を測っていた。
(第五十一話 終わり)




