第四十七話 熟練の技 〜再び下層へ〜
陸上自衛隊……白鳥所長が訓練と言って呼び寄せたのがまさか自衛隊だったとは……ビンガの頭の中には一切ない発想であった。地下にいる少年たちにも伝わっているこの事実を知らなかったのは、今やビンガだけであった。地震や火災の避難訓練を勝手に想像していたため、この大がかりな話を聞かされて言葉を失った。さらに衝撃的なのは、自分の存在を隊員が知っているということであった。
「まずはここから安全な場所に一旦退避したいが……」
ビンガが素早く身構え振り返る。影から足音もなく出て来たのは、もう一名の隊員だった。ビンガはこちらに潜んでいた隊員の気配も今まで全く気づいていなかった。
(二人いたのか?俺も随分と弱くなったもんだ。……いくら焦りがあろうと、二人も気配を逃していたとは……これが『ヤキが回った』というやつか。)
ビンガは自嘲気味に笑ってみせる。
「二人とも金属センサーに反応させずにどうやって銃を持ち込んだ?」
スカウト1……ビンガと直接対峙した隊員が答える。
「銃は私のみが携帯しています。金属探知機の死角は通常のものと変わりませんでしたので。彼の方は現時点では探知機にかからない装備のまま潜入しています。白鳥所長宛で荷物を届けてあるのです。それを解いていただくと我々の装備が梱包されています。今回の訓練に必要な書類と道具と称してお預けしました。」
「ではレベル1に……」
「まだ上の建物内ではないかと。」
「上か……所長と接触できれば……」
何かガラガラと音がし始める。台車の音のようである。そういえば先ほど引き返した青年が「荷物」と口にしていた。彼が戻って来たのだろうか。ビンガが二人を振り返るとすでに気配を絶ってどこかに再び身を隠したようだ。
(事務員相手なら、この衰弱した二人を見られたとしても何とかなるだろうか?)
「ちょっと待っててくださいね……。すみませ〜ん。あ、どうも。所長宛に今朝届いた荷物なんですけど、ご覧になってましたよね?今日って本当なら搬入ないじゃないですか?緊急の自衛隊訓練のことは聞いてます?その訓練に必要な書類とか道具がこれらしいんですけど、重過ぎ……って、あれ?あんときと同じ方じゃありませんか?」
青年がスロープ入口手前にあるガードマンボックスに向かって叫んでいる。エリシオンの敷地境界のガードマンボックスと、ここはプレハブである。この施設の『真のセキュリティガード』はスロープ中間部に小窓が見えている内側に待機している。
「お疲れ様です。すみませんが、今朝までいたのは夜勤明けでしたので、ちょうど交代で帰りました。自衛隊の訓練は伺っておりますが、その荷物については……聞いてないなぁ。」
「どうも。こんにちは、村井さん。所長の白鳥です。」
「おはようございます、白鳥所長。珍しいですね。事務員さんとお二人で。」
「昨晩、防衛庁からの要請がありましてね。ここで『対ゲリラ用』の自衛隊演習が急遽行われるので……さっきまで皆さんに説明していましたが、もう会場はてんやわんやでした。この荷物は今朝9時過ぎに私宛で送られてきたのを、こちらの早瀬くんが、会場準備で忙しい中受け取ってくれていて、今レベル2の会議室に運ぶところなんです。」
「そうでしたか。所長さんも大変ですね。早瀬さんもお疲れ様です。」
村井は普段から出入りする職員の顔も名前も覚え、彼らの話からどういう仕事、そのサイクル、忙しい時期もきちんと把握している。
「あ、いえ。ありがとうございます……。それで、すみません、警備員さん。これ重すぎてスロープ降りるのはちょっと無理なんで、警備室脇のエレベーター使わせていただいてよろしいですか?」
「……う〜ん。一応所長さんもご一緒とは言え、私らも仕事ですからね。伝票だけは拝見させていただけますか?」
そう言われて、早瀬がポケットにしまい込んでグシャっとなってしまった受取票を見せる。確かに白鳥所長宛で、今朝一番の配達で間違いないようだ。『陸上自衛隊 第十三普通科連隊』が送り主となっており、『訓練用資材・書類』と品名欄にある。だが……白鳥に「村井さん」と呼ばれた警備員は、しばらくこの伝票を食い入るように見続けた。
白鳥も正直なところ、「コレ」が何かさっぱり分かっていない。台車で運ぶときに早瀬が「めちゃくちゃ重いですよ」と言って、実際ずいぶん重いことは確認していた。
「防衛庁から直接相談されての急な取り決めなので、事前連絡がなくて申し訳ないって今朝も文部省から電話がありましてね。」
村井のまるで『現役刑事のような眼差し』に戸惑いを感じた白鳥がそう説明を加えた。白鳥の言葉を聞いて我に返ったように、にこやかな表情に戻る。
「どれ、今日は搬入も予定ないですし、私も手伝いましょう。……細田くん、悪いが下(レベル2)にすぐ連絡してくれるかい?私が所長さんたちと一緒に行って説明してくるよ。……自衛隊の演習はさすがに分かってるでしょうが、一応私も同伴した方が話を通しやすいでしょう。……じゃあ頼んだよ。すぐ戻るつもりだけど、下が渋ったら少し時間かかるかもしれないけど?」
「ああ、行っておいで。今連絡すませたから。所長さんもお疲れ様。」
白鳥と早瀬が奥の警備員にも頭を下げる。
「すみませんね、村井さん。ご足労かけて。」
白鳥が本当に申し訳なさそうに言う。
「いえいえ。仕事ですから。」
村井がぼそっと呟く。
「……交代後で良かった。」
「え?」
「ああ、ごめんなさい。なんでもないです。しかし、本当に重いですね。」
村井は箱の外を軽く触れているだけだが、その眼光は鋭かった。
「いや〜恥ずかしながら、私も中身は全く分かっておらんのですよ。」
白鳥所長は正直に言う。早瀬も嘆くようにこれに続けてぼやきだした。
「本当に、何入れてんでしょうね?『親展』なんて書いてるから開けてませんけど。自衛隊の訓練なんて初めてで、何を送ってきたんだか分かりませんが。これなら自分たちで運んで欲しかったですよ。」
そう言いながらエレベーターのボタンに手を伸ばそうとする彼を、気遣って村井が先に手を伸ばす。
「ああ、私が押しますから、早瀬さんはどうぞ、そのままで。」
レベル1とレベル2を繋ぐエレベーター……ガードルーム脇に三人が降り立つ。目つきの悪い男と無表情の男……二人のセキュリティガードが待ち構えていた。
地上部の偽装施設は、『普通』の警備員が配置されている。大野やZタイプといった者たちと違い、施設の内情を全く知らされていない。あくまで彼らのテリトリーは駐車場や、偽装施設内に限られる。万一の侵入者追跡のためにレベル2の通路に入ることまでは許されている。今三人の前にいるのは、大野同様の訳あり人材と、Zタイプである。普通の警備員たちには、Zタイプは障害を抱えて働く人たちとして説明されている。このため上手く意思疎通ができないこともあると……。目つきの悪い方が「確認する」とぶっきら棒に言って荷物に手を伸ばそうとしたとき、村井が大きな声を上げた。
「君ねえ、あんまり年寄りの小言でうるさく言いたくないけど……私に挨拶がないだけなら目をつむるが、白鳥所長さんがいらしてるんだ。『お疲れ様です』とか声くらいかけたらどうだい?ほら、後ろの彼は声が出せない子だろ?ちゃんと敬礼してるじゃないか?君は今声を出してた。喋れない子じゃないだろ?」
男は本当に村井にも所長にも気づいていなかったらしく、慌てて無礼を詫びた。
「すみません。気づかなかったとは言え、ご挨拶もせずに。村井さんもすみません。失礼しました。」
顔に反して意外と真面目な人間だったのか、村井のことも把握していて本気で詫びているようだ。その表情も周りに伝わりにくいだけなのかもしれない。
「まあ、私もちょっとキツく言い過ぎたかな?でも大野班長も挨拶や礼儀は普段からうるさく言ってるだろう?ああ、荷物は私が開けてみせるから、しっかり見ていてくれ。」
手慣れた動作で素早く箱を開けてみせる。そしてさっと取り出したバインダーを両手で持って、レベル2の二人の顔の前で広げる。
「ほら、こんなに分厚い書類だ。箱いっぱいだよ……大変ですね、所長さん。こんなの私じゃ読みきれませんよ。」
そう笑いながら、箱の蓋の隙間から似たような書類が詰め込まれていることを二人に見せた。
「紙って一箇所に集めると結構重いんだよね。君らも持ってみるかい?すごい重いぞ。」
「すみません、ご協力ありがとうございました。よろしければ運ぶのを自分らもお手伝いします。」
「いやいや、冗談だよ。私もまだまだ若い子に負けられんからね。運ぶのは私が手伝うから、君たちは監視に戻って大丈夫だから。お手数かけたね。」
「こちらこそ、失礼をいたしました。」
二人は深々と頭を下げて、三人を見送った。
「何でしたら早瀬さんも仕事にお戻りください。私が所長さんを手伝って、台車も会議室の鍵もお戻ししますよ。大変だったでしょう?急な準備で。」
早瀬は本気で戻りたがっていたため、この申し出には一瞬悪いかなと思いつつも、戻るのを優先したようだ。
「では申し訳ありませんが、本当にお願いしてよろしいですか?」
「ええ、どうぞ、どうぞ。こちらは私の仕事ですから。週末の支払いで急いでいらっしゃるんでしょう?さあ、気にせず行って、行って。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。助かります。所長もすみません。失礼します。」
「長いこと付き合わせて本当にすまなかったね。おかげで助かりました。」
走りながら何度か振り返っては頭を下げて、最後は全力疾走で事務室に向かって行った。
白鳥と台車を押す村井が並んで通路を歩いていく。
「本当にありがとうございます、村井さん。」
こう言った白鳥に対して、目は通路の先に向けたまま、村井は小声で静かに話し出した。
「所長、これはあくまで私の独り言です。お返事はなさらずにお願いします。」
白鳥は彼が伝票を目にしてから様子が変わったのと関係あるのだろうと考え、その指示通り返事をすることなく耳だけ傾けた。
「……日米共同訓練が始まってかれこれ5年、いや6年くらいは経ちましたかね。私ら警察ってのは、自衛隊じゃありませんから、訓練に参加するなんてことはありません。(2000年代になるまで警察と自衛隊の合同訓練は実施されていない) 新潟や群馬の連中は警備に駆り出されて大変でしょうが。長野も上空を通るってことで、情報提供で全く関係ないわけでもないんですが……」
白鳥が早瀬から借りていた鍵を取り出し、会議室の扉を開ける。
「私も長年警察にいましたからね……まず、十三連隊が送ってきたのに、松本駐屯地の住所じゃないんですよ。それと宛名が『所長 白鳥様 親展』って書いてありました。施設長宛は分かりますが、これは明らかに個人宛です。急遽ってのは本当なんでしょうが、民間の配達業者でこんなものを送ってくるなんて。さっきの彼もおっしゃってましたが、普通は自分たちで持ってくるもんです。」
白鳥が開けた扉を抑え、村井は台車を部屋の中にまで押しこんで、自分は通路に残っている。部屋には踏み入ることなく、独り言を続ける。
「本当に書類の内容をご存じないようですが……随分と『鉄の匂い』がお強い書類だ。……私はただの門番です。何があったのか、どういう事情かは分かりませんが、今日は私が夜勤の日です。何かあれば、迷わず声をかけてください。それと……早瀬さんにはああ言いましたが、やはり所長さんご自身で、台車と鍵をご返却ください。『お客様』の邪魔になるといけませんので、私はこれで失礼します。ああ、そのままで結構です。」
そう言って、白鳥のみならず、誰もいない通路の先にも敬礼をしてみせる。村井は帽子を目深に被り直して、通路の左端に沿って歩いて行った。
この当時から平成一桁台までの警備員は、概ね警察OBが占めていることが多かった。彼らが必ずしも優秀とは限らなかったがこの村井のように……例え少々お腹は出ていても、姿勢良く背筋を伸ばしている。制服もきちんと着こなして、帽子を斜めに被るなんてことはしない。そんな威厳を漂わせる者は多かった。もっとも、この村井が特筆すべき秀でた人材であったことは間違いない。平成二桁以降は『最低入札価格制度』の徹底による影響で『一番安い業者を選ぶ』という考え方が、『一番上質な業者』を退けていく弊害となっていき、現在では大分様変わりした業種の一つではなかろうか。
村井が立ち去ったあとの会議室では、白鳥所長とビンガ、そして自衛隊の潜入チームの2名が佇んでいた。ちょうど本日の会議をレベル1の大会議室にしたことで、こちらの普段の週例会議に使用している会議室は誰も使う者がおらず、彼らが脱出作戦のための詰所として使用するのに、これほど都合の良い場所はなかった。ひととおりの施設の状況、この後にビンガがどう動こうとしているか、所長にお願いしたいことは何か、淡々とビンガは説明を続けていた。
「しかし、あの青年と……何よりあの警備員のおかげです。私だけでは打開策は見つかりませんでしたから。」
迦陵頻伽がこれほど汗をかいているのは本当に珍しい。まるで息子を慈しむような眼差しでこれを見ていた白鳥は、自衛隊員たちに向き直って改めて挨拶を始めた。
「外は本当に寒かったでしょう?氷点下ですからね。本当にご苦労様です。大したおもてなしもできずに申し訳ないが……正直こんなに早く来てくださるとは思っておりませんでした。事務次官殿によろしくお伝えください。」
会議のときから一転して、白鳥はいつものまったりとした雰囲気に戻っていた。
切迫した状況とは裏腹にマイペースな白鳥に戸惑いを覚えながらも、スカウト1の隊員は返答する。
「自分たちが直接事務次官殿にお会いすることはございません。ご友人ということでしたら、後日直接おっしゃっていただいた方が、よろしいかと思います。」
「おお、すまん、すまん。困らせるつもりで言ったわけではないんだが、申し訳ない。」
「いえ、こちらこそ。生意気な発言で申し訳ございません。しかし……ご説明いただいたこの施設の実態は恐ろしいものです。滝口さんの能力を目の当たりにした今だからこそ、信じられますが……下層にいる少年たちの救出がいかに困難であるかを知りました。先ほどもおっしゃっていたとおり、あの警備員の方がいらっしゃらなければ我々はどうなっていたことか。」
「私も全容を聞いたのは、つい昨日でしたから……」
「とにかくあなた方にお会いできたのは、大変心強い。これで私は心置きなく、最下層まで行けます。」
ビンガが長くなりそうな話を遮るように言葉を挟んだ。そして並べた椅子の上で眠る二人の被検体に目を向ける。
「では、所長と彼らのこと……よろしくお願いします。」
二人の隊員が敬礼で応える。
「もう行ってしまうのかね、ツヨシくん。」
「ええ。……所長、あの装置の起動は、職員の避難が完了した以降であれば、一切躊躇せずに行ってください。上野くらいしか本来知らないものですが、黒崎もアレの存在は知っているはずです。勘付かれた場合は止められてしまいます。下層にいる被検体は気にしないでください。起動後48時間あるんですから。」
白鳥らしからぬ険しい表情に、ビンガこと滝口剛が笑顔を見せる。
「お二人もご協力をお願いします。私はどうしても、この手でこのエリシオンを封印しなければならないんです。」
そう言うと不慣れな敬礼を行い、すっと姿を消した。音も立てずに扉が開いて、すぐに閉ざされる。迦陵頻伽は下層に向けて出発した。
(第四十七話 終わり)




